僕はお姫様だ。
だと思う。たぶん。
なんやかんやで萩ちゃんのクラスの劇に飛び入り出演した僕は、さらになんやかんやでこの恰好のまま、午後の部と明日の公演の宣伝をすることになったのだ。
萩ちゃんと一緒に。
王子様の恰好をした、萩ちゃんと一緒に。
「何か、恥ずかしいね」
恥ずかしいなんてもんじゃない。お姫様の恰好が、っていうのもあるけど、だって、こんなのカップルみたいじゃないか。これがいつもの学生服だったら『仲の良い親友同士が一緒に学祭を回ってる』だけなんだけど、王子と姫の組み合わせだもん。か、かかかかカップルだよ、これは!
そんなことを考えてしまったら、もう頭がぐわぐわしてきちゃって、しかも眼鏡もないから視界もちょっとふわふわである。僕、このまま天に召されるんじゃないだろうか。だとしてもああ神様、あともう少しだけ、萩ちゃんとこんな風に歩けるなんて夢みたいだから、せめてこれが終わるまでは!
「でも、萩ちゃんは似合ってるよ。本物の王子様みたいでカッコいい」
だけど僕の方は、いくら女顔っていっても百七十六あるのだ。そんな大きいお姫様なんて不気味すぎる。
「そうか……? なんかすげぇアホ王子っぽくね? 馬とか乗れなそう」
「萩ちゃんなら乗れるよ。白いやつ」
「やっぱ白馬なんだ」
「そりゃあ王子だしね」
萩ちゃんが白馬に乗って迎えに来てくれたら、僕は一も二もなくそれに乗るだろう。いっそこのままお姫様の恰好でも良いくらい。
「何か、巻き込んじゃって悪いな」
申し訳なさそうな、萩ちゃんの声。気にしなくて良いのに。元々一緒に回る約束はしてたんだしさ。ただちょっと恰好が想定外だっただけで。
「大丈夫だよ。学祭だしさ、こういうのもきっと良い思い出になるよ」
「前向きだなぁ、お前」
「そうかな」
前向きってわけじゃない。僕は、こんなに堂々と、いつもより気持ち近付いて一緒に歩けることが嬉しいんだ。それはきっとこの恰好のお陰なんだろうし。
本当は、どさくさ紛れに手だって繋ぎたい。だって僕達、いまは王子と姫だよ? いまは劇の続き、ハッピーエンドのその後なんだ。だから、キスで目を覚ました白雪姫と王子様は結婚して、二人仲良く暮らすんだ。だから、恋人なんて関係すっ飛ばして、もう夫婦なんだよ。だからさ。
そう思って少しだけ萩ちゃんに手を近づけてみる。何かのはずみでぶつかったりしないかな、なんて。そんなずるいことを考えていると、決してわざとではないけれど、ほんのかすかに手が触れた。しまった、と引っ込めるより早く、それを捕まえられる。
「へぇっ? は、萩ちゃん……!?」
「あ、あの、ほら、夜宵、眼鏡ないから危ないだろ? それにいま俺達、王子と姫、だし? こんな演出もアリかなって、思って、その……やだった……?」
不安そうにそう尋ねて来る萩ちゃんの顔が赤い。どうしよう、ものすごく可愛い。王子様の萩ちゃんは恰好良いはずなのに、可愛く見えてしまう。胸がぎゅっとなって苦しい。
「ぜ、全ッ然やじゃない! し、視界も不明瞭だったし、助かるよ! それに、僕達いま、王子と姫だもんね。これくらいはむしろ普通だよね、普通!」
食い気味でそう答える。どうしよう、ちょっと必死すぎたかもしれない。恥ずかしい。
けれども片手が塞がってしまったら、ビラはどうやって配るんだろう。その度に手を離すことになるのかな。そしたら、そのうち面倒になって繋ぐのやめちゃうかも。それは絶対に嫌だ。
「でもさ、片手塞がっちゃったら、ビラ配りにくくない? その都度離して繋ぎ直すっていうのもさ」
そう指摘して、ちょっと寂しく思いつつも、萩ちゃんが繋いでくれた手を離す。そうしてから、彼の腕を取り、胸に抱くようにしてしがみついた。うわ、萩ちゃんの腕、思ったより太いな、
「え、ええええ!? や、やよ、夜宵!?」
急に引っ張られて驚いたのだろう、ちょっと声が裏返った萩ちゃんも可愛い。
「これなら、こっちの手でビラを持てるでしょ。ど、どうかな? それにほら、この方がそれらしくない?」
お願いだから、そうだな、って同意して。そんなにくっつくなよ気持ち悪い、なんて言いませんように。いや、萩ちゃんは優しいから、きっと、本当はそう思ってても絶対に口に出したりはしないだろう。その優しさを利用してしまうずるい僕だ。
「な、ナイスアイディア! さすがは夜宵だな、うん! こ、これで行こう! 俺達、王子と姫だしな!」
案の定、萩ちゃんはこれを快諾してくれた。やっぱり萩ちゃんは優しい。その上、自分の方が背が低いことまで、僕に謝って来た。僕は全然そんなこと気にしないのに。むしろ、僕がひょろひょろと伸びてしまったのが悪いんだ。ああ僕が、もっともっと小さかったら良かったのに。そしたらきっと、もっと本物のお姫様のようだっただろう。僕みたいなのが隣にいて萩ちゃんが笑いものにならないかが心配だ。
そうしてしばらく、腕を組んだままビラを配り歩いた。手持ちのがなくなったらこの仕事は終わりだ。このままクラスに戻るのかな。そうしたら、この夢みたいな時間は終わってしまう。いまの僕は白雪姫じゃなくてシンデレラの気分だよ。魔法が解けなきゃ良いのに。
「なぁ夜宵。腹減らね?」
そんなことを考えていたら、萩ちゃんが数メートル先を指差した。軽食を売っているクラスだ。正直、ドキドキしっぱなしでお腹はあんまり空いてない。けれど、少しでもこの時間を引き延ばしたくて、食べたいと言うと、萩ちゃんは、ここで座って待っててと言って行ってしまった。
言われた通りに、ベンチに腰掛ける。眼鏡がなくても、萩ちゃんは真っ赤なマントがひらひらしているから、わかる。ほんの数メートル先にいる萩ちゃんは、何やら紺色っぽいシルエットの――恐らく女子生徒に何やら話しかけられているようだ。劇を見た子達かな。萩ちゃん、恰好良いもんな。逆ナンってやつかな。どうしよう。割って入りたいけど、僕、こんな恰好だけど、別に彼女じゃないもんな。
どうしよう、いまの僕、ものすごく嫌なやつだ。萩ちゃんは女の子が好きなんだから、いつかは可愛い彼女を作って僕から離れていくってわかってる。それを止める権利なんかないって頭ではわかっているのに。すごく嫌だ。思わずスカートをぎゅっと握り締めてしまってから、慌ててしわを伸ばす。すると。
「ねぇねぇ、何してんの、こんなとこで」
そんな声が聞こえて来た。知り合いかと思って顔を上げる。
ぼやけてよくわからないけど、制服がブレザーだから、他校生だ。三人。袖を軽く捲くった手首に、何やらじゃらじゃらとアクセサリーをつけている子もいる。元々の校則が緩いところなのか、それとも他校の学祭だから気合を入れて来たのか。いずれにしても、あまり関わりたいタイプではない。
ええと、こういう時ってどうしたら良いんだっけ。お姉ちゃんが男の人に声をかけられた時は「とにかく無視一択!」って言ってたけど、それって僕の場合でも有効なのかな。とりあえず俯いて、口を真一文字に結んだ。
「もしもーし、無視ですかぁ~?」
「感じ悪くねぇ? 俺らオキャクサンなんだけど」
「なぁ、こっち向けって」
こっちを向け、と言った癖に、彼は身をかがめて、僕の顔を覗き込んで来た。そして一言、「やべぇ、めっちゃ可愛い」。その言葉で残りの二名も騒ぎ出す。君達に可愛いなんて言われても嬉しくないよ。僕、男だし!
「ねぇ、俺らと回らない?」
「おねーさん、何年生? ここの生徒? てことは、あれ、男?」
「めっちゃ可愛いけど、何でそんな恰好してんの? 姫喫茶とか?」
駄目だ、きっとちゃんと断らないと彼らはこの場を去ってくれない。無視が効くのはきっとお姉ちゃんだけなんだ。
「あの、僕、人を待ってるんで」
意を決してそう言ってみるが。
「えぇ、良いじゃん。連絡だけしとけば」
「はは、声はめっちゃ男じゃん」
「な、行こって――」
駄目だった!
何で?! どうしてそこまでして僕と回りたいの!? えっと、校内を案内してほしいとか? そういうこと!? だとしても嫌です!
そいつの手が僕の方へ伸びて来る。
どうしよう。無理やり連れていかれたりするのかな。さすがに三人もいたら、振り切って逃げるなんて無理かもしれない。
ぎゅっと目を瞑って、身を強張らせる。すると、彼らがいる方とは反対に、ぐい、と引き寄せられた。肩に回された手は、あったかくて、大きい。
「悪いけど、こいつは俺の姫なんだわ」
萩ちゃんだ。
萩ちゃん、いま僕のこと、俺の姫って、言った?
「うわ、何だお前」
「見りゃわかんだろ、王子だよ、王子」
萩ちゃんがそう言うと、さっきまでのピリピリした空気は気持ち和らいだようだった。その証拠に、彼らは、声を弾ませて、萩ちゃんのマントをばふばふと振りながら笑っている。萩ちゃんは普段から、人との距離を詰めるのが上手い。ちょっと怖い先輩とも、あっという間に仲良くなってしまうのである。
「うお、マジで王子じゃん」
「やべ、マジ王子来たわ」
「マジで王子なんだわ。だからほら、散れ、散れ」
「何これ、何でこんなカッコしてんの」
「劇だよ、劇。白雪姫の。午後もやるから見に来いよ。ここ真っすぐ行ったとこのホールな」
「白雪姫っつーことは、何、お前らチューすんの?」
!!?
そ、れは、ちょっと、うん、まぁ、未遂というかなんというか。僕としてはあと一歩だったと思うんだけど、何かいきなり小人さん達が乱入してきて、ダンスパーティーになっちゃって、というか。白雪姫ってそんな話だった? そういう解釈のやつもあるのかな?
「し、しねぇし! ていうか、こいつはその、何だ、さっきたまたまユージョーシュツエンしただけだから! 流れでいま宣伝に駆り出されてるだけ!」
たまたま。
流れで。
萩ちゃんの言葉が胸に刺さる。そうだよね、本当は嫌だったよね。きっと小人さん達が来てくれてホッとしたはずだ。
密かに消沈していると、
「えー、そんじゃあさこっちの姫は偽物なんだろ? やっぱ俺らにちょーだいよ」
ブレスレットをじゃらじゃらさせた手が伸びて来た。えっ、何? また?! と身構えていると、その手を払ってくれたのはやっぱり萩ちゃんだ。
「触んなっての。偽物でも何でも、こいつは俺の。午後の部は二時からだ。ムキムキの姫が出るから、見に来い。行くぞ、夜宵」
急に引っ張られ、バランスを崩す。
偽物でも、僕が姫で良いの?
眼鏡がないせいでぼやける視界が、さらに涙で滲みそうだ。
後ろからは萩ちゃんを揶揄する声が聞こえて来るけど、そんなのはどうでも良い。大事になんてしてくれなくて良い。お手をどうぞなんてしてくれなくても。俺の、って言ってくれたそれだけで、僕はもう十分だよ、萩ちゃん。
だと思う。たぶん。
なんやかんやで萩ちゃんのクラスの劇に飛び入り出演した僕は、さらになんやかんやでこの恰好のまま、午後の部と明日の公演の宣伝をすることになったのだ。
萩ちゃんと一緒に。
王子様の恰好をした、萩ちゃんと一緒に。
「何か、恥ずかしいね」
恥ずかしいなんてもんじゃない。お姫様の恰好が、っていうのもあるけど、だって、こんなのカップルみたいじゃないか。これがいつもの学生服だったら『仲の良い親友同士が一緒に学祭を回ってる』だけなんだけど、王子と姫の組み合わせだもん。か、かかかかカップルだよ、これは!
そんなことを考えてしまったら、もう頭がぐわぐわしてきちゃって、しかも眼鏡もないから視界もちょっとふわふわである。僕、このまま天に召されるんじゃないだろうか。だとしてもああ神様、あともう少しだけ、萩ちゃんとこんな風に歩けるなんて夢みたいだから、せめてこれが終わるまでは!
「でも、萩ちゃんは似合ってるよ。本物の王子様みたいでカッコいい」
だけど僕の方は、いくら女顔っていっても百七十六あるのだ。そんな大きいお姫様なんて不気味すぎる。
「そうか……? なんかすげぇアホ王子っぽくね? 馬とか乗れなそう」
「萩ちゃんなら乗れるよ。白いやつ」
「やっぱ白馬なんだ」
「そりゃあ王子だしね」
萩ちゃんが白馬に乗って迎えに来てくれたら、僕は一も二もなくそれに乗るだろう。いっそこのままお姫様の恰好でも良いくらい。
「何か、巻き込んじゃって悪いな」
申し訳なさそうな、萩ちゃんの声。気にしなくて良いのに。元々一緒に回る約束はしてたんだしさ。ただちょっと恰好が想定外だっただけで。
「大丈夫だよ。学祭だしさ、こういうのもきっと良い思い出になるよ」
「前向きだなぁ、お前」
「そうかな」
前向きってわけじゃない。僕は、こんなに堂々と、いつもより気持ち近付いて一緒に歩けることが嬉しいんだ。それはきっとこの恰好のお陰なんだろうし。
本当は、どさくさ紛れに手だって繋ぎたい。だって僕達、いまは王子と姫だよ? いまは劇の続き、ハッピーエンドのその後なんだ。だから、キスで目を覚ました白雪姫と王子様は結婚して、二人仲良く暮らすんだ。だから、恋人なんて関係すっ飛ばして、もう夫婦なんだよ。だからさ。
そう思って少しだけ萩ちゃんに手を近づけてみる。何かのはずみでぶつかったりしないかな、なんて。そんなずるいことを考えていると、決してわざとではないけれど、ほんのかすかに手が触れた。しまった、と引っ込めるより早く、それを捕まえられる。
「へぇっ? は、萩ちゃん……!?」
「あ、あの、ほら、夜宵、眼鏡ないから危ないだろ? それにいま俺達、王子と姫、だし? こんな演出もアリかなって、思って、その……やだった……?」
不安そうにそう尋ねて来る萩ちゃんの顔が赤い。どうしよう、ものすごく可愛い。王子様の萩ちゃんは恰好良いはずなのに、可愛く見えてしまう。胸がぎゅっとなって苦しい。
「ぜ、全ッ然やじゃない! し、視界も不明瞭だったし、助かるよ! それに、僕達いま、王子と姫だもんね。これくらいはむしろ普通だよね、普通!」
食い気味でそう答える。どうしよう、ちょっと必死すぎたかもしれない。恥ずかしい。
けれども片手が塞がってしまったら、ビラはどうやって配るんだろう。その度に手を離すことになるのかな。そしたら、そのうち面倒になって繋ぐのやめちゃうかも。それは絶対に嫌だ。
「でもさ、片手塞がっちゃったら、ビラ配りにくくない? その都度離して繋ぎ直すっていうのもさ」
そう指摘して、ちょっと寂しく思いつつも、萩ちゃんが繋いでくれた手を離す。そうしてから、彼の腕を取り、胸に抱くようにしてしがみついた。うわ、萩ちゃんの腕、思ったより太いな、
「え、ええええ!? や、やよ、夜宵!?」
急に引っ張られて驚いたのだろう、ちょっと声が裏返った萩ちゃんも可愛い。
「これなら、こっちの手でビラを持てるでしょ。ど、どうかな? それにほら、この方がそれらしくない?」
お願いだから、そうだな、って同意して。そんなにくっつくなよ気持ち悪い、なんて言いませんように。いや、萩ちゃんは優しいから、きっと、本当はそう思ってても絶対に口に出したりはしないだろう。その優しさを利用してしまうずるい僕だ。
「な、ナイスアイディア! さすがは夜宵だな、うん! こ、これで行こう! 俺達、王子と姫だしな!」
案の定、萩ちゃんはこれを快諾してくれた。やっぱり萩ちゃんは優しい。その上、自分の方が背が低いことまで、僕に謝って来た。僕は全然そんなこと気にしないのに。むしろ、僕がひょろひょろと伸びてしまったのが悪いんだ。ああ僕が、もっともっと小さかったら良かったのに。そしたらきっと、もっと本物のお姫様のようだっただろう。僕みたいなのが隣にいて萩ちゃんが笑いものにならないかが心配だ。
そうしてしばらく、腕を組んだままビラを配り歩いた。手持ちのがなくなったらこの仕事は終わりだ。このままクラスに戻るのかな。そうしたら、この夢みたいな時間は終わってしまう。いまの僕は白雪姫じゃなくてシンデレラの気分だよ。魔法が解けなきゃ良いのに。
「なぁ夜宵。腹減らね?」
そんなことを考えていたら、萩ちゃんが数メートル先を指差した。軽食を売っているクラスだ。正直、ドキドキしっぱなしでお腹はあんまり空いてない。けれど、少しでもこの時間を引き延ばしたくて、食べたいと言うと、萩ちゃんは、ここで座って待っててと言って行ってしまった。
言われた通りに、ベンチに腰掛ける。眼鏡がなくても、萩ちゃんは真っ赤なマントがひらひらしているから、わかる。ほんの数メートル先にいる萩ちゃんは、何やら紺色っぽいシルエットの――恐らく女子生徒に何やら話しかけられているようだ。劇を見た子達かな。萩ちゃん、恰好良いもんな。逆ナンってやつかな。どうしよう。割って入りたいけど、僕、こんな恰好だけど、別に彼女じゃないもんな。
どうしよう、いまの僕、ものすごく嫌なやつだ。萩ちゃんは女の子が好きなんだから、いつかは可愛い彼女を作って僕から離れていくってわかってる。それを止める権利なんかないって頭ではわかっているのに。すごく嫌だ。思わずスカートをぎゅっと握り締めてしまってから、慌ててしわを伸ばす。すると。
「ねぇねぇ、何してんの、こんなとこで」
そんな声が聞こえて来た。知り合いかと思って顔を上げる。
ぼやけてよくわからないけど、制服がブレザーだから、他校生だ。三人。袖を軽く捲くった手首に、何やらじゃらじゃらとアクセサリーをつけている子もいる。元々の校則が緩いところなのか、それとも他校の学祭だから気合を入れて来たのか。いずれにしても、あまり関わりたいタイプではない。
ええと、こういう時ってどうしたら良いんだっけ。お姉ちゃんが男の人に声をかけられた時は「とにかく無視一択!」って言ってたけど、それって僕の場合でも有効なのかな。とりあえず俯いて、口を真一文字に結んだ。
「もしもーし、無視ですかぁ~?」
「感じ悪くねぇ? 俺らオキャクサンなんだけど」
「なぁ、こっち向けって」
こっちを向け、と言った癖に、彼は身をかがめて、僕の顔を覗き込んで来た。そして一言、「やべぇ、めっちゃ可愛い」。その言葉で残りの二名も騒ぎ出す。君達に可愛いなんて言われても嬉しくないよ。僕、男だし!
「ねぇ、俺らと回らない?」
「おねーさん、何年生? ここの生徒? てことは、あれ、男?」
「めっちゃ可愛いけど、何でそんな恰好してんの? 姫喫茶とか?」
駄目だ、きっとちゃんと断らないと彼らはこの場を去ってくれない。無視が効くのはきっとお姉ちゃんだけなんだ。
「あの、僕、人を待ってるんで」
意を決してそう言ってみるが。
「えぇ、良いじゃん。連絡だけしとけば」
「はは、声はめっちゃ男じゃん」
「な、行こって――」
駄目だった!
何で?! どうしてそこまでして僕と回りたいの!? えっと、校内を案内してほしいとか? そういうこと!? だとしても嫌です!
そいつの手が僕の方へ伸びて来る。
どうしよう。無理やり連れていかれたりするのかな。さすがに三人もいたら、振り切って逃げるなんて無理かもしれない。
ぎゅっと目を瞑って、身を強張らせる。すると、彼らがいる方とは反対に、ぐい、と引き寄せられた。肩に回された手は、あったかくて、大きい。
「悪いけど、こいつは俺の姫なんだわ」
萩ちゃんだ。
萩ちゃん、いま僕のこと、俺の姫って、言った?
「うわ、何だお前」
「見りゃわかんだろ、王子だよ、王子」
萩ちゃんがそう言うと、さっきまでのピリピリした空気は気持ち和らいだようだった。その証拠に、彼らは、声を弾ませて、萩ちゃんのマントをばふばふと振りながら笑っている。萩ちゃんは普段から、人との距離を詰めるのが上手い。ちょっと怖い先輩とも、あっという間に仲良くなってしまうのである。
「うお、マジで王子じゃん」
「やべ、マジ王子来たわ」
「マジで王子なんだわ。だからほら、散れ、散れ」
「何これ、何でこんなカッコしてんの」
「劇だよ、劇。白雪姫の。午後もやるから見に来いよ。ここ真っすぐ行ったとこのホールな」
「白雪姫っつーことは、何、お前らチューすんの?」
!!?
そ、れは、ちょっと、うん、まぁ、未遂というかなんというか。僕としてはあと一歩だったと思うんだけど、何かいきなり小人さん達が乱入してきて、ダンスパーティーになっちゃって、というか。白雪姫ってそんな話だった? そういう解釈のやつもあるのかな?
「し、しねぇし! ていうか、こいつはその、何だ、さっきたまたまユージョーシュツエンしただけだから! 流れでいま宣伝に駆り出されてるだけ!」
たまたま。
流れで。
萩ちゃんの言葉が胸に刺さる。そうだよね、本当は嫌だったよね。きっと小人さん達が来てくれてホッとしたはずだ。
密かに消沈していると、
「えー、そんじゃあさこっちの姫は偽物なんだろ? やっぱ俺らにちょーだいよ」
ブレスレットをじゃらじゃらさせた手が伸びて来た。えっ、何? また?! と身構えていると、その手を払ってくれたのはやっぱり萩ちゃんだ。
「触んなっての。偽物でも何でも、こいつは俺の。午後の部は二時からだ。ムキムキの姫が出るから、見に来い。行くぞ、夜宵」
急に引っ張られ、バランスを崩す。
偽物でも、僕が姫で良いの?
眼鏡がないせいでぼやける視界が、さらに涙で滲みそうだ。
後ろからは萩ちゃんを揶揄する声が聞こえて来るけど、そんなのはどうでも良い。大事になんてしてくれなくて良い。お手をどうぞなんてしてくれなくても。俺の、って言ってくれたそれだけで、僕はもう十分だよ、萩ちゃん。