なんやかんやで!〜両片想いの南城矢萩と神田夜宵をどうにかくっつけたいハッピーエンド請負人・遠藤初陽の奔走〜

 体育祭も無事終わり、文化祭だ。

 なんやかんやで僕はいま、他クラスの演劇に急遽出演することになり、どういうわけだかお姫様の恰好をして棺の中に横たわっている。棺の中のお姫様でピンと来た方が大半だろう、白雪姫だ。いや別に白雪姫は棺の中でお姫様が横たわってるってだけの話じゃないけど。

 男子校の文化祭――しかも一般公開有りともなれば、生徒達の目的はほぼ一つ。他校の女子とお近付きになることだ。お近付きになることだ、って断定して良いかはわからないけど、全体的に女子ウケを狙った出店が多い。四方八方同性しかいないというこの環境では(ウチの学校は教員も全て男だ)、こういったイベントでもなければ女子と関わる機会なんて皆無なのである。

 それが本当に女子にウケるのかはよくわからないけど、辺りを見回せば、どこもかしこも何かしらの喫茶店ばかりだ。執事喫茶に女装喫茶、BL喫茶なんてのもあった。それに当てられてか、ウチのクラスでも、喫茶店はどうか、という案は出た。けれども、出したアイディアはことごとくどこかのクラスと被っていたのである。

 じゃあいっそ、せっかくの特進クラスなのだから、思いっきりお硬い方面に振り切ってみてはどうかということになって、近代文学の文豪の紹介パネルを展示するという、正直「絶対にお客は来ないだろう」と断言出来る、ほぼほぼ休憩所のような場所になってしまった。

 それでも一応、ここでいかがわしいことをするカップルがいないとも限らない。僕らの学び舎を、そんな乱れた場にするわけにはいかないため、交代で見張り(一応、解説なんかもしたりする)を置くことにしたのだ。それが終わって、僕は萩ちゃんのクラスの演劇を見るために、会場である多目的ホールへと向かった。

 一瞬でも会話が出来たら良いな。
 王子様役だって聞いていたから、お客さんより先にその姿を見られたら嬉しいな、なんて下心込みで演者控室となっている萩ちゃんのクラスをちらりと覗いた時だった。

 ぐい、と手を掴まれ、教室内に引っ張り込まれたのである。

「ちょうど良いところに来てくれた神田! なぁお前この後二時間くらいあいてない?」

 遠藤君だった。
 彼はこのクラスの委員長であり、それから今回の劇の脚本家兼監督である。残念なことに、演者である萩ちゃんは既にホールの方に向かってしまっていた。だけれども、神田には特別だぞ、なんて言って、王子様の衣装を身につけた萩ちゃんの写真を見せてくれた。あとで僕のスマホにも送ってくれるって。待ち受けにしたいけど、ぐっと我慢だ。

 さすがに高校生が用意出来るやつだから、コスプレ衣装みたいに立派なやつじゃなくて、ペラペラでテカテカした素材の衣装だ。それでも何となく天鵞絨(ビロード)のようにも見える真っ赤なマントをなびかせた萩ちゃんは本当の王子様みたいに恰好良い。撮影者の腕も良いのかもしれないけど。加工した偽物の色じゃない、透けるような茶髪が王子様度をぐっと上げている。どうしよう、他校の女子生徒、みんな萩ちゃんに見とれちゃうかも! いまからメイク担当の兎崎君に直訴して眉毛つなげてもらえないかな? それともいっそ鼻毛書き足してもらうとか?! あっ、でもでも、僕はどんな萩ちゃんでも全然好きだよ!

「えっと、僕の方では今日はもう何も予定はないよ。萩ちゃんの劇が終わったら一緒に回ろうか、って話はしてたけど」
「よっしゃ! それならちょっと頼まれてくれない? なぁに悪い話じゃないんだ。ちゃーんとお礼もするしさ!」
「頼まれて、って。裏方とか? 僕あんまり役に立てないと思うけどなぁ」
 
 絵心もないし、と俯くと、遠藤君は「大丈夫、お前の絵心のヤバさは去年の美術で知り尽くしてる!」とサムズアップした上で、いそいそと紙袋からやたらとゴテゴテした布の塊を取り出した。

「これ着て、姫になってくれ!」
「……は?」

 という経緯で、いまここにいる。眼鏡も没収されてしまった。
 どうやら昨日まではこのポジションは美術室の石膏像だったみたいなんだけど、今日になってやはり石膏像へのキスではリアリティが足りないのではと思ったらしい。萩ちゃんが王子様をやると聞いて一番心配だったのはここだ。

 萩ちゃんがフリでもキスしちゃう! そんなの嫌だ!
 誰!? お姫様役誰!? 角田君!? 空手部の!? 角田君?! 角田君かぁ……。いや、角田君がお姫様って大丈夫なの? 萩ちゃんのクラスにもうちょっと姫役が似合いそうな人いなかった? えっとほら、それこそ兎崎君とかさぁ。

 ……いやきっと、なまじ姫感のある兎崎君辺りにしてしまった方が色々と洒落にならないんだろう。角田君のような、180度どこからどう見ても『男』の彼が演じることで、コメディになるのだ。だってこれは遠藤君の考える白雪姫なのだから。

 けれども僕のそんな心配は完全に杞憂に終わった。
 そもそもそのシーンの相手役は石膏像だったのだ。

 それだけでも僕としてはまぁ十分だったんだけど――。

「あぁ姫よ! どうか私の口づけで!」

 萩ちゃんがそう叫んで、僕のいる棺に手をかける。ガッ、という軽い衝撃が伝わってきた。

 き、来た!
 遠藤君に言われた通り目を瞑ったままだから、萩ちゃんとの距離がどれくらいなのかはわからない。ただ、確実に言えるのは、かすかに息がかかるほどのところに萩ちゃんはいる。

 フリでも良い。
 良いんだけど、欲を言えば、わずかに触れるだけでも良いから、萩ちゃんとキスがしたい。ねぇ萩ちゃん、遠藤君はリアリティを求めてるんだってさ。そりゃあ客席からは見えないけど。だけど、何て言うんだろう、空気感っていうか、そういうのもあると思わない? もちろんこれは文化祭の、それも演劇部のでもない、クラスの催し物だ。そこまでの演技を求められているわけではないのは知ってる。だけど、それを口実にして、とか。

 どうかな、ねぇ、萩ちゃん。
 僕じゃ駄目かな。
 いまの僕なら、お姫様だよ。
 女の子とうっかり間違えて、とかさ。
 それはそれで正直複雑だけど。

 ……ていうか、萩ちゃん全く動かないけど大丈夫なのかな。これ、いまどういう状態? 

『話は三週間ほど前に遡る――』

 おわ? 何か始まったぞ。
 へぇ、こういう演出があるんだ。

『狩りの途中で道に迷ったヤハギ王子は、どこからともなく聞こえてくる美しい歌声に馬を止めた』

 成る程、確か白雪姫にはそういうパターンもあるもんね。王子と姫は初対面ではなかった、みたいな。そうかそうか、遠藤君の脚本ではこうなんだね。

『ら゛~ら゛ら゛~ら゛ら゛ら゛~♪ る゛る゛~る゛る゛る゛~♪』

 あぁ……遠藤君、すごく良い人だし、色々器用だけど歌だけはちょっとすごいんだよね。うん。相変わらずだ。それでもこの堂々たる歌いっぷり。逆に尊敬すら覚えるよ。

 ……って、遠藤君の歌に聞き入ってる場合じゃないよ。どうするの、どうするの萩ちゃん!

 薄く目を開けてみる。
 思ったよりも近くに萩ちゃんはいた。
 なんかちょっと困ったような顔で僕を見下ろしている。
 
 ねぇ萩ちゃん。
 これはお芝居だから。
 ちょっと触れちゃってもさ、お芝居だから。

 大丈夫、この位置なら客席からは見えない。そっと手を伸ばして衣装の襟を掴む。そして、うんと潜めた声で言った。
 
「良いよ」

 萩ちゃん、僕は良いよ。

「い、良いよ、って」
「しても、良いよ」

 しても良いよ、っていうか、むしろ、してよ。
「いっそ演劇をやろう! 演目は白雪姫だ!」

 もうこれしかない、と思った。
 ハッピーエンド請負人として、やはり文化祭でバシッと決めたいと思ったのである。こういうイベントというのはどうしたって気持ちが高揚してしまうものだ。浮足立つと言い換えても良い。体育祭が失敗に終わった以上、ここで決めるしかない。

 この好機を逃す手はない。

「俺は某小説投稿サイトで四桁の評価をもらったこともある男だ。脚本は俺に任せてくれ」

 四桁の評価というのは多少盛ったが、小説投稿サイトに自作小説を上げているのは事実だ。

「遠藤、我が演劇部が不甲斐ないせいで、申し訳ない。ありがとう!」

 演劇部の顧問が直々に頭を下げに来た。いまの演劇部は三年生がおらず、しかも今年も入部希望者がいなかったために二年生(俺らの学年)しかいない。しかもその大半が我がクラスに集まっているため、他クラスの演劇部もクラスの出し物そっちのけでこの白雪姫に出ることになってしまったのである。そういう意味での「申し訳ない」と「ありがとう」なのだ。

「ですが先生、これはあくまでもウチの演劇。脚本はもちろんのこと、キャスティングまで全て俺に任せてもらいますよ」
「わかってる。俺は元々演劇に関してはズブの素人だ!」

 じゃあなんで顧問なんかやってんだよ。ジャンケンで負けたのか。

 とにもかくにも言質はとった。これでこの劇は俺のものだ。王子役はもう決まっている。南城である。あいつ、天然の茶髪だし、実は案外顔が良いのだ。それでいて、性格も明るいし、茶髪にピアスという不良寄りのビジュアルにも関わらず誰とでも仲良くなれるため、先輩からも後輩からも実はモテる。密かにアイツを狙っているモブ共も多い。

 こっそりと何かしらのフラグを建てようとするやつらを「『矢×モブ』なんて解釈違いも甚だしい! 帰れ!」と何度蹴散らしたかわからない。それでも「違います! 僕は『モブ×矢』のつもりで来てます!」と食い下がる猛者もいたが、そういう問題ではないのだ。お前、モブの自覚はあるのね。

 NTR(ネトラレ)というジャンルがあるのも知ってるし、それがきっかけで「やっぱり俺にはお前しか!」に発展し、なんやかんやでうまくいくパターンがあるのも知ってる。けれどもそれは上級コースだ。それで上手くいったとしても、過去のNTR体験が尾を引き、闇落ちすることもある。『矢×夜』にはそんな思いをしてほしくは――と、ついつい自然な流れで『()×()』にしてしまった。あくまでもこれは俺の願望である。

 とまぁそんな経緯で自らセッティングした大チャンスである。神田は他クラスではあるが、飛び入りで姫役をさせるつもりだ。この無理を通すために脚本&監督に立候補したのである。
 とはいえ、飛び入りであるわけだから、最初から最後まで姫をやらせるつもりはない。それは姫役の角田にも悪いし。だから、元々石膏像を置くつもりだったキスシーンのみの出番である。これなら台詞を覚える必要もないし、こんな据え膳の状況なら、さすがの南城でも美味しくいただくはずだ。

 頼む、この際俺の敷いたレールの上でも良いから、とっととくっついてくれ!

 しかし俺は、南城がここぞという時にヘタレまくる野郎だということを知っている。これまでの経験で痛いほど知っている。まぁ、不良寄りの茶髪のチャラ男が、そのオラついた見た目に反してヘタレであるというのは、ある意味様式美のようなものというか、ヘタレの癖に実は『攻め』というのも意外性を狙った配役で美味しかったりするものなのだ。ただ、もうそれが界隈に浸透しすぎて意外でも何でもなかったりもするが。だからまぁ俺としては、むしろ茶髪のチャラ男はヘタレであってほしいし、ヘタレの癖に頑張って攻めてほしい。まぁ南城は言うほどオラついてもいないけど。

 にしても、動かんな、南城の野郎。
 やはりヘタレたか。
 ここまでの据え膳でもヘタレられるとか、ある意味才能だよお前。俺の言う『リアリティ』ってどういう意味かわかるか? 振りじゃなくて、実際にチュッてやっちまえよ、って意味だぞ? 別に石膏像と生身の人間を交換することじゃないぞ?

 お前、俺が客だったら「キース! キース!」って手拍子付きで煽ってるからな? むしろ何でこのコールが出ないんだ。上品すぎるだろ、オーディエンス! 何? 今日のお客さん紳士淑女しかいない感じ?! 何でこういう時に限ってギラついた腐女子の皆さんがいないんだよ! 

 仕方ない、ここはどうにか俺が場を持たせるしかない……!

『話は三週間ほど前に遡る――』

 こんなこともあろうかと、用意しておいたんだ!
 名付けて、『白雪姫エピソード0作戦』!

 白雪姫は版を重ねるごとにちょっとずつ内容に変更点が出て来る。その時その時で、いまで言うところのコンプラ的な問題があったのだろう。姫をあの手この手で殺害しようとした継母だって原作では実母だったりするし、彼女の最期も様々だ。王子にしたって、姫とは毒林檎で倒れた時にたまたま通りがかった初対面パターンもあれば、実は元々軽く面識があったパターンもある。というわけで、もしもの際にはこの『実は軽く面識があった』パターンを採用することにしたのである。大丈夫、劇中で『二人は初対面』なんて一言も言ってない。

『狩りの途中で道に迷ったヤハギ王子は、どこからともなく聞こえてくる美しい歌声に馬を止めた』
『ら~らら~ららら~♪ るる~るるる~♪』

 もう自分の文才と歌唱力が怖い。
 聞こえているか、南城、神田。届いているか、俺のこの思いが。頼む、俺の思いを汲んでそろそろチュッとやってくれ!

 ……と思ったら、やはり神田が動いた!
 俺には見えた! 南城の襟首を掴んで引き寄せたのを! やはり黒髪は男前! そんで神田、お前は襲い受けの才能がある!

 よぉーし、やれ! やったれぇぇ!

 その時である。

「ヘイヤァッ! ヘイヤァッ! らんらーららんらんらー♪」

 ――は?

 わらわらと出て来たのは、舞台袖で待機を命じていた小人達である。ちなみにメンバーはすべて演劇部だ。姫と王子という美味しい役どころを部外の人間にしてしまったので、せめて小人や女王など、見せ場の多い役を演劇部に与えたのである。
 七人の小人は本来であれば、姫の棺の周りでおいおいと泣いているはずなのだが、周りにこんなのがいたらおちおちキスも出来ないだろうということで、演出上の理由で、と無理やり納得させて引っ込めていたのだ。いや、「らんらーららんらんらー♪」じゃないから。何勝手に出て来てんだ!

 あっ、よく見たらあいつら、『演劇部募集!』なんて横断幕まで持ってやがる! おいやめろ、いつの間にビラなんて用意したんだ! 配るな配るな! 確かに劇終了後、部員募集の宣伝はしても良いと言ったが、まだ終わってないぞ!? くそぉ、演劇部顧問! 貴様かぁっ!? 親指立てて「良いぞ!」じゃねぇよ! 良くねぇ!

「さぁ、皆さんご一緒に!」

 ちょ、おい!
 何で棺の中から(神田)を引っ張り出した!? 南城も既に捕まってるし! あああ、困惑してる……そりゃそうだよな。あと一歩で合法的にキス出来たのに(キスは合法だ)、それを無理やり中断させられたんだもんな。

 うわ、神田白雪に黄色い声がすっごい。だよな、さっきまでゴリゴリマッチョの角田白雪だったんだもん、どんなイリュージョンかと思うわな。

 かくして、あれよあれよという間に七人の演劇部小人にジャックされた『白雪姫』は、なんやかんやで息を吹き返した白雪姫と、王子、継母が小人達と共に仲良く踊り、謎の大歓声に包まれて幕を閉じたのであった。

 演劇部、貴様ら後で覚えてろよ!


★次回予告★
 なんやかんや衣装のまま校内を練り歩くことになった二人!
 見目麗しいヤハギ王子とヤヨイ姫にそれぞれ魔の手が――!?
 一方その頃、遠藤にもピンチが訪れていた!
 サポート一切なしの状況で、二人は無事、思いを告げられることが出来るのか!?

 次回、なんやかんやで最終章!『なんやかんやで文化祭を楽しむ二人・校内デート編』!
 ご期待ください!
 俺は王子だ。
 嘘、王子ではない。
 王子ではないんだけど、王子の恰好をしたまま、なんやかんやで劇の宣伝のため、ビラを片手に校内を練り歩くこととなったのである。

 しかも、夜宵と一緒に。
 厳密には、『白雪姫の恰好をした夜宵』と、だ。

「何か、恥ずかしいね」

 長いスカートがあまりバサバサしないようにと、気持ち小股でしずしずと歩く夜宵は、なんだか本当にお姫様のようである。ただ夜宵は、案外背が高いので、裾を引きずるなんてことはない。何なら下に履いてる学生ズボンも若干見えている。

「でも、萩ちゃんは似合ってるよ。本物の王子様みたいでカッコいい」
「そうか……? なんかすげぇアホ王子っぽくね? 馬とか乗れなそう」
「萩ちゃんなら乗れるよ。白いやつ」
「やっぱ白馬なんだ」
「そりゃあ王子だしね」

 そんなことを話しながら、すれ違う人にサッとビラを渡す。俺達のクラスの劇はこの後、午後にもう一回、それから明日も午前と午後の二回ある。別に入場料を取っているわけでもないので、何人入ろうとも売上はないのだが、そこはやはり気持ちの問題なのである。

「何か、巻き込んじゃって悪いな」

 夜宵はまぁどちらかといえば女顔だし、身長(タッパ)はあるけど華奢なので、こういう恰好をすれば、お姉さんの弥栄さんに似て、すごい美人だ。眼鏡を外しているから特に。ああもうほら、すれ違う野郎共が皆振り返ってる。クソ、あんまじろじろ見んな。いまは俺の姫なんだよ。見りゃわかんだろ、俺、王子!
 とまぁ、そんな見目麗しく仕上がっている夜宵だけど、本人はもちろんこんな姿は望んではいないだろう。こいつだって立派なもん(かどうかは最近見てないけど)ぶら下げた男なのである。

「大丈夫だよ。学祭だしさ、こういうのもきっと良い思い出になるよ」
「前向きだなぁ、お前」
「そうかな」

 へへ、と照れたように笑う夜宵は、姫の恰好も相まって、抱き締めたくなるような可愛さだ。いまなら俺、王子だし、多少はそういうのをやっちゃっても良くないか? ほら、宣伝の一貫というかさ。まぁ、こいつは他クラスなんだけど。

 そんなことを思っていると、微かに夜宵の手が触れた。これはチャンスと、そのままそっと手を繋いでみる。

「へぇっ? は、萩ちゃん……!?」
「あ、あの、ほら、夜宵、眼鏡ないから危ないだろ? それにいま俺達、王子と姫、だし? こんな演出もアリかなって、思って、その……」

 やだった……? と恐る恐る聞くと、夜宵は真っ赤な顔でかなり強めにふるふると首を振った。

「ぜ、全ッ然やじゃない! し、視界も不明瞭だったし、助かるよ! それに、僕達いま、王子と姫だもんね。これくらいはむしろ普通だよね、普通!」
「だ、だよな! 普通だよな!」

 王子と姫なら普通!
 この恰好で回って来いって言ってくれた遠藤ありがとう!

「でもさ、片手塞がっちゃったら、ビラ配りにくくない? その都度離して繋ぎ直すっていうのもさ」
「それはまぁ、確かに」

 そう言いながら、する、と手が離れる。もしかしてやっぱりやだった?! そうだよな、何が悲しくて男と手なんか繋がなきゃなんねぇんだ、って話だもんな。だけど夜宵は優しいから、面と向かって「嫌だ」なんて言えなかったのかもしれない。そう思い、密かにショックを受けていると――、

「だからさ」

 と言って、俺の腕を取り、ぎゅっ、としがみつくようにして胸に抱く。

「え、ええええ!? や、やよ、夜宵!?」
「これなら、こっちの手でビラを持てるでしょ。ど、どうかな? それにほら、この方がそれらしくない?」

 わずかに背の低い俺に合わせて、ほんの少し腰を落としてくれているらしく、上目遣いで、俺を見つめる。いくら役に入っていても恥ずかしいのだろう、顔は真っ赤だし、目も潤んでいる。

「な、ナイスアイディア! さすがは夜宵だな、うん! こ、これで行こう! 俺達、王子と姫だしな!」

 何これ。俺今日死ぬのかな……?

「歩きづらくないか? 俺の方が低くてごめん」
「大丈夫だよ。ちょっと凭れる感じになっちゃって、僕の方こそごめんね」
「全然! 全然もう、ガツンと凭れてくれ!」
「あはは、ガツンと凭れるって何?」
「もう、その、何だ。ぶら下がるくらいの勢いでも可、みたいな?」
「さすがに重いでしょ、それは」
「だな」

 そうしてしばらく校内を練り歩き、元々そう枚数のないビラを配り終えた。一緒に回る約束はしていたものの、当然こんな形ではなかったし、せっかくの学祭なのにこれで終わっては味気ない。まぁ、俺としては夜宵と腕を組んで歩くなんて夢のようで、空腹感も何もかも吹っ飛んでしまったんだけど、そろそろ昼時だし、きっと夜宵は腹が減っているはずだ。

「なぁ夜宵。腹減らね?」
「うーん、そこまでじゃないけど、せっかくだし、何か食べたいかな」
「俺、喉も渇いたし、ちょっとそこで買ってくる」
「僕も行くよ」
「良いって良いって。その恰好だと大変だろ。劇のお礼もしたいから、俺が奢る。そこのベンチで座って待ってて」

 そう言い残して、ホットドッグと飲み物を売っているクラスに入る。さすがはゴールデンタイム、結構並んでる。
 この恰好をさんざんからかわれたり、あとはどうやら劇を見てくれたらしい他校の女子生徒に声をかけられたり、握手を求められたりしているうちに番が来て、ホットドッグとペットボトルのコーラと緑茶を買う。並んでいるうちに俺も腹が減って来たので、ホットドッグは二人分だ。それらを袋に入れてもらい、夜宵の方へ戻ると――、

「ねぇ、俺らと回らない?」
「おねーさん、何年生? ここの生徒? てことは、あれ、男?」
「めっちゃ可愛いけど、何でそんな恰好してんの? 姫喫茶とか?」

 ベンチに座る夜宵の周りに、他校の生徒と思しきやつらが三人。人見知りの気がある夜宵は、不安そうに眉を寄せている。あんな恰好の夜宵を一人きりにさせてしまったことをすごく後悔した。

「あの、僕、人を待ってるんで」
「えぇ、良いじゃん。連絡だけしとけば」
「はは、声はめっちゃ男じゃん」
「な、行こって――」

 へらへらと軟派な笑みを浮かべて、そいつらの一人が、統一感のないブレスレットをじゃらじゃらと重ね付けしている日に焼けた腕を夜宵に伸ばした。その無粋な手が触れる前に、サッと身を滑り込ませて夜宵の肩を抱く。

「悪いけど、こいつは俺の姫なんだわ」
「うわ、何だお前」
「見りゃわかんだろ、王子だよ、王子」

 ぎぃぃ、と睨みつけてやると、そいつらはあっさりと引いた。そこまで本気でナンパしていたわけではないのだろう、たぶん、『他校の文化祭』という非日常感に当てられてちょっとテンションが上がってしまっただけなのだ。

「うお、マジで王子じゃん」
「やべ、マジ王子来たわ」
「マジで王子なんだわ。だからほら、散れ、散れ」
「何これ、何でこんなカッコしてんの」
「劇だよ、劇。白雪姫の。午後もやるから見に来いよ。ここ真っすぐ行ったとこのホールな」
「白雪姫っつーことは、何、お前らチューすんの?」

 俺のペラペラのマントをばふばふさせながら、俺よりもっと明るい髪をしたやつが言う。

「し、しねぇし! ていうか、こいつはその、何だ、さっきたまたまユージョーシュツエンしただけだから! 流れでいま宣伝に駆り出されてるだけ!」
「なぁんだ。お前らがイチャつくなら見てぇと思ったのに。なぁ?」
「そうそう。そんじゃ何? 姫不在の白雪姫なのかよ」
「本物の姫は別のやつなの!」

 俺を軽々とお姫様抱っこするやべぇムキムキの角田姫がな!

「えー、そんじゃあさ」

 軟骨までバチバチに穴のあいた赤髪が、夜宵に手を伸ばす。

「こっちの姫は偽物なんだろ? やっぱ俺らにちょーだいよ」

 その手を、ぺし、と叩く。もちろん、加減して、だ。まだじゃれ合いで済むレベルのやつ。他校生とのトラブルは避けたい。

「だーから」

 そいつも、俺の意を汲んでくれたのたろう、ちょっとおどけて「ひでぇ、暴力王子じゃん」と笑っている。

「触んなっての。偽物でも何でも、こいつは俺の。午後の部は二時からだ。ムキムキの姫が出るから、見に来い。行くぞ、夜宵」
「ま、待ってよ萩ちゃん!」

 ぐい、と手を掴んで歩き出す。急に引っ張ってしまったからだろう、バランスを崩した夜宵が俺の背中に倒れ込んでくる。

「わ、わわわ。ごめん」
「俺こそごめん。無理に引っ張って」

 そんなやりとりをする背中に、さっきのやつらの冷やかしがぶつかる。

「王子〜、もっと姫を大事にしてやれよ〜」
「お手をどうぞ、だろ。下手くそ〜」
「つうか、姫の方デカくね?」

 うるせぇ。そんなのいまからやるっつーの。あと、デカいとか言うな。デカいけど。

 そいつらの声が聞こえているのかいないのか、何やら気まずそうな顔で、少しめくれてしまった裾をひらひらと直している夜宵の手をそっと取る。

「お姫様、ほら、行くぞ」
「……うん」
「ごめん、ホットドッグ、ちょっと潰れたかも」

 ビニール袋に入れてもらったホットドッグは、一連のあれやこれやでコーラと緑茶の下敷きになっている。

「大丈夫だよ。ありがとうね」
「良いって、これくらい」
「えっと、そうじゃなくて」
「うん?」
「助けてくれてありがとう、の方。僕、ああいう時どうしたらいいかわからなくて」
「良いよ良いよ」
「ほんとの王子様みたいだった」
「……そうか?」

 本当の王子様なら、こんな乱暴に奪還はしないはずだと思いつつも、悪い気はしない。
 僕はお姫様だ。
 だと思う。たぶん。
 なんやかんやで萩ちゃんのクラスの劇に飛び入り出演した僕は、さらになんやかんやでこの恰好のまま、午後の部と明日の公演の宣伝をすることになったのだ。

 萩ちゃんと一緒に。
 王子様の恰好をした、萩ちゃんと一緒に。

「何か、恥ずかしいね」

 恥ずかしいなんてもんじゃない。お姫様の恰好が、っていうのもあるけど、だって、こんなのカップルみたいじゃないか。これがいつもの学生服だったら『仲の良い親友同士が一緒に学祭を回ってる』だけなんだけど、王子と姫の組み合わせだもん。か、かかかかカップルだよ、これは!

 そんなことを考えてしまったら、もう頭がぐわぐわしてきちゃって、しかも眼鏡もないから視界もちょっとふわふわである。僕、このまま天に召されるんじゃないだろうか。だとしてもああ神様、あともう少しだけ、萩ちゃんとこんな風に歩けるなんて夢みたいだから、せめてこれが終わるまでは!

「でも、萩ちゃんは似合ってるよ。本物の王子様みたいでカッコいい」

 だけど僕の方は、いくら女顔っていっても百七十六あるのだ。そんな大きいお姫様なんて不気味すぎる。

「そうか……? なんかすげぇアホ王子っぽくね? 馬とか乗れなそう」
「萩ちゃんなら乗れるよ。白いやつ」
「やっぱ白馬なんだ」
「そりゃあ王子だしね」

 萩ちゃんが白馬に乗って迎えに来てくれたら、僕は一も二もなくそれに乗るだろう。いっそこのままお姫様の恰好でも良いくらい。

「何か、巻き込んじゃって悪いな」

 申し訳なさそうな、萩ちゃんの声。気にしなくて良いのに。元々一緒に回る約束はしてたんだしさ。ただちょっと恰好が想定外だっただけで。

「大丈夫だよ。学祭だしさ、こういうのもきっと良い思い出になるよ」
「前向きだなぁ、お前」
「そうかな」

 前向きってわけじゃない。僕は、こんなに堂々と、いつもより気持ち近付いて一緒に歩けることが嬉しいんだ。それはきっとこの恰好のお陰なんだろうし。

 本当は、どさくさ紛れに手だって繋ぎたい。だって僕達、いまは王子と姫だよ? いまは劇の続き、ハッピーエンドのその後なんだ。だから、キスで目を覚ました白雪姫と王子様は結婚して、二人仲良く暮らすんだ。だから、恋人なんて関係すっ飛ばして、もう夫婦なんだよ。だからさ。

 そう思って少しだけ萩ちゃんに手を近づけてみる。何かのはずみでぶつかったりしないかな、なんて。そんなずるいことを考えていると、決してわざとではないけれど、ほんのかすかに手が触れた。しまった、と引っ込めるより早く、それを捕まえられる。

「へぇっ? は、萩ちゃん……!?」
「あ、あの、ほら、夜宵、眼鏡ないから危ないだろ? それにいま俺達、王子と姫、だし? こんな演出もアリかなって、思って、その……やだった……?」

 不安そうにそう尋ねて来る萩ちゃんの顔が赤い。どうしよう、ものすごく可愛い。王子様の萩ちゃんは恰好良いはずなのに、可愛く見えてしまう。胸がぎゅっとなって苦しい。

「ぜ、全ッ然やじゃない! し、視界も不明瞭だったし、助かるよ! それに、僕達いま、王子と姫だもんね。これくらいはむしろ普通だよね、普通!」

 食い気味でそう答える。どうしよう、ちょっと必死すぎたかもしれない。恥ずかしい。

 けれども片手が塞がってしまったら、ビラはどうやって配るんだろう。その度に手を離すことになるのかな。そしたら、そのうち面倒になって繋ぐのやめちゃうかも。それは絶対に嫌だ。

「でもさ、片手塞がっちゃったら、ビラ配りにくくない? その都度離して繋ぎ直すっていうのもさ」

 そう指摘して、ちょっと寂しく思いつつも、萩ちゃんが繋いでくれた手を離す。そうしてから、彼の腕を取り、胸に抱くようにしてしがみついた。うわ、萩ちゃんの腕、思ったより太いな、

「え、ええええ!? や、やよ、夜宵!?」

 急に引っ張られて驚いたのだろう、ちょっと声が裏返った萩ちゃんも可愛い。

「これなら、こっちの手でビラを持てるでしょ。ど、どうかな? それにほら、この方がそれらしくない?」

 お願いだから、そうだな、って同意して。そんなにくっつくなよ気持ち悪い、なんて言いませんように。いや、萩ちゃんは優しいから、きっと、本当はそう思ってても絶対に口に出したりはしないだろう。その優しさを利用してしまうずるい僕だ。
 
「な、ナイスアイディア! さすがは夜宵だな、うん! こ、これで行こう! 俺達、王子と姫だしな!」

 案の定、萩ちゃんはこれを快諾してくれた。やっぱり萩ちゃんは優しい。その上、自分の方が背が低いことまで、僕に謝って来た。僕は全然そんなこと気にしないのに。むしろ、僕がひょろひょろと伸びてしまったのが悪いんだ。ああ僕が、もっともっと小さかったら良かったのに。そしたらきっと、もっと本物のお姫様のようだっただろう。僕みたいなのが隣にいて萩ちゃんが笑いものにならないかが心配だ。

 そうしてしばらく、腕を組んだままビラを配り歩いた。手持ちのがなくなったらこの仕事は終わりだ。このままクラスに戻るのかな。そうしたら、この夢みたいな時間は終わってしまう。いまの僕は白雪姫じゃなくてシンデレラの気分だよ。魔法が解けなきゃ良いのに。

「なぁ夜宵。腹減らね?」

 そんなことを考えていたら、萩ちゃんが数メートル先を指差した。軽食を売っているクラスだ。正直、ドキドキしっぱなしでお腹はあんまり空いてない。けれど、少しでもこの時間を引き延ばしたくて、食べたいと言うと、萩ちゃんは、ここで座って待っててと言って行ってしまった。

 言われた通りに、ベンチに腰掛ける。眼鏡がなくても、萩ちゃんは真っ赤なマントがひらひらしているから、わかる。ほんの数メートル先にいる萩ちゃんは、何やら紺色っぽいシルエットの――恐らく女子生徒に何やら話しかけられているようだ。劇を見た子達かな。萩ちゃん、恰好良いもんな。逆ナンってやつかな。どうしよう。割って入りたいけど、僕、こんな恰好だけど、別に彼女じゃないもんな。

 どうしよう、いまの僕、ものすごく嫌なやつだ。萩ちゃんは女の子が好きなんだから、いつかは可愛い彼女を作って僕から離れていくってわかってる。それを止める権利なんかないって頭ではわかっているのに。すごく嫌だ。思わずスカートをぎゅっと握り締めてしまってから、慌ててしわを伸ばす。すると。

「ねぇねぇ、何してんの、こんなとこで」

 そんな声が聞こえて来た。知り合いかと思って顔を上げる。

 ぼやけてよくわからないけど、制服がブレザーだから、他校生だ。三人。袖を軽く捲くった手首に、何やらじゃらじゃらとアクセサリーをつけている子もいる。元々の校則が緩いところなのか、それとも他校の学祭だから気合を入れて来たのか。いずれにしても、あまり関わりたいタイプではない。

 ええと、こういう時ってどうしたら良いんだっけ。お姉ちゃんが男の人に声をかけられた時は「とにかく無視一択!」って言ってたけど、それって僕の場合でも有効なのかな。とりあえず俯いて、口を真一文字に結んだ。

「もしもーし、無視ですかぁ~?」
「感じ悪くねぇ? 俺らオキャクサンなんだけど」
「なぁ、こっち向けって」

 こっちを向け、と言った癖に、彼は身をかがめて、僕の顔を覗き込んで来た。そして一言、「やべぇ、めっちゃ可愛い」。その言葉で残りの二名も騒ぎ出す。君達に可愛いなんて言われても嬉しくないよ。僕、男だし!

「ねぇ、俺らと回らない?」
「おねーさん、何年生? ここの生徒? てことは、あれ、男?」
「めっちゃ可愛いけど、何でそんな恰好してんの? 姫喫茶とか?」

 駄目だ、きっとちゃんと断らないと彼らはこの場を去ってくれない。無視が効くのはきっとお姉ちゃんだけなんだ。

「あの、僕、人を待ってるんで」

 意を決してそう言ってみるが。

「えぇ、良いじゃん。連絡だけしとけば」
「はは、声はめっちゃ男じゃん」
「な、行こって――」

 駄目だった!
 何で?! どうしてそこまでして僕と回りたいの!? えっと、校内を案内してほしいとか? そういうこと!? だとしても嫌です!

 そいつの手が僕の方へ伸びて来る。
 どうしよう。無理やり連れていかれたりするのかな。さすがに三人もいたら、振り切って逃げるなんて無理かもしれない。

 ぎゅっと目を瞑って、身を強張らせる。すると、彼らがいる方とは反対に、ぐい、と引き寄せられた。肩に回された手は、あったかくて、大きい。

「悪いけど、こいつは俺の姫なんだわ」

 萩ちゃんだ。
 萩ちゃん、いま僕のこと、俺の姫って、言った?

「うわ、何だお前」
「見りゃわかんだろ、王子だよ、王子」

 萩ちゃんがそう言うと、さっきまでのピリピリした空気は気持ち和らいだようだった。その証拠に、彼らは、声を弾ませて、萩ちゃんのマントをばふばふと振りながら笑っている。萩ちゃんは普段から、人との距離を詰めるのが上手い。ちょっと怖い先輩とも、あっという間に仲良くなってしまうのである。
 
「うお、マジで王子じゃん」
「やべ、マジ王子来たわ」
「マジで王子なんだわ。だからほら、散れ、散れ」
「何これ、何でこんなカッコしてんの」
「劇だよ、劇。白雪姫の。午後もやるから見に来いよ。ここ真っすぐ行ったとこのホールな」
「白雪姫っつーことは、何、お前らチューすんの?」

 !!?

 そ、れは、ちょっと、うん、まぁ、未遂というかなんというか。僕としてはあと一歩だったと思うんだけど、何かいきなり小人さん達が乱入してきて、ダンスパーティーになっちゃって、というか。白雪姫ってそんな話だった? そういう解釈のやつもあるのかな?

「し、しねぇし! ていうか、こいつはその、何だ、さっきたまたまユージョーシュツエンしただけだから! 流れでいま宣伝に駆り出されてるだけ!」

 たまたま。
 流れで。

 萩ちゃんの言葉が胸に刺さる。そうだよね、本当は嫌だったよね。きっと小人さん達が来てくれてホッとしたはずだ。

 密かに消沈していると、

「えー、そんじゃあさこっちの姫は偽物なんだろ? やっぱ俺らにちょーだいよ」

 ブレスレットをじゃらじゃらさせた手が伸びて来た。えっ、何? また?! と身構えていると、その手を払ってくれたのはやっぱり萩ちゃんだ。

「触んなっての。偽物でも何でも、こいつは俺の。午後の部は二時からだ。ムキムキの姫が出るから、見に来い。行くぞ、夜宵」

 急に引っ張られ、バランスを崩す。
 偽物でも、僕が姫で良いの?
 眼鏡がないせいでぼやける視界が、さらに涙で滲みそうだ。

 後ろからは萩ちゃんを揶揄する声が聞こえて来るけど、そんなのはどうでも良い。大事になんてしてくれなくて良い。お手をどうぞなんてしてくれなくても。俺の、って言ってくれたそれだけで、僕はもう十分だよ、萩ちゃん。
 さて、少しは本物の王子様に近付けたんじゃないだろうか、と胸を張れるくらいのジェントルさで休憩スペースへと移動し、そこですっかり潰れてしまったホットドックを食べる。二人共借り物の衣装だから、ケチャップを落とさないよう、細心の注意を払って、だ。

「このあとどうする?」

 そう尋ねると、夜宵は何だかものすごく驚いたような顔をして「どうって?」と聞き返してきた。

「どうって……。どっか回りたいところないか? 元々一緒に回る予定だったろ? 午後の出番までまだ時間あるし」
「え、あ、そう、だね。ええと、どうしようか」

 もしかして夜宵、俺と回りたくなかった? あっ、もしかして、この恰好?! この恰好だから嫌なのか?! そうだよな、俺はまだしも夜宵は姫だもんな。逆の立場だったら、確かに嫌かも。着替えを提案した方が良いんだろうか。だけど、この恰好だったらさっきみたいにくっついて歩けるんだよなぁ、宣伝の体で。まぁ、ビラはもうないんだけど。

「せっかくだし、ぐるっと回らない? あ、っと、でも、その前にトイレ行っても良いかな?」
「おけ。トイレな。俺も行っとくかな。あ、でも夜宵の場合は、男子トイレだと色々まずくね?」
「まずいかもだけど、女子トイレに入るわけにはいかないよ」

 ウチは男子校だけれども、一応女子トイレはあるのだ。主に来賓用だけど。平時なら入ってもまぁ問題はないが、いまは女子高生のお客さんもいる。バレたら確実にアウトだ。

「まぁそうなんだけど。いや、そうじゃなくて、ほら、多目的トイレ行った方が良いんじゃないか、ってこと。たぶんスカート(それ)だと立ったままはしづらいだろうし、個室から姫が出て来てもびっくりするだろうしさ」
「確かにそうかも」

 そんじゃ、とりあえずトイレ済ませちまおうぜ、と立ち上がり、そこから数メートル先の多目的トイレを目指す。その手前には男子トイレもあるので、俺はそっちを利用することにし、一旦別れた。

 手早く用を済ませて出るが、夜宵はまだいなかった。やはり少々手間取っているようだ。無理もないよな、だってあんな長いスカート履いてんだもん。下には学生ズボンも履いてるし。ていうか、スカートの場合って、あれは捲ってやるのか? それとも脱ぐのか? 脱ぐんだとしたら偉いことだぞ。手伝った方が良いのか? いや、さすがに大丈夫か。あれそんな本格的なドレスじゃないしな。

 壁に凭れてそんなことを考えていると。

「あっ、いたいた!」
「あのー、すみませーん」

 きゃあきゃあと何やら騒がしい声である。その方に視線をやれば、紺色のブレザーにチェックのスカートの二人組だ。市内の女子高の制服である。さっきも同じ制服の女の子達に話しかけられたが、たぶん違う子だと思う。髪型もほぼ一緒だから正直言って見分けつかねぇんだよなぁ。

「何?」
「あの、いま一人ですかぁ?」
「は? いまは、うん、一人だけど?」

 お前達の目は節穴か。この場に何人もいるように見えるか?

「あのあの、さっき、めっちゃカッコいい王子いるって友達から聞いてー」
「写真見せてもらったら、もー、マジ王子じゃん、って思ってー」
「はぁ、ども」

 ほんと、我ながら、マジで王子すぎると思うわ。なんて言うのかな、マジで絵本に出て来るタイプの王子なんだよな。白タイツはさすがに勘弁してもらったけど。遠藤、こんなベタな王子衣装どこで買って来たんだ。こんなの誰が着たって秒で王子になるっつーの。てことはアレか。夜宵が着ても王子になるんだよな。あいつ、背も高いし、こんなの着たら女子生徒が黙ってないだろ。良かった、姫の方で。いや、それでさっきナンパされたんだったな。駄目だ、姫も駄目だ。ああでも姫の恰好じゃないとくっついてられないのか。くっそ、悩むぜ……。

「あのー、もしもーし」

 ついつい余計なことを考えてしまい、女の子達を無視する恰好になってしまった。すんません、と小さく詫びると、「王子謝るとかマジウケんだけど」とギャルっぽい子が大袈裟に手を叩いて笑い出した。何が面白いんだ。

「そんでー、もし良かったら案内してほしいなーって。ねー?」

 そのギャルが、ぐい、と俺の腕を掴む。

「はぁ? ちょ、放せって。何」
「良いじゃーん、王子なんだしさー、女子に優しくしてよー」
「そうそう、ハーレムじゃん? マジ王子ー」
「マジ王子とハーレムの意味わかんねぇし。放せって」

 これがウチのクラスの野郎共なら、拳骨でもくれてやるところなのだが、さすがに女子にそれは出来ない。しかも恐らくは、それを『武器』と捉えているのだろう、俺の腕をぐいぐいと引っ張りながら上目遣いでまつ毛をばさばささせている。すげぇ、それ自前? 人間のまつ毛ってそんなにばさばさに生えるもんなの? こわっ。

 どうしたものかと戸惑っていると、くい、とマントが引っ張られた。何だ? と振り返ってみると、真っ赤な顔をした夜宵である。

「駄目」

 一度小さい声でそう言ってから、マントをくいくいと手繰り寄せ、今度は後ろからギュッと抱き締められる。

「萩ちゃんは、僕の」

 俺よりは細いけれど、薄く筋肉のついた夜宵の腕は、小さく震えている。夜宵は人見知りだし、共学だった中学の時だって、女子とはあまり関わってこなかったから、緊張してるのかもしれない。本人は結構女子から人気があって告白なんかもよくされてたんだけど、俺が知る限りでは、彼女を作ったことはないはずだ。

「僕のだから。いまは、僕の王子様だから、駄目」

 震える声でそう言って、腕にぐっと力を入れる。目の前の女子生徒二名が、「きゃああああ!」となぜか満面の笑みで悲鳴を上げた。

「ちょ、姫じゃん! 姫来たじゃん!」
「何これ?! ちょ、もう仕上がってんじゃん!」
「えー、嘘、マジで? マジ良いもん見たわ。尊みで死ぬ」
「死ぬ、わかる。いま死んだ」

 いやいや、そんなあっさり死ぬなよ。しかも他校で。
 彼女らはその後も何やら甲高い声且つ早口できゃあきゃあと意味不明なことをしゃべり、バシャバシャと写真を撮って(絶対にSNSには上げるなよと釘は刺したけど)、嵐のように去って行った。人数としてはたった二人なのに、何だかツアーの団体客でも相手したかのような疲労感に襲われて、俺と夜宵はその場にぺたんと尻もちをついた。まぁ厳密には、俺が座っちゃったから、夜宵も釣られて、という感じではあるんだけど。

「萩ちゃん、その、ごめんね」
「何がよ」
「変なこと言っちゃって。その、僕の、なんて」
「そんなの、俺だってさっき言ったし」
「そうだけど」

 いつまでも地べたに座ったままというのも、と思い、夜宵を立ち上がらせて近くのベンチに座らせる。俺は立ったままでいるつもりだったけど、夜宵が「萩ちゃんも座って」と袖を引いて来たので、大人しく従うことにした。

「あの、あのね。萩ちゃん」
「おう」
「萩ちゃんは、その……、僕の、親友だよね?」
「えぇっ!? 何いまさら!?」

 うっそマジかよ。ここで確認されるのか俺。もしかして親友って思ってたの俺だけ? いや違うな。確認してきたってことは、夜宵の方が疑ってるんだ。俺の態度が親友のそれじゃないって。

 親友だと、夜宵は思ってるはずだ。俺だってずっとそう思ってた。ついつい気持ちを伝えそうになったりもしたけど、夜宵のためにも、我慢した方が良いんだろうとも思ってた。だけどさっき、誰かに取られそうになって、頭が真っ白になったのだ。いつか、そう遠くない未来、きっと夜宵は誰かと付き合って、俺から離れていく。その覚悟はしてたと思っていたけど、実は全然そんなことなかった。夜宵は誰にも取られたくない。

「お、俺は……夜宵のこと、親友とかじゃなくて」

 ありったけの勇気を振り絞って、そこまで吐き出す。願わくば、恋人になりたい。そう伝えたくて。だっていまの夜宵は俺の姫だし、俺は夜宵の王子様なのだ。いまだけでも良い。断られたら、嫌だと言われたら、文化祭の間だけで良いからと、なりふり構わず頼み込むつもりだった。

 あれ、でもそう言えば、夜宵は次も(これ)で出るのか? それとも、他のやつ? だって本当はあれ、石膏像の予定だったもんな。たまたま夜宵が手があいていたからやってくれただけで。それじゃ、次は誰がやるんだろう。

 そんなことを考えてしまい、間があいたのが良くなかった。

 夜宵の耳に届いたのは「親友とかじゃなくて」の言葉だけだ。

「や、やっぱり、萩ちゃんと僕は……」

 親友でもなかったんだね。

 弱々しい涙混じりの声が聞こえて、慌てて顔を上げる。目の前の夜宵は、大きな瞳から、ほろほろと涙をこぼしている。

「ごめんね、僕、同じクラスでもないのに。いつもいつも、迷惑だったよね」

 ごめん、ほんとごめん、と何度も言って、下瞼を拭う。そうしてから化粧をしていたことに気が付いたのだろう、「直して来る。ついでに、着替えて来るね」と立ち上がりかけた手を取った。

「待って、ごめん。違う。間違えた。そうじゃなくて」
「良いよ、萩ちゃん。無理しないで。困らせてごめん」
「もう謝んな。違うから。いまのは俺が間違えただけだから」
「間違えたって、何を?」

 ぐす、と夜宵が鼻を鳴らす。さすがはC組のビューティー枠、兎崎のメイクである。意外と崩れていない。目の端と鼻が赤くなっている夜宵は、何とも儚げな美しさだ。

 ぐい、と引っ張り、再び隣に座らせる。僅かな隙間を詰め、そのまま抱き寄せた。

「萩ちゃん……?」
「違うんだ夜宵。俺が言いたかったのは、そういうんじゃなくて」

 思わず両手に力が入る。苦しいよ、と声が聞こえて、慌てて少し緩めた。

「その、親友は、親友なんだけど、その、それだけじゃないっていうか」
「親友ではあるの? 僕もそう思ってて良い?」
「それはもちろんそうなんだけど、出来れば、俺と同じ気持ちでいてほしいっていうか」
「萩ちゃんと?」

 ここまで来たらもう後戻りは出来ない。
 腕の中の夜宵は拒む様子もない。もしかしたら夜宵も、なんて淡い期待が膨らんでいく。

「俺! その、夜宵と、こ、こ――」

 恋人になりたいんだ!
 手を繋いで、ぱたぱたと人通りの少ないところへと移動する。そこここで何かしらの出店が乱立する校内だが、奥の方はクラス展示が固まっているので、はっきり言って不人気なのだ。ここに来るのは、そのクラスの保護者くらいだろう。それを想定して、休憩スペースなんかも設けられてはいる。

 その、適当に並べられたパイプ椅子に座り、萩ちゃんが買ってきてくれたホットドッグを食べる。ケチャップを垂らさないように気をつけなくちゃ。ていうか、よく考えたら、この衣装って、本来誰が着るためのやつなんだろう。角田君はもっと大きいの着てたしなぁ。

 これを食べ終わったら、校内デートは終わりだ。まぁ、デートなんて思ってるのは僕だけなんだけど。

「このあとどうする?」

 僕より先に食べ終えた萩ちゃんが、コーラを一気に半分くらい飲んでから言った。

「どう、って?」

 このあとがあるの!? まだ終わりじゃなくて良いの?!

「どうって……。どっか回りたいところないか? 元々一緒に回る予定だったろ? 午後の出番までまだ時間あるし」
「え、あ、そう、だね。ええと、どうしようか」

 嬉しい。まだ一緒にいられるんだ。でも、この恰好で良いのかな。そしたら宣伝の体でまたぴったりくっついて歩けたりするんだろうか。あっ、でも、ビラはもうないんだった。

 とりあえず、せっかくなのでもう少しぐるりと回ることにする。その前にトイレだ。空いているトイレが近くにある時に済ませた方が良い。何せ僕はこんな恰好なんだし。萩ちゃんからこの恰好だと男子トイレではやりづらいのでは、という発言が飛び出した時はどきりとした。そのまま、じゃ着替えて来るか、なんて話になると思ったからだ。

 けれど、僕の予想に反して、萩ちゃんからは「その前に着替えよう」なんて言葉は出て来なかった。単純に、萩ちゃん自身が脱ぐのが面倒だったのかもしれない。どうせあと数時間後にはまた着ないといけないわけだし。そういえば、午後の部って、誰がこの役をやるんだろう。つまりは、このサイズのドレスを着て、棺の中で萩ちゃんからのキスを待つ役だ。確実に角田君ではないと思うけど。

 そんなことを考えたら、気持ちがずんと重くなる。もしその人が、萩ちゃんのことが好きだったりして、僕なんかよりもっと積極的だったら? 萩ちゃんにその気がなくても、僕がしようとしたみたいにするかもしれない。そしたら、萩ちゃんはどうするだろう。遠藤君はリアリティを追求しているらしいし、どうせ男同士だし、みたいなノリでしちゃうのかも。だったら、僕にもしてくれれば良かったのに。

 やっぱり、僕じゃ駄目なのかな。駄目だよね。僕と萩ちゃんじゃ、やっぱり住む世界が違うんだ。いくら幼馴染みっていっても、きっとそれだけ。親友ではあると僕は思っているけど。

 駄目だ。僕ってどうしてこうネガティブなんだろう。さっきからぐるぐると悪いことばっかり考えてしまう。

 せっかく萩ちゃんと一緒にいられるんだから、気持ちを切り替えて今を楽しまないと!

 多目的トイレの中の鏡で、気合を入れて全身をチェックする。裾も捲れてないし(捲れても下に学生ズボンを履いているので問題はないけど)、兎崎君にやってもらったメイクも崩れてない。すごいな、兎崎君、さすがはC組のビューティー枠。ビューティー枠って何だろう。 

 トイレから出ると、数メートル離れた男子トイレの前に、真っ赤なマントの王子様が見えた。もちろん萩ちゃんだ。だけど一人じゃない。彼の周りにもう二人いるりシルエットと声のトーンからして間違いなく女子高生だ。

「もし良かったら案内してほしいなーって。ねー?」

 何だって?!
 待って。いまは僕とデート中なんですけど!
 いや、デートなんて浮かれたこと考えてるのは僕だけってわかってるけどさ。

 でも、駄目だよ。
 萩ちゃん、断るよね? どうするんだろう。

 どうしようどうしようと思っていると、萩ちゃんと向かい合うような位置に立っていたはずの女の子達が彼の両脇にぴったりとくっついた。待って、そこは僕の場所だよ。

「はぁ? ちょ、放せって。何」
「良いじゃーん、王子なんだしさー、女子に優しくしてよー」
「そうそう、ハーレムじゃん? マジ王子ー」
「マジ王子とハーレムの意味わかんねぇし。放せって」

 自分でも驚くほどの俊敏さで、その三人の元へ駆ける。僕に背中を向けるように立っていた萩ちゃんの、その真っ赤なマントを掴む。急に引っ張られたことに驚いたのだろう、萩ちゃんは、びっくりした顔でこちらを振り向いた。

「駄目」
 
 萩ちゃんは僕のだ。
 例え萩ちゃんは親友としか思ってなくても。ごめん、僕は、親友以上の気持ちを君に持ってる。
 
「萩ちゃんは、僕の。僕のだから。いまは、僕の王子様だから、駄目」

 いつか萩ちゃんは、自分自身で相手を見つけて僕から離れてしまうだろう。だけど、いまだけは、この恰好でいる時は、少なくとも僕の王子様なんだ。

 僕は正直女の子があんまり得意ではない。
 小・中と、何人かから告白されたことはあるけど、そのどれもが、「神田君って、カッコいいから」という、見てくれだけの理由だった。彼女達は、僕の内面なんてどうでも良いらしい。図らずも、どうやら見た目は良い方らしいと知ったのはその時だ。

 どんなに僕が萩ちゃんのことを好きでも、やっぱり男同士だし望みはない。この気持ちがバレたら萩ちゃんだってきっと困るだろう。そう思って、中学の頃、どうにか忘れようかと彼女を作ろうかとも考えたことがある。だけど、クラスの女子と話してみたけど、疲れるだけで駄目だった。やっぱり僕は友達も、親友も、恋人も、家族も、全部萩ちゃんが良いよ。

 目を瞑り、色んな思いを乗せて後ろからぎゅっと萩ちゃんを抱き締める。僕よりも厚みがあって、がっしりした身体だ。目の前にいるらしい女の子達が、「きゃああああ!」と悲鳴を上げ、驚いて目を開ける。

「ちょ、姫じゃん! 姫来たじゃん!」
「何これ?! ちょ、もう仕上がってんじゃん!」
「えー、嘘、マジで? マジ良いもん見たわ。尊みで死ぬ」
「死ぬ、わかる。いま死んだ」

 何が何やらわからないが、大興奮である。どうしたの? こんなところで死んじゃ駄目だよ。

 しばらく彼女らの被写体になったりもしたが、何とか解放される。萩ちゃんは疲れたのか、その場にぺたんと座り込んだ。釣られて僕も座った。

「萩ちゃん、その、ごめんね」
「何がよ」
「変なこと言っちゃって。その、僕の、なんて」
「そんなの、俺だってさっき言ったし」
「そうだけど」

 萩ちゃんが言ってくれたのとは、絶対違うから。
 だけど、ほんの少しでも、「こいつは俺の」と言ってくれた萩ちゃんの言葉にすがりたい気持ちもある。親友として、って意味だろうけど。

 ベンチに移動して一息つく。

 萩ちゃんの気持ちが知りたい。
 萩ちゃんは本当に僕のことを親友って思ってるんだろうか。欠片でも良いから、もう少し特別になんて思ってくれないだろうか。

「あの、あのね。萩ちゃん」

 そんなことを考えていたら、つるりと言葉が出てしまった。

「萩ちゃんは、その……、僕の、親友だよね?」

 いまさら? なんて萩ちゃんは驚いていた。そりゃそうだよね。いきなり何聞くんだ、って思ったよね。

 答えなんて決まってるはずだ。
 僕と萩ちゃんは家がお隣同士の幼馴染みで、クラスが離れたのなんて、高校二年の今回が初めてだ。去年まで、なんやかんやと同じクラスだった。どこに行くにも、何をするにも一緒だった。テスト勉強を教えるのは僕で、スポーツ絡みの特訓は萩ちゃん。夏はどちらかの家の縁側でスイカを食べてビニールプールで遊んで花火をして、冬はスキー場に連れてってもらってスキーやボブスレーで遊んだものだ。

 いつも萩ちゃんは言うんだ、俺と夜宵は親友だぞ、って。

 僕は馬鹿だな。
 何当たり前のことを聞いて――

「お、俺は……夜宵のこと、親友とかじゃなくて」
 
 え。
 
 そう言ったきり、萩ちゃんは口をつぐんだ。
 違ったんだ。
 そう思ってたのは僕だけだったんだ。
 僕はもう、萩ちゃんと親友ですらないんだ。
 ただ家がお隣同士ってだけの幼馴染みだったのかもしれない。
 そうだよね、家がお隣なら、仲良くなるのなんて当たり前だもんね。クラスも離れちゃったし。

 膝が震える。
 ただでさえ不明瞭な視界が、ぐにゃりと歪む。

「や、やっぱり、萩ちゃんと僕は……親友でもなかったんだね」

 萩ちゃんは、いつもキラキラしてて、明るくて皆の人気者だから。僕みたいな、地味な眼鏡とはやっぱり不釣り合いなんだ。
 
「ごめんね、僕、同じクラスでもないのに。いつもいつも、迷惑だったよね。ごめん、ほんとごめん」

 涙を拭おうと指で下瞼を擦り、そういやお化粧をしていたことを思い出す。せっかく兎崎君がきれいにしてくれたのに、申し訳ない。

「直して来る。ついでに、着替えて来るね」

 それで、ドレスを遠藤君に返して、それで、僕はもう早退しちゃおうかな。とてもじゃないけど、このまま平気な顔で過ごせる自信がない。それじゃ着替えるためにもう一回トイレに行って――、と立ち上がりかけた時だった。
 
「待って」

 と手を引かれた。
 
「ごめん。違う。間違えた。そうじゃなくて」
「良いよ、萩ちゃん。無理しないで。困らせてごめん」

 萩ちゃんは優しいから。僕が泣いてしまったから、まずったと思ったのだろう。正直に言うにしても、もっと僕を傷つけない言葉にすれば良かったとか、そういうことを考えているかもしれない。困らせて本当にごめんね。

「もう謝んな。違うから。いまのは俺が間違えただけだから」
「間違えたって、何を?」

 そのまま引っ張られて、再び座り直す。

 と。

「萩ちゃん……?」

 何が起こったのか、一瞬わからなかった。
 ばさ、とマントが風を含んだ音がして、次の瞬間には、僕は萩ちゃんに抱き締められていたのだ。

「違うんだ夜宵。俺が言いたかったのは、そういうんじゃなくて」

 萩ちゃんの腕に力がこもる。ちょっと苦しい。思わず「苦しいよ」と声が出てしまった。萩ちゃんは、小さく「ごめん」と呟いたけど、力を少し緩めただけで、離れたりはしなかった。

「その、親友は、親友なんだけど、その、それだけじゃないっていうか」
「親友ではあるの? 僕もそう思ってて良い?」

 親友は親友、の言葉に、ホッとする。良かった、まだその位置にはいるらしい。

「それはもちろんそうなんだけど、出来れば、俺と同じ気持ちでいてほしいっていうか」
「萩ちゃんと?」

 何だろう。
 親友は親友だけど、それだけじゃまだ何か足りないのだろうか。

 萩ちゃんの身体が、ぐっ、と強張る。

「俺! その、夜宵と、こ、こ――」
「遠藤君、だったね」
「ハイ……」
「矢萩君のクラスの委員長と聞いているよ」
「えぇ、まぁ」
「随分と多才な方だって、夜宵が感心しておりましたわ」
「こ、光栄です……」
「それで? 今回は脚本家兼監督、と。演目は白雪姫だっけ」
「あの、えぇ、はい」

 俺の目の前には、神田ファミリーがいる。向かって右から、お父さんの純冶(すみや)さん、お母さんの亜耶(あや)さん、そしてお姉さんの弥栄さんだ。なんていうか、この両親から生まれたらああなるわな、って思わず納得してしまうような、ふんわりおっとりした美男美女――この場合美紳士美淑女って言った方が良いのだろうか――である。そして、お姉さんの弥栄さん、めっちゃくちゃ美人じゃねぇか。劇のために化粧させた神田とよく似ている。

 その三人に、俺はいま、半ば詰められてるような状況である。絵的にはカツアゲ現場だ。

「いや、私達はね、別に怒っているわけではないんだ。ただね、夜宵が劇に飛び入り参加したと聞いてね。驚いたよ。クラス展示なんてのんきに見ている場合ではなかった」
「しかも姫役で、矢萩君のお相手をなさったそうで」
「そんなの絶対におさめたかったに決まってるじゃない!」

 そう言って、弥栄さんが、手に持っていたバズーカみたいな一眼レフを突き出す。えっとそれ、天体観測とかするやつですか? よく見たらご両親も、何かごっつい双眼鏡とハンカチを持っている。見る準備も、泣く準備も出来ているご様子。

「午前の方はもう仕方がない。急に決まったことなのだろうしね。だが、公演はこの後、午後にも、それから明日にもあると聞いたよ。どうなのかね、遠藤君。午後の部も夜宵は姫役で出るのかね。出ると言ってくれたまえ」
「私達、それを聞いて有休を叩きつけてきたんですのよ」
「どうなの遠藤君。矢萩君の相手なんて夜宵以外にいないよね?! どうなの?!」

 ぐいぐいと迫りくる、顔面偏差値七十超えの面々である。圧がすごい。ご両親の職場は、有休は叩き付けないともらえないところなのだろうか。

「あ、あの、ていうか……」

 落ち着いて、落ち着いて、どうどう、と両手をかざして距離を取る。

「ええと、その、皆さんは神田……君と、南城の関係について、どう、お考え、に?」

 恐る恐る尋ねてみる。

 すると、純冶さんが、「どう、とは?」と眼鏡の奥の瞳を眇め、眉をぴくりと動かした。いまの反応からして、三人共、単なる仲の良い幼馴染み同士以上の何かを期待しているように思えたんだが、そう思っていたのは俺だけだったのかもしれない。ちょっと早計だったか? と背中を嫌な汗が流れる。

「どうって、つまりですね――」

 ここからどうにかごまかせるか? そう思いつつ、しどろもどろに次の言葉を探していると――、

「私の立場からこんなことを言うのもアレだが、まぁ、『矢×夜』かな、と」

 !?

「待ってパパ。夜宵はああ見えて結構男前なのよ? 矢萩君をぐいっと引っ張っていくかもしれないじゃない。私は『夜×矢』だと思う」
「やぁちゃん、私も夜宵が意外と男前なのは否定しないけれど、あの子の性格上、矢萩君にリードされたいと思うのよね。そうだわ! 間を取って、リバでどうかしら!」
 
 ぱん、と両手を合わせ、一番とんでもないことを口走ったのは亜耶さんだ。リバ、つまり、カップリング内での受け攻めを固定しないというやつだ。これを地雷設定している腐女子は多い。えっ、何この家族。ていうか、お父さん、あなた自分の息子が受けでもアリなんですか!? それ以前にBL用語が普通に飛び交ってんの、この家?!

「夜宵が意外と男前なのは私も認めているところだが、少々気持ちが優しすぎるというか、ネガティブすぎるところがあってね。毎年バレンタインだって何やら頑張って手作りしているようなんだが、結局渡せなかったりしてねぇ」
「毎年毎年、『萩ちゃん、今年もたくさんもらってた』ってしょんぼりしながら帰って来て、めそめそしながらそれを食べてるのよ? あんなの、こっちの胸が締め付けられるわよ。でも今年はそれがなかったから、進展したと思ったのに、全然なのよねぇ」
「やぁちゃん、夜宵はね、繊細なのよ。ママ、あなたも少し夜宵を見習ってほしいぐらいだわ」
「どうしても矢萩君と同じところに通いたかったのだろう、この学校の素晴らしさを我々に二時間かけてプレゼンした時のあの情熱はどこに行ってしまったのか。正直我々としても、じれったくて仕方がないんだよ、遠藤君」

 わかるかね、と詰められれば、こくこくと強く頷くしかない。親説得するために二時間プレゼンって、中学の時から仕上がってんな、神田。
 そりゃあ俺だって、一刻も早くあの二人をくっつけてしまいたいのである。しかも、神田家はこの通り、BのLでもウェルカムらしい。となれば俄然やる気も湧いてくるというものである。

 が、そうなると気になるのはもう片方だ。
 正直、お堅いイメージの神田家の方が、同性愛には難色を示すような気がしていたが、逆に体育会系の南城家の方がその辺は厳しいのかもしれない。

 そんなことを思っていると――、

「おお、いたいた、遠藤君!」

 馬鹿みたいにデカい声が聞こえ、俺は振り返った。こっちは行事のあれやこれやで、多少の面識はある。そう、もうおわかりだろう、南城ファミリーである。

 こちらもこちらでご両親プラスお兄さんのフルメンバーだ。お父さんの隆哉(たかや)さんに、お母さんの沙也子(さやこ)さん、そしてお兄さんの椰潮さんである。

「お、純冶さんトコもいらしてましたか!」
「亜耶ちゃん、お休み取れたの~? 良かったわねぇ~!」
「弥栄さん、本日もお綺麗で!」

 急に騒がしくなったな。ここん家、スポーツ一家だけあって、語尾に『!』が見えるんだよ。もうちょいトーンを落としてくれ。

「あぁ隆哉君。見ました、さっきの劇?」
「もちろん見ましたとも! いやぁ、トンビが鷹を生んだとは正にこのことで、矢萩はあれでなかなかのイケメンですから! ねぇ、ママ!?」
「ほんっと! 我が子ながら、とんでもない王子っぷりだったわよねぇ!」
「矢萩はあれで脱いでもイケるからな! 最後、ノリで脱げば良かったのに!」

 良いわけがない。ノリで俺の劇を壊すな。

「それで、ウチの夜宵も出たとか」
「そうなんですよ! 途中までは南城ジム(ウチ)にスカウトしたいくらいのムキムキ姫だったのに、最後、棺の中からとんでもない美人が出て来て、観客席騒然でしたから!」
「弥栄ちゃんにそっくりの美人さんに仕上がってましたよ!」
「ということは?!」
「したんですの!? 矢萩君と?!」
「どうなんですか、おじさんおばさん! その決定的瞬間は?!」

 さっきまで俺に迫ってきたのとは比べ物にならない圧で南城家に詰め寄るが、さすがは筋肉一家、びくともしねぇ。

「それがねぇ……」

 その時ばかりは『!』も鳴りを潜め、気持ちトーンを落とした沙也子さんが、いかにしてあの白雪姫が幕を閉じたかを説明した。すると――、

「遠藤君!」
「ひぃっ!」

 さっきまで(顔面の圧はあったけど)終始温和だった純冶さんが俺の両肩を掴み、声を荒らげた。

「どういうことかね?! 白雪姫にはそんな、小人達乱入によるキスシーン強制カットのダンスパーティーエンドなんていう解釈があるのかね?! 第何刷の話を採用したのかね?! まさか君オリジナルではあるまいな!?」
「違います! 断固として違います! あれは演劇部の謀反で――!」
「謀反だと!? 君はそんな裏切り者をのさばらせておくのか!? 世が世なら打首獄門かギロチンだぞ!? 午後の部は!? 明日の公演はどうなるんだね!?」
「さ、させません! 男・遠藤! 次も、明日も、縄で縛りつけてでも、止めて見せます!」
「よく言ったわ遠藤君!」
「これで矢萩君と夜宵のキスシーンが見られるのね!? 楽しみだわ! S席のチケットはいくらなの?! まだ残ってる?! いまの私なら転売屋からでも買う覚悟よ!」

 待って。
 待って神田ファミリー。まだ南城ファミリーが二人の関係についてどう思っているのか確認してない。特に弥栄さん、キスシーン云々の発言はヤバくないですか!? あと、チケットは販売しておりません! 早めに並んでお好きな席へどうぞ! 転売屋からは買うな!

「いやぁ、ウチの息子が不甲斐ないせいで、すみませんね、ほんとに!」
「見た目に反して奥手なのはパパに似たのよ、もう! この人ったら、私と付き合ってる時だって手を繋ぐまでに半年かかったのよ?!」
「俺に相談してくれれば良かったのになぁ! ワハハ!」

 どうやら南城が見た目に反してヘタレなのは父親譲りらしい。

「ああそうそう、こんなことをしている場合じゃないんだ、遠藤君!」

 手を繋ぐのに半年もの時間を要する男、隆哉さんが、ぽん、と手を打った。

「矢萩と夜宵君を知らないか?! 何かさっき、やけに完成度の高い王子と姫が腕を組みながら歩いているという情報を入手したんだ!」
「そうそう、そうなのよ! もうどう考えたって矢萩と夜宵君でしょ?! だから私達、陰からそっと見守ろうと思って!」

 そんなオール語尾に『!』つけた状態で? そっと見守るとか出来るの、この夫婦!?

「俺はばっちり記録を残すつもりだ!」

 じゃじゃーん! と暑苦しい効果音付きで、弥栄さんのよりは幾分かレンズが大人しめな一眼レフを取り出す。

 ていうかお前も一眼持って来たのか! もう絶対それフラッシュとかシャッター音とかどぎついやつだろ!? そんなことはないのかもしれないけど、持ち主に似そうなんだよ。そのフラッシュは何千ルーメンなんだ! 絶対盗撮に向かないやつだろ! いや、それはそれで堂々としてて良いのかな……?

 まぁとりあえず、この感じからして南城家も大丈夫そうではある。
 そんなこんなで、すったもんだあったけれども、とにもかくにも、なんやかんやで、イチャラブ校内デートを楽しんでいるはずの二人を捜索することになった俺 with 南城・神田ファミリーである。

「本当にこっちなのかね、遠藤君。何だか人気がないんだが」
「間違いありません。俺を信じてください」
「随分と広い校舎ねぇ」
「でもそんなに生徒数いたっけ? クラスだって四クラスしかなかったような」
「いまはそうなんですけども、いまから数十年前はここ、クラスも八つだか九つあって、生徒が千人くらいいたんですよ。だけどほら、少子化ですから」
「成る程、それでこんなに空き教室があるわけか」

 質問自体は多いものの、声量も抑えめな神田家はともかく、とにかくうるさい南城ファミリーには、何度もしつこくお口にチャックと念を押しておいた。一応三人共分別のつく大人だ。しっかり守ってくれている。

「この空き教室で、具体的にナニをとは言わないが、まぁ……青春を育むわけだね」

 純冶さんはどうやらなかなかの妄想力をお持ちのようだ。やめろやめろ。俺らの神聖な学び舎を何だと思ってるんですか。ただまぁ、それはその通りなんだけど。

 妙に満足気な純冶さんは、後ろを歩く隆哉さんに「時に隆哉君」と声をかけた。

「君は、『矢×夜』かね。それとも『夜×矢』かね」

 まさか自分達の父親がこんな談議に花を咲かせているなんて、あいつらは微塵も考えてないんだろうな。ていうか、たぶん隣に住む幼馴染み(♂)のことが恋愛的な意味で好きなんて言ってなかっただろうし。家族にまでバレてるなんて普通は思わんて。今日バレるかもだけど。

「俺は、『矢×夜』ですね。矢萩はヘタレですけど、ヘタレが頑張る展開って応援したくなる質で」

 隆矢さん『!』つけなくてもしゃべれるんだ! ヘタレが頑張る展開を応援したくなるのはパーソナルトレーナーの(さが)とかなんだろうか。

「あら、私は『夜×矢』も捨てがたいと思うわ。あの子には無理よ、夜宵君をリードするなんて。夜宵君の方がしっかりしてるじゃない」
「しかし、腕力では矢萩の方が」
「何でも腕力でどうこうしようとするの、パパの悪い癖よ?」
「まぁまぁ父さんも母さんも落ち着いて。ここは一つ平和にじゃんけんで」

 椰潮さん(お前)はもう黙ってろ。

 そうこうするうちに、俺達は校舎の奥、最も人気のないクラス展示のコーナーへと足を踏み入れた。人気がないと言い切ってしまうのは準備をした生徒達に失礼かもしれないが、彼らが「めんどくさいし、展示でよくねぇ?」の精神で設営をしているのを俺は知っている。そして、そんな気持ちで作られた空間など、余程のもの好きくらいしか来ない。旧校舎との境目ということもあって、暖房の効きも悪く、少々寒いので、一応休憩用の椅子やテーブルはあるものの長居をする人はほぼいない。

 予想通り、そんな場所に二人はいた。

「だ、抱き合っているぞ、遠藤君」
「俺にも見えています。ですから、少々お静かに」

 角に隠れ腰を落として、興奮気味の純冶さんをなだめる。女性陣は無言で己のスマートフォンを取り出し、撮影を開始した。ちゃんと音が消せるアプリを入れているらしい。さすがの配慮である。前世は隠密か? おいおいおいおいおい椰潮さん、ピロリン♪ じゃねぇんだよ。聞こえてないようだから良かったものの、世が世なら市中引き回しの刑だからな?

「萩ちゃん……?」
「違うんだ夜宵。俺が言いたかったのは、そういうんじゃなくて」

 この俺としたことが、残念なことに、『そういうんじゃなくて』に至った経緯を見逃してしまったが、ただ、どこからどう見てもクライマックスである。一体何が『そういうんじゃない』んだ。ここまでしっかり抱き合っといて何言ってるんだお前。

「その、親友は、親友なんだけど、その、それだけじゃないっていうか」
「親友ではあるの? 僕もそう思ってていい?」
「それはもちろんそうなんだけど、出来れば、俺と同じ気持ちでいてほしいっていうか」
「萩ちゃんと?」

 おっ!?
 何が何やらわからないが、どうやらこれは告白シーンのようである。お口にチャック状態の南城夫妻が小刻みに震えている。えっと、呼吸はしていただいても結構ですよ。

「俺! その、夜宵と、こ、こ――」

 こ?!
 こ?!

 俺 with 南城・神田両家(オーディエンス)の心が一つになる。

 やれ、南城!
 決めろ!
 
 男なら!

「こ、こここ、ここ」

 ヤバい!
 ニワトリ化してきた!
 堪えろ! 踏ん張れ!
 
 手に汗握る展開である。
 いますぐ駆け出して、「リピートアフターミー、『恋人(KOI-BITO)』」とそっと耳打ちしてやりたい。的確な指示を出してやりたいがぐっと我慢だ。甘やかすばかりでは駄目だ。時には心を鬼にして見守ることも大事なのだ。ちらりと南城・神田両家を見る。皆、同じ気持ちなのだろう、俺と視線を合わせて、静かに頷いてくれた。椰潮さんだけはサムズアップまでしてきてなんか暑苦しかったので若干無視だ。

「心の友になってくれ!」

 ?!

 やっぱり日和った――!
 てめぇ南城!
 お前は知らないかもしれないけどな?
 いまここ参観日してたからな?
 日頃の頑張りを見せるところだったんだよ!
 ああもうほら、純冶さんと隆哉さんが目を覆って天を仰いでるじゃないか!

「こ、心の友?!」

 ほらぁ、神田も困惑してるよ。
 絶対『恋人』って来ると思ってた顔だぞあれは。第一『心の友』って何なんだよ。それは友情ランクだと親友よりも上なのか下なのかどっちなんだ?!

「萩ちゃん、心の友っていうのは――?」

 だよな。
 そこ疑問だよな?
 返答によっちゃあいまの関係よりもランクダウンするやつだもんな?!

「も、もちろん! 親友以上だ、以上!」
「以上! そうなんだ!」

 そうなんだ! じゃねぇよ神田! 何でそんな嬉しそうな顔出来るのお前! お前もお前で何でそんな馬鹿なんだよ! お前こないだのテスト学年一位じゃなかった?! ああでも、お母さんズが「あらあらウチの子ったら純粋ね」「ほんと夜宵君は癒されるわぁ」と目を細めてる! 弥栄さんに至っては「男前でピュアの末っ子長男黒髪眼鏡攻めなんて属性が多すぎるわよ」とぶつぶつ呟いている。この人、まだ『夜×矢』の可能性を捨ててない! 
 
「だから、その、これからも、ずっと俺の一番でいてほしい、っていうか」
「もちろんだよ、萩ちゃん。僕も萩ちゃんに一番でいてほしい。その、これからも、ずっと」
「おう、ずっとな」
「うん、ずっと」

 おっ、これはちょっと進展したのでは?
 もう少し見守っていたら、キスくらいはするんじゃないか? 

 などと思ってると。

 パン、パン、と後ろから、手を打ち鳴らす音が聞こえて、慌てて振り向いた。そこには、流れる涙を拭いもせず、ただただ感動に打ち震えながら拍手をする純冶さんの姿が!

 馬鹿――っ!
 
 そんな彼の姿に心を動かされたのだろう、残りのメンバーも次々と拍手をし始めた。女性陣すらもスマホをしまって、微笑みながら手を打ち鳴らしている。
 
 えっ、何これ?!

 こうなるとさすがに二人も気付かないわけがない。

「はぁ?! と、ととと父さん?! 母さんに、兄貴まで! 何で?!」
「お父さんお母さんお姉ちゃん! えっ、何で泣いてるの?! あっ、もしかして僕が女装してるから?! 違うんだよ、そういう趣味に目覚めたとかじゃなくて――!」

 二人は同時に離れ、わたわたと衣装を直しつつ、真っ赤な顔で立ち上がった。神田は恰好が恰好なだけに気まずいだろう。

 けれど、そんな二人を家族はうんと慈愛に満ちた目で見守っているのだ。これはこれでいたたまれない。

「ていうか遠藤お前! 何連れて来てんだ、馬鹿!」

 いや、お前には馬鹿とか言われたくないし。いや、当初の予定では、ちょっと見守って、あとはサッと退散するつもりだったというか。

「矢萩君、ウチの夜宵をどうかよろしく」
「へ? あ、はい。えっと……?」
「夜宵君、ほんと、ウチのがヘタレですまんな!」
「いえ、萩ちゃんはヘタレなんかじゃ」

 それぞれの相手の父親から握手を求められた二人は、それに応じつつも頭上に大量の『?』を浮かべている。そこへお母さんズがやって来て、

「今日は皆でご飯にしましょ? ね? それが良いわ、お母さんお赤飯炊いちゃう!」
「それ良いわね! それなら私、唐揚げ大量に揚げるわ!」
「よーし、お姉ちゃんケーキ買ってくる! 椰潮君、車出して!」
「かしこまりましたァ!」

 何が何やらわからないが、どうやらこの人達の中ではカップル成立したらしい。えっ、嘘、俺にはわからなかったけど、そんな瞬間あった? ズッ友じゃなかった? それともアレ? 大人の世界では別に「好き」とか「付き合って」みたいな明確な文言がなくてもアリなの?! 

 
 ……そんなこんなで、すったもんだあったけれども、とにもかくにも、なんやかんやで、とりあえずは一件落着、ということなのだろう。

 ちなみに、午後の公演では、この校内デートの様子がSNSで拡散されたために、その手の方々が我が校へと大挙して押し寄せ、先生方は駐車場の整備に駆り出され、観客席はパンクした。盗撮行為は厳しく取り締まったはずなのに、たった一枚、それをすり抜けたものがあり、ここまでの騒ぎに発展したのである。ちなみに、その一枚というのが椰潮さん(あのアホ)の『ピロリン♪』のやつだった。

 もちろん棺の中は神田白雪がスタンバイしたが、ヤハギ王子がヘタレにヘタレたためにDJポリスは再出動する形となり、そうこうしているうちに棺から毒林檎で死んでいるはずの姫の手が伸びて来て、王子の襟を掴んで引きずり込むというホラー展開再びである。けれどどうやら今度こそ、棺の中で何かが起こったらしい。棺から顔を上げたヤハギ王子と、息を吹き返したヤヨイ姫の顔が、えっ、救急車呼ぶ……? というくらいに真っ赤だったからだ。それでこそ『白雪姫』だと、観客席は芸能人の記者会見解錠ばりにシャッター音とフラッシュで埋め尽くされたし、割れんばかりの拍手と歓声で大盛り上がりである。

 だが、俺にはわかる。
 
 口にはしていない。
 せいぜいほっぺかおでこだ。
 口だったら双方あんなもんでは済まない。
 そして、呼ぶのは救急車じゃない、神父だ。

 けれども、この二人にしてはよくやった、と褒めてやるべきなんだろうな。

 キスをしたのならば良いだろうという判断の元、やっぱり小人達乱入からのダンスパーティーになって騒がしくも幕を下ろした舞台を見て――、

 白雪姫(この劇)でも駄目なら、あとはもうクリスマスに賭けるしかない。

 そう思うことにした俺である。
『話は三週間ほど前に遡る――』
『狩りの途中で道に迷ったヤハギ王子は、どこからともなく聞こえてくる美しい歌声に馬を止めた』

 満員御礼、立見席まで設けられた二年C組の劇『白雪姫』、午後の部である。
 脚本家兼監督である遠藤の『白雪姫エピソード0作戦』が遂行される中、とりあえずは『親友』よりもワンランク上、『恋人』ポジションに王手をかけた状態との自覚はあるヤハギ王子は、己の内にある勇気の欠片を片っ端からかき集めていた。

 夜宵はさっき「しても良いよ」って言ってた。
 親友以上だとも言ったし、ずっと一番でいてくれるとも言ってた。
 
 そう何度も言い聞かせ、ダンボール製の棺の縁をぎゅっと握る。

 本人からのOKが出ている以上、「やっぱヤダ」なんて展開にはならないはずだ。頭ではわかっている。したい気持ちもある。だから、いま躊躇っているのは、もう純粋に恥ずかしいだけなのである。

 と。

 やはり動いたのは夜宵からだった。
 午前の部と同じように、そっと王子衣装の襟を掴んで、引き寄せる。目をうっすらと開け、まっすぐに矢萩を見つめた。

 いいよ

 唇の動きだけでそう言う。
 
 声を出しても聞こえないはずだ。
 何せいまは遠藤(DJポリス)のリサイタル真っただ中である。

 けれども、声は出さずに、微かな口の動きだけでそう告げる。それを受けた矢萩は、ぐっと下唇を噛んで小さく頷いた。縁にかけていた手を棺の中に入れ、上半身を全部突っ込むような姿勢になる。客席からはどよめきが起こった。明らかにスマホのものではないシャッター音が鳴り響き、記者会見のようなフラッシュが浴びせられる。さすがの遠藤も歌っている場合ではない。

 これはさすがにやったな。

 客席の誰もが思った。
 遠藤もそう思いかけた。
 けれど、これまでの二人を思い返し、「まぁやったとしてもせいぜい頬か額だろうな」と、期待しそうになる自分を落ち着かせた。

 せいぜい頬か額、という遠藤の読みは一応当たってはいた。

 矢萩がしたのは、額へのキスだったのである。
 やはり最後の最後で日和ったか、というと――、そういうわけではない。

「……萩ちゃん?」

 嬉しさも当然あるけれど、それでも少しだけ残念な気持ちで、夜宵はそっとその名を呼んだ。顔が熱い。心臓の音がうるさい。目覚めのキスが終わったのなら、息を吹き返したことにして起き上がらなくてはならないのに、目の前の王子様はまだ、真っ赤な顔のまま、何やら言いたげな表情で自分を見下ろしている。

「好き」

 その二文字を吐き出すと、矢萩は大きく息を吐いて、夜宵の肩の辺りに頭を乗せた。

「夜宵は?」

 その状態で、ぽつり、と言う。ふわふわと柔らかい猫っ毛を優しく撫で、夜宵もまた「僕も、萩ちゃんが好き」、と震える声でそう返した。

 くぅぅ、だか、きゅぅぅ、だか、とにかく喉の奥からそんな声を絞り出して、矢萩は顔を上げた。喜びに緩む頬をぐっと引き締めつつ、夜宵の背中に手を回し、ゆっくりと起き上がらせながら耳元で「あとでちゃんとキスさせて」と囁く。言った矢萩も、頷いた夜宵も、救急車が必要になるほどの赤面である。さすがにこの密やかなやりとりまでは伝わっていないものの、まるで初夜でも済ませたかのように照れている王子と姫を、観客達は割れんばかりの歓声と拍手で祝福した。

 ハッピーエンド請負人・遠藤が「まぁどうせほっぺかデコチューだろうな。でもこの二人にしては――」などと高を括っていたその裏で、彼が思っている以上の駒を進めていた矢萩と夜宵であった。この二人だってやる時はやるのだ。

 その初々しい二人が誓いのキスを交わしたのは、南城・神田家合同夕食会の時である。両家の家族がやんやと盛り上がる中、その場をこっそり抜け出した主役達は、その喧騒をBGMにひっそりと唇を重ね合わせた。場所は夜宵の部屋だった。


 文化祭初日が終わり、「白雪姫(この劇)でも駄目なら、あとはもうクリスマスに賭けるしかない」、そんな決意を胸に文化祭二日目を迎えた遠藤は、カップル成立した二人のラブラブな空気を察知して感涙に噎び、過呼吸を起こして保健室に運ばれることとなるのだが、それはまた別の話である。

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