なんやかんやで!〜両片想いの南城矢萩と神田夜宵をどうにかくっつけたいハッピーエンド請負人・遠藤初陽の奔走〜

 何とかお姫様抱っこをやめて、おんぶにしてもらい、しんと静まり返った廊下を歩く。萩ちゃんの体温と、規則的な揺れが心地よく、そんな場合じゃないとわかっているのに、ちょっとうとうとしそうになる。

 だけどさすがにここで寝るわけにはいかない。何か、会話でもしないと。そう考えた時に、ふと浮かんだのは、借り物の札だ。あれは本当に『眼鏡』、ないしは『眼鏡をかけた人』だったのだろうか。まぁ、十中八九そうだとは思うけど。だってそうじゃなきゃ僕を選ぶ理由がない。

 でも実はあの場には、高野君という陸上部の眼鏡君がいたのだ。陸上部は代表リレーや徒競走に出られないという制限はあるが、時の運の要素がある借り物には出られる。だからもちろん、借りられる側でもOKのはずだ。

 それなのに萩ちゃんは僕を選んだ。すごく嬉しかったけど、でも、本気で一位を取ろうと思ったら、確実に僕ではないはずだ。それが気になって。もしかしたら、高野君の眼鏡では駄目だったのかもしれない。彼のは太めの黒縁だし。そういうことだろうか。いや、そんな細かい指定あるかな?

「借り物のお題って、やっぱり『眼鏡をかけた人』だったの?」

 そう尋ねると、萩ちゃんは、何だかものすごく動揺した。

「――ウッ、え、えっと、何でそんなこと聞くんだ?」
「いや、もしそうなら、近くに陸上部の高野君もいたから、どう考えてもあっちを選ぶべきだったんじゃないかな、って。いまさらだけど」
 
 高野君は身長だって萩ちゃんと同じくらいだし、足も速い。絶対に彼の方が走りやすい。

「や、やだった……よな? 俺ちょっと強引だったかも、だし。結局、怪我もさせちまったし。お姫様抱っことか恥ずかしかったよな。ごめん、マジで」

 えっ、うわ、どうしよ。この反応は想定外だった! 違う! そうじゃないんだよ萩ちゃん!

「ちっ、違っ! やじゃない! 嫌とかそういうことじゃなくて! 同じ眼鏡なら、僕より高野君の方が速いから、そっちの方が良かったんじゃないかと思って、それで。結果的に一位だったから良かったけど、僕は、萩ちゃんに一位取ってほしくて、だけど僕ならきっと足手まといになっちゃうから。でも」

 萩ちゃんの背中が小さく震えていたから。
 彼を悲しませてしまったと焦って、僕はどうにか気持ちを伝えねばと、言葉を並べた。

 でも。
 でも、僕はね。

「僕を選んでくれたの、嬉しかった。ほんとは最後まで萩ちゃんと二人三脚で一緒に走りたかった」

 別に最後の体育祭ってわけじゃない。だけど、もしかしたら来年は『誰かの萩ちゃん』になってるかもしれない。僕は、萩ちゃんとの、どんな一瞬もほしいんだ。どんな些細なことでも、誰のものにもなってない萩ちゃんとの思い出がほしかった。

「だけど、僕の方こそ、ごめん。僕はいつも肝心な時に駄目だね」

 中学生の頃、流星群がすごい年があって、僕達はそれぞれの両親から承諾をもらい、二人で家の裏にある公園にテントを張ってお泊まりする計画を立てた。その時も、僕は楽しみすぎて熱を出し、結局それは叶わなかったのだ。

 だけど萩ちゃんは、

「大丈夫、俺に任せろ!」

 そんな頼もしいことを言って、一人で計画を遂行し、流星群をテレビ電話で見せてくれた。病人なのに夜更かしさせてごめんなんて済まなそうに笑いながら。画質の悪いキッズスマホでは流星群なんてほとんど見えなかったけど、たった一人で深夜の公園なんて心細かっただろうに、萩ちゃんは僕のためにしてくれたのだ。

 萩ちゃんはいつだって優しい。僕はその度に萩ちゃんを好きになって、好きの気持ちを濃くしてしまうけど、同時に虚しくもある。どうして僕は女の子じゃなかったんだろう、って。僕が得られるのは、萩ちゃんの背中の体温がギリギリだ。そんなことを考えると、鼻の奥がつんとしてくる。もう高校生なのに、どうして僕はすぐ泣いてしまうんだろう。

「駄目じゃねぇよ。これからもいつだって走れば良いじゃんか」
「体育祭でもないのに? 二人三脚?」
「良いじゃん。流行らせようぜ」
「あはは。流行るかな」
「流行る流行る、大丈夫」

 やっぱり萩ちゃんは優しい。
 僕のこんなワガママも聞いてくれる。だからもしかして、僕が好きって伝えても、俺も好きだよ、なんて笑ってくれるんじゃないかなんて期待してしまうんだ。君と僕の『好き』は絶対に違うのに。

「夜宵、あのさ」

 保健室に着き床に下ろしてもらうと、萩ちゃんが何やら神妙な顔つきで「あの、借り物のお題なんだけど」と言った。何だかものすごく言いにくそうだ。何だろ。

「眼鏡じゃないんだ。眼鏡をかけた人でもない」
「そうなんだ、じゃあ、何だったの?」
「あれは、その、たい――」

 たい、の続きは、引き戸の開く音で消されてしまった。たい……、たい? 『たい』から始まる、僕に関する言葉って何があるかな。しかも、萩ちゃんのこの表情からして、たぶん僕にはすごく言いづらいやつだ。

 あっ! もしかして『体育が苦手な人』!? だとしたら高野君ではない、確実に! あーもー絶対に僕だよそれなら。うわぁ、萩ちゃん、それならもう言ってくれなくても良いよぉ。あぁ、ショックだなぁ。自覚はしてるけどさ。

 戸を開けて現れたのは、この保健室の主、門別先生だ。北海道出身で、肌の色が雪のように白い。背が高くてモデルみたいな体型をしていて、肩まである髪をいつも後ろで束ねている。『門別』というのは北海道の地名で、確か日高の方にある町の名前だったはずだ。血圧が低いらしくて、いつもなんだか気怠そうにしているのだが、それが妙に色気があるとかで、僕のクラスでも密かに人気だったりする。ええと、もちろん、そういう意味で。まぁ、男子校だしね、うん。

「こんなところで何をしているんです? 怪我ですか? それとも体調不良ですか?」

 僕は門別先生と萩ちゃんが話しているのを他人事のように見つめていた。最早足の痛みとか、そういや頬も擦りむいてたっけなとか、そんなことはどうでも良くなってた。それよりも、萩ちゃんに『体育が苦手な人』と思われていたのが悲しくて。まぁ、普段からさんざん苦手苦手って言ってるのは僕なんだけどさ。萩ちゃんから言われるとダメージが尋常ではない。

 どうしました? と名前を呼ばれ、捻った左足を軽く持ち上げてから、入室しようとひょこひょこ歩く。途中から先生に身体を支えられたりして。僕が言うことではないけど、門別先生、めちゃくちゃ細いのに、案外力持ちだ。

 先生は萩ちゃんにグラウンドへ戻るように言い、引き戸に手をかけた。ここの引き戸は、どんなに勢いをつけても、閉まる直前にブレーキがかかって静かに閉まるようになっている。また、軽くでも動かしさえすれば、最後まで勝手に閉まる。僕らが入学するずっと前に、勢い良く閉めた引き戸で生徒が指を切断するという痛ましい事故が起こったらしく、それ以来、校内の引き戸はすべてこのタイプになったのだそうだ。

「おや、頬も擦りむいているではありませんか」

 その引き戸が勝手に閉まり切る直前、先生の指が僕の頬をなぞった。痛みはなかったので、擦りむいた箇所に触れたわけではないらしい。結構酷いですか? と尋ねると、「全然?」と意味ありげに笑い、引き戸にちらりと視線を向けた。

「ただまぁそのきれいな頬に傷でも残れば大変です。消毒しましょう。若いからと言って過信せず、お肌は大事にするんですよ」

 私なんて若い頃遊びすぎてもうボロボロですよ、なんて笑いながら処置の準備をする門別先生は、イメージよりもずっと気さくだった。全然ボロボロじゃないし。

「だいたい、秋だって紫外線は強いんです。なのに君達はろくに日焼け止めも塗らずに……。日焼けを気にするなんて男らしくないとか言う人もいますけど、五年後、十年後に後悔するのはそういう人達なんですからね」

 ぶつぶつとそんなことを言いつつ、沁みても我慢ですよ、と頬を消毒してくれる。

「先生は日光アレルギーだと伺いましたが」

 処置が終わった後で、そう尋ねてみる。すると、先生は何やら驚いたような顔をしてから、ふるふると首を振った。

「そこまでではないです。ただ、日に焼けると、真っ赤になって酷いんですよ。ですので、外へ出る時はなるべく肌を出さないようにしているわけです。それに――」

 あまり露出するとうるさい人もいますから、と、何やら遠い目をして言う。僕の肩越しに、誰かを思い浮かべているようだ。たぶん、恋人だろうな。恋人の肌を見せたくないなんて、随分と独占欲がある彼女さんのようだ。まぁ、門別先生はきれいな人だし、それがこんなむさ苦しい男(僕らも含めて)しかいない職場で働いているのだから、何かと心配なのだろう。現にそういう目で見ている生徒はいるし。

 その後は足首に湿布を貼ってもらい、とりあえず今日一日様子を見て、腫れて来たり痛みが強くなったりしたら病院へ行くように、と指示を受けた。あとはこの湿布の上からテープを、という段になって、

『養護教諭門別先生、グラウンド本部テントBまでお越しください。繰り返します、養護教諭門別先生……』

 校内放送だ。
 この声は……遠藤君?

「おや、どうしたんでしょう。神田君、申し訳ありませんが、誰か代わりの人を呼んできますので、待っててもらえますか? あとはテーピングだけですから」
「あ、はい、大丈夫です」

 台の上にある紫外線対策セットらしきもの達に目もくれず行こうとするその背中に、「良いんですか、何も着けないで」と声をかけると、

「緊急性の高い呼び出しですから」

 と返して、カーテンの向こうへ行ってしまった。そういえば、お姉ちゃんが昔働いていたスーパーでは緊急性の高い店内放送は、従業員にしかわからない独特の言い回しがあると言っていたっけ。たぶんさっきのにも何か、そういうキーワードが含まれていたのだろう。

 カーテンの向こうで何やら話し声が聞こえてくる。萩ちゃんの声だ。まだいたんだ。どうしたんだろう。

 そんなことを考えていると、「夜宵、テーピング、先生に頼まれたんだけどさ。開けるな?」とそれは再び開かれた。
 カーテンの向こうにいた夜宵は、ジャージの裾を捲り、左足首を露出させた状態で座っていた。先生が言った通り、そこには湿布が貼られている。

「萩ちゃん、グラウンド戻らなかったの? ええと、これ、お願いします」
 
 不思議そうな顔で、テーブルの上に置いてあったテープを俺に渡してくる。まぁそうだよな。そこ、疑問だよな。どう考えてもグラウンドから駆け付けたにしては早すぎるし。ていうか、さっきの先生とのやりとりだって聞こえてただろうし。

「いや、その、まぁ」

 だけれども、正直に「なんか門別がエロい目でお前のことを見ている気がしたから、張ってました」なんて言えるわけがない。おっとり天然気味の夜宵のことだから、ワンチャン、「そうなんだ、萩ちゃん優しいね」なんて超解釈してくれる可能性もあるが、普通なら「考えすぎじゃない? ていうか、萩ちゃんがそういう風に僕を見てるから、そう見えちゃうんじゃないの? 萩ちゃんのえっち!」となるだろう。ていうか夜宵の口から「えっち」なんて単語が出て来る方が何かヤバいな……。って俺は何を考えてるんだ!

「何ていうか、その、心配で」
「そんな心配してくれなくても大丈夫だよ。とりあえず今日一日様子見て、痛くなったり腫れたりしたら明日病院に行く感じだって」

 そう言いながら、湿布を擦る。折れそうなほど――は言い過ぎだけど、俺よりも細い足首だ。

 さっきまで門別が座っていたであろう向かいの椅子に腰かけ、ビッ、とテープを出す。親がジム経営というのもあって、この手の作業は慣れてる。多少無理して筋を痛めてしまう初心者は多い。その度に父さんは「俺がついてたのに、情けない」と肩を落とすのである。怪我や無理をさせずに理想の身体を作るサポートをするのがパーソナルトレーナーであるわけだから、本来はあってはならないことだと。けれども、痛みや己の限界を知らせずに頑張ってしまう人はいるらしい。

 そんなの言わねぇやつが悪いじゃんと思っていたが、うん、確かにこれは堪える。どう考えても俺のせいだもんな。夜宵が言ってくれなかったことも含めて。父さんもきっと、無理をしていると気付けなかったことにももちろんだが、そもそもそれを言い出しやすい関係を作れていなかったことが悔しかったのだろう。いまならわかる。

「……何か変なことされなかったか?」

 テープを巻きながら、恐る恐るそう尋ねてみる。もし何かあったとしても、たぶん夜宵は、俺が聞かなければ自分からは言わない。

「変なことって?」
「いや、その、変にべたべた触られるとか? 必要以上に、っていうか」
「大丈夫だよ、全然」
「……ほんと?」
「どうして疑うの?」
「疑ってるっていうか、そういうんじゃなくて。いや、疑ってるのか? 何だ、ええと、クソ、わかんねぇ」
「わからないの? 何か萩ちゃん変だよ? どうしたの?」

 テープを巻き終え、置いてあったハサミで切る。巻き終わりが浮かないよう、足首全体を包むようにして軽く押さえた。

「あのさ、さっきの続きなんだけど」
「さっきのって?」
「その、借り物のお題。あれは――」
「ま、待って萩ちゃん!」

 意を決して『大切な人』と伝えようとしたところで、待ったが入る。何やらかなり慌てた様子の夜宵が、「良い良い、言わなくても! もうわかってるから!」と両手を俺の顔の前に出してきた。

「え? 何で? わかってるって、え?」
「なんていうか、その、それを聞いたら何か立ち直れない気がして」
「えぇっ!?」

 大切な人って言われるのそんなに嫌なの?!

「ごめん、なんて言ったら良いのかわかんないんだけど、その、たぶん、萩ちゃんが思ってる以上にダメージを受けることになりそうっていうか」

 えぇ――っ!?
 
「め、迷惑だった……?」
「違うよ! その、迷惑とかじゃなくて! 僕の気持ちの問題ってだけなんだけど、ほんと! ほんとに!」
「いやでも、俺はその」
「大丈夫! わかってる! ちゃんとわかってるから!」

 えっ、わかってるって何……?
 どこまでバレてんの……?

「ちょ、ちょっと待って夜宵。お前、え? わか、わかってんの?!」
「わかってるよ、そりゃ」
「嘘、俺そんな、わかりやすかった?! え? 嘘」
「だ、だって、普段から……」

 普段から――?!
 普段の俺のどんな態度で――?!

「え、ちょ、てことは、その、夜宵は、その、なんていうか」

 ヤバい、声が震える。
 どうしよう。

 俺が夜宵のこと、そういう風に思ってるってバレた上でってことだろ? てことは、めっちゃ迷惑に思ってたってことじゃん? 夜宵は優しいから「迷惑とかじゃない」なんて言ってくれてるけど、つまりはそういうことじゃん? 決定的なことは聞きたくないってことだろ?

「俺のこと、その、き、嫌いなん……?」

 その言葉と同時に、ぼろ、と涙が落ちた。
 おかしいな、俺、普段そんな泣く方じゃないのに。全然泣くつもりなんてなかったんだけど。

「えぇぇっ!? は、萩ちゃん? どうしたの!? 何で泣くの?!」
「だ、だって、そういうことだろ、お前」
「そんなことないよ! どうしてそうなっちゃうの?!」

 だって、と言いながら、ぐいっと袖で涙を拭う。

「全部わかってるんだろ。わかってて、聞きたくないんだろ」
「そ、そりゃそうだけど……。だって、僕にも一応、その、なけなしのプライドってものが……」

 プライド?
 
「プライド?」
「え? プライドっていうのは、日本語で言うと、自尊心とか、誇りとかそういう意味で――」
「違くて。それくらいわかるよ俺だって」
「ご、ごめん」
「そうじゃなくてさ。そこまで夜宵のプライドを傷つけるようなやつなのかよ」
「え?」
「だとしたら、やっぱり夜宵は俺のこと、嫌い――まではいかなくても、好きじゃないってことに」
「ならないよ! 何でなると思ったの? むしろ逆だよ! 僕はいよいよ萩ちゃんに情けないやつって愛想尽かされちゃうって思って」
「何でだよ。なるわけないじゃん!」
「だって!」

 一瞬、間があく。
 こうやって夜宵と言い合いになることなんて最近ではほぼない。うんと昔は、それこそ当時流行った漫画だかアニメだかで、どっちの好きなキャラが最強か、みたいなくだらない言い合いを良くしていたものである。

 だって、と夜宵が繰り返し、ぐっと下唇を噛む。言えば夜宵を傷つけることになるんだろうか。そう思ったけれども、何となくだが、夜宵は何か勘違いしているようにも思える。どうして俺が愛想を尽かすなんて結論に至るんだ。

 それに、『大切な人』って言葉は必ずしも、恋愛的な意味を含むとは限らない。もし仮に夜宵がそっちの意味で嫌がったら、「親友としてだよ」って逃げれば良い。そんなずるいことを考える。いや、親友として大切に思っていることももちろん間違いではないんだし。

「良いか、夜宵。よく聞け」
「やだ。聞きたくない!」
「頼むから。俺は、夜宵のこと、絶対に愛想尽かしたりなんてしないから」

 余程聞きたくないのだろう、両手で耳を塞いで、いやいや、と首を振る。
 どうしてそこまで頑なに聞いてくれないんだろう。
 俺のこと嫌いじゃないとは言ってくれたけど。

 ぎゅっと目まで瞑り、必死に耳を塞いでいる夜宵の、その細い手首をそっと掴む。怖がらせないよう、優しく握ったつもりだったが、驚いたのだろう、びくりと身体を強張らせている。塞いでいても、うんと近付けば聞こえるのではないかと浅知恵を働かせて、こつん、と額同士をくっつけた。

「お願い。ほんとに、夜宵を傷つけたいわけじゃないんだ。ただ俺は、『大切な人』って書いてあったから、そんなの、夜宵しかいないって思って」

 話しているうちに、強張っていた力が抜けていく。夜宵はというと、何だかぽかんとした顔をして、「ふえぇ」と気の抜けた声を発している。

「た、『体育の苦手な人』、じゃなくて……?」
「え、違うけど。何? お前、そんなお題だと思ってたのかよ!」
「だっ、だって、絶対眼鏡だと思ってたら、高野君じゃなくて僕だったし、それで、『たい』から始まる言葉なんて言ったら、もう『体育の苦手な人』しか浮かばなくて……!」
「そんなわけねぇだろ! お前、体育の成績なんぼだよ!」
「四だけど」
「四取れるやつは苦手じゃねぇんだよ!」
「だって、それは筆記で……」
「筆記だけで取れるか!」

 ああもうクソ、なんだよ夜宵ぃ~。ビビらせんじゃねぇよマジでよぉ~。

 俺もまた、「ぶへぇ」と息を吐く。そうしてから、いまだに夜宵の手首を掴んでいたことを思い出し、慌てて放した。

「し、しかし、アレだな! 俺達、マジで馬鹿みたいだな! ハハハ!」

 気まずい空気を吹き飛ばそうと、無理やり明るい声を出す。

「そうだね、馬鹿みたい。お互い勘違いして。でも、僕の方が馬鹿だね。萩ちゃんのこと疑うなんて」
「そうだぞ、俺を疑うなんて」
「ごめん。もう疑わないよ。萩ちゃん、僕のこと大切に思ってくれてるんだね」
「ンッ、お、おう! もちろんだよ! だ、大事な親友だしな!」
「……だよね。僕もそう思ってる。僕も萩ちゃんのこと、大切に思ってるよ」

 そうだ。大切に思ってることに変わりはないんだ。
 俺は、親友としてだけじゃなく、お前のこと、恋愛の対象として大切に思っているけど。
  
 カーテンの向こうの萩ちゃんは、何とも言えない複雑な表情をしていた。それで、僕を頭のてっぺんからつま先まで――って言っても僕は座った状態なんだけど――何かを確認でもするかのように見つめてきた。

 何だろ。僕なんかおかしなところあるのかな。髪の毛が乱れてるとか? いや、違うな。そうか、テーピング用のテープを探してるんだ。僕が持ってると思ったのかも。違う違う。テープはここ、テーブルの上だ。といっても届かないよな。僕が取らないと。

「萩ちゃん、グラウンド戻らなかったの? ええと、これ、お願いします」

 テープを受け取った萩ちゃんは、何だかしどろもどろだ。

「いや、その、まぁ。何ていうか、その、心配で」

 あぁ、そうだよね。萩ちゃんは自分が僕に怪我させたと思って責任を感じてるんだ。僕が鈍臭いだけなんだから気にしなくて良いのに。

「そんな心配してくれなくても大丈夫だよ。とりあえず今日一日様子見て、痛くなったり腫れたりしたら明日病院に行く感じだって」

 そう言いながら、湿布越しに患部に触れる。もうそこまで痛みはない。ただ、捻るとピリッとはするけど。

 さっきまで先生がかけていた椅子に座り、向かい合うと、萩ちゃんは慣れた手つきでテーピングしてくれた。萩ちゃん家はスポーツ一家なので、怪我はつきものらしく、小さい頃からお兄さんの椰潮さんに巻いたり巻かれたりしてたって言ってたっけ。

「……何か変なことされなかったか?」
「変なことって?」
「いや、その、変にべたべた触られるとか? 必要以上に、っていうか」
「大丈夫だよ、全然」
「……ほんと?」
「どうして疑うの?」
「疑ってるっていうか、そういうんじゃなくて。いや、疑ってるのか? 何だ、ええと、クソ、わかんねぇ」
「わからないの? 何か萩ちゃん変だよ? どうしたの?」

 今日の萩ちゃん、何だか変だ。
 僕に怪我させたこと、そんなに気にしてるのかな。なんて言ったら萩ちゃんは安心してくれるんだろう。

 萩ちゃんは僕の問いには答えず、ただ、唇をむぐむぐとさせながらテープを巻き終えた。処置に使ったハサミとテープを置いて、思い詰めたような顔で、僕を見つめる。

「あのさ、さっきの続きなんだけど」
「さっきのって?」
「その、借り物のお題。あれは――」
「ま、待って萩ちゃん! 良い良い、言わなくても! もうわかってるから!」

 やめて! ぶり返さないで!
 もう僕は足よりも胸が痛いよ!

 僕だってね、そりゃあ自覚はしてるけど、萩ちゃんから突きつけられたくないんだ。いままで何とかごまかしごまかしやって来たけど、やっぱりスポーツ万能の萩ちゃんの隣に立つのはふさわしくないんだろう。

 例え、そう思っているんだとしても、口にさえ出さなければセーフなのだ。逆に言うと、指摘されてしまったらおしまいなのである。

「え? 何で? わかってるって、え?」
「なんていうか、その、それを聞いたら何か立ち直れない気がして」
「えぇっ!?」

 だってだって、午前中の八百メートルだって三位だったもん。萩ちゃんはどんな種目でも一位だしさ。ほんと恰好悪いったらない。こんな鈍臭い僕が萩ちゃんの親友だなんて、おこがましいよね。

「ごめん、なんて言ったら良いのかわかんないんだけど、その、たぶん、萩ちゃんが思ってる以上にダメージを受けることになりそうっていうか」

 たぶん僕、しばらく学校来れないと思う。文化祭は……それぞれのクラスの出番が終わったら一緒に回る約束してるから行きたいけど、だけどどんな顔して行けば良いんだ!

「め、迷惑だった……?」
「違うよ! その、迷惑とかじゃなくて! 僕の気持ちの問題ってだけなんだけど、ほんと! ほんとに!」
「いやでも、俺はその」
「大丈夫! わかってる! ちゃんとわかってるから!」

 むしろ迷惑なのは萩ちゃんでしょ?! 僕、萩ちゃんの友達みたいに明るい感じでもないし、ほんと勉強だけだし、それにしたってそこまですごいわけでもないし!

「ちょ、ちょっと待って夜宵。お前、え? わか、わかってんの?!」
「わかってるよ、そりゃ」
「嘘、俺そんな、わかりやすかった?! え? 嘘」
「だ、だって、普段から……」

 わかってる。普段から僕がそう言ってるから、萩ちゃんはなんてことないと思って選んでくれたんだろうって。それに関しては僕が悪い。

「え、ちょ、てことは、その、夜宵は、その、なんていうか。俺のこと、その、き、嫌いなん……?」

 何言ってんの――?!
 萩ちゃん何言ってんの――?!
 
 むしろ好きだよ!
 僕は毎時間毎秒好きって叫びたいくらい君のことが好きだよ! 嫌いになることなんて未来永劫絶対にないよ! あり得ないよ! だけど僕は男だから。萩ちゃんの言う『好き』とは絶対に違う意味合いのやつだから。

 え、ちょっと待って。
 泣いてる! 萩ちゃんが泣いてる!? えっ、これ僕が泣かせたの!?

「えぇぇっ!? は、萩ちゃん? どうしたの!? 何で泣くの?!」
「だ、だって、そういうことだろ、お前」
「そんなことないよ! どうしてそうなっちゃうの?!」
「だって、全部わかってるんだろ。わかってて、聞きたくないんだろ」
「そ、そりゃそうだけど……。だって、僕にも一応、その、なけなしのプライドってものが……」

 上にばっかり伸びて、だけど筋肉なんてちょこっとしかつかなくて、ひょろひょろの僕だけど、それでも、男であることには変わりないし、好きな子のことはバシッと守りたい願望だってある。だけど、そんなの叶いそうにもない夢だってこともわかってる。だけど、僕にだって、一応男のプライドってやつくらいはあるんだ。……ちっちゃいけど。

 すると、萩ちゃんが「プライド?」と首を傾げた。あ、あれ? もしかして萩ちゃん「プライド」って言葉知らない……?

「え? プライドっていうのは、日本語で言うと、自尊心とか、誇りとかそういう意味で――」
「違くて。それくらいわかるよ俺だって」
「ご、ごめん」
「そうじゃなくてさ。そこまで夜宵のプライドを傷つけるようなやつなのかよ」
「え?」
「だとしたら、やっぱり夜宵は俺のこと、嫌い――まではいかなくても、好きじゃないってことに」
「ならないよ! 何でなると思ったの? むしろ逆だよ! 僕はいよいよ萩ちゃんに情けないやつって愛想尽かされちゃうって思って」
「何でだよ。なるわけないじゃん!」
「だって!」

 だって、萩ちゃんは恰好良いのだ。
 みんなから頼りにされて、周りを明るくして、人気者で。みんな、萩ちゃんのことが大好きなはずだ。萩ちゃんが嫌われる要素なんて一つもない。それなのに、僕みたいな鈍臭いやつが親友だなんて、マイナスにしかならないかもしれない。その上、その僕は、男なのに、萩ちゃんのことがそういう意味で好きなのだ。気持ち悪いって思うに決まってる。

 だから僕は少しでも萩ちゃんのプラスになれるような友達でいないといけないのに。何をやっても駄目だ。いつもいつも。

「良いか、夜宵。よく聞け」
「やだ。聞きたくない!」

 死刑宣告みたいなものだよ。
 僕はまだ、君と親友でいたい。
 君の汚点だなんて自覚したくない。

 思わず両手で耳を塞ぎ、目をギュっと閉じる。
 僕の耳にさえ入らなければ、聞こえていないのと同じだ。

 と。

 こわごわと、僕の手首に触れたものがある。それが萩ちゃんの指先だと気付くのにそう時間はかからなかった。だってこの場には、僕と萩ちゃんしかいない。萩ちゃんは、僕の両手首をそっと掴んできた。無理やり剥がそうとするでもなく、ただ、優しく握っている。次いで、僕の額に、こつん、と柔らかいものが触れた。目を瞑っててもわかる。これは、萩ちゃんの髪だ。萩ちゃんの髪は、猫っ毛で柔らかいのだ。手首と額から、じんわりと温かさが伝わってきて、力が抜ける。わずかに生まれた隙間に、萩ちゃんの優しい声が届く。

「お願い。ほんとに、夜宵を傷つけたいわけじゃないんだ。ただ俺は、『大切な人』って書いてあったから、そんなの、夜宵しかいないって思って」

 ――は?
 
 え、いま、え? 何? なんて?
 萩ちゃんいまなんて? いま『大切な人』って言った?!

「た、『体育の苦手な人』、じゃなくて……?」
「え、違うけど。何? お前、そんなお題だと思ってたのかよ!」
「だっ、だって、絶対眼鏡だと思ってたら、高野君じゃなくて僕だったし、それで、『たい』から始まる言葉なんて言ったら、もう『体育の苦手な人』しか浮かばなくて……!」
「そんなわけねぇだろ! お前、体育の成績なんぼだよ!」
「四だけど」
「四取れるやつは苦手じゃねぇんだよ!」
「だって、それは筆記で……」
「筆記だけで取れるか!」

 なぁんだ、と一気に力が抜ける。口から魂も出てしまいそうだ。

「し、しかし、アレだな! 俺達、マジで馬鹿みたいだな! ハハハ!」

 しんと静まり返った保健室に、萩ちゃんの明るい声が響く。

「そうだね、馬鹿みたい。お互い勘違いして。でも、僕の方が馬鹿だね。萩ちゃんのこと疑うなんて」
「そうだぞ、俺を疑うなんて」
「ごめん。もう疑わないよ。萩ちゃん、僕のこと大切に思ってくれてるんだね」
「ンッ、お、おう! もちろんだよ! だ、大事な親友だしな!」

 親友、の言葉が胸に刺さる。
 そうだよね。萩ちゃんは、親友だと思ってくれてるんだよね。

「……だよね。僕もそう思ってる。僕も萩ちゃんのこと、大切に思ってるよ」
 
 ただ、僕の方は『親友』だけじゃないんだけどさ。それが言えたら良かったのに。でもきっと、言ってしまったら、僕らはもう親友にすら戻れなくなっちゃうだろう。それが怖い。
「寿都先生、出番です! 暴動を止めてこい、行けぇ、体育教師ぃ!」

 ビシッ、とグラウンドを指差すと、ムキムキ体育教師寿都は「おう!」と元気よくそれに応えて数歩走り出してからくるりと振り向き「いまお前、俺に命令した?」と尋ねて来た。気づくの遅くね?

「気のせいじゃないですかね。ご武運を」

 敬礼をして送り出すと、少々腑に落ちない表情をしていたが、それでも暴動は止めねばならんと思ったのだろう、首を傾げつつも走っていった。

 すげぇ、「コラーお前達ー!」って拳を振り上げながら走る人って、令和の時代に実在するんだ……などと感心している場合ではない。駒其の一を動かしたから、次は其の二を動かさねばならないのだ。

 こんな時のために、俺は職員間の『緊急校内放送』をチェック済みなのである。というか、放送に携わる人間は大体知ってる。もちろん、それなりに教師から信頼を得ておく必要はあるが、問題はない。何せ俺はC組学級委員長にして体育祭実行委員! 推しカプ成立のためならば己のプライベートをも犠牲にする男、遠藤初陽なのである!

「『養護教諭門別先生、グラウンド本部テントBまでお越しください。繰り返します、養護教諭門別先生……』」

 これでよし。 
 ちなみに、通常の校内放送と、緊急のそれとの違いはというと、二箇所だ。まず、『養護教諭』という部分だ。通常は『門別先生』のみである。まずここで、「緊急放送ですよ、あなたに関する緊急放送ですよ」と伝えるわけである。

 ここでズバリ「緊急放送です」と言わないのには理由があって、まだ大きな事件ではなく、職員のみで処理出来そうな場合など、「緊急」とアナウンスしてしまうことで、それを知らない生徒がパニックを引き起こす可能性があるため、速やかに校内の人間全員に知らせなくてはならない非常事態――地震や火事などを除いて、この方法が用いられる。

 それからもう一つ、『B』である。これは緊急の度合いだ。テントの番号ではない。その場合は『Bテント』になる。
 今回の門別(養護教諭)パターンだと『S』が意識不明レベルの重体、『A』は意識ははっきりしているが重症、『B』は軽症、『P』は集団食中毒である。

 まぁ、いまのところ負傷者は出ていないんだけど。ただ、白熱した生徒達が一斉に寿都に向かって行ったから、もしかして、ということもある。寿都もまさか生徒達を怪我させるわけにはいかないだろうから、防戦一方だろうし。

 おっ、来た来た。おっとり刀で門別が来た。ていうかマジで何か長いの持ってるぞアイツ。何だ? 竹刀……? あっ、職員室の前に立てかけてあるやつか! 

「鎮まれぇっ、馬鹿共ぉぉぉぉっ!」

 ――!!?

 校内一の美人教諭と名高い門別は、普段は声も細いし食も細い。もちろん身体も細くて、常に気怠げな雰囲気を纏っている、存在そのものが何となくエロい人だ。授業を担当しているわけでもないから関わる人間は少ないが、保健室でその気怠い雰囲気のまま生徒を受け入れ、数分〜数時間後に出て来たその生徒の七割は彼の虜になるという魔性の男である。打率七割バッターなんて恐ろしすぎて懐に入れない。

 そんな美人(男)養護教諭の聞いたこともない怒声である。腹から声が出まくっている。普段のあの吐息混じりのセクシーボイスはどこにいってしまったんだ。

 誰もが手を止め、ごくりと喉を鳴らして彼に注視している。その中でも全身をガタガタと震わせているのは、乱闘のど真ん中で、果敢にも生徒達を身一つで止めていた寿都だ。

「も、門別先生……!」

 青い顔で、その名を呼ぶと、それに気付いたか、門別が、すぅ、と目を細め、口元にうっすらと笑みをたたえた。『必殺・氷の微笑』だ。たったいま俺が名付けた。数人はそれにやられたらしく、うっ、と胸を押さえて悶絶してる。やめろやめろ、これ以上俺を忙しくするな。それにハーレム展開は管轄外なんだ。俺は一対一の幸せ甘々なイチャラブカップル派なんだ。いろんな生徒をとっかえひっかえする噂があるようなセクシー養護教諭は及びではないのである。それはR18もOKのところでやってくれ。

「寿都君、君ですか」
「ち、違う! 俺じゃない! 俺はむしろこの暴動を止めようと……!」

 ぷるぷると小刻みに震えながら首を横に振る寿都は、何だかいつもより一回りは小さく見える。縮んだ? すると門別はその辺にいた放送委員に「そこの君」と声をかけた。

「は、はいっ!」
「寿都先生が言ったことは本当ですか?」
「そ、そうです! 寿都先生は、暴動を止めようとしてましたぁ!」
「よろしい。まぁ、許してあげましょう。全員速やかに持ち場に戻れぇ! 体育祭を続行する! 寿都君はこちらへ来なさい」
「ひ、ひえぇ」
「返事はぁっ!」
「は、はいぃ!」

 何だ、そういうプレイか? いやいや、こいつらに構っている場合ではない。俺には推しカプ誕生の瞬間を見届ける義務があるのだ。悪く思うな寿都。どうせお前ら早晩デキるんだろ? 俺が手を下さずともさ。

 残念ながら、俺の特殊スキル・地獄耳に入ってきたのはそこまでだった。この後教師二人が別室に消えようが、そこでどんなアレコレが展開されようが知ったことではない。いまの俺は、友のために走るメロスだ。待ってろよ、セリヌン&ティウス!
 なるべく音を立てないように校内を走り――というか、保健室は玄関から近くにあるため、そこまで長い距離でもないんだけど、とにかく急いだ。あいつら以外に保健室を利用しているやつはいないはずだ。保健室といえば、当然ベッドもカーテンもばっちり揃っている。具体的にナニをとは言わないが、何かが三段飛ばしでおっ始まってる可能性だってある!

 あるよな!?
 お前達もういい加減にしろよ!?

 神田は足首をやっちゃってたみたいだし、そこのお触りから何かが始まれよ!

 呼吸を整えて、戸に耳をつける。精神を統一すれば、どんな囁き声だって俺には聞こえる――はずだ。

「あのさ、さっきの続きなんだけど」
「さっきのって?」
 
 さっきのとは何だろう。
 頭上に疑問符を浮かべつつ、その続きを待つ。

「その、借り物のお題。あれは――」
「ま、待って萩ちゃん! 良い良い、言わなくても! もうわかってるから!」

 成る程、借り物の札の話題だったんだな。そんで、いつものように邪魔が入った、と。そして、どういうわけだか神田はそれを知っている。なぜ知っているんだ。あいつ普段はめちゃくちゃ鈍感なのに、どうしてそんな鋭いんだよ。
 
「え? 何で? わかってるって、え?」

 うん、南城の動揺も最もだ。うん、俺も同じ気持ち。

「なんていうか、その、それを聞いたら何か立ち直れない気がして」
「えぇっ!?」 

 えぇっ!?
 
 いや、これアレだ。
 確実に神田は何か勘違いしてるな。
 そうだなぁ、神田が立ち直れないと思うようなお題と考えると――。

 体育が苦手とか、その辺りだろうか。体育も『たい』から始まるしな。南城が『たい』まで言いかけたところで邪魔が入り、神田が勘違いした可能性は大いにあり得る。あいつ、勉強は出来る癖にその辺がとにかく馬鹿だから。そう仮定すると、

「ごめん、なんて言ったら良いのかわかんないんだけど、その、たぶん、萩ちゃんが思ってる以上にダメージを受けることになりそうっていうか」

「違うよ! その、迷惑とかじゃなくて! 僕の気持ちの問題ってだけなんだけど、ほんと! ほんとに!」

 神田のこの反応も、頑なに聞きたがらないのも納得だ。うん、今回も底なしの馬鹿だな。

「え、ちょ、てことは、その、夜宵は、その、なんていうか。俺のこと、その、き、嫌いなん……?」

 ぉおっとぉ!? 南城が拗らせたァ――! どうしてそうなる!? いや、むしろそうなるのか!? しかしこれは案外良いパスかもしれない! 違うよ、好きだよ、とかそんな感じのことを言えぇぇぇ!

 そこからは、嫌われていると勘違いした南城と、それをなだめようとする神田の、全くかみ合ってはいないけど、第三者からしてみれば「お前らそれはもうほぼほぼ告ってるからな?」というツッコミ待ちなんじゃないのかって思えるような応酬が続いた。

 えぇ、どうすっかな、これ。
 もう俺が乗り込んで、解説した方が良くないか? 保健室ってホワイトボードくらいあるよな? 

 そう思って、腰を浮かせた時。

「お願い。ほんとに、夜宵を傷つけたいわけじゃないんだ。ただ俺は、『大切な人』って書いてあったから、そんなの、夜宵しかいないって思って」

 おっ?!

 南城?!
 南城お前、そういうこと言えんの?!
 どう出る?! どう出るんだ、神田ァ! もうお前にかかってるぞ、ここは!

「た、『体育の苦手な人』、じゃなくて……?」

 ビンゴ――!
 いやもう俺すごくね? 逆に俺がすごくね? 『名探偵・遠藤初陽』爆誕してね? おいやめろ話のジャンル変わるだろうが! 

「え、違うけど。何? お前、そんなお題だと思ってたのかよ!」
 
 全くだよお前!

「だっ、だって、絶対眼鏡だと思ってたら、高野君じゃなくて僕だったし、それで、『たい』から始まる言葉なんて言ったら、もう『体育の苦手な人』しか浮かばなくて……!」
「そんなわけねぇだろ! お前、体育の成績なんぼだよ!」
「四だけど」
「四取れるやつは苦手じゃねぇんだよ!」
「だって、それは筆記で……」
「筆記だけで取れるか!」

 南城のツッコミが冴えわたる。今日のお前、多方面で大活躍だな。MVPだわ。マジで。

 まぁでも、誤解も解けたことだし、ここからはゆっくり気持ちを確かめ合えば良いだろう。さすがに邪魔も入らないだろうし、ベッドも存分に使え。代表リレーの時間には呼びに来てやるし、こっそりシーツも替えてやるから。

 カップル成立の瞬間を見届けたい気持ちもあるが、場所も場所だ。告白と同時に何やらが始まる可能性もあるし、さすがにその辺を出歯亀する趣味はない。結果だけでも後で教えてくれよ。

 ハッピーエンド請負人はクールに去るぜ。

 多少後ろ髪を引かれる思いもあったが、振り切って立ち上がる。

 と、そのタイミングで、引き戸が勢いよく開いた。

「よーし、騎馬戦頑張るぞー!」
「おう、無理すんなよ! ――って、あれ、遠藤?」
「ほんとだ。遠藤君、どうしたの、こんなところで」

 何とも晴れやかな顔をした二人である。神田に至っては拳まで振り上げている。お前そういうことするんだな。意外だわ。

「え。お前ら、何で」
「何でって、何のこと?」
「え? だって神田、お前足は?」
「軽く捻っただけだから大丈夫だよ。ガチガチにテーピングしてもらったし、騎馬戦って言っても、僕は作戦上、一番後ろにいるだけだから」
「へ、へぇ……」

 ぎっちり固定しているせいで多少歩き方はぎこちないものの、それでも案外しっかりとした足取りで、玄関へと向かう神田と、その肩をちゃっかり支える南城。さっき漏れ聞こえた会話からして、決定的な一打があったわけではないにせよ、ほんのわずかに進展した気がする。もうこいつらは牛歩なのだ。いや、牛に失礼かもしれないな。牛の歩みより遅い。


 結局、どこからどう見ても弱そうな神田(ヒョロ眼鏡)を大将を据えた白組だったが、口に出すことも憚られるほどのエグい戦術により、あっさりと赤組を撃破した。足を負傷している神田は、定位置から動かず、眉一つ動かさず、ただただ笛の音だけで騎馬達に指示を出していて、その様が、昔の戦争映画に出て来る独裁者のようで、応援席は震え上がったものである。そんな中でも南城だけは「さすが夜宵だ! すっげー! 角田瞬殺じゃん! あっはっは!」と馬鹿みたいにはしゃいでいたが。気持ちはわかるけど、お前、敵チームだからな? 指差して笑うのやめてやれよ。

 赤組の大将である角田が、目も当てられないくらいに凹み、同じクラスの兎崎にさんざん馬鹿にされていたのが印象的だった。

 ちなみに、代表リレーは南城がぶっちぎりの一位でゴールし、それを誰よりも喜んだ神田が「貴様敵チームを応援するなんて!」と皆から責められたものの、「お前ら夜宵に何すんだよ」と未来の彼氏が助けに来るという茶番もあった。

 良いからはよ付き合え。

 その場の全員の心が一つになり、そうして体育祭は幕を閉じたのである。

 結果はまさかの引き分けだった。
 現場からは以上です。


★次回予告★
 ついに来た文化祭!
 なんやかんやで白雪姫を演じることになった二人!(他クラスなのにね)
 ヤハギ王子はヤヨイ姫を口づけで目覚めさせることは出来るのか!?
 あと一歩の勇気が出ないその時、DJポリス・遠藤が動く!

 次回、『なんやかんやで文化祭を楽しむ二人・白雪姫編』!
 ご期待ください!
 体育祭も無事終わり、文化祭である。

 なんやかんやで俺はいま、コテコテの王子衣装に身を包み、ダンボールで作られた棺の中を覗き込んでいる。王子様が棺を覗き込む、でもうおわかりだろう、白雪姫である。いや別に、白雪姫は王子が棺を覗き込む話ってわけじゃないけど。だけど白雪姫以外に王子が棺を覗き込む話ってあるか? 少なくとも、俺は知らない。――眠れる森の美女? いやあれはベッドで寝てるやつだろ? 生きてるから。棺に入れんな。

 男子校の――しかも一般公開している文化祭というのは、とりわけ、近くにある女子高や共学校の女子生徒を意識しまくった催し物が多い。いくら同性カップルが多い我が校とて、やはり大半は女子が好きなのである。明らかに女子受けを狙ったであろう『執事喫茶』や『女装喫茶』、それからズバリそっち方面の受けを狙った『BL喫茶』なんてものもあるらしい。喫茶店がとにかく多い。ここはフードコートか。

 それで、だ。
 
 こんなにも何らかの変わり種喫茶店が乱立する喫茶店競合区において、俺のクラスは何をしているかというと、見ての通り演劇だ。別に競っているわけではないにしろ、出てきた案はことごとく何らかの喫茶店と被っていたため、そっち方面はすっぱり諦めたのである。
 じゃあ何をするかという話になった時、遠藤(委員長)が立ち上がった。

「いっそ演劇をやろう! 演目は白雪姫だ!」

 ウチのクラスにはちょうど演劇部が数人いるのだが、部員数の少なさから今年は部としての活動が出来ないらしい。それを知っていた遠藤が同情して発案したという流れのようだ。言い出しっぺだからと、脚本家兼監督を務めるとまで言い出し、クラスメイトはもちろん担任の度肝を抜いた。あいつ、マジで多才だな。

 シーンはいよいよクライマックス。毒林檎で倒れた姫にキスするシーンである。その棺の中にいるのは、美術室にある石膏像か人体模型――のはずだった。もちろん白雪姫は白雪姫でいるのだが、このシーンだけは、その後の演出の兼ね合いと、あと普通に男同士でキスとか演技でもしたくないし、フリだとしても嫌だ、と俺が駄々をこねたために、石膏像か人体模型になる予定だった。俺は頼むから石膏像にしてくれ、とお願いした。

 なのに、当日の土壇場になって急に遠藤(監督)が言い出したのである。

「この劇にはリアリティが足りない!」と。

 だとしたら脚本の段階で気付け。当日に気付くな。

 そんなことを言われても白雪姫役の角田ははっきり言ってウケ狙い白雪姫なので、ゴリゴリマッチョの空手部だ。何なら最後、王子()を軽々とお姫様抱っこして退場することになっている。そんなやつにいまからキスしてくださいと言われても、絶対に嫌だ。いや、角田じゃなくても嫌だけど。というか、夜宵(好きなヤツ)以外は絶対に嫌だ。

 という俺の思いが通じたのか。

 クラスの仕事(夜宵のクラスのA組はさすが特進クラスだけあって、何かよくわからない文豪だの何だのの展示だった)を終えた夜宵を「ちょうど良いところに来てくれた神田! なぁお前この後二時間くらいあいてない?」と無理やり引っ張って来て予備のドレスを着せ、「何もしゃべらなくて良いから、ここに寝て、ずっと目を瞑っててくれ!」と、断る隙も与えずに棺の中に寝かせてしまったのだとか。もちろん眼鏡も没収だ。

 お前夜宵に何てことさせてんだ!

 いや、正直、グッジョブとしか言いようがない。
 遠藤、お前なんかよくわからないけど、すごいな。もしかして俺の気持ち知ってたりする? なわけないか。

 とにもかくにも、ダンボールで作られた棺の中には、じっと目を瞑ってこちらのアクションを待っている夜宵がいる。客席からは見えないはずなんだけど、ロングヘアのウィッグまで被せ、ご丁寧に軽くメイクまでさせて。ええと、普通に可愛いです。脳が混乱する。えっ、マジで普通に可愛いんだけど。こんな可愛い夜宵が、まさにキス待ち顔で横たわっている。いや、本当にするわけじゃないんだけど。

 ないんだけど。

 ……しても良くね?

 り、リアリティ!
 だってほら、リアリティを追求した結果だから!
 俺ってそういうところ本格志向だから!

 だけど、夜宵の了承もなしにやってしまって良いのだろうか。これで嫌われたりなんかしたら、俺もう生きていけない。俺は良くても夜宵は嫌だよな、男とキスなんて。
 
 まずい。
 客席がざわつき出した。
 そりゃそうだろう。「あぁ姫よ! どうか私の口づけで!」って叫んで棺の中に顔を突っ込んだ王子が微動だにしないのである。何らかのトラブル発生ではと思うところだ。するにせよ、したことにするにせよ、いずれにしても、動かなくてはならないのである。

 だけれども、勇気が出ない!
 出ないんだったら、したことにして顔を上げ、舞台袖に控えている照明担当にアイコンタクトすれば良いのだ。そうすれば暗転からの棺撤収、ムキムキマッチョの角田白雪姫がじゃじゃーんと現れる手筈になっている。

 だけど、こんなチャンス、二度と来ない!

 どうする。悩む時間はない! だけれども勇気が出ない!

 と、

『話は三週間ほど前に遡る――』

 !!?

 こ、これは、遠藤の声!?

『狩りの途中で道に迷ったヤハギ王子は、どこからともなく聞こえてくる美しい歌声に馬を止めた』

 遠藤!
 お前! 劇中では一切語られていないエピソードをアドリブで――!?

 なんかお前、俺へのサポートが手厚いな! 俺前世でお前のこと火事場から救ったりしたっけ!?

『ら゛~ら゛ら゛~ら゛ら゛ら゛~♪ る゛る゛~る゛る゛る゛~♪』

 ちょっと待て。それ白雪姫の歌!? そこまでいる!? あのさ、助けてもらっといてこんなこと言うのもなんだけど、お前の歌、下手(ジャイアンリサイタル)なんだよ。あぁもう、客席が別の意味でざわつき出したぞ。

 いや、遠藤の歌に色んな意味で聞き入っている場合ではない。友が時間を稼いでくれているうちに覚悟を決めるんだ!

 夜宵ごめん。
 これはその、演技のやつだから。リアリティを追求した、その、アレだから!

 棺の縁に手をかけ、ぐ、と身を乗り出す。

 と。

「!?」

 夜宵の手が伸びて、衣装の襟を掴まれた。
 閉じられていた瞳が、うっすらと開く。そしてうんと密やかな声で、夜宵は言った。

「良いよ」
「い、良いよ、って」
「しても、良いよ」
「や、やよ――」
 体育祭も無事終わり、文化祭だ。

 なんやかんやで僕はいま、他クラスの演劇に急遽出演することになり、どういうわけだかお姫様の恰好をして棺の中に横たわっている。棺の中のお姫様でピンと来た方が大半だろう、白雪姫だ。いや別に白雪姫は棺の中でお姫様が横たわってるってだけの話じゃないけど。

 男子校の文化祭――しかも一般公開有りともなれば、生徒達の目的はほぼ一つ。他校の女子とお近付きになることだ。お近付きになることだ、って断定して良いかはわからないけど、全体的に女子ウケを狙った出店が多い。四方八方同性しかいないというこの環境では(ウチの学校は教員も全て男だ)、こういったイベントでもなければ女子と関わる機会なんて皆無なのである。

 それが本当に女子にウケるのかはよくわからないけど、辺りを見回せば、どこもかしこも何かしらの喫茶店ばかりだ。執事喫茶に女装喫茶、BL喫茶なんてのもあった。それに当てられてか、ウチのクラスでも、喫茶店はどうか、という案は出た。けれども、出したアイディアはことごとくどこかのクラスと被っていたのである。

 じゃあいっそ、せっかくの特進クラスなのだから、思いっきりお硬い方面に振り切ってみてはどうかということになって、近代文学の文豪の紹介パネルを展示するという、正直「絶対にお客は来ないだろう」と断言出来る、ほぼほぼ休憩所のような場所になってしまった。

 それでも一応、ここでいかがわしいことをするカップルがいないとも限らない。僕らの学び舎を、そんな乱れた場にするわけにはいかないため、交代で見張り(一応、解説なんかもしたりする)を置くことにしたのだ。それが終わって、僕は萩ちゃんのクラスの演劇を見るために、会場である多目的ホールへと向かった。

 一瞬でも会話が出来たら良いな。
 王子様役だって聞いていたから、お客さんより先にその姿を見られたら嬉しいな、なんて下心込みで演者控室となっている萩ちゃんのクラスをちらりと覗いた時だった。

 ぐい、と手を掴まれ、教室内に引っ張り込まれたのである。

「ちょうど良いところに来てくれた神田! なぁお前この後二時間くらいあいてない?」

 遠藤君だった。
 彼はこのクラスの委員長であり、それから今回の劇の脚本家兼監督である。残念なことに、演者である萩ちゃんは既にホールの方に向かってしまっていた。だけれども、神田には特別だぞ、なんて言って、王子様の衣装を身につけた萩ちゃんの写真を見せてくれた。あとで僕のスマホにも送ってくれるって。待ち受けにしたいけど、ぐっと我慢だ。

 さすがに高校生が用意出来るやつだから、コスプレ衣装みたいに立派なやつじゃなくて、ペラペラでテカテカした素材の衣装だ。それでも何となく天鵞絨(ビロード)のようにも見える真っ赤なマントをなびかせた萩ちゃんは本当の王子様みたいに恰好良い。撮影者の腕も良いのかもしれないけど。加工した偽物の色じゃない、透けるような茶髪が王子様度をぐっと上げている。どうしよう、他校の女子生徒、みんな萩ちゃんに見とれちゃうかも! いまからメイク担当の兎崎君に直訴して眉毛つなげてもらえないかな? それともいっそ鼻毛書き足してもらうとか?! あっ、でもでも、僕はどんな萩ちゃんでも全然好きだよ!

「えっと、僕の方では今日はもう何も予定はないよ。萩ちゃんの劇が終わったら一緒に回ろうか、って話はしてたけど」
「よっしゃ! それならちょっと頼まれてくれない? なぁに悪い話じゃないんだ。ちゃーんとお礼もするしさ!」
「頼まれて、って。裏方とか? 僕あんまり役に立てないと思うけどなぁ」
 
 絵心もないし、と俯くと、遠藤君は「大丈夫、お前の絵心のヤバさは去年の美術で知り尽くしてる!」とサムズアップした上で、いそいそと紙袋からやたらとゴテゴテした布の塊を取り出した。

「これ着て、姫になってくれ!」
「……は?」

 という経緯で、いまここにいる。眼鏡も没収されてしまった。
 どうやら昨日まではこのポジションは美術室の石膏像だったみたいなんだけど、今日になってやはり石膏像へのキスではリアリティが足りないのではと思ったらしい。萩ちゃんが王子様をやると聞いて一番心配だったのはここだ。

 萩ちゃんがフリでもキスしちゃう! そんなの嫌だ!
 誰!? お姫様役誰!? 角田君!? 空手部の!? 角田君?! 角田君かぁ……。いや、角田君がお姫様って大丈夫なの? 萩ちゃんのクラスにもうちょっと姫役が似合いそうな人いなかった? えっとほら、それこそ兎崎君とかさぁ。

 ……いやきっと、なまじ姫感のある兎崎君辺りにしてしまった方が色々と洒落にならないんだろう。角田君のような、180度どこからどう見ても『男』の彼が演じることで、コメディになるのだ。だってこれは遠藤君の考える白雪姫なのだから。

 けれども僕のそんな心配は完全に杞憂に終わった。
 そもそもそのシーンの相手役は石膏像だったのだ。

 それだけでも僕としてはまぁ十分だったんだけど――。

「あぁ姫よ! どうか私の口づけで!」

 萩ちゃんがそう叫んで、僕のいる棺に手をかける。ガッ、という軽い衝撃が伝わってきた。

 き、来た!
 遠藤君に言われた通り目を瞑ったままだから、萩ちゃんとの距離がどれくらいなのかはわからない。ただ、確実に言えるのは、かすかに息がかかるほどのところに萩ちゃんはいる。

 フリでも良い。
 良いんだけど、欲を言えば、わずかに触れるだけでも良いから、萩ちゃんとキスがしたい。ねぇ萩ちゃん、遠藤君はリアリティを求めてるんだってさ。そりゃあ客席からは見えないけど。だけど、何て言うんだろう、空気感っていうか、そういうのもあると思わない? もちろんこれは文化祭の、それも演劇部のでもない、クラスの催し物だ。そこまでの演技を求められているわけではないのは知ってる。だけど、それを口実にして、とか。

 どうかな、ねぇ、萩ちゃん。
 僕じゃ駄目かな。
 いまの僕なら、お姫様だよ。
 女の子とうっかり間違えて、とかさ。
 それはそれで正直複雑だけど。

 ……ていうか、萩ちゃん全く動かないけど大丈夫なのかな。これ、いまどういう状態? 

『話は三週間ほど前に遡る――』

 おわ? 何か始まったぞ。
 へぇ、こういう演出があるんだ。

『狩りの途中で道に迷ったヤハギ王子は、どこからともなく聞こえてくる美しい歌声に馬を止めた』

 成る程、確か白雪姫にはそういうパターンもあるもんね。王子と姫は初対面ではなかった、みたいな。そうかそうか、遠藤君の脚本ではこうなんだね。

『ら゛~ら゛ら゛~ら゛ら゛ら゛~♪ る゛る゛~る゛る゛る゛~♪』

 あぁ……遠藤君、すごく良い人だし、色々器用だけど歌だけはちょっとすごいんだよね。うん。相変わらずだ。それでもこの堂々たる歌いっぷり。逆に尊敬すら覚えるよ。

 ……って、遠藤君の歌に聞き入ってる場合じゃないよ。どうするの、どうするの萩ちゃん!

 薄く目を開けてみる。
 思ったよりも近くに萩ちゃんはいた。
 なんかちょっと困ったような顔で僕を見下ろしている。
 
 ねぇ萩ちゃん。
 これはお芝居だから。
 ちょっと触れちゃってもさ、お芝居だから。

 大丈夫、この位置なら客席からは見えない。そっと手を伸ばして衣装の襟を掴む。そして、うんと潜めた声で言った。
 
「良いよ」

 萩ちゃん、僕は良いよ。

「い、良いよ、って」
「しても、良いよ」

 しても良いよ、っていうか、むしろ、してよ。
「いっそ演劇をやろう! 演目は白雪姫だ!」

 もうこれしかない、と思った。
 ハッピーエンド請負人として、やはり文化祭でバシッと決めたいと思ったのである。こういうイベントというのはどうしたって気持ちが高揚してしまうものだ。浮足立つと言い換えても良い。体育祭が失敗に終わった以上、ここで決めるしかない。

 この好機を逃す手はない。

「俺は某小説投稿サイトで四桁の評価をもらったこともある男だ。脚本は俺に任せてくれ」

 四桁の評価というのは多少盛ったが、小説投稿サイトに自作小説を上げているのは事実だ。

「遠藤、我が演劇部が不甲斐ないせいで、申し訳ない。ありがとう!」

 演劇部の顧問が直々に頭を下げに来た。いまの演劇部は三年生がおらず、しかも今年も入部希望者がいなかったために二年生(俺らの学年)しかいない。しかもその大半が我がクラスに集まっているため、他クラスの演劇部もクラスの出し物そっちのけでこの白雪姫に出ることになってしまったのである。そういう意味での「申し訳ない」と「ありがとう」なのだ。

「ですが先生、これはあくまでもウチの演劇。脚本はもちろんのこと、キャスティングまで全て俺に任せてもらいますよ」
「わかってる。俺は元々演劇に関してはズブの素人だ!」

 じゃあなんで顧問なんかやってんだよ。ジャンケンで負けたのか。

 とにもかくにも言質はとった。これでこの劇は俺のものだ。王子役はもう決まっている。南城である。あいつ、天然の茶髪だし、実は案外顔が良いのだ。それでいて、性格も明るいし、茶髪にピアスという不良寄りのビジュアルにも関わらず誰とでも仲良くなれるため、先輩からも後輩からも実はモテる。密かにアイツを狙っているモブ共も多い。

 こっそりと何かしらのフラグを建てようとするやつらを「『矢×モブ』なんて解釈違いも甚だしい! 帰れ!」と何度蹴散らしたかわからない。それでも「違います! 僕は『モブ×矢』のつもりで来てます!」と食い下がる猛者もいたが、そういう問題ではないのだ。お前、モブの自覚はあるのね。

 NTR(ネトラレ)というジャンルがあるのも知ってるし、それがきっかけで「やっぱり俺にはお前しか!」に発展し、なんやかんやでうまくいくパターンがあるのも知ってる。けれどもそれは上級コースだ。それで上手くいったとしても、過去のNTR体験が尾を引き、闇落ちすることもある。『矢×夜』にはそんな思いをしてほしくは――と、ついつい自然な流れで『()×()』にしてしまった。あくまでもこれは俺の願望である。

 とまぁそんな経緯で自らセッティングした大チャンスである。神田は他クラスではあるが、飛び入りで姫役をさせるつもりだ。この無理を通すために脚本&監督に立候補したのである。
 とはいえ、飛び入りであるわけだから、最初から最後まで姫をやらせるつもりはない。それは姫役の角田にも悪いし。だから、元々石膏像を置くつもりだったキスシーンのみの出番である。これなら台詞を覚える必要もないし、こんな据え膳の状況なら、さすがの南城でも美味しくいただくはずだ。

 頼む、この際俺の敷いたレールの上でも良いから、とっととくっついてくれ!

 しかし俺は、南城がここぞという時にヘタレまくる野郎だということを知っている。これまでの経験で痛いほど知っている。まぁ、不良寄りの茶髪のチャラ男が、そのオラついた見た目に反してヘタレであるというのは、ある意味様式美のようなものというか、ヘタレの癖に実は『攻め』というのも意外性を狙った配役で美味しかったりするものなのだ。ただ、もうそれが界隈に浸透しすぎて意外でも何でもなかったりもするが。だからまぁ俺としては、むしろ茶髪のチャラ男はヘタレであってほしいし、ヘタレの癖に頑張って攻めてほしい。まぁ南城は言うほどオラついてもいないけど。

 にしても、動かんな、南城の野郎。
 やはりヘタレたか。
 ここまでの据え膳でもヘタレられるとか、ある意味才能だよお前。俺の言う『リアリティ』ってどういう意味かわかるか? 振りじゃなくて、実際にチュッてやっちまえよ、って意味だぞ? 別に石膏像と生身の人間を交換することじゃないぞ?

 お前、俺が客だったら「キース! キース!」って手拍子付きで煽ってるからな? むしろ何でこのコールが出ないんだ。上品すぎるだろ、オーディエンス! 何? 今日のお客さん紳士淑女しかいない感じ?! 何でこういう時に限ってギラついた腐女子の皆さんがいないんだよ! 

 仕方ない、ここはどうにか俺が場を持たせるしかない……!

『話は三週間ほど前に遡る――』

 こんなこともあろうかと、用意しておいたんだ!
 名付けて、『白雪姫エピソード0作戦』!

 白雪姫は版を重ねるごとにちょっとずつ内容に変更点が出て来る。その時その時で、いまで言うところのコンプラ的な問題があったのだろう。姫をあの手この手で殺害しようとした継母だって原作では実母だったりするし、彼女の最期も様々だ。王子にしたって、姫とは毒林檎で倒れた時にたまたま通りがかった初対面パターンもあれば、実は元々軽く面識があったパターンもある。というわけで、もしもの際にはこの『実は軽く面識があった』パターンを採用することにしたのである。大丈夫、劇中で『二人は初対面』なんて一言も言ってない。

『狩りの途中で道に迷ったヤハギ王子は、どこからともなく聞こえてくる美しい歌声に馬を止めた』
『ら~らら~ららら~♪ るる~るるる~♪』

 もう自分の文才と歌唱力が怖い。
 聞こえているか、南城、神田。届いているか、俺のこの思いが。頼む、俺の思いを汲んでそろそろチュッとやってくれ!

 ……と思ったら、やはり神田が動いた!
 俺には見えた! 南城の襟首を掴んで引き寄せたのを! やはり黒髪は男前! そんで神田、お前は襲い受けの才能がある!

 よぉーし、やれ! やったれぇぇ!

 その時である。

「ヘイヤァッ! ヘイヤァッ! らんらーららんらんらー♪」

 ――は?

 わらわらと出て来たのは、舞台袖で待機を命じていた小人達である。ちなみにメンバーはすべて演劇部だ。姫と王子という美味しい役どころを部外の人間にしてしまったので、せめて小人や女王など、見せ場の多い役を演劇部に与えたのである。
 七人の小人は本来であれば、姫の棺の周りでおいおいと泣いているはずなのだが、周りにこんなのがいたらおちおちキスも出来ないだろうということで、演出上の理由で、と無理やり納得させて引っ込めていたのだ。いや、「らんらーららんらんらー♪」じゃないから。何勝手に出て来てんだ!

 あっ、よく見たらあいつら、『演劇部募集!』なんて横断幕まで持ってやがる! おいやめろ、いつの間にビラなんて用意したんだ! 配るな配るな! 確かに劇終了後、部員募集の宣伝はしても良いと言ったが、まだ終わってないぞ!? くそぉ、演劇部顧問! 貴様かぁっ!? 親指立てて「良いぞ!」じゃねぇよ! 良くねぇ!

「さぁ、皆さんご一緒に!」

 ちょ、おい!
 何で棺の中から(神田)を引っ張り出した!? 南城も既に捕まってるし! あああ、困惑してる……そりゃそうだよな。あと一歩で合法的にキス出来たのに(キスは合法だ)、それを無理やり中断させられたんだもんな。

 うわ、神田白雪に黄色い声がすっごい。だよな、さっきまでゴリゴリマッチョの角田白雪だったんだもん、どんなイリュージョンかと思うわな。

 かくして、あれよあれよという間に七人の演劇部小人にジャックされた『白雪姫』は、なんやかんやで息を吹き返した白雪姫と、王子、継母が小人達と共に仲良く踊り、謎の大歓声に包まれて幕を閉じたのであった。

 演劇部、貴様ら後で覚えてろよ!


★次回予告★
 なんやかんや衣装のまま校内を練り歩くことになった二人!
 見目麗しいヤハギ王子とヤヨイ姫にそれぞれ魔の手が――!?
 一方その頃、遠藤にもピンチが訪れていた!
 サポート一切なしの状況で、二人は無事、思いを告げられることが出来るのか!?

 次回、なんやかんやで最終章!『なんやかんやで文化祭を楽しむ二人・校内デート編』!
 ご期待ください!
 俺は王子だ。
 嘘、王子ではない。
 王子ではないんだけど、王子の恰好をしたまま、なんやかんやで劇の宣伝のため、ビラを片手に校内を練り歩くこととなったのである。

 しかも、夜宵と一緒に。
 厳密には、『白雪姫の恰好をした夜宵』と、だ。

「何か、恥ずかしいね」

 長いスカートがあまりバサバサしないようにと、気持ち小股でしずしずと歩く夜宵は、なんだか本当にお姫様のようである。ただ夜宵は、案外背が高いので、裾を引きずるなんてことはない。何なら下に履いてる学生ズボンも若干見えている。

「でも、萩ちゃんは似合ってるよ。本物の王子様みたいでカッコいい」
「そうか……? なんかすげぇアホ王子っぽくね? 馬とか乗れなそう」
「萩ちゃんなら乗れるよ。白いやつ」
「やっぱ白馬なんだ」
「そりゃあ王子だしね」

 そんなことを話しながら、すれ違う人にサッとビラを渡す。俺達のクラスの劇はこの後、午後にもう一回、それから明日も午前と午後の二回ある。別に入場料を取っているわけでもないので、何人入ろうとも売上はないのだが、そこはやはり気持ちの問題なのである。

「何か、巻き込んじゃって悪いな」

 夜宵はまぁどちらかといえば女顔だし、身長(タッパ)はあるけど華奢なので、こういう恰好をすれば、お姉さんの弥栄さんに似て、すごい美人だ。眼鏡を外しているから特に。ああもうほら、すれ違う野郎共が皆振り返ってる。クソ、あんまじろじろ見んな。いまは俺の姫なんだよ。見りゃわかんだろ、俺、王子!
 とまぁ、そんな見目麗しく仕上がっている夜宵だけど、本人はもちろんこんな姿は望んではいないだろう。こいつだって立派なもん(かどうかは最近見てないけど)ぶら下げた男なのである。

「大丈夫だよ。学祭だしさ、こういうのもきっと良い思い出になるよ」
「前向きだなぁ、お前」
「そうかな」

 へへ、と照れたように笑う夜宵は、姫の恰好も相まって、抱き締めたくなるような可愛さだ。いまなら俺、王子だし、多少はそういうのをやっちゃっても良くないか? ほら、宣伝の一貫というかさ。まぁ、こいつは他クラスなんだけど。

 そんなことを思っていると、微かに夜宵の手が触れた。これはチャンスと、そのままそっと手を繋いでみる。

「へぇっ? は、萩ちゃん……!?」
「あ、あの、ほら、夜宵、眼鏡ないから危ないだろ? それにいま俺達、王子と姫、だし? こんな演出もアリかなって、思って、その……」

 やだった……? と恐る恐る聞くと、夜宵は真っ赤な顔でかなり強めにふるふると首を振った。

「ぜ、全ッ然やじゃない! し、視界も不明瞭だったし、助かるよ! それに、僕達いま、王子と姫だもんね。これくらいはむしろ普通だよね、普通!」
「だ、だよな! 普通だよな!」

 王子と姫なら普通!
 この恰好で回って来いって言ってくれた遠藤ありがとう!

「でもさ、片手塞がっちゃったら、ビラ配りにくくない? その都度離して繋ぎ直すっていうのもさ」
「それはまぁ、確かに」

 そう言いながら、する、と手が離れる。もしかしてやっぱりやだった?! そうだよな、何が悲しくて男と手なんか繋がなきゃなんねぇんだ、って話だもんな。だけど夜宵は優しいから、面と向かって「嫌だ」なんて言えなかったのかもしれない。そう思い、密かにショックを受けていると――、

「だからさ」

 と言って、俺の腕を取り、ぎゅっ、としがみつくようにして胸に抱く。

「え、ええええ!? や、やよ、夜宵!?」
「これなら、こっちの手でビラを持てるでしょ。ど、どうかな? それにほら、この方がそれらしくない?」

 わずかに背の低い俺に合わせて、ほんの少し腰を落としてくれているらしく、上目遣いで、俺を見つめる。いくら役に入っていても恥ずかしいのだろう、顔は真っ赤だし、目も潤んでいる。

「な、ナイスアイディア! さすがは夜宵だな、うん! こ、これで行こう! 俺達、王子と姫だしな!」

 何これ。俺今日死ぬのかな……?

「歩きづらくないか? 俺の方が低くてごめん」
「大丈夫だよ。ちょっと凭れる感じになっちゃって、僕の方こそごめんね」
「全然! 全然もう、ガツンと凭れてくれ!」
「あはは、ガツンと凭れるって何?」
「もう、その、何だ。ぶら下がるくらいの勢いでも可、みたいな?」
「さすがに重いでしょ、それは」
「だな」

 そうしてしばらく校内を練り歩き、元々そう枚数のないビラを配り終えた。一緒に回る約束はしていたものの、当然こんな形ではなかったし、せっかくの学祭なのにこれで終わっては味気ない。まぁ、俺としては夜宵と腕を組んで歩くなんて夢のようで、空腹感も何もかも吹っ飛んでしまったんだけど、そろそろ昼時だし、きっと夜宵は腹が減っているはずだ。

「なぁ夜宵。腹減らね?」
「うーん、そこまでじゃないけど、せっかくだし、何か食べたいかな」
「俺、喉も渇いたし、ちょっとそこで買ってくる」
「僕も行くよ」
「良いって良いって。その恰好だと大変だろ。劇のお礼もしたいから、俺が奢る。そこのベンチで座って待ってて」

 そう言い残して、ホットドッグと飲み物を売っているクラスに入る。さすがはゴールデンタイム、結構並んでる。
 この恰好をさんざんからかわれたり、あとはどうやら劇を見てくれたらしい他校の女子生徒に声をかけられたり、握手を求められたりしているうちに番が来て、ホットドッグとペットボトルのコーラと緑茶を買う。並んでいるうちに俺も腹が減って来たので、ホットドッグは二人分だ。それらを袋に入れてもらい、夜宵の方へ戻ると――、

「ねぇ、俺らと回らない?」
「おねーさん、何年生? ここの生徒? てことは、あれ、男?」
「めっちゃ可愛いけど、何でそんな恰好してんの? 姫喫茶とか?」

 ベンチに座る夜宵の周りに、他校の生徒と思しきやつらが三人。人見知りの気がある夜宵は、不安そうに眉を寄せている。あんな恰好の夜宵を一人きりにさせてしまったことをすごく後悔した。

「あの、僕、人を待ってるんで」
「えぇ、良いじゃん。連絡だけしとけば」
「はは、声はめっちゃ男じゃん」
「な、行こって――」

 へらへらと軟派な笑みを浮かべて、そいつらの一人が、統一感のないブレスレットをじゃらじゃらと重ね付けしている日に焼けた腕を夜宵に伸ばした。その無粋な手が触れる前に、サッと身を滑り込ませて夜宵の肩を抱く。

「悪いけど、こいつは俺の姫なんだわ」
「うわ、何だお前」
「見りゃわかんだろ、王子だよ、王子」

 ぎぃぃ、と睨みつけてやると、そいつらはあっさりと引いた。そこまで本気でナンパしていたわけではないのだろう、たぶん、『他校の文化祭』という非日常感に当てられてちょっとテンションが上がってしまっただけなのだ。

「うお、マジで王子じゃん」
「やべ、マジ王子来たわ」
「マジで王子なんだわ。だからほら、散れ、散れ」
「何これ、何でこんなカッコしてんの」
「劇だよ、劇。白雪姫の。午後もやるから見に来いよ。ここ真っすぐ行ったとこのホールな」
「白雪姫っつーことは、何、お前らチューすんの?」

 俺のペラペラのマントをばふばふさせながら、俺よりもっと明るい髪をしたやつが言う。

「し、しねぇし! ていうか、こいつはその、何だ、さっきたまたまユージョーシュツエンしただけだから! 流れでいま宣伝に駆り出されてるだけ!」
「なぁんだ。お前らがイチャつくなら見てぇと思ったのに。なぁ?」
「そうそう。そんじゃ何? 姫不在の白雪姫なのかよ」
「本物の姫は別のやつなの!」

 俺を軽々とお姫様抱っこするやべぇムキムキの角田姫がな!

「えー、そんじゃあさ」

 軟骨までバチバチに穴のあいた赤髪が、夜宵に手を伸ばす。

「こっちの姫は偽物なんだろ? やっぱ俺らにちょーだいよ」

 その手を、ぺし、と叩く。もちろん、加減して、だ。まだじゃれ合いで済むレベルのやつ。他校生とのトラブルは避けたい。

「だーから」

 そいつも、俺の意を汲んでくれたのたろう、ちょっとおどけて「ひでぇ、暴力王子じゃん」と笑っている。

「触んなっての。偽物でも何でも、こいつは俺の。午後の部は二時からだ。ムキムキの姫が出るから、見に来い。行くぞ、夜宵」
「ま、待ってよ萩ちゃん!」

 ぐい、と手を掴んで歩き出す。急に引っ張ってしまったからだろう、バランスを崩した夜宵が俺の背中に倒れ込んでくる。

「わ、わわわ。ごめん」
「俺こそごめん。無理に引っ張って」

 そんなやりとりをする背中に、さっきのやつらの冷やかしがぶつかる。

「王子〜、もっと姫を大事にしてやれよ〜」
「お手をどうぞ、だろ。下手くそ〜」
「つうか、姫の方デカくね?」

 うるせぇ。そんなのいまからやるっつーの。あと、デカいとか言うな。デカいけど。

 そいつらの声が聞こえているのかいないのか、何やら気まずそうな顔で、少しめくれてしまった裾をひらひらと直している夜宵の手をそっと取る。

「お姫様、ほら、行くぞ」
「……うん」
「ごめん、ホットドッグ、ちょっと潰れたかも」

 ビニール袋に入れてもらったホットドッグは、一連のあれやこれやでコーラと緑茶の下敷きになっている。

「大丈夫だよ。ありがとうね」
「良いって、これくらい」
「えっと、そうじゃなくて」
「うん?」
「助けてくれてありがとう、の方。僕、ああいう時どうしたらいいかわからなくて」
「良いよ良いよ」
「ほんとの王子様みたいだった」
「……そうか?」

 本当の王子様なら、こんな乱暴に奪還はしないはずだと思いつつも、悪い気はしない。