体育館倉庫である。

 俺の目の前には、バレーボールがぎっしり詰まったカゴや、ずらりと並んだハードルがある。体育館倉庫なのだから当たり前だ。

 なんやかんやで俺と夜宵はこの体育館倉庫に二人きりで閉じ込められたのだった。

「困ったね、萩ちゃん」

 不安そうに眉を下げ、夜宵がへにゃりと笑う。その弱々しい笑みに、胸がギュッと締め付けられる。くそっ、これはこれで可愛いとか思ってしまうのは何なんだ。

 時刻は十七時を過ぎたところだ。さっき、『ゆうやけこやけ』が流れていたから間違いない。運悪く本日はテスト最終日だったために、部活動も休みだ。ウチの学校はテスト最終日も部活がない。「どうせお前達、徹夜で勉強したりして疲れてるだろ? 今日はもう早く帰ってゆっくり休め」というありがたい配慮というやつだ。まぁ、あったとしても俺も夜宵も帰宅部なんだけど。

 諸々の解放感から、生徒達が足早に下校する中、俺と夜宵は、空き教室で駄弁っていた。
 お互い、親にテスト日程を間違えて伝えていたらしく、弁当を持ってきてしまっていたのだ。持って帰って家で食べるのも味気ないし、ということで、担任に事情を話し、職員室には近付かないこと、食べ終えたら速やかに下校することを条件に、空き教室を使わせてもらっていたのである。

 もちろん、先生に交渉してくれたのは夜宵なんだけど。やっぱりこういうのは日頃の素行が物を言うのだ。いや、俺だって見た目はこうだけど、一応真面目にはやってるんだぞ? ただ結果が伴わないだけで。

 とにもかくにも、もちろんその約束通りに、食べ終えたら速やかに下校するつもりだった。けれど、教師達しかいない校内はひっそりとしていて、何だか非日常感がある。そんな雰囲気にあてられて、「教科書とノートを広げていたら、もし見つかってもそこまで怒られないのではないか」なんて浅はかな提案で、もう少し、もう少しと他愛のない話をしているうちに数時間が経過した。

 それで――、さすがに帰ろうという段になったのだが、せっかくの非日常感である、ここまで来たらもう少し羽目を外してやろうぜ、みたいな空気になったのだ。

 体育教師の寿都(すっつ)が、体育館倉庫にお宝を隠しているらしい、という噂が生徒間で流れたことがある。その噂は、最初こそお気に入りの女優の写真集(いかがわしいやつではない)だったはずだが、巡る過程でどんどん尾ひれが付き、ついには、それが熟女ものだの、JC(女子中学生)ものだのとなって、多感な男子学生達の気を十分に引いたものだ。百歩譲って熟女趣味でも良いけど、JCは普通にヤバい。

 それで、確かめに行ってみないか、ということになった。夜宵は真面目君ではあるが、案外こういうことには乗ってくれるのだ。むしろ、きらりと眼鏡を光らせて、「先生達に見つからないルート、僕なりに考えたんだけど――」などとかなりノリノリだったりして。

 で、こっそり忍び込んで何やらやっているうちに、施錠されてしまった、と。さすがは夜宵の考えたルートだ。ばっちり見つからなかった。ばっちり見つからなかったが故の結果だ。

 そんな状況下に、いま置かれている。

 生徒は皆下校しているし、教師達は採点作業で職員室にこもっているだろう。体育館倉庫(こんなところ)になんて誰も用はない。さすがに夜になれば宿直の先生が見回るのだろうが、施錠も終えたいま、果たしてここに来るかどうか。

 俺達は、マットを敷き、跳び箱を背凭れにして並んで座っている。拳三つ分くらいの距離をあけて。

 閉じ込められてどれくらい経っただろう。最初は余裕をかましていたが、『ゆうやけこやけ』が聞こえ、陽も落ち、気温も低くなってくると、だんだん不安になってくる。いまはまだ平気だが、本格的に夜になったらまずい。実は俺、暗いのちょっと……駄目なんだよな。

「困ったな」
「まさかどっちも荷物全部廊下に置きっぱとはね」
「そうなんだよな、クソっ、スマホあの中に入ってるのに!」
「僕もそうなんだよね。だから、助けを呼ぼうにも……。でもさ」
 
 そう言って、夜宵は扉を指差した。

廊下(あんなところ)に学生鞄が二つも置いてあったら、宿直の先生もさすがにおかしいと思ってくれるんじゃない?」
「確かにな」
「中を開ければ個人を特定するものが入ってるし、そうしたら親にも連絡は行くだろうし。さすがに探してくれるでしょ」
「じゃなかったら、俺は親を恨む」
「だからまぁ、気長に待とうよ。ジャンパーもあるし」

 着てて良かったよね、なんて言って、夜宵は肩を擦る。寒いのかもしれない。こいつは昔から体温が低めで寒がりなんだった。体質のせいなのか、どんなに食べても太れないし、筋肉もあまりつかないとかで、全体的に肉が足りていないのである。そりゃあ寒いよな。

「もっとこっちくれば」
「へ?」
「い、いや、その、別に変な意味じゃなくてさ。夜宵、結構寒がりじゃん。風邪引きやすいし。くっついてた方が多少温かくねぇ?」
「うん、まぁ、そうだけど。なんか虚弱みたいで恥ずかしいな」

 照れたようにそう笑いつつ、ずりずりと距離を詰めてくる。肩が触れた程度で温かくなるか、と言われたら、ぶっちゃけそうでもないのだが。

 ないと思っていたのだが。

 ()っつ!
 
 暑いのである。
 いや、熱があるとかじゃなくて。
 何ていうか、興奮しすぎて?! 絶対いま俺体温三十八℃くらいあるって!

 ていうか、夜宵めっちゃ良い匂いするんだけど! こんなの思春期の男子から香って良いやつじゃねぇから! 『自称・C組のビューティー枠』の兎崎(とざき)でさえ、こんな匂いさせてたことないぞ!? おい、どんなシャンプー使ってるんだお前! これ絶対美容室とかに売ってる、何かすげぇ良いやつだろ! もう! これ以上俺をドキドキさせるな!

 なんで俺がこんな興奮して暑くなってるんだ、と思わないでもないのだが、好きなやつと例え一部でも密着していればこうなるわけで。いや、夜宵が寒がってたら意味が――、

「な、なんか暑いね」

 暑いとな!?
 えっ、やっぱり俺の体温そこまで届いてた!? だとしたら四十℃くらいあるだろ! 学ランも着て、さらにジャンパー着てんだぞ!?

 隣を見ると、夜宵はジャンパーのファスナーをきっちり上げて鼻から下をすっぽりと隠している。露出している部分が真っ赤だ。いや、暑いならファスナー下ろせば!? 

 じゃなくて!

「や、夜宵!? 熱でもあるんじゃないかお前!? 真っ赤だぞ!?」

 慌てて前髪を掻き分け、額に触れてみるが、思った以上に熱くはない。

「ないってば、大丈夫。でもさ」

 す、と夜宵の手が伸びる。何だ何だと思っているうちに、ひんやりと冷えた手の甲が俺の頬に触れた。その冷たさに、びくりと身体が震える。震えたのは冷たさだけではないけど。

「萩ちゃんだって顔真っ赤じゃん」
「そ、そそそそれはその、何ていうか」
「何ていうか……何?」

 眼鏡の奥の潤んだ目で、じっと見つめられる。頬に触れていた夜宵の手は、俺の首をするりと滑って、そのまま肩に着地した。
 何かを訴えるような、伝えようとするような、そんな顔を見れば、もしかして夜宵の方でも俺のこと好きなんじゃないだろうか、なんて勘違いしてしまいそうになる。

 そんな都合の良いこと、あるわけがない。だって俺、男だし。

 だけどもし、いま俺が手を取って、それをあいつが拒まなかったら?

 勘違いじゃなくて、確信になるんじゃないだろうか。

 いつまでも親友のままじゃなくて、もし、その先に進めるなら。進めるものなら、進みたい。一歩が贅沢なら半歩でも良い。

 そんな欲が出て、肩の上の夜宵の手を掴んだ。