「絶対一位取って来るからな!」
そう言って大きく手を振り、目が眩みそうになるくらいの笑顔を僕に向けて、萩ちゃんは集合場所へと駆けていった。頑張って、とその背中に声をかけると、ぐっと拳を振り上げて応えてくれる。
コースの途中には、一階の教室から運んで来た机がいくつか並んでいる。その上には、風で飛ばされないように養生テープで貼り付けた借り物札と――、
「はちまき?」
赤組でも白組のものでもない、ピンク色のはちまきが置かれていた。あれも何かに使うのだろう。細かいルールなどは当日まで知らされないのだ。何せ、走って、札を見て、それに書かれた『物』をどこからか調達して走る、それだけの競技である。
萩ちゃんはウチのクラスの南雲君と何やら親し気に会話をしている。あんなに仲良かったっけ、あの二人……?
そう思って首を傾げていると、後ろから肩をトントンと叩かれた。振り向くと、そこにいたのは同じクラスの紺野那由多――なゆ君だ。
「ねぇねぇやよちん」
「なゆ君、どうしたの? ……南雲君の応援?」
声を落としてそう言うと、なゆ君は、へへ、と笑ってから「そうそう」と返してきた。彼らのお付き合いは順調のようだ。
「それもそうなんだけど。南城さ、俺の村ちゃんとちょっと近すぎじゃない?」
「そうかな? 萩ちゃんは誰とでもあんな感じだよ?」
「あのコミュ力おばけめ……。ちょっとやよちんから釘刺しといてよ、村ちゃんはあげないよ、って」
「釘刺さなくても大丈夫だと思うけどなぁ」
だって萩ちゃんは普通に女の子が好きだと思うし、と言うと、なゆ君は、ぴゃっ、と飛び上がって「嘘だ!」と驚いた。なゆ君は小動物っぽい。小柄で、いつも何かとぴょこぴょこしているのである。
「嘘だ、って何で? そんな驚くこと?」
「俺、絶対南城ってやよちんのこと好きなんだと思ってた。だからてっきり男もイケるんだと。だってほら、村ちゃんって、スラッとしてるし、さっぱりしたイケメンだから、どっちかっていうとやよちんと系統似てるかなって」
「なゆ君さっきから何言ってるの? 萩ちゃんは僕のこと、親友としては好きでいてくれてると思うけど、そういうんじゃないし。僕、南雲君みたいな爽やかなスポーツマンでもないよ?」
「そうかなぁ?」
そんな話をしていると、パァン! とピストルが鳴った。話は一旦中断して、僕達はそれぞれの応援に集中する。なゆ君は南雲君を、僕は萩ちゃんを。何となくどちらの方がより大声で応援出来るか、みたいな意地の張り合いになり、喉が破けるんじゃないかってくらいの声で僕は萩ちゃんを応援した。敵チームだって構うもんか。
「うぐぅぅぅぅ、南城めぇぇぇぇ、何であいつ帰宅部の癖に速いんだよぉぉぉぉぉぉ」
村ちゃんが二位になっちまっただろぉぉぉぉ、と小さな手をぎゅっと握って、なゆ君が悔しそうな声を上げる。ぎりぎりという歯ぎしりまで聞こえてくるようだ。ねぇ、いつもとキャラ違わない?
「不思議だよねぇ。萩ちゃん、足も速いしさ、球技も何でも出来ちゃうんだよ。そうそう、こないだなんて一緒に音楽番組見てたんだけど、そこで流れてたアイドル――『SNOW−GUYS』のダンスも一回で覚えちゃって、踊って見せてくれてさぁ。僕、うちわとか本気で作るところだったよ。すごくない?」
萩ちゃんのすごさを我がことのように語っていると、なゆ君は、あからさまに嫌そうな顔をして「チッ、彼氏自慢かよ」とどすの効いた声を出した。
「だから、僕と萩ちゃんはそういうんじゃ――」
両手を振って否定していると、なゆ君が「あ」とグラウンドを指差した。思わず僕もそちらを見る。
「あれ、萩ちゃん。こっちに走って来る」
「何かやよちんに借りたい物でもあるんじゃない?」
「え? 僕? だけど、僕何も持ってないよ? あ、眼鏡?」
「眼鏡は借り物競争の定番だもんね。うん、眼鏡だねこれは」
そうこう話しているうちに、息を切らせて萩ちゃんはやって来た。膝に手を当て、はぁはぁと荒く呼吸している。
「萩ちゃんどうしたの? 何? 僕、何か貸せば良いの? やっぱり眼鏡?!」
ていうか、生徒全員、身に着けているものはほぼほぼ同じなのだ。だから、他の生徒が持っていなそうなものと言えば、眼鏡くらいしかない。まぁ、それにしたって、他にも眼鏡の人はいるけど。そう早合点して眼鏡を外そうとすると、その手を取られた。
「ちょ、来て」
「は?」
眼鏡じゃないの?
状況がつかめず、呆けている僕の前に、萩ちゃんが右足を前に出して、手に持っているピンク色のはちまきを振って見せてきた。
「はぁ、あ、足」
「あ、足?」
あっ、もしかして二人三脚!? 僕を連れてくってことだね? そうか、眼鏡なんて手で持ったら危険だもんね? 本人ごと連れて来いってことなのかも! そうか、つまりお題は『眼鏡をかけた人』だ!
そういうことならお安い御用だよ! と左足を出す。萩ちゃんは二人の足をぎゅっとはちまきで束ねて、行くか、と顔を上げた。うわわ、萩ちゃんが近い。ちょっと恥ずかしい。
「だけど、僕、萩ちゃんの速さにはついていけないと思うよ」
「全力で走らねぇから大丈夫! ちゃんと合わせるから。せーの!」
萩ちゃんは、優しい。
同じ眼鏡君でも、もっと足の速い生徒はいただろうに。
何とか足手まといにならないよう、頑張らなくちゃ、と気負ったのがまずかったのかもしれない。
「どわぁっ!?」
「わ、わわわ!」
どちらの足から出すかを決めずに勇んでスタートした僕達は、ものの見事にすっころんだ。萩ちゃんはちゃんと手をついて顔面直撃は免れたけど、僕はやっぱり鈍臭い。ほっぺたから着地である。ああ恰好悪いなぁ。
頬についた土を払っていると、萩ちゃんが気の毒なくらいに青い顔で心配してくる。大丈夫大丈夫、こんなのかすり傷だから。それよりも――、
どうやら左足を軽く捻ってしまったらしい。
上手く力が入らない。どうしよう、走れるかな。いまからでも他の子に代わってもらった方が良いかな。だけど、本当は萩ちゃんと一緒に走りたい。こんなに公然とくっつけることなんてそうそうないし。
まぁ別に多少悪化したとしても僕は運動部でもないし、その後の生活に支障はないから、ちょっとくらい無理しても大丈夫。
そんなことを考えて、仕切り直し、とばかりに「こっちの足からにしようか」と努めて明るい声を出す。少し動かすと、ぴきり、と痛みが走った。でも大丈夫、我慢出来ない痛みってわけでもない。
「夜宵、何か足変じゃねぇか?」
「え? そんなことないよ。大丈夫。ほら、早くしないと出遅れちゃうよ」
何でそんなに察しが良いんだ、萩ちゃん。
でも、走り出しちゃえば――、などと考えていると、萩ちゃんは、すっと腰を落とした。どうしたの? と声をかけたけど、それには答えてくれず、ただ無言ではちまきを解き、おっかない顔で僕を見上げた。怒ったのかな。僕が嘘をついたから。どうしよう。
「ごめ――」
「ごめん!」
僕の声をかき消すボリュームで、そう叫んだあと、萩ちゃんは、僕を横抱き――いわゆるお姫様抱っこで持ち上げた。
「え? ちょ、萩ちゃん?!」
「揺れるからしゃべんな! 舌噛むぞ!」
「そ、それは萩ちゃんもおな、同じなん、じゃ……!」
「スピード上げるから、マジでしゃべんな!」
こめかみから汗をだらだらを流しながら、萩ちゃんは、ものすごい勢いでコースを走っていく。
応援席からは、萩ちゃんを揶揄うような応援が聞こえてくる。だって、同い年の男をお姫様抱っことか、なんの罰ゲームだって話だし。
申し訳なさすぎる。このまま丸まって、小さくなって、消えてしまいたい。
「萩ちゃん、ごめ、ごめん! なんか、僕のせいでっ」
「良いから! 夜宵は気にすんな!」
「重いでしょ? 僕、走れるし」
「重くねぇ! 何のために鍛えてると思ってんだっ!」
「な、何のため……?」
「っこ、こういう時にっ、お前抱えて走るために決まってんだろっ!」
萩ちゃんは、その場しのぎの嘘なんかつかない。だからきっと、本当なんだろう。だけどたぶん、僕を、っていうのはさすがにリップサービスだと思う。正しくは、怪我人を、とかそういうことなのだ。救急隊員でも目指してるのかな。萩ちゃんならきっとなれるよ。
萩ちゃんは、僕を抱えたまま走り切った。そして、そのままの状態で保健室へ向かうと言い出した。
玄関が近付くと、さすがに人気もなくなる。
揶揄ってくる人がいなくなると、逆に恥ずかしさが込み上げてくる。無言が怖くて、恐る恐る、そろそろ下ろしても良くない? とお伺いを立てた。
「いーや、駄目だ。ここまで来たら、これで保健室まで行く」
強い口調ではあったけど、声のトーンはいつもの優しい萩ちゃんだ。そのことにホッとする。けど。
「そんなぁ……」
さすがに僕だってお姫様抱っこは恥ずかしいよ。
「だいたいな、何で我慢しようとすんだよ。あのまま走ってたら、悪化してたんだぞ」
「だって、萩ちゃんの足手まといになると思ったし。一位取るって言ってたから」
「そんなの、どうだって良いんだって。夜宵の足の方が大事に決まってんだろ」
萩ちゃんは、何でも真っすぐだから。
たぶん本当にそう思ってくれているのだ。
僕のこと、本当に心配してくれたのだろう。
「……ありがと」
その後に続けたかった「大好き」の言葉はぐっと飲み込んだ。その代わりに吐き出した、せめておんぶにして、というお願いは聞き入れてもらえた。恥ずかしいし、情けないけど、萩ちゃんの背中は、僕より大きくて、温かかった。
そう言って大きく手を振り、目が眩みそうになるくらいの笑顔を僕に向けて、萩ちゃんは集合場所へと駆けていった。頑張って、とその背中に声をかけると、ぐっと拳を振り上げて応えてくれる。
コースの途中には、一階の教室から運んで来た机がいくつか並んでいる。その上には、風で飛ばされないように養生テープで貼り付けた借り物札と――、
「はちまき?」
赤組でも白組のものでもない、ピンク色のはちまきが置かれていた。あれも何かに使うのだろう。細かいルールなどは当日まで知らされないのだ。何せ、走って、札を見て、それに書かれた『物』をどこからか調達して走る、それだけの競技である。
萩ちゃんはウチのクラスの南雲君と何やら親し気に会話をしている。あんなに仲良かったっけ、あの二人……?
そう思って首を傾げていると、後ろから肩をトントンと叩かれた。振り向くと、そこにいたのは同じクラスの紺野那由多――なゆ君だ。
「ねぇねぇやよちん」
「なゆ君、どうしたの? ……南雲君の応援?」
声を落としてそう言うと、なゆ君は、へへ、と笑ってから「そうそう」と返してきた。彼らのお付き合いは順調のようだ。
「それもそうなんだけど。南城さ、俺の村ちゃんとちょっと近すぎじゃない?」
「そうかな? 萩ちゃんは誰とでもあんな感じだよ?」
「あのコミュ力おばけめ……。ちょっとやよちんから釘刺しといてよ、村ちゃんはあげないよ、って」
「釘刺さなくても大丈夫だと思うけどなぁ」
だって萩ちゃんは普通に女の子が好きだと思うし、と言うと、なゆ君は、ぴゃっ、と飛び上がって「嘘だ!」と驚いた。なゆ君は小動物っぽい。小柄で、いつも何かとぴょこぴょこしているのである。
「嘘だ、って何で? そんな驚くこと?」
「俺、絶対南城ってやよちんのこと好きなんだと思ってた。だからてっきり男もイケるんだと。だってほら、村ちゃんって、スラッとしてるし、さっぱりしたイケメンだから、どっちかっていうとやよちんと系統似てるかなって」
「なゆ君さっきから何言ってるの? 萩ちゃんは僕のこと、親友としては好きでいてくれてると思うけど、そういうんじゃないし。僕、南雲君みたいな爽やかなスポーツマンでもないよ?」
「そうかなぁ?」
そんな話をしていると、パァン! とピストルが鳴った。話は一旦中断して、僕達はそれぞれの応援に集中する。なゆ君は南雲君を、僕は萩ちゃんを。何となくどちらの方がより大声で応援出来るか、みたいな意地の張り合いになり、喉が破けるんじゃないかってくらいの声で僕は萩ちゃんを応援した。敵チームだって構うもんか。
「うぐぅぅぅぅ、南城めぇぇぇぇ、何であいつ帰宅部の癖に速いんだよぉぉぉぉぉぉ」
村ちゃんが二位になっちまっただろぉぉぉぉ、と小さな手をぎゅっと握って、なゆ君が悔しそうな声を上げる。ぎりぎりという歯ぎしりまで聞こえてくるようだ。ねぇ、いつもとキャラ違わない?
「不思議だよねぇ。萩ちゃん、足も速いしさ、球技も何でも出来ちゃうんだよ。そうそう、こないだなんて一緒に音楽番組見てたんだけど、そこで流れてたアイドル――『SNOW−GUYS』のダンスも一回で覚えちゃって、踊って見せてくれてさぁ。僕、うちわとか本気で作るところだったよ。すごくない?」
萩ちゃんのすごさを我がことのように語っていると、なゆ君は、あからさまに嫌そうな顔をして「チッ、彼氏自慢かよ」とどすの効いた声を出した。
「だから、僕と萩ちゃんはそういうんじゃ――」
両手を振って否定していると、なゆ君が「あ」とグラウンドを指差した。思わず僕もそちらを見る。
「あれ、萩ちゃん。こっちに走って来る」
「何かやよちんに借りたい物でもあるんじゃない?」
「え? 僕? だけど、僕何も持ってないよ? あ、眼鏡?」
「眼鏡は借り物競争の定番だもんね。うん、眼鏡だねこれは」
そうこう話しているうちに、息を切らせて萩ちゃんはやって来た。膝に手を当て、はぁはぁと荒く呼吸している。
「萩ちゃんどうしたの? 何? 僕、何か貸せば良いの? やっぱり眼鏡?!」
ていうか、生徒全員、身に着けているものはほぼほぼ同じなのだ。だから、他の生徒が持っていなそうなものと言えば、眼鏡くらいしかない。まぁ、それにしたって、他にも眼鏡の人はいるけど。そう早合点して眼鏡を外そうとすると、その手を取られた。
「ちょ、来て」
「は?」
眼鏡じゃないの?
状況がつかめず、呆けている僕の前に、萩ちゃんが右足を前に出して、手に持っているピンク色のはちまきを振って見せてきた。
「はぁ、あ、足」
「あ、足?」
あっ、もしかして二人三脚!? 僕を連れてくってことだね? そうか、眼鏡なんて手で持ったら危険だもんね? 本人ごと連れて来いってことなのかも! そうか、つまりお題は『眼鏡をかけた人』だ!
そういうことならお安い御用だよ! と左足を出す。萩ちゃんは二人の足をぎゅっとはちまきで束ねて、行くか、と顔を上げた。うわわ、萩ちゃんが近い。ちょっと恥ずかしい。
「だけど、僕、萩ちゃんの速さにはついていけないと思うよ」
「全力で走らねぇから大丈夫! ちゃんと合わせるから。せーの!」
萩ちゃんは、優しい。
同じ眼鏡君でも、もっと足の速い生徒はいただろうに。
何とか足手まといにならないよう、頑張らなくちゃ、と気負ったのがまずかったのかもしれない。
「どわぁっ!?」
「わ、わわわ!」
どちらの足から出すかを決めずに勇んでスタートした僕達は、ものの見事にすっころんだ。萩ちゃんはちゃんと手をついて顔面直撃は免れたけど、僕はやっぱり鈍臭い。ほっぺたから着地である。ああ恰好悪いなぁ。
頬についた土を払っていると、萩ちゃんが気の毒なくらいに青い顔で心配してくる。大丈夫大丈夫、こんなのかすり傷だから。それよりも――、
どうやら左足を軽く捻ってしまったらしい。
上手く力が入らない。どうしよう、走れるかな。いまからでも他の子に代わってもらった方が良いかな。だけど、本当は萩ちゃんと一緒に走りたい。こんなに公然とくっつけることなんてそうそうないし。
まぁ別に多少悪化したとしても僕は運動部でもないし、その後の生活に支障はないから、ちょっとくらい無理しても大丈夫。
そんなことを考えて、仕切り直し、とばかりに「こっちの足からにしようか」と努めて明るい声を出す。少し動かすと、ぴきり、と痛みが走った。でも大丈夫、我慢出来ない痛みってわけでもない。
「夜宵、何か足変じゃねぇか?」
「え? そんなことないよ。大丈夫。ほら、早くしないと出遅れちゃうよ」
何でそんなに察しが良いんだ、萩ちゃん。
でも、走り出しちゃえば――、などと考えていると、萩ちゃんは、すっと腰を落とした。どうしたの? と声をかけたけど、それには答えてくれず、ただ無言ではちまきを解き、おっかない顔で僕を見上げた。怒ったのかな。僕が嘘をついたから。どうしよう。
「ごめ――」
「ごめん!」
僕の声をかき消すボリュームで、そう叫んだあと、萩ちゃんは、僕を横抱き――いわゆるお姫様抱っこで持ち上げた。
「え? ちょ、萩ちゃん?!」
「揺れるからしゃべんな! 舌噛むぞ!」
「そ、それは萩ちゃんもおな、同じなん、じゃ……!」
「スピード上げるから、マジでしゃべんな!」
こめかみから汗をだらだらを流しながら、萩ちゃんは、ものすごい勢いでコースを走っていく。
応援席からは、萩ちゃんを揶揄うような応援が聞こえてくる。だって、同い年の男をお姫様抱っことか、なんの罰ゲームだって話だし。
申し訳なさすぎる。このまま丸まって、小さくなって、消えてしまいたい。
「萩ちゃん、ごめ、ごめん! なんか、僕のせいでっ」
「良いから! 夜宵は気にすんな!」
「重いでしょ? 僕、走れるし」
「重くねぇ! 何のために鍛えてると思ってんだっ!」
「な、何のため……?」
「っこ、こういう時にっ、お前抱えて走るために決まってんだろっ!」
萩ちゃんは、その場しのぎの嘘なんかつかない。だからきっと、本当なんだろう。だけどたぶん、僕を、っていうのはさすがにリップサービスだと思う。正しくは、怪我人を、とかそういうことなのだ。救急隊員でも目指してるのかな。萩ちゃんならきっとなれるよ。
萩ちゃんは、僕を抱えたまま走り切った。そして、そのままの状態で保健室へ向かうと言い出した。
玄関が近付くと、さすがに人気もなくなる。
揶揄ってくる人がいなくなると、逆に恥ずかしさが込み上げてくる。無言が怖くて、恐る恐る、そろそろ下ろしても良くない? とお伺いを立てた。
「いーや、駄目だ。ここまで来たら、これで保健室まで行く」
強い口調ではあったけど、声のトーンはいつもの優しい萩ちゃんだ。そのことにホッとする。けど。
「そんなぁ……」
さすがに僕だってお姫様抱っこは恥ずかしいよ。
「だいたいな、何で我慢しようとすんだよ。あのまま走ってたら、悪化してたんだぞ」
「だって、萩ちゃんの足手まといになると思ったし。一位取るって言ってたから」
「そんなの、どうだって良いんだって。夜宵の足の方が大事に決まってんだろ」
萩ちゃんは、何でも真っすぐだから。
たぶん本当にそう思ってくれているのだ。
僕のこと、本当に心配してくれたのだろう。
「……ありがと」
その後に続けたかった「大好き」の言葉はぐっと飲み込んだ。その代わりに吐き出した、せめておんぶにして、というお願いは聞き入れてもらえた。恥ずかしいし、情けないけど、萩ちゃんの背中は、僕より大きくて、温かかった。