「兄貴って付き合ってるやついるの」
「……えっ? な、なに……いきなり」
「つい最近までだらしなかったのに、自分でいろいろとやるようになったから。どういう心境の変化なのかなー、って思って」
図星だ。付き合っているというのも、心境の変化をもたらしたのも。
茅野が家でちゃんと「お兄ちゃん」をしているから、それを間近で見ていると恥ずかしくなってきたのだ。
母親は2人を養うために仕事に出ていて、弟は家族が快適に過ごせるように家のことを頑張ってくれている。
夕里はといえば、高校受験が終わった解放感に引きずられて、やりたいことや興味のあることだけを優先していた。
──俺だって、父さんが働いていて母さんが家にいるような家庭がよかった。
我が儘を押しつけるべきなのは母親で、千里ではないと分かっている。
自分だって何かしなきゃとは分かっているのに。
「で、誰かと付き合ってんの?」
「う……うるさいっ。中学生にはまだ早いんだからな!」
付き合うというキーワードに反応して、顔を赤くする夕里に、千里はにやける。
「……別に中学で付き合うのとか、普通じゃない? 兄貴が遅れてるだけだよ」
「いるからなっ。俺だって付き合ってるやつくらい、いるからな!」
「あーはいはい。そういうことにしておいてあげる」
──本っ当可愛くない弟……!
ませているくせに外面だけはよくて、夕里にだけはきつく当たるのだ。
夕里が家事の一端を担うようになっても、扱いが変わったのはほんの少しだけで、兄としては尊敬されていないような気がする。
普段は千里に託されている家の通帳とカードを、はい、と渡される。
毎月振り込まれる生活費は千里が管理していて、そこから食費や雑費、2人のお小遣いを賄うのだ。
「い、いいのっ?」
一切触らせてもらえないそれをぽんと簡単に譲られて、夕里は思わず確認してしまった。
「2日くらい俺がいなくて困るようなことはないと思うけど。あくまで緊急用」
緊急用ということはお腹が空いたりしたら、甘いものを買いに行っていいってことだよな、といいように解釈する。
油断して表情を綻ばせる夕里の悪事を見過ごすはずもなく、警告した。
「俺と母さんの携帯でも支出は見られるようになってるんだからね。それに、現金も置いていくから。私物に使ったりでもしたら、これからお小遣いはなし」
「は……はい」
慈悲のない言葉に、夕里は口答えをせずに従う。
欲のせいで信用を落としたら、千里には当分どころか一生口をきいてもらえそうにない。
生意気だけれど、可愛くて仕方のないたった1人の弟なのだ。
玄関先で千里を見送った後、パジャマ姿の夕里は大きな欠伸をして、自室へと戻った。
× × ×
枕横に置いたスマートフォンが着信音とともに震えて、夕里は少しずつ瞼を開く。
手癖でスマートフォンの待受のロックを解除すると、目を細めながら相手を確認する。
──か、茅野じゃん……え、今何時だ?
アナログの時計は17時を示している。
仮眠を取るつもりががっつりと眠ってしまったらしく、もう半日が経過している。
来客を知らせるインターホンも遠くで鳴っていて、夕里はベッドの上で慌てた。
とりあえず電話に出るのが先か、と着信画面をスワイプした。
「も……もしもし?」
──怒ってる……怒ってるよな……!?
はあ、と深く溜め息をつくのが聞こえて、眠気で鈍くなっていた頭も冷えて働くようになってくる。
『心臓に悪い……。何かあったのかと思った』
「ご、ごめ……寝てただけ」
『あーよかった。居留守使われて約束すっぽかされたらさすがにへこむ。そろそろ寒いからお家に入れて?』
「え? う……うん」
動揺し過ぎてベッドから降りるときに足がもつれ、どたん、と尻餅をついてしまった。
茅野に心配されたが、平気とだけ返して寒い廊下を歩いていった。
躊躇いもなく玄関のドアを開けると、鼻をすっかり赤くした茅野が立っていた。
まだ家にも入っていないのに、ぎゅう、と大きな身体を使って抱き締められる。
「本当に寝てたんだ。寝癖ついたままだし」
「だ、だから、そう言ってんじゃん。え、えと……ごめん。約束してたのに」
「寒くて凍えそうだったけど、体温分けてくれるなら許す」
まるで氷みたいに冷たくなった手の甲を、頬に押し当てられる。
今の今まで暖かい部屋の中でぬくぬくとしていた夕里は、驚いて顔をふい、と背けた。
「寒いから……とりあえず上がれよ。それ、何持ってきたの」
「夕ご飯の材料だよ。あ、キッチン使わせてもらうから」
「別にいいけど。ん? 何する気だよ」
茅野の右手には透明なビニール袋が提げられている。
卵とプチトマトとアスパラガスと……他にもいろいろな食材が入っている。
「夕里、この前リクエストしてくれたじゃん。調味料は持ってきてないから使わせてね。材料は多めに持ってきたから、弟くんには怒られないと思うけど」
手を洗った茅野は家主である夕里の許可を得てから、冷蔵庫の中を物色し始める。
夕里はこそっと抜け出して、先日買ってきた茅野へのプレゼントを持ってリビングへ戻った。
茅野を家に呼ぶ約束をしていたのは確かに17時過ぎ頃だが、寝て起きたらその時間になっていたのだ。
準備だって何1つしていないのに。
パジャマ姿のままであることをふと思い出したが、戻ってくるのと同時に茅野に「部屋着もお洒落」と言われたから、もうこのままでいることにした。
「……えっ? な、なに……いきなり」
「つい最近までだらしなかったのに、自分でいろいろとやるようになったから。どういう心境の変化なのかなー、って思って」
図星だ。付き合っているというのも、心境の変化をもたらしたのも。
茅野が家でちゃんと「お兄ちゃん」をしているから、それを間近で見ていると恥ずかしくなってきたのだ。
母親は2人を養うために仕事に出ていて、弟は家族が快適に過ごせるように家のことを頑張ってくれている。
夕里はといえば、高校受験が終わった解放感に引きずられて、やりたいことや興味のあることだけを優先していた。
──俺だって、父さんが働いていて母さんが家にいるような家庭がよかった。
我が儘を押しつけるべきなのは母親で、千里ではないと分かっている。
自分だって何かしなきゃとは分かっているのに。
「で、誰かと付き合ってんの?」
「う……うるさいっ。中学生にはまだ早いんだからな!」
付き合うというキーワードに反応して、顔を赤くする夕里に、千里はにやける。
「……別に中学で付き合うのとか、普通じゃない? 兄貴が遅れてるだけだよ」
「いるからなっ。俺だって付き合ってるやつくらい、いるからな!」
「あーはいはい。そういうことにしておいてあげる」
──本っ当可愛くない弟……!
ませているくせに外面だけはよくて、夕里にだけはきつく当たるのだ。
夕里が家事の一端を担うようになっても、扱いが変わったのはほんの少しだけで、兄としては尊敬されていないような気がする。
普段は千里に託されている家の通帳とカードを、はい、と渡される。
毎月振り込まれる生活費は千里が管理していて、そこから食費や雑費、2人のお小遣いを賄うのだ。
「い、いいのっ?」
一切触らせてもらえないそれをぽんと簡単に譲られて、夕里は思わず確認してしまった。
「2日くらい俺がいなくて困るようなことはないと思うけど。あくまで緊急用」
緊急用ということはお腹が空いたりしたら、甘いものを買いに行っていいってことだよな、といいように解釈する。
油断して表情を綻ばせる夕里の悪事を見過ごすはずもなく、警告した。
「俺と母さんの携帯でも支出は見られるようになってるんだからね。それに、現金も置いていくから。私物に使ったりでもしたら、これからお小遣いはなし」
「は……はい」
慈悲のない言葉に、夕里は口答えをせずに従う。
欲のせいで信用を落としたら、千里には当分どころか一生口をきいてもらえそうにない。
生意気だけれど、可愛くて仕方のないたった1人の弟なのだ。
玄関先で千里を見送った後、パジャマ姿の夕里は大きな欠伸をして、自室へと戻った。
× × ×
枕横に置いたスマートフォンが着信音とともに震えて、夕里は少しずつ瞼を開く。
手癖でスマートフォンの待受のロックを解除すると、目を細めながら相手を確認する。
──か、茅野じゃん……え、今何時だ?
アナログの時計は17時を示している。
仮眠を取るつもりががっつりと眠ってしまったらしく、もう半日が経過している。
来客を知らせるインターホンも遠くで鳴っていて、夕里はベッドの上で慌てた。
とりあえず電話に出るのが先か、と着信画面をスワイプした。
「も……もしもし?」
──怒ってる……怒ってるよな……!?
はあ、と深く溜め息をつくのが聞こえて、眠気で鈍くなっていた頭も冷えて働くようになってくる。
『心臓に悪い……。何かあったのかと思った』
「ご、ごめ……寝てただけ」
『あーよかった。居留守使われて約束すっぽかされたらさすがにへこむ。そろそろ寒いからお家に入れて?』
「え? う……うん」
動揺し過ぎてベッドから降りるときに足がもつれ、どたん、と尻餅をついてしまった。
茅野に心配されたが、平気とだけ返して寒い廊下を歩いていった。
躊躇いもなく玄関のドアを開けると、鼻をすっかり赤くした茅野が立っていた。
まだ家にも入っていないのに、ぎゅう、と大きな身体を使って抱き締められる。
「本当に寝てたんだ。寝癖ついたままだし」
「だ、だから、そう言ってんじゃん。え、えと……ごめん。約束してたのに」
「寒くて凍えそうだったけど、体温分けてくれるなら許す」
まるで氷みたいに冷たくなった手の甲を、頬に押し当てられる。
今の今まで暖かい部屋の中でぬくぬくとしていた夕里は、驚いて顔をふい、と背けた。
「寒いから……とりあえず上がれよ。それ、何持ってきたの」
「夕ご飯の材料だよ。あ、キッチン使わせてもらうから」
「別にいいけど。ん? 何する気だよ」
茅野の右手には透明なビニール袋が提げられている。
卵とプチトマトとアスパラガスと……他にもいろいろな食材が入っている。
「夕里、この前リクエストしてくれたじゃん。調味料は持ってきてないから使わせてね。材料は多めに持ってきたから、弟くんには怒られないと思うけど」
手を洗った茅野は家主である夕里の許可を得てから、冷蔵庫の中を物色し始める。
夕里はこそっと抜け出して、先日買ってきた茅野へのプレゼントを持ってリビングへ戻った。
茅野を家に呼ぶ約束をしていたのは確かに17時過ぎ頃だが、寝て起きたらその時間になっていたのだ。
準備だって何1つしていないのに。
パジャマ姿のままであることをふと思い出したが、戻ってくるのと同時に茅野に「部屋着もお洒落」と言われたから、もうこのままでいることにした。