俺がほんのり嫌味を込めると、別所の表情は少し強張ったように見えた。
「昔、陸上をやっていましたので」
 そう言うと、別所は口をつぐんだ。硬いままの表情に、俺は少しだけ後味の悪さを感じる。何だか触れちゃいけないところに触れてしまったのかも。

「スタッフに迷惑が掛かりますので、お喋りは終わりです。戻りましょう」
 そんな俺の胸に、無愛想極まりない一言が突き刺さる。くそ、ちょっとでも悪かったなんて思った俺の気持ちを返せ。
「わ、分かってるっつの」
 バツの悪さを隠すように、大股で別所の脇を通り過ぎようとした時。

「危ないっ」

 お客さんの整列に使うベルトパーテーションが、倉庫脇に並べられていた。ロケが終わり次第、すぐに準備するものなんだろう。俺は、そのベルトに思いっきり引っ掛かってしまったのだ。
 連結しているパーテーションが、まとめて倒れてきた。やばい。引っ掛かっているのは俺だから、止めることもできない。

「こっちに!」
 ぐいっと腕を引っ張られ、俺の目の前が暗くなる。別所の胸に抱え込まれたと気付いたのは、数秒後のことだった。

「大丈夫ですか?」
 おそるおそる目を開けてみれば、別所は何事もなかったかのように倒れた数本のパーテーションを元の位置に戻し始めていた。慌てて、俺も残りを片付ける。
「あー、そのぉ……、すいません……」
「いえ。怪我をしなくて良かったですね。トレーニングを数日怠れば、それだけ戻すのが大変になりますから」
 やっぱり別所の言い方は気に食わない。助けてもらった身ではあるけど、素直な気持ちにはどうしてもなれなかった。 
「ここでの件は一切口外しません。離れたところで待機していますので、さきほどの位置から再開して下さい」
 別所の事務的な言葉に、今起こった出来事は、気のせいだったのかと錯覚しそうになる。

 俺を助けてくれたのは、本当に別所だったのか? 力強い腕は、胸の中は、本当に別所のものだったのか?

「神崎さんすみません。はぐれちゃって。アトラクションの前あたりから撮り直してもいいですか?」
 別所と距離を取りながらエリア内へと戻ると、カメラマンさんが息を切らせながら走ってきて、はっと自分を取り戻した。
「こちらこそ、急にダッシュなんかしてしまって。ご迷惑をお掛けしてすみませんでした」