体育館倉庫だ。
僕の目の前にあるのは、バレーボールがぎっしり詰まったカゴや、ずらりと並んだハードル。まぁ、体育館倉庫なのだから当たり前なんだけど。
なんやかんやあって、僕と萩ちゃんはこの体育館倉庫に閉じ込められたのだった。
「困ったね、萩ちゃん」
僕の記憶が確かなら、萩ちゃんは昔から、あまり暗いところが得意ではない。屋外なら星や月、それから街灯なんかがあるから大丈夫らしいんだけど、室内の暗さが怖いのだという。寝る時は絶対に豆電球がないと駄目だった。
時刻は、さっき『ゆうやけこやけ』が聞こえて来たから、十七時を過ぎたところか。どうしよう、この倉庫、電気がないから、このままだと本当に真っ暗になっちゃう。
僕達は、マットを敷き、跳び箱を背凭れにして並んで座っている。拳三つ分くらいの距離をあけて。本当は、何だかんだ理由をつけてこの距離を埋めたい。いや、別にそういういやらしい意味とかじゃなくて、その、単純に、萩ちゃんが安心するかな、ってほんと、ほんとにそれだけの理由だから!
「困ったな」
「まさかどっちも荷物全部廊下に置きっぱとはね」
「そうなんだよな、クソっ、スマホあの中に入ってるのに!」
「僕もそうなんだよね。だから、助けを呼ぼうにも……。でもさ廊下に学生鞄が二つも置いてあったら、宿直の先生もさすがにおかしいと思ってくれるんじゃない?」
あくまでも希望ではあるけど、可能性は0ではない。宿直の先生がどの辺を見回るのかなんて知らないけど、きっと体育館の方まで来るよね?
ただ、不安要素があるとすれば、今日はテストの最終日で、僕ら以外の生徒は恐らく全員下校しているということだ。つまり、普通に考えれば残っている生徒なんていないわけだから、きっちり施錠までした以上、もうここには来ないかもしれない。
こんなことなら萩ちゃんが「寿都先生のお宝の噂がマジか、確かめに行こうぜ!」って提案した時に、それはまた今度にしようよって言えば良かったかな。ごめんね萩ちゃん、何だか僕ら以外に生徒がいない校舎って非日常感があって、そんなジュブナイル小説もあったかもしれないなんてテンション上がっちゃったんだ。もう少し一緒にいたかったし、見つけたら見つけたで二人だけの秘密が増えるかな、なんて思ったりして。
「確かにな」
「中を開ければ個人を特定するものが入ってるし、そうしたら親にも連絡は行くだろうし。さすがに探してくれるでしょ」
「じゃなかったら、俺は親を恨む」
「だからまぁ、気長に待とうよ。ジャンパーもあるし。着てて良かったよね」
なるべくその言葉は明るく言うようにした。
だから大丈夫だよ。ここが本当の本当に真っ暗になっても、絶対に誰か助けに来てくれるよ、って。
もし、本当に誰も来なかったら、その時はあの小窓を割って――なんてことも考えた。情けない話だけど、僕は痩せてるから、たぶん出られる。それで助けを呼べに行けば。あっ、でも、そうしたら真っ暗なところに萩ちゃんが一人になっちゃう。それは駄目だ。萩ちゃんに怖い思いなんてさせたくない。やはりここでじっと待つしかないだろう。
もし本当に、この後もこの辺りを先生が見回らなかったとしても、だ。
今日はお母さんが昼勤だから、僕が連絡もなしに夕飯の時間まで帰らなければ、絶対に沙也子さん――萩ちゃんのお母さんの名前だ――に連絡するはずだ。何せ家が隣同士なので、家族ぐるみで仲が良いのである。それで、萩ちゃんも帰ってない、ってことになって、学校に連絡が行く、というパターンだって考えられる。
だから、大丈夫。絶対に。
大丈夫なのだけれども、正直なところ、僕としては暗さよりも寒さが厳しい。日中は温かかったから、学ランの下に着ていたニットベストを脱いでしまっていたのだ。それももちろん鞄の中である。僕としたことが。あとはもう帰るだけと思って油断していた。
「もっとこっちくれば」
「へ?」
いま何て言った、萩ちゃん!?
もしかして、もう心細くなっちゃった? 確かにもう随分薄暗くなってきたし。
「い、いや、その、別に変な意味じゃなくてさ。夜宵、結構寒がりじゃん。風邪引きやすいし。くっついてた方が多少温かくねぇ?」
あ、なんだ。そういうことか。僕のためか。
……いや、僕のためか! 萩ちゃん優しい!
「うん、まぁ、そうだけど。なんか虚弱みたいで恥ずかしいな」
そんなことを言いつつ、距離を詰める。とん、と肩が触れてドキドキする。
こんなに近づいて大丈夫かな。僕、汗臭くないかな。あっ、そういえば昨日間違えてお姉ちゃんのシャンプー使っちゃったんだった! 何か女々しいとか思われたらどうしよう! いや、そんなことより、萩ちゃんがめちゃくちゃ至近距離だ! こないだのポッキーゲームもドキドキしたけど、こんな風にぴったりくっついて並ぶことなんてないから、ものすごく緊張する。
ああもう、そんなこと考えてたら何か暑くなってきちゃった。どうしよう、息とか荒くなってないかな。この状況で興奮してるとか思われたら、僕、変態みたいじゃん! 萩ちゃん、僕に襲われるとか考えたりしないかな? 違うよ、そりゃあ僕は萩ちゃんとそういうことをしたいって思ってはいるけど――って違う違う違う! いまそんな鮮明に妄想したらまずいんだってば、色々と! ああもう、僕ってば何一人で暴走してるんだ。落ち着け、落ち着くんだ、僕。とりあえずジャンパーのファスナーを全部上げて鼻から下を全部隠す。これで多少息が荒くなっちゃっても大丈夫なはず。
少しでも気持ちを紛らわそうと、会話の糸口を探すけれど、口をついて出たのは「な、なんか暑いね」なんて言葉だ。しかもちょっと噛んじゃったし。僕もうほんとカッコ悪い。
すると、僕の方をちらりと見た萩ちゃんは目を剥いて驚いた。
「や、夜宵!? 熱でもあるんじゃないかお前!? 真っ赤だぞ!?」
は? ないよ、ないない。確かにちょっと一時的に体温が上がっちゃってるかもだけど、そんな心配するようなやつでは――ああああ、ちょっと、何?! 何でいきなりおでこ触って来るの?! いまの僕にお触りはちょっと刺激が強すぎるから! ていうか、それを言うなら萩ちゃんだって同じだよ。茹でダコみたいになってるからね?
「ないってば、大丈夫。でもさ。萩ちゃんだって顔真っ赤じゃん」
そっちがそう来るなら、お返しだ。食らえ、末端冷え性の手攻撃! あまりの冷たさに驚いたのだろう、ぴゃ、と小さく震える萩ちゃんが可愛い。
「そ、そそそそれはその、何ていうか」
「何ていうか……何?」
何かを我慢するような、苦しそうな顔でこちらをじっと見つめる。
やめてよ萩ちゃん、そんな顔するの。
僕だって、勘違いしちゃうじゃん。もしかして萩ちゃんも僕のこと好きなんじゃないのかな、なんて。
萩ちゃんが、僕の手をぎゅっと掴む。
もの言いたげな目で、口をぎゅっと結んで、僕を見た。
いいの、萩ちゃん。
僕、期待しちゃっても。
どんな言葉をかけたら良いかわからず、呆けたように、口は半端に開いたままだ。
そこに萩ちゃんがゆっくりと近付いてきて――
僕の目の前にあるのは、バレーボールがぎっしり詰まったカゴや、ずらりと並んだハードル。まぁ、体育館倉庫なのだから当たり前なんだけど。
なんやかんやあって、僕と萩ちゃんはこの体育館倉庫に閉じ込められたのだった。
「困ったね、萩ちゃん」
僕の記憶が確かなら、萩ちゃんは昔から、あまり暗いところが得意ではない。屋外なら星や月、それから街灯なんかがあるから大丈夫らしいんだけど、室内の暗さが怖いのだという。寝る時は絶対に豆電球がないと駄目だった。
時刻は、さっき『ゆうやけこやけ』が聞こえて来たから、十七時を過ぎたところか。どうしよう、この倉庫、電気がないから、このままだと本当に真っ暗になっちゃう。
僕達は、マットを敷き、跳び箱を背凭れにして並んで座っている。拳三つ分くらいの距離をあけて。本当は、何だかんだ理由をつけてこの距離を埋めたい。いや、別にそういういやらしい意味とかじゃなくて、その、単純に、萩ちゃんが安心するかな、ってほんと、ほんとにそれだけの理由だから!
「困ったな」
「まさかどっちも荷物全部廊下に置きっぱとはね」
「そうなんだよな、クソっ、スマホあの中に入ってるのに!」
「僕もそうなんだよね。だから、助けを呼ぼうにも……。でもさ廊下に学生鞄が二つも置いてあったら、宿直の先生もさすがにおかしいと思ってくれるんじゃない?」
あくまでも希望ではあるけど、可能性は0ではない。宿直の先生がどの辺を見回るのかなんて知らないけど、きっと体育館の方まで来るよね?
ただ、不安要素があるとすれば、今日はテストの最終日で、僕ら以外の生徒は恐らく全員下校しているということだ。つまり、普通に考えれば残っている生徒なんていないわけだから、きっちり施錠までした以上、もうここには来ないかもしれない。
こんなことなら萩ちゃんが「寿都先生のお宝の噂がマジか、確かめに行こうぜ!」って提案した時に、それはまた今度にしようよって言えば良かったかな。ごめんね萩ちゃん、何だか僕ら以外に生徒がいない校舎って非日常感があって、そんなジュブナイル小説もあったかもしれないなんてテンション上がっちゃったんだ。もう少し一緒にいたかったし、見つけたら見つけたで二人だけの秘密が増えるかな、なんて思ったりして。
「確かにな」
「中を開ければ個人を特定するものが入ってるし、そうしたら親にも連絡は行くだろうし。さすがに探してくれるでしょ」
「じゃなかったら、俺は親を恨む」
「だからまぁ、気長に待とうよ。ジャンパーもあるし。着てて良かったよね」
なるべくその言葉は明るく言うようにした。
だから大丈夫だよ。ここが本当の本当に真っ暗になっても、絶対に誰か助けに来てくれるよ、って。
もし、本当に誰も来なかったら、その時はあの小窓を割って――なんてことも考えた。情けない話だけど、僕は痩せてるから、たぶん出られる。それで助けを呼べに行けば。あっ、でも、そうしたら真っ暗なところに萩ちゃんが一人になっちゃう。それは駄目だ。萩ちゃんに怖い思いなんてさせたくない。やはりここでじっと待つしかないだろう。
もし本当に、この後もこの辺りを先生が見回らなかったとしても、だ。
今日はお母さんが昼勤だから、僕が連絡もなしに夕飯の時間まで帰らなければ、絶対に沙也子さん――萩ちゃんのお母さんの名前だ――に連絡するはずだ。何せ家が隣同士なので、家族ぐるみで仲が良いのである。それで、萩ちゃんも帰ってない、ってことになって、学校に連絡が行く、というパターンだって考えられる。
だから、大丈夫。絶対に。
大丈夫なのだけれども、正直なところ、僕としては暗さよりも寒さが厳しい。日中は温かかったから、学ランの下に着ていたニットベストを脱いでしまっていたのだ。それももちろん鞄の中である。僕としたことが。あとはもう帰るだけと思って油断していた。
「もっとこっちくれば」
「へ?」
いま何て言った、萩ちゃん!?
もしかして、もう心細くなっちゃった? 確かにもう随分薄暗くなってきたし。
「い、いや、その、別に変な意味じゃなくてさ。夜宵、結構寒がりじゃん。風邪引きやすいし。くっついてた方が多少温かくねぇ?」
あ、なんだ。そういうことか。僕のためか。
……いや、僕のためか! 萩ちゃん優しい!
「うん、まぁ、そうだけど。なんか虚弱みたいで恥ずかしいな」
そんなことを言いつつ、距離を詰める。とん、と肩が触れてドキドキする。
こんなに近づいて大丈夫かな。僕、汗臭くないかな。あっ、そういえば昨日間違えてお姉ちゃんのシャンプー使っちゃったんだった! 何か女々しいとか思われたらどうしよう! いや、そんなことより、萩ちゃんがめちゃくちゃ至近距離だ! こないだのポッキーゲームもドキドキしたけど、こんな風にぴったりくっついて並ぶことなんてないから、ものすごく緊張する。
ああもう、そんなこと考えてたら何か暑くなってきちゃった。どうしよう、息とか荒くなってないかな。この状況で興奮してるとか思われたら、僕、変態みたいじゃん! 萩ちゃん、僕に襲われるとか考えたりしないかな? 違うよ、そりゃあ僕は萩ちゃんとそういうことをしたいって思ってはいるけど――って違う違う違う! いまそんな鮮明に妄想したらまずいんだってば、色々と! ああもう、僕ってば何一人で暴走してるんだ。落ち着け、落ち着くんだ、僕。とりあえずジャンパーのファスナーを全部上げて鼻から下を全部隠す。これで多少息が荒くなっちゃっても大丈夫なはず。
少しでも気持ちを紛らわそうと、会話の糸口を探すけれど、口をついて出たのは「な、なんか暑いね」なんて言葉だ。しかもちょっと噛んじゃったし。僕もうほんとカッコ悪い。
すると、僕の方をちらりと見た萩ちゃんは目を剥いて驚いた。
「や、夜宵!? 熱でもあるんじゃないかお前!? 真っ赤だぞ!?」
は? ないよ、ないない。確かにちょっと一時的に体温が上がっちゃってるかもだけど、そんな心配するようなやつでは――ああああ、ちょっと、何?! 何でいきなりおでこ触って来るの?! いまの僕にお触りはちょっと刺激が強すぎるから! ていうか、それを言うなら萩ちゃんだって同じだよ。茹でダコみたいになってるからね?
「ないってば、大丈夫。でもさ。萩ちゃんだって顔真っ赤じゃん」
そっちがそう来るなら、お返しだ。食らえ、末端冷え性の手攻撃! あまりの冷たさに驚いたのだろう、ぴゃ、と小さく震える萩ちゃんが可愛い。
「そ、そそそそれはその、何ていうか」
「何ていうか……何?」
何かを我慢するような、苦しそうな顔でこちらをじっと見つめる。
やめてよ萩ちゃん、そんな顔するの。
僕だって、勘違いしちゃうじゃん。もしかして萩ちゃんも僕のこと好きなんじゃないのかな、なんて。
萩ちゃんが、僕の手をぎゅっと掴む。
もの言いたげな目で、口をぎゅっと結んで、僕を見た。
いいの、萩ちゃん。
僕、期待しちゃっても。
どんな言葉をかけたら良いかわからず、呆けたように、口は半端に開いたままだ。
そこに萩ちゃんがゆっくりと近付いてきて――