手を繋いで、ぱたぱたと人通りの少ないところへと移動する。そこここで何かしらの出店が乱立する校内だが、奥の方はクラス展示が固まっているので、はっきり言って不人気なのだ。ここに来るのは、そのクラスの保護者くらいだろう。それを想定して、休憩スペースなんかも設けられてはいる。

 その、適当に並べられたパイプ椅子に座り、萩ちゃんが買ってきてくれたホットドッグを食べる。ケチャップを垂らさないように気をつけなくちゃ。ていうか、よく考えたら、この衣装って、本来誰が着るためのやつなんだろう。角田君はもっと大きいの着てたしなぁ。

 これを食べ終わったら、校内デートは終わりだ。まぁ、デートなんて思ってるのは僕だけなんだけど。

「このあとどうする?」

 僕より先に食べ終えた萩ちゃんが、コーラを一気に半分くらい飲んでから言った。

「どう、って?」

 このあとがあるの!? まだ終わりじゃなくて良いの?!

「どうって……。どっか回りたいところないか? 元々一緒に回る予定だったろ? 午後の出番までまだ時間あるし」
「え、あ、そう、だね。ええと、どうしようか」

 嬉しい。まだ一緒にいられるんだ。でも、この恰好で良いのかな。そしたら宣伝の体でまたぴったりくっついて歩けたりするんだろうか。あっ、でも、ビラはもうないんだった。

 とりあえず、せっかくなのでもう少しぐるりと回ることにする。その前にトイレだ。空いているトイレが近くにある時に済ませた方が良い。何せ僕はこんな恰好なんだし。萩ちゃんからこの恰好だと男子トイレではやりづらいのでは、という発言が飛び出した時はどきりとした。そのまま、じゃ着替えて来るか、なんて話になると思ったからだ。

 けれど、僕の予想に反して、萩ちゃんからは「その前に着替えよう」なんて言葉は出て来なかった。単純に、萩ちゃん自身が脱ぐのが面倒だったのかもしれない。どうせあと数時間後にはまた着ないといけないわけだし。そういえば、午後の部って、誰がこの役をやるんだろう。つまりは、このサイズのドレスを着て、棺の中で萩ちゃんからのキスを待つ役だ。確実に角田君ではないと思うけど。

 そんなことを考えたら、気持ちがずんと重くなる。もしその人が、萩ちゃんのことが好きだったりして、僕なんかよりもっと積極的だったら? 萩ちゃんにその気がなくても、僕がしようとしたみたいにするかもしれない。そしたら、萩ちゃんはどうするだろう。遠藤君はリアリティを追求しているらしいし、どうせ男同士だし、みたいなノリでしちゃうのかも。だったら、僕にもしてくれれば良かったのに。

 やっぱり、僕じゃ駄目なのかな。駄目だよね。僕と萩ちゃんじゃ、やっぱり住む世界が違うんだ。いくら幼馴染みっていっても、きっとそれだけ。親友ではあると僕は思っているけど。

 駄目だ。僕ってどうしてこうネガティブなんだろう。さっきからぐるぐると悪いことばっかり考えてしまう。

 せっかく萩ちゃんと一緒にいられるんだから、気持ちを切り替えて今を楽しまないと!

 多目的トイレの中の鏡で、気合を入れて全身をチェックする。裾も捲れてないし(捲れても下に学生ズボンを履いているので問題はないけど)、兎崎君にやってもらったメイクも崩れてない。すごいな、兎崎君、さすがはC組のビューティー枠。ビューティー枠って何だろう。 

 トイレから出ると、数メートル離れた男子トイレの前に、真っ赤なマントの王子様が見えた。もちろん萩ちゃんだ。だけど一人じゃない。彼の周りにもう二人いるりシルエットと声のトーンからして間違いなく女子高生だ。

「もし良かったら案内してほしいなーって。ねー?」

 何だって?!
 待って。いまは僕とデート中なんですけど!
 いや、デートなんて浮かれたこと考えてるのは僕だけってわかってるけどさ。

 でも、駄目だよ。
 萩ちゃん、断るよね? どうするんだろう。

 どうしようどうしようと思っていると、萩ちゃんと向かい合うような位置に立っていたはずの女の子達が彼の両脇にぴったりとくっついた。待って、そこは僕の場所だよ。

「はぁ? ちょ、放せって。何」
「良いじゃーん、王子なんだしさー、女子に優しくしてよー」
「そうそう、ハーレムじゃん? マジ王子ー」
「マジ王子とハーレムの意味わかんねぇし。放せって」

 自分でも驚くほどの俊敏さで、その三人の元へ駆ける。僕に背中を向けるように立っていた萩ちゃんの、その真っ赤なマントを掴む。急に引っ張られたことに驚いたのだろう、萩ちゃんは、びっくりした顔でこちらを振り向いた。

「駄目」
 
 萩ちゃんは僕のだ。
 例え萩ちゃんは親友としか思ってなくても。ごめん、僕は、親友以上の気持ちを君に持ってる。
 
「萩ちゃんは、僕の。僕のだから。いまは、僕の王子様だから、駄目」

 いつか萩ちゃんは、自分自身で相手を見つけて僕から離れてしまうだろう。だけど、いまだけは、この恰好でいる時は、少なくとも僕の王子様なんだ。

 僕は正直女の子があんまり得意ではない。
 小・中と、何人かから告白されたことはあるけど、そのどれもが、「神田君って、カッコいいから」という、見てくれだけの理由だった。彼女達は、僕の内面なんてどうでも良いらしい。図らずも、どうやら見た目は良い方らしいと知ったのはその時だ。

 どんなに僕が萩ちゃんのことを好きでも、やっぱり男同士だし望みはない。この気持ちがバレたら萩ちゃんだってきっと困るだろう。そう思って、中学の頃、どうにか忘れようかと彼女を作ろうかとも考えたことがある。だけど、クラスの女子と話してみたけど、疲れるだけで駄目だった。やっぱり僕は友達も、親友も、恋人も、家族も、全部萩ちゃんが良いよ。

 目を瞑り、色んな思いを乗せて後ろからぎゅっと萩ちゃんを抱き締める。僕よりも厚みがあって、がっしりした身体だ。目の前にいるらしい女の子達が、「きゃああああ!」と悲鳴を上げ、驚いて目を開ける。

「ちょ、姫じゃん! 姫来たじゃん!」
「何これ?! ちょ、もう仕上がってんじゃん!」
「えー、嘘、マジで? マジ良いもん見たわ。尊みで死ぬ」
「死ぬ、わかる。いま死んだ」

 何が何やらわからないが、大興奮である。どうしたの? こんなところで死んじゃ駄目だよ。

 しばらく彼女らの被写体になったりもしたが、何とか解放される。萩ちゃんは疲れたのか、その場にぺたんと座り込んだ。釣られて僕も座った。

「萩ちゃん、その、ごめんね」
「何がよ」
「変なこと言っちゃって。その、僕の、なんて」
「そんなの、俺だってさっき言ったし」
「そうだけど」

 萩ちゃんが言ってくれたのとは、絶対違うから。
 だけど、ほんの少しでも、「こいつは俺の」と言ってくれた萩ちゃんの言葉にすがりたい気持ちもある。親友として、って意味だろうけど。

 ベンチに移動して一息つく。

 萩ちゃんの気持ちが知りたい。
 萩ちゃんは本当に僕のことを親友って思ってるんだろうか。欠片でも良いから、もう少し特別になんて思ってくれないだろうか。

「あの、あのね。萩ちゃん」

 そんなことを考えていたら、つるりと言葉が出てしまった。

「萩ちゃんは、その……、僕の、親友だよね?」

 いまさら? なんて萩ちゃんは驚いていた。そりゃそうだよね。いきなり何聞くんだ、って思ったよね。

 答えなんて決まってるはずだ。
 僕と萩ちゃんは家がお隣同士の幼馴染みで、クラスが離れたのなんて、高校二年の今回が初めてだ。去年まで、なんやかんやと同じクラスだった。どこに行くにも、何をするにも一緒だった。テスト勉強を教えるのは僕で、スポーツ絡みの特訓は萩ちゃん。夏はどちらかの家の縁側でスイカを食べてビニールプールで遊んで花火をして、冬はスキー場に連れてってもらってスキーやボブスレーで遊んだものだ。

 いつも萩ちゃんは言うんだ、俺と夜宵は親友だぞ、って。

 僕は馬鹿だな。
 何当たり前のことを聞いて――

「お、俺は……夜宵のこと、親友とかじゃなくて」
 
 え。
 
 そう言ったきり、萩ちゃんは口をつぐんだ。
 違ったんだ。
 そう思ってたのは僕だけだったんだ。
 僕はもう、萩ちゃんと親友ですらないんだ。
 ただ家がお隣同士ってだけの幼馴染みだったのかもしれない。
 そうだよね、家がお隣なら、仲良くなるのなんて当たり前だもんね。クラスも離れちゃったし。

 膝が震える。
 ただでさえ不明瞭な視界が、ぐにゃりと歪む。

「や、やっぱり、萩ちゃんと僕は……親友でもなかったんだね」

 萩ちゃんは、いつもキラキラしてて、明るくて皆の人気者だから。僕みたいな、地味な眼鏡とはやっぱり不釣り合いなんだ。
 
「ごめんね、僕、同じクラスでもないのに。いつもいつも、迷惑だったよね。ごめん、ほんとごめん」

 涙を拭おうと指で下瞼を擦り、そういやお化粧をしていたことを思い出す。せっかく兎崎君がきれいにしてくれたのに、申し訳ない。

「直して来る。ついでに、着替えて来るね」

 それで、ドレスを遠藤君に返して、それで、僕はもう早退しちゃおうかな。とてもじゃないけど、このまま平気な顔で過ごせる自信がない。それじゃ着替えるためにもう一回トイレに行って――、と立ち上がりかけた時だった。
 
「待って」

 と手を引かれた。
 
「ごめん。違う。間違えた。そうじゃなくて」
「良いよ、萩ちゃん。無理しないで。困らせてごめん」

 萩ちゃんは優しいから。僕が泣いてしまったから、まずったと思ったのだろう。正直に言うにしても、もっと僕を傷つけない言葉にすれば良かったとか、そういうことを考えているかもしれない。困らせて本当にごめんね。

「もう謝んな。違うから。いまのは俺が間違えただけだから」
「間違えたって、何を?」

 そのまま引っ張られて、再び座り直す。

 と。

「萩ちゃん……?」

 何が起こったのか、一瞬わからなかった。
 ばさ、とマントが風を含んだ音がして、次の瞬間には、僕は萩ちゃんに抱き締められていたのだ。

「違うんだ夜宵。俺が言いたかったのは、そういうんじゃなくて」

 萩ちゃんの腕に力がこもる。ちょっと苦しい。思わず「苦しいよ」と声が出てしまった。萩ちゃんは、小さく「ごめん」と呟いたけど、力を少し緩めただけで、離れたりはしなかった。

「その、親友は、親友なんだけど、その、それだけじゃないっていうか」
「親友ではあるの? 僕もそう思ってて良い?」

 親友は親友、の言葉に、ホッとする。良かった、まだその位置にはいるらしい。

「それはもちろんそうなんだけど、出来れば、俺と同じ気持ちでいてほしいっていうか」
「萩ちゃんと?」

 何だろう。
 親友は親友だけど、それだけじゃまだ何か足りないのだろうか。

 萩ちゃんの身体が、ぐっ、と強張る。

「俺! その、夜宵と、こ、こ――」