電車に揺られて途中で高校の最寄り駅を挟み、数駅走ったところで、夕里は手元のスマートフォンをバッグにしまい、スーツの列に続いて降りる。

鍵のかけられていない門扉をくぐり、夕里は自分の家に入る。

明かりのついているリビングには、すでに千里(せんり)が帰っていていつも通り家族3人分の料理がテーブルに並んでいる。

ソファで寝ている千里の胸元には、光ったままのスマートフォンが落ちている。

茅野の家を出る前から届いている「いつ帰るの?」のメッセージの数は、もう3桁に届きそうだ。

忍び足で自分の部屋へ直行しようとすると、後ろで呼び止める声がして、夕里はぎくりとする。

「おい、バカ兄貴。遅くなるなら連絡しろって言ったよな? 夕飯つくって一緒に食べるために、何時間も待ってたんだけど?」

「ご……ごめんなさいぃ。これにはちゃんとした理由があって……」

「どうせ甘いもの食べまくって帰って来たんだろ。……それ、何? いつものスイーツ店のやつじゃない」

夕里の体操着を古着感覚で寝間着として使っている千里は、欠伸をしながら近付いてきた。

中学2年生で3歳下の千里とはほとんど背丈も服のサイズも変わらない。

成長痛が鬱陶しい、と幾度か溢しているので、もう1年も経たないうちに追い抜かされそうだ。

「お惣菜入ってる。兄貴、甘いものしか食べられないくせに」

「……そーだよ。甘いやつだけもらってきたし」

かやのやの惣菜をレンジで温めようとするも、使い方が分からなくて困ってしまう。

ガスコンロの点火の方法も知らないし、炊飯器で白ご飯を炊くことすら出来ない。

自分の生活に必要のない利器だと言ってしまえばそれまでだけれど。

「それ、温めんの? もう……本当、兄貴って俺がいないと何にも出来ないよね」

呆れ返りながりも、千里はレンジのボタンをぽちぽちと押して操作してくれる。

中でくるくるとかぼちゃコロッケが回り始めると、夕里は「おお」と感嘆した。

電子レンジに爛々とした目を向ける夕里をよそに、千里は作りおきしていたシチューを温め直す。

「相変わらず機械に強いなぁ、千里は。養ってくれる弟がいて、お兄ちゃん幸せ」

「兄貴が世間知らずなんだよ。早く自立して俺の負担を減らしてくれる?」

千里に毒吐かれて、夕里はう、と言葉をつまらせる。


──褒めたら「お兄ちゃん大好き。お兄ちゃんのために頑張るね」って言ってくれたのに、今は口だけじゃなくて行動で示せ、だもんなぁ。


九重家のヒエラルキーでは、働いて一家を支えている母親が頂点に座していて、その下には九重家の家事全般を担う千里、最底辺がふらふらと遊んでいる夕里だ。

あらかじめ蒸していた野菜をココット皿の底に並べて、生クリームのたっぷり使ったルーを回しかけると、千里お手製のシチューが出来上がる。

とろっとした口当たりのいいシチューは甘く、夕里の大好物だ。

じゃがいもや人参、玉ねぎはなかなかに大振りだけれど、芯まで熱が通っていて素材の甘味がよく出ている。

「やっばり千里のつくるシチューは美味しいな。好き」

「そんなんで水に流してあげないからな、バカ兄貴」

「あっ、千里も惣菜食べな。茅野のところのかぼちゃコロッケ、すっごく美味しかったから!」

「ふーん……俺を放っておいて美味しいもの食べてきたのかよ」

図星を突かれて、夕里は分かりやすく押し黙った。

拗ねたのはほんのわずかな時間だけだったので、ほっと胸を撫で下ろす。

千里もかやのやの惣菜が気に入ったらしく、数種類の中から交互に口へと運んでいく。

「うん、確かに美味しい。隠し味に味噌使ってるんだ。そぼろによく味がついてる」

「本当に? 隠し味って隠れて分かんないから隠し味じゃないの?」

「毎日料理つくってるんだから、それくらい分かる。甘いものしか食べないバカ舌の兄貴じゃないんだし」

兄である威厳の欠片もない夕里は、完全に言い負かされる。

夕里には手厳しいが、女の子には物腰柔らかなタイプを演じているため、中学では彼氏にしたいランキングのトップに輝いている。

同性からの妬みをさぞかし買っているのかと思いきや、弁護士である母親の才能を受け継いでいて、コミュニケーション能力が異様に高く、上手くあしらっているようだ。

「あんなに食わず嫌いだったのに、茅野の家の惣菜は食べるんだ……?」

「甘いもの限定でな。砂糖入ってない食べものなんて絶対食べられない、って思ってたのに。意外といけるもんだな」

珍しく箸を使って食事をする夕里に、向かい側で不満そうな顔をしている。

次はどんなお説教が飛んでくるのかひやひやしたけれど、その夜は久しぶりに平穏に過ごせた。