茅野の姿を見て安心しきったのか、小学生らしく甘えてぐずり始める。

幼かった頃の弟を思い出して、夕里も懐かしみを覚えた。

弟もお兄ちゃんっ子だったのに、中学校に入学した直後から生意気に育ってしまった。

昔は「お兄ちゃん大好き」アピールを振り撒きながら、夕里の後をついてまわっていたのに今では見る影もない。


──まあ、うちの家庭はアレだしなぁ。


反抗期に突入するのは致し方ないが、夕里は弟の扱いにすっかり手を焼いていた。

「甘いもの食べに行くのは今度でいい? 今日は(さとる)と一緒に帰るわ」

「いや……俺は別にいいけど」

事情はよく分からないし、多分、自分には関係ないのだろう。

それでもえんえんと泣きじゃくり、「舜にい」と繰り返す茅野の弟を見ていると、未消化のものがいつまでも残っている気がして胃がむかむかする。

「悟、次からは携帯に電話しろよ。会えたからよかったけど、入れ違ってたらずっと迷子だったぞ」

「ごめんなさい……舜にい」

努めて怒りを潜めながら、茅野は言い聞かせる。

悟はまだ混乱していて、少しかわいそうだと思った。

「……まあ、悟くんも茅野にすぐ会いたいくらい不安だったんじゃない? あんまり怒ってやるなよ、お兄ちゃん?」

「そっちのピンクの人……舜にいの友達?」

「はあ? ピンクだと!?」

今度は夕里のほうが、茅野にまあまあと宥められる。

マスコットキャラに憧れるようなキラキラした目を向けられるのが、やけに眩しかった。

「じゃあ、帰るな」

「だめー! ピンクのお兄ちゃんもついてきて! 舜にいはお家の手伝いで、お兄ちゃんは俺と一緒に舞のお世話するの!」

「はい!? 俺も行くの!?」

悟が腕を離さまいと力を込めてくるので、良心の欠片が痛む。


──無理だ……! こんなに必死に助けを求められてるのに、断れる訳なんてないっ。


夕里はずるずると引っ張られて、家とは反対方向の電車に乗る。

揺れる電車の中で懸命に踏ん張る悟の頭を、よしよしと撫でた。

茅野にもこんなに可愛い時期がきっとあったんだな、と夕里はぼんやり思う。

視線は無意識に、扉にもたれかかる茅野のほうに向いていて、目が合った瞬間にはっとなる。

夕里は唇をつんと尖らせて、すぐに流れる景色へ顔を向けた。



……────。



駅から徒歩2分の場所に暖簾を提げた店があり、1人分開いた引き戸の間からたくさんの人がいることが窺える。

「かやのや」という看板の横には、お弁当やお惣菜を取り扱っていると紹介があった。

裏手にある鉄骨の階段を使って、夕里と茅野、悟の3人は子供部屋に入る。

「舞っ。舜にい連れてきたから!」

襖で仕切られた向こう側には、布団が1組敷かれている。

「……舜にい。悟にい、帰ってきたぁ……おかえりなさい」

「起きなくていいよ。夕ご飯までまだ時間あるから寝てな。熱、またぶり返したのか?」

「うん……お熱あるけど元気だよ」

舞は平気そうに笑ってみせているけれど、声の端っこは掠れている。

茅野はてきぱきと濡れたタオルを、側にあった水桶に浸けて絞り直すと小さな額を覆った。

「冷たくて、気持ちい……」

弟や妹に頼られている茅野を見ていると、羨ましくなる。

いつも3歳下の弟に頼っていてばかりで、思えば夕里は兄らしいことなどしてやれなかった。

夕里は敷居を跨いで、畳の敷いている部屋に腰を下ろした。

「舞ちゃん1人でお留守番偉かったね」

「お兄ちゃん……誰?」

「茅野……えっと、舜の友達だよ。九重 夕里っていうんだ」

同級生というのも伝わりにくいような気がして、夕里は丸い意味の言葉で伝える。

初対面の夕里に対して警戒していたのが、徐々に心の壁が薄くなっていく。

「夕里お兄ちゃんは長いから、夕にいだね」

「夕にいだっ、夕にい!」

えへへー、と顔を綻ばせる舞と悟を見て、夕里も心の底から嬉しくなる。

夕にいなんて呼ばれたのは何年振りだろうか。


──本当可愛いなぁ。うちの弟に爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらい可愛い。


「あんまり馴れ馴れしく呼んだら失礼だろ」

「いいよ。俺も弟いるけど、全然お兄ちゃんって呼んでくれないし可愛さの欠片もないやつだから。お兄ちゃん扱いしてくれて嬉しい」

夕にいという愛称ですっかり気に入られて、夕里は引っ張りだこだ。

舞にはお歌をうたって、とせがまれるし、悟には宿題を見て欲しいと腕を引っ張られる。

「舞ちゃんと悟くんは俺が見てるからさ。家のお手伝い? してきたら。結構忙しそうだったし」

「……巻き込んで悪いな」

「だからいいってば。面倒見るの好きだし」

制服の上着を吊るして身支度を整えると、「夕里お兄ちゃんに迷惑かけるなよ」と念押しして、茅野は下に降りていった。

舞と悟は好奇心旺盛で人懐っこくて、「教えて、教えて」と夕里にお願いする。

頼られる経験が今までなかった夕里は、上機嫌でそれに答えた。

「夕にいすごいすごい! 夕にいって意外と頭いいんだね」

「まあ、義務教育終えてるんだから、二桁のかけ算くらいは出来るけどね」

「意外と」という台詞は聞かなかったことにする。小さい子は感性が素直だな、とむしろ感心した。舞は疲れてしまったのか、寝息を立てて眠ってしまっている。

「舜にいって学校でどんな感じなの?」

「どんな感じって……」

知るわけない、と返そうとしたところで、先ほど茅野とは友達だと言ってしまったことを思い出す。

苺の日以前、茅野とは全く接点がなかったし、学校での印象なんて正直知らない。

とりあえず自分が知っている茅野の情報をかき集めて、多少脱色して盛ってやった。