「そ、その格好……」
「ああ、これ? ちび達からの誕生日プレゼントでもらったやつ。かなり年期入ってるけど、買い替えるのも悪いな、って思って」
キッチンに立つ茅野は、デニム生地のエプロンの裾を持ち上げてみせた。
かやのやの仕事着は和服のようなテイストだったのに対し、オフの日はどこかのカフェの店員のような装いだ。
もう何年も同じものを使い続けているのだろう。
腰の辺りは色が落ちて白っぽくなっているし、ポケットには新しい縫い糸がある。
夕里は手に持っていた袋を、ぱっと後ろに隠した。
──俺なんて……茅野と知り合ったのはつい最近だし、茅野の好みだって完全に把握してる訳じゃないしさぁ……。
サプライズなんて夢見ずに、茅野と一緒に出掛けてじっくり選んでもらえばよかった。
可愛い弟と妹からのプレゼントに敵うはずない。
たくさん悩んで決めて、茅野にプレゼントしたらどんな顔をするんだろう、とこれを渡すまでいちいち考えて舞い上がっていたのがバカらしい。
どこにもやりようのない鬱憤が、腹の底に沈んでいく。
──惣菜を売っているのは見たことあったけど、料理をつくるのを見るのは初めてだな。
エプロン姿は見られたし、出来立ての美味しいご飯が食べられるのなら、とポジティブに考えるようにする。
包丁で食材を切る音や、ぐつぐつと煮えるような音がしてきて、テーブルについたままで全く関わっていない夕里も楽しい気分になった。
じゅう、と食欲をそそる音とともにバターの香りが漂ってきて、まだ料理が完成していないのに覗きに行ってしまう。
茅野は集中していて、背後まで近寄った夕里に気付いていない。
「しゅん……」
「なに……?」
顔を確認されるのが恥ずかしい。茅野が返事をして振り返る前に、夕里は後ろから抱きついた。
前に手をまわして、顔をくっつける。茅野の体温が触れているところ全部に伝わる。
「どしたの。急に甘えてきて」
「悪いかっ……。放っておかれて暇なんだからな……構え、バカ」
「今すぐ構いたいんだけど料理中だし、どうしようかな」
沸騰している湯の中で踊っている野菜を、茅野は菜箸で器用に掬っていく。
危ないよ、と注意されても、向こうが折れるまで夕里は拘束を外さない。
普段は制服姿しかお目にかかれていないので、私服姿……今日のようなエプロン姿はかなりレアだ。
「そんなに引っつかれると料理出来ないよ」
「……やだ。お腹空いた」
茅野の左腕に抱きつきながら、夕里は頬を膨らませる。
構って構って、と茅野の動きを制限するほどにぎゅう、と腕を絡ませてさらにキスをせがむ。
今朝から何も入れていないから空腹だ。何でも欲しい。
「味見させてあげるから。もうちょっと待ってて」
甘く夕里を諭す茅野が、フライパンの中のホワイトルーをスプーンで掬っている。
もう一度口付けをするのだと勘違いした夕里は、目を瞑って唇を尖らせたままだ。
「ん……あ……?」
唇ではない何かでつんつんとつつかれて、夕里は閉ざしたそこを開いた。
濃厚で甘い、どろっとした白いものが舌の上に流れ込んでくる。
口の中を動かしてルーを解くと、バターと牛乳の風味と香りが拡がって、幸せな気持ちになる。
「なあ、何つくんの?」
「夕里の好きなもの」
まだ完成形を伴っていない食材達を眺めて、夕里は最近増え始めた自分が食べられるレパートリーの中から近いものを探す。
千里が炊事をしているところをちょこちょこと覗いているが、料理が出来上がっていく過程は魔法みたいですごいと思う。
誇張でもなくて、パーツみたいな食材が集まって一品になるのはなかなかに感動する。
「俺も何か手伝いたいんだけど」
「じゃあ、卵割って溶いてくれる?」
「といて……?」
はい、とボウルを持たせられて夕里は首を傾げる。
「混ぜてっていう意味だよ」と補足されて、夕里は言われた通りに冷蔵庫から卵を取ってきて割り入れる。
「こんなもんでいい?」
「もうちょっと白身を切るようにして混ぜて。そうそう、上手」
匙加減が全く分からないので失敗しないように、茅野に確認をもらってから進めていく。
茅野は別の作業をしながら、夕里の持っているボウルに調味料を適当にくわえる。
小さめのフライパンを取り出すのを見て、夕里は今から何をつくるのか分かった。
「卵焼きつくってくれんの!?」
砂糖を入れた夕里の大好きな甘い卵焼きだ。
薄く油を引いたところに生地を流し込んで、茅野は箸だけでくるくると巻いていく。
ふわふわした黄色い卵焼きが見慣れた形になってきて、夕里は瞳を輝かせる。
「美味しそう……一口だけ食べたい!」
「だぁめ。夕里、お腹膨れて食べられなくなるから」
「一口だけじゃん。端だけでいいから!」
なおもしつこく迫る夕里に、茅野は弟を相手にしているみたいだと苦笑する。
大好物を目の前にして折れる気配のない夕里は、皿に移された卵焼きをじーっと見つめている。
自分の弟に物言いなどはとても恐ろしくてつけられないので、何か思うことがあれば目線で訴えるのだ。
「みっともないから外ではしないでね」と千里は結局甘やかすから、面倒見のいいタイプは大概言うことを聞いてくれるのだと学んでいる。
──俺だって……恋人らしくしたいし……?
反応の薄かった茅野は、視線をずらしながらぼそっと呟く。
「そんな可愛いこと言われると、襲いたくなる」
「お、おそう……!?」
猟奇的な意味かと思い込み、夕里は一気に距離を取って両手を構えた。
よくよく考えてみて「あれ……違うよな?」と心の中で自問する。
表情の移り変わりを見て、夕里の心中を理解した茅野は、ほっとした顔で笑った。
「夕里、無自覚に誘ってくるからドキドキする。俺が今すぐその気にならないように、そうやって自衛してて」
──その気にさせても、よかったんだけどな。
再び作業に戻る茅野の背中に、べーっと舌を出した。
今の自分の顔を鏡に映してみたら、きっと子憎たらしい顔をしているに違いない。
「ああ、これ? ちび達からの誕生日プレゼントでもらったやつ。かなり年期入ってるけど、買い替えるのも悪いな、って思って」
キッチンに立つ茅野は、デニム生地のエプロンの裾を持ち上げてみせた。
かやのやの仕事着は和服のようなテイストだったのに対し、オフの日はどこかのカフェの店員のような装いだ。
もう何年も同じものを使い続けているのだろう。
腰の辺りは色が落ちて白っぽくなっているし、ポケットには新しい縫い糸がある。
夕里は手に持っていた袋を、ぱっと後ろに隠した。
──俺なんて……茅野と知り合ったのはつい最近だし、茅野の好みだって完全に把握してる訳じゃないしさぁ……。
サプライズなんて夢見ずに、茅野と一緒に出掛けてじっくり選んでもらえばよかった。
可愛い弟と妹からのプレゼントに敵うはずない。
たくさん悩んで決めて、茅野にプレゼントしたらどんな顔をするんだろう、とこれを渡すまでいちいち考えて舞い上がっていたのがバカらしい。
どこにもやりようのない鬱憤が、腹の底に沈んでいく。
──惣菜を売っているのは見たことあったけど、料理をつくるのを見るのは初めてだな。
エプロン姿は見られたし、出来立ての美味しいご飯が食べられるのなら、とポジティブに考えるようにする。
包丁で食材を切る音や、ぐつぐつと煮えるような音がしてきて、テーブルについたままで全く関わっていない夕里も楽しい気分になった。
じゅう、と食欲をそそる音とともにバターの香りが漂ってきて、まだ料理が完成していないのに覗きに行ってしまう。
茅野は集中していて、背後まで近寄った夕里に気付いていない。
「しゅん……」
「なに……?」
顔を確認されるのが恥ずかしい。茅野が返事をして振り返る前に、夕里は後ろから抱きついた。
前に手をまわして、顔をくっつける。茅野の体温が触れているところ全部に伝わる。
「どしたの。急に甘えてきて」
「悪いかっ……。放っておかれて暇なんだからな……構え、バカ」
「今すぐ構いたいんだけど料理中だし、どうしようかな」
沸騰している湯の中で踊っている野菜を、茅野は菜箸で器用に掬っていく。
危ないよ、と注意されても、向こうが折れるまで夕里は拘束を外さない。
普段は制服姿しかお目にかかれていないので、私服姿……今日のようなエプロン姿はかなりレアだ。
「そんなに引っつかれると料理出来ないよ」
「……やだ。お腹空いた」
茅野の左腕に抱きつきながら、夕里は頬を膨らませる。
構って構って、と茅野の動きを制限するほどにぎゅう、と腕を絡ませてさらにキスをせがむ。
今朝から何も入れていないから空腹だ。何でも欲しい。
「味見させてあげるから。もうちょっと待ってて」
甘く夕里を諭す茅野が、フライパンの中のホワイトルーをスプーンで掬っている。
もう一度口付けをするのだと勘違いした夕里は、目を瞑って唇を尖らせたままだ。
「ん……あ……?」
唇ではない何かでつんつんとつつかれて、夕里は閉ざしたそこを開いた。
濃厚で甘い、どろっとした白いものが舌の上に流れ込んでくる。
口の中を動かしてルーを解くと、バターと牛乳の風味と香りが拡がって、幸せな気持ちになる。
「なあ、何つくんの?」
「夕里の好きなもの」
まだ完成形を伴っていない食材達を眺めて、夕里は最近増え始めた自分が食べられるレパートリーの中から近いものを探す。
千里が炊事をしているところをちょこちょこと覗いているが、料理が出来上がっていく過程は魔法みたいですごいと思う。
誇張でもなくて、パーツみたいな食材が集まって一品になるのはなかなかに感動する。
「俺も何か手伝いたいんだけど」
「じゃあ、卵割って溶いてくれる?」
「といて……?」
はい、とボウルを持たせられて夕里は首を傾げる。
「混ぜてっていう意味だよ」と補足されて、夕里は言われた通りに冷蔵庫から卵を取ってきて割り入れる。
「こんなもんでいい?」
「もうちょっと白身を切るようにして混ぜて。そうそう、上手」
匙加減が全く分からないので失敗しないように、茅野に確認をもらってから進めていく。
茅野は別の作業をしながら、夕里の持っているボウルに調味料を適当にくわえる。
小さめのフライパンを取り出すのを見て、夕里は今から何をつくるのか分かった。
「卵焼きつくってくれんの!?」
砂糖を入れた夕里の大好きな甘い卵焼きだ。
薄く油を引いたところに生地を流し込んで、茅野は箸だけでくるくると巻いていく。
ふわふわした黄色い卵焼きが見慣れた形になってきて、夕里は瞳を輝かせる。
「美味しそう……一口だけ食べたい!」
「だぁめ。夕里、お腹膨れて食べられなくなるから」
「一口だけじゃん。端だけでいいから!」
なおもしつこく迫る夕里に、茅野は弟を相手にしているみたいだと苦笑する。
大好物を目の前にして折れる気配のない夕里は、皿に移された卵焼きをじーっと見つめている。
自分の弟に物言いなどはとても恐ろしくてつけられないので、何か思うことがあれば目線で訴えるのだ。
「みっともないから外ではしないでね」と千里は結局甘やかすから、面倒見のいいタイプは大概言うことを聞いてくれるのだと学んでいる。
──俺だって……恋人らしくしたいし……?
反応の薄かった茅野は、視線をずらしながらぼそっと呟く。
「そんな可愛いこと言われると、襲いたくなる」
「お、おそう……!?」
猟奇的な意味かと思い込み、夕里は一気に距離を取って両手を構えた。
よくよく考えてみて「あれ……違うよな?」と心の中で自問する。
表情の移り変わりを見て、夕里の心中を理解した茅野は、ほっとした顔で笑った。
「夕里、無自覚に誘ってくるからドキドキする。俺が今すぐその気にならないように、そうやって自衛してて」
──その気にさせても、よかったんだけどな。
再び作業に戻る茅野の背中に、べーっと舌を出した。
今の自分の顔を鏡に映してみたら、きっと子憎たらしい顔をしているに違いない。