ポッキーゲームだ。
十一月十一日でもないのに、なんやかんやでポッキーゲームをすることになったのだ。
しかも、僕の目の前にいるのは、幼馴染みの南城矢萩。名字のような名前だからと、本人はあまり好きではないらしい。僕は萩ちゃんって呼んでる。
僕はいつも放課後、萩ちゃんのクラスの前を通るようにしている。別にここを通らなくたって玄関には行けるんだけど、このタイミングで会えると、彼は必ず「おっ、夜宵じゃん。いま帰るとこ? そんじゃ一緒に帰ろうぜ!」と誘ってくれるのだ。本当はこんなことしないで男らしく僕から堂々と誘いたいけど、萩ちゃんの方だって予定があるかもしれないし、僕は他クラスだし……、と日和ってしまい、こんな偶然の力に頼ってしまう情けない僕である。
だから今日もそんな感じで、うまいこと会えないかな? なんて考えながら彼のクラスの前をゆっくり歩いていたところ、他クラスにも関わらず、去年同じクラスだったという薄い繋がりで、遠藤君が声をかけてくれたのである。
遠藤君は、きっと僕のこと「いまだに新しいクラスに馴染めないため、他クラスに離れてしまった親友のところに来ている寂しいやつ」とでも思っているだろう。けれどそれをおくびにも出さず、気さくに誘ってくれるのだ。それは僕の考え過ぎなのかもしれないし、別にいまのクラスにも友達はいるんだけど。でも、とにかく良いやつだ。面倒見が良いっていうのかな。いつも何かと気にかけてくれるのである。委員長だからだろうか。
家が隣同士の幼馴染み、萩ちゃんは、僕とは全然タイプが違う。
僕は正直、黒髪眼鏡の地味な真面目君だ。まぁそのキャラ通りに――というのか、成績はそれなりである。だけどまさかそんなそれなりの成績で特進クラスに入れられるとは思わなかったよ。せめてこちらの意思くらい確認してくれるとばかり。いや、もしかして進路希望調査の第一希望を『進学』のところに〇したのがまずかった?! えっ、だってここ、一応進学校だよね? 余程の場合を除いて皆進学するんじゃないの? それとも国立大って書いたから?! 萩ちゃんと離れるってわかってたら、もっともっとテストだって手を抜いたし、提出物だって期限ギリギリに出したのに!
……という思考回路からも読み取れる通り、僕は、皆が思うほどの真面目君ではない。本当に真面目だったらたぶんそもそもここじゃなくて、お姉ちゃんも通ってた私立に行ってた。だけどそこに萩ちゃんがいないんだったら通う意味がない。なぜここに? と首を傾げる当時の担任と家族を必死に説得して、ここを受けたのである。
それで、萩ちゃんはというと、見た目はちょっと派手で、いつもキラキラ明るい人気者だ。サラサラと柔らかい猫っ毛は生まれつき茶色で、笑うとちょっと八重歯が見える。耳にあいてるピアスの穴は、高校入学と同時に僕があけたものだ。入学前の春休み、「夜宵があけてくれ!」と震えながらピアッサーを持ってきたのである。何で僕? とも思ったが、他の誰かにやられるくらいなら、と引き受けた。この先、何があるかわからないけど、ことピアスに関しては、僕が誰よりも最初だ。萩ちゃんの『最初』を僕はもらったのだ。それにしても、痛いの苦手な癖に、どうしてピアスなんてあけたんだろ。似合ってるけど。
僕も高校を卒業したらあけるよ。その時は萩ちゃんにお願いしても良いかな。そう言ったら、萩ちゃんは、耳の痛みに耐えつつ八重歯を見せて笑い、「俺に任せろ!」って言ってくれたっけ。萩ちゃん、ホラー映画すらもアウトなくらい、痛いのは見るのも駄目な人だけど、大丈夫かな。僕の耳、なくならないかな。
そんな、見た目はちょっと不良寄りだけど明るくて人気者の萩ちゃんは、僕みたいな黒髪眼鏡の真面目君と親友でいてくれてる。ただ家が隣同士だからってだけじゃなくて。
そんな萩ちゃんが、ポッキーを手にしたまま固まっている。
「どうしたの萩ちゃん、やんないの?」
多少急かすつもりで言った。だってこんな千載一遇のチャンス、絶対に逃せない。
なぜなら僕は、萩ちゃんのことが好きだからだ。それは、親友としての『好き』ではない。恋愛的な意味で。もちろん萩ちゃんに言えるわけもないけど。本当は、その柔らかな猫っ毛をわしゃわしゃと撫でながら、僕があけたピアスの穴を指でなぞりたい。クラスメイトは「神田ってそういう欲とかなさそう」なんて言って笑うけど、僕だって年齢相応の性欲くらいはある。現に僕は萩ちゃんをそういう目で見てる。だけど、こんなこと、絶対に誰にも言えない。
だって、同性が好きとか、やっぱりそう簡単には受け入れられないと思う。男同士の恋愛なんて、未来がないのだ。結婚だって出来ないし、もちろん子どもだって作れない。ウチの親だってきっと許してはくれないだろう。僕は長男だし、お姉ちゃんはきっといつか結婚して家を出て行ってしまうだろうから。
それ以前に、萩ちゃんだって、普通に女の子が好きなはずだ。僕なんかじゃなくて、女の子と恋をして、結婚して、そうして幸せになれば良い。僕はずっと親友としてそばにいられればそれで良いんだ。
だけど、だけどさ。
こういうゲームくらいなら。
ほんのちょっと、ちょっとだけいつもより数センチ顔を近付けるだけなら。『ちょっとした事故』でも何でも唇が触れちゃったら、それはまぁ、最高なんだけど。
「やるよ」
萩ちゃんは乗って来た。
なんだかちょっと照れたような、拗ねたような顔をしている。僕は彼がたまに見せてくれるこの顔が好きだ。どんな感情のやつなのかわからないけど、彼は最近よくこういう顔をする。
「夜宵、これはゲームだからな」
それで、何だか念を押すように言ってきた。
「何いまさら」
「つまり、勝ち負けがあるってことだよ」
「成る程。それで?」
「負けた方はどうする? 何かペナルティつけようぜ」
チャンス到来だ。
萩ちゃんは昔から勝負事に燃えるタイプだ。ムキになる質と言っても良い。きっと、こんな提案をした手前、絶対に引き下がらないはずだ。『ちょっとした事故』が本当に起こってしまうかもしれない。いつか訪れるかもしれないハプニングに備えて唇のケアを欠かさなくて本当に良かった。
それに、
「そうだなぁ。今日の帰り、肉まんでも奢るよ。萩ちゃん、好きだもんね、24マートの肉まん」
これで、負けても買い食いデート確定だ。ちょっと賢すぎないか僕。
萩ちゃんは24マートの肉まんが好きだ。肉まんなんてどこのコンビニにもあるけれど、そこのは別格なのだという。生姜が効いてて美味しいんだって。「やっぱり肉まんは24なんだよなぁ」と寒さで鼻とほっぺたを赤くして、白い息を吐きながら笑う萩ちゃんの顔が、僕は本当に好きだ。
「萩ちゃんは? 負けたら僕に何してくれる?」
「おっ、俺は、そうだなぁ。じゃあ、ファミストのボロネーゼまん奢る。夜宵、この時期いつも食べるもんな」
ボロネーゼまん?! ボロネーゼまんって言った?! 萩ちゃん、僕がよく食べてるの気付いてんだ! あれはピザまんと似てるっちゃあ似てるけど、違うんだ。あれはファミリーストア限定商品で、しかもごく短い期間しか売らないやつなのだ。僕は基本的にはピザまん派なんだけど、その期間だけは絶対にボロネーゼまんなのだ。
だけど、期間限定に飛びつくなんて、ちょっとミーハーかなって思って、特に好きだとかは言ってない。元々数週間しか売ってないやつだし、毎日食べてるわけでもないから気付いてないと思ったのに。
「……うん、良いね。乗った」
「よっしゃ、逃げんなよ」
うわぁぁぁ、緊張する。
萩ちゃんがポッキーを口に咥えて目をつぶった。こんなのもうどこから見てもキス待ち顔でしょ。これだから天然は怖い。そんなことを思いつつ、差し出されたポッキーを咥える。慎重に食べないと、中途半端なところで折れてしまう。そうなればこのゲームは終わりだ。それだけは避けなければならない。慎重、慎重に、ゆっくり進まなければ。
十一月十一日でもないのに、なんやかんやでポッキーゲームをすることになったのだ。
しかも、僕の目の前にいるのは、幼馴染みの南城矢萩。名字のような名前だからと、本人はあまり好きではないらしい。僕は萩ちゃんって呼んでる。
僕はいつも放課後、萩ちゃんのクラスの前を通るようにしている。別にここを通らなくたって玄関には行けるんだけど、このタイミングで会えると、彼は必ず「おっ、夜宵じゃん。いま帰るとこ? そんじゃ一緒に帰ろうぜ!」と誘ってくれるのだ。本当はこんなことしないで男らしく僕から堂々と誘いたいけど、萩ちゃんの方だって予定があるかもしれないし、僕は他クラスだし……、と日和ってしまい、こんな偶然の力に頼ってしまう情けない僕である。
だから今日もそんな感じで、うまいこと会えないかな? なんて考えながら彼のクラスの前をゆっくり歩いていたところ、他クラスにも関わらず、去年同じクラスだったという薄い繋がりで、遠藤君が声をかけてくれたのである。
遠藤君は、きっと僕のこと「いまだに新しいクラスに馴染めないため、他クラスに離れてしまった親友のところに来ている寂しいやつ」とでも思っているだろう。けれどそれをおくびにも出さず、気さくに誘ってくれるのだ。それは僕の考え過ぎなのかもしれないし、別にいまのクラスにも友達はいるんだけど。でも、とにかく良いやつだ。面倒見が良いっていうのかな。いつも何かと気にかけてくれるのである。委員長だからだろうか。
家が隣同士の幼馴染み、萩ちゃんは、僕とは全然タイプが違う。
僕は正直、黒髪眼鏡の地味な真面目君だ。まぁそのキャラ通りに――というのか、成績はそれなりである。だけどまさかそんなそれなりの成績で特進クラスに入れられるとは思わなかったよ。せめてこちらの意思くらい確認してくれるとばかり。いや、もしかして進路希望調査の第一希望を『進学』のところに〇したのがまずかった?! えっ、だってここ、一応進学校だよね? 余程の場合を除いて皆進学するんじゃないの? それとも国立大って書いたから?! 萩ちゃんと離れるってわかってたら、もっともっとテストだって手を抜いたし、提出物だって期限ギリギリに出したのに!
……という思考回路からも読み取れる通り、僕は、皆が思うほどの真面目君ではない。本当に真面目だったらたぶんそもそもここじゃなくて、お姉ちゃんも通ってた私立に行ってた。だけどそこに萩ちゃんがいないんだったら通う意味がない。なぜここに? と首を傾げる当時の担任と家族を必死に説得して、ここを受けたのである。
それで、萩ちゃんはというと、見た目はちょっと派手で、いつもキラキラ明るい人気者だ。サラサラと柔らかい猫っ毛は生まれつき茶色で、笑うとちょっと八重歯が見える。耳にあいてるピアスの穴は、高校入学と同時に僕があけたものだ。入学前の春休み、「夜宵があけてくれ!」と震えながらピアッサーを持ってきたのである。何で僕? とも思ったが、他の誰かにやられるくらいなら、と引き受けた。この先、何があるかわからないけど、ことピアスに関しては、僕が誰よりも最初だ。萩ちゃんの『最初』を僕はもらったのだ。それにしても、痛いの苦手な癖に、どうしてピアスなんてあけたんだろ。似合ってるけど。
僕も高校を卒業したらあけるよ。その時は萩ちゃんにお願いしても良いかな。そう言ったら、萩ちゃんは、耳の痛みに耐えつつ八重歯を見せて笑い、「俺に任せろ!」って言ってくれたっけ。萩ちゃん、ホラー映画すらもアウトなくらい、痛いのは見るのも駄目な人だけど、大丈夫かな。僕の耳、なくならないかな。
そんな、見た目はちょっと不良寄りだけど明るくて人気者の萩ちゃんは、僕みたいな黒髪眼鏡の真面目君と親友でいてくれてる。ただ家が隣同士だからってだけじゃなくて。
そんな萩ちゃんが、ポッキーを手にしたまま固まっている。
「どうしたの萩ちゃん、やんないの?」
多少急かすつもりで言った。だってこんな千載一遇のチャンス、絶対に逃せない。
なぜなら僕は、萩ちゃんのことが好きだからだ。それは、親友としての『好き』ではない。恋愛的な意味で。もちろん萩ちゃんに言えるわけもないけど。本当は、その柔らかな猫っ毛をわしゃわしゃと撫でながら、僕があけたピアスの穴を指でなぞりたい。クラスメイトは「神田ってそういう欲とかなさそう」なんて言って笑うけど、僕だって年齢相応の性欲くらいはある。現に僕は萩ちゃんをそういう目で見てる。だけど、こんなこと、絶対に誰にも言えない。
だって、同性が好きとか、やっぱりそう簡単には受け入れられないと思う。男同士の恋愛なんて、未来がないのだ。結婚だって出来ないし、もちろん子どもだって作れない。ウチの親だってきっと許してはくれないだろう。僕は長男だし、お姉ちゃんはきっといつか結婚して家を出て行ってしまうだろうから。
それ以前に、萩ちゃんだって、普通に女の子が好きなはずだ。僕なんかじゃなくて、女の子と恋をして、結婚して、そうして幸せになれば良い。僕はずっと親友としてそばにいられればそれで良いんだ。
だけど、だけどさ。
こういうゲームくらいなら。
ほんのちょっと、ちょっとだけいつもより数センチ顔を近付けるだけなら。『ちょっとした事故』でも何でも唇が触れちゃったら、それはまぁ、最高なんだけど。
「やるよ」
萩ちゃんは乗って来た。
なんだかちょっと照れたような、拗ねたような顔をしている。僕は彼がたまに見せてくれるこの顔が好きだ。どんな感情のやつなのかわからないけど、彼は最近よくこういう顔をする。
「夜宵、これはゲームだからな」
それで、何だか念を押すように言ってきた。
「何いまさら」
「つまり、勝ち負けがあるってことだよ」
「成る程。それで?」
「負けた方はどうする? 何かペナルティつけようぜ」
チャンス到来だ。
萩ちゃんは昔から勝負事に燃えるタイプだ。ムキになる質と言っても良い。きっと、こんな提案をした手前、絶対に引き下がらないはずだ。『ちょっとした事故』が本当に起こってしまうかもしれない。いつか訪れるかもしれないハプニングに備えて唇のケアを欠かさなくて本当に良かった。
それに、
「そうだなぁ。今日の帰り、肉まんでも奢るよ。萩ちゃん、好きだもんね、24マートの肉まん」
これで、負けても買い食いデート確定だ。ちょっと賢すぎないか僕。
萩ちゃんは24マートの肉まんが好きだ。肉まんなんてどこのコンビニにもあるけれど、そこのは別格なのだという。生姜が効いてて美味しいんだって。「やっぱり肉まんは24なんだよなぁ」と寒さで鼻とほっぺたを赤くして、白い息を吐きながら笑う萩ちゃんの顔が、僕は本当に好きだ。
「萩ちゃんは? 負けたら僕に何してくれる?」
「おっ、俺は、そうだなぁ。じゃあ、ファミストのボロネーゼまん奢る。夜宵、この時期いつも食べるもんな」
ボロネーゼまん?! ボロネーゼまんって言った?! 萩ちゃん、僕がよく食べてるの気付いてんだ! あれはピザまんと似てるっちゃあ似てるけど、違うんだ。あれはファミリーストア限定商品で、しかもごく短い期間しか売らないやつなのだ。僕は基本的にはピザまん派なんだけど、その期間だけは絶対にボロネーゼまんなのだ。
だけど、期間限定に飛びつくなんて、ちょっとミーハーかなって思って、特に好きだとかは言ってない。元々数週間しか売ってないやつだし、毎日食べてるわけでもないから気付いてないと思ったのに。
「……うん、良いね。乗った」
「よっしゃ、逃げんなよ」
うわぁぁぁ、緊張する。
萩ちゃんがポッキーを口に咥えて目をつぶった。こんなのもうどこから見てもキス待ち顔でしょ。これだから天然は怖い。そんなことを思いつつ、差し出されたポッキーを咥える。慎重に食べないと、中途半端なところで折れてしまう。そうなればこのゲームは終わりだ。それだけは避けなければならない。慎重、慎重に、ゆっくり進まなければ。