足先と指先をしっかりとシーツの中に押し込んだはずなのに、翌朝には外の気温と同じくらいに冷たくなっていた。
カーテンを開けた先の窓の全面は、結露で覆われている。
それでもいい匂いが部屋までやってきて、起き上がる億劫さよりも食欲のほうが勝った。
夕里は両腕をさすりながら、裸足で氷のような廊下を歩いて明かりのついているリビングまで来た。
「おはよ……」
「おそーい。朝ご飯出来てるから早く食べてよ」
挨拶もなしに、何時間か早く起きている千里は、びし、とフライ返しを夕里に突きつける。
いい匂いの正体はホットサンドだった。中身はバナナとチョコレートで、千里の分はハムとチーズだ。
「それ、汚しちゃダメなやつじゃないの?」
「え……何が?」
寝惚けていて反応が遅れている夕里に溜め息をつきつつ、裏が白紙になっているプリントを裏返した。
「あー、それ。母さんに見せたほうがいいかな、って思ってそこに置いてたんだけど」
12月に入ってから配られた進路調査のプリントだ。
終業式までに第3希望まで埋めるように、と言われたけれど、行きたい大学、ましてや学部すらも決まっていない。
プリントはもらったばかりの白紙のままだ。
「何も書いてないのに見せられても困るでしょ。進路どうするの?」
「まだ2年だし考えてない。普通に皆と同じように大学進学にするかなぁ……」
「あやふやだね……将来の夢とかないの?」
「えー……俺、卒業アルバムとかに何て書いてあったっけ?」
ホットサンドを口にくわえながらプリントをひらひらと揺らす夕里に呆れながら、千里は空になった皿を片づける。
一応、進学校の部類に入るので、大学進学が多数だろう。
──茅野って進路どうするんだろう。
かやのやの跡取りなんて言われていたくらいなんだから、総菜屋を継ぐのだろうか。
成績もいいらしいから、とりあえずは大学を卒業してから考えるのだろうか。
まだ登校する時間までには余裕があるので、いつもの定位置であるソファに寝転んで目的もなくスマートフォンを弄る。
スイーツの新作情報を流し読みしていると、冬季限定のブッシュドノエルや王道のホワイトクリームと苺を使ったホールケーキが目につく。
クリスマス一色になっていく周りを見て、何だか取り残されたような気持ちになった。
──茅野は、誰とどこでクリスマスを過ごすんだろう。
『そっか。じゃあ、これで終わりな』
隣に自分はきっといないということに気付いて、胸が今までにないくらいきゅうきゅうと締めつけられた。
「お腹の辺りがすっごくきゅるきゅるするんだけど……。朝ご飯に変なもの混ざってない?」
「……文句言うなら、明日から自分でつくれば」
「それは無理ぃ……」
あざとく語尾を伸ばす夕里を冷めた目で見下げて、千里は「戸締まり忘れないでね」と言い残し、先に行ってしまう。
ニュースが延々と流れていたテレビが消えて、家の中はしんと静かになる。
突然、気の抜けた通知音とともにスマートフォンが震えて、驚いた夕里は手を滑らせてしまった。
「いった……」
重力に従って落ちたスマートフォンは、額にぶつかった。
涙目になりながらそれを拾い上げて、とりあえず当たった画面が割れてないか確かめるために電源を入れる。
メッセージの送り主は茅野 舜だった。
1文目が「ごめん」から始まっていて、読み上げたと同時に心臓はばくばくと騒がしくなる。
意を決して全文を開くと、ごめんの後に続いて「今月は夕里の分のお弁当は持っていけない」とあった。
なんだ、と安心しきれたと思ったのに、何だか気分が晴れなくて。
──別に……チョココロネとかメロンパンとか? 茅野のお弁当食べられなくても、甘くて美味しいもの、いっばいあるし……。でも、お弁当持ってこないなら、わざわざ俺と寺沢のクラスに来てまで食べる必要ないもんな。
返答に困り、文字を打っては消してを繰り返した後に、オッケーと素っ気ない言葉だけを送った。
茅野のお弁当をあてにしていた夕里は、遅刻ギリギリまで家にいたせいで、お昼ご飯を買う時間の余裕もなかった。
学校の最寄り駅の改札でもたついていると、茅野の名前を呼ぶ声が後ろから聞こえてきて顔を上げる。
「茅野くーん。茅野くんもいつもこのくらいの時間なの?」
「今日はたまたま遅い時間」
「そうなんだぁ。じゃあ、茅野くんと会えてラッキー」
知り合いらしい女子が走ってきて、茅野の隣について歩き出す。
──やっぱり、多少はわざとらしくてもああやって素直に愛想振り撒くタイプがいいのかな……。
自分はといえばちょっとからかわれると、敵意を剥き出しにして噛みつくし、相当扱い辛いタイプなのだと思う。別に茅野のタイプなんて気にしないし、どう思われてもいいのに。
逆毛を立てた猫みたいにささくれだった夕里は、2人を抜き去って先へと歩いていく。
気付かないで、と念じてみるけれど、無意味だった。
こっちの気なんて知らないで、茅野は名前を呼んでくる。
「おはよ。夕里」
「……はよ」
「……制服だけ? 今日寒いのに。上着は?」
「持ってきてない」
こっちはもやもやに振り回されて仕方ないのに、茅野はいつもと変わらなくて。
夕里はむすっと顔を膨れさせた。
「風邪引くなよ。……ほら、もう冷たくなってるし」
親指と人差し指とでその膨らんだ頬を摘ままれる。
自分の体温が思ったより低いせいなのか、触れている指先がほんのりと温かい。
「夕里って顔小さいね」
「い、いきなり何だよ……」
小さい、と言われても、それが褒められているのか貶されているのかも、判断がつかない。
頭を撫でるなという夕里の要求を律儀に守る茅野は、頭以外を変わらずべたべたと触ってくる。
茅野は長男だから年下の兄弟の扱いは慣れていて、頼りなさが残る夕里もその癖で面倒を見ているだけなのだ。
仲いいんだねー、とからかう言葉に顔をひきつらせつつ、夕里は一足先に学校へ向かった。
「ゆうちゃん酷い顔だね」
「……何か朝からいろいろ疲れた」
1限から数学が連続で続いて、日本史、国語と続く時間割にげんなりとする。
とりあえず寝ないようにだけはしよう、と最低限の目標を掲げて、ノートを開いた。
カーテンを開けた先の窓の全面は、結露で覆われている。
それでもいい匂いが部屋までやってきて、起き上がる億劫さよりも食欲のほうが勝った。
夕里は両腕をさすりながら、裸足で氷のような廊下を歩いて明かりのついているリビングまで来た。
「おはよ……」
「おそーい。朝ご飯出来てるから早く食べてよ」
挨拶もなしに、何時間か早く起きている千里は、びし、とフライ返しを夕里に突きつける。
いい匂いの正体はホットサンドだった。中身はバナナとチョコレートで、千里の分はハムとチーズだ。
「それ、汚しちゃダメなやつじゃないの?」
「え……何が?」
寝惚けていて反応が遅れている夕里に溜め息をつきつつ、裏が白紙になっているプリントを裏返した。
「あー、それ。母さんに見せたほうがいいかな、って思ってそこに置いてたんだけど」
12月に入ってから配られた進路調査のプリントだ。
終業式までに第3希望まで埋めるように、と言われたけれど、行きたい大学、ましてや学部すらも決まっていない。
プリントはもらったばかりの白紙のままだ。
「何も書いてないのに見せられても困るでしょ。進路どうするの?」
「まだ2年だし考えてない。普通に皆と同じように大学進学にするかなぁ……」
「あやふやだね……将来の夢とかないの?」
「えー……俺、卒業アルバムとかに何て書いてあったっけ?」
ホットサンドを口にくわえながらプリントをひらひらと揺らす夕里に呆れながら、千里は空になった皿を片づける。
一応、進学校の部類に入るので、大学進学が多数だろう。
──茅野って進路どうするんだろう。
かやのやの跡取りなんて言われていたくらいなんだから、総菜屋を継ぐのだろうか。
成績もいいらしいから、とりあえずは大学を卒業してから考えるのだろうか。
まだ登校する時間までには余裕があるので、いつもの定位置であるソファに寝転んで目的もなくスマートフォンを弄る。
スイーツの新作情報を流し読みしていると、冬季限定のブッシュドノエルや王道のホワイトクリームと苺を使ったホールケーキが目につく。
クリスマス一色になっていく周りを見て、何だか取り残されたような気持ちになった。
──茅野は、誰とどこでクリスマスを過ごすんだろう。
『そっか。じゃあ、これで終わりな』
隣に自分はきっといないということに気付いて、胸が今までにないくらいきゅうきゅうと締めつけられた。
「お腹の辺りがすっごくきゅるきゅるするんだけど……。朝ご飯に変なもの混ざってない?」
「……文句言うなら、明日から自分でつくれば」
「それは無理ぃ……」
あざとく語尾を伸ばす夕里を冷めた目で見下げて、千里は「戸締まり忘れないでね」と言い残し、先に行ってしまう。
ニュースが延々と流れていたテレビが消えて、家の中はしんと静かになる。
突然、気の抜けた通知音とともにスマートフォンが震えて、驚いた夕里は手を滑らせてしまった。
「いった……」
重力に従って落ちたスマートフォンは、額にぶつかった。
涙目になりながらそれを拾い上げて、とりあえず当たった画面が割れてないか確かめるために電源を入れる。
メッセージの送り主は茅野 舜だった。
1文目が「ごめん」から始まっていて、読み上げたと同時に心臓はばくばくと騒がしくなる。
意を決して全文を開くと、ごめんの後に続いて「今月は夕里の分のお弁当は持っていけない」とあった。
なんだ、と安心しきれたと思ったのに、何だか気分が晴れなくて。
──別に……チョココロネとかメロンパンとか? 茅野のお弁当食べられなくても、甘くて美味しいもの、いっばいあるし……。でも、お弁当持ってこないなら、わざわざ俺と寺沢のクラスに来てまで食べる必要ないもんな。
返答に困り、文字を打っては消してを繰り返した後に、オッケーと素っ気ない言葉だけを送った。
茅野のお弁当をあてにしていた夕里は、遅刻ギリギリまで家にいたせいで、お昼ご飯を買う時間の余裕もなかった。
学校の最寄り駅の改札でもたついていると、茅野の名前を呼ぶ声が後ろから聞こえてきて顔を上げる。
「茅野くーん。茅野くんもいつもこのくらいの時間なの?」
「今日はたまたま遅い時間」
「そうなんだぁ。じゃあ、茅野くんと会えてラッキー」
知り合いらしい女子が走ってきて、茅野の隣について歩き出す。
──やっぱり、多少はわざとらしくてもああやって素直に愛想振り撒くタイプがいいのかな……。
自分はといえばちょっとからかわれると、敵意を剥き出しにして噛みつくし、相当扱い辛いタイプなのだと思う。別に茅野のタイプなんて気にしないし、どう思われてもいいのに。
逆毛を立てた猫みたいにささくれだった夕里は、2人を抜き去って先へと歩いていく。
気付かないで、と念じてみるけれど、無意味だった。
こっちの気なんて知らないで、茅野は名前を呼んでくる。
「おはよ。夕里」
「……はよ」
「……制服だけ? 今日寒いのに。上着は?」
「持ってきてない」
こっちはもやもやに振り回されて仕方ないのに、茅野はいつもと変わらなくて。
夕里はむすっと顔を膨れさせた。
「風邪引くなよ。……ほら、もう冷たくなってるし」
親指と人差し指とでその膨らんだ頬を摘ままれる。
自分の体温が思ったより低いせいなのか、触れている指先がほんのりと温かい。
「夕里って顔小さいね」
「い、いきなり何だよ……」
小さい、と言われても、それが褒められているのか貶されているのかも、判断がつかない。
頭を撫でるなという夕里の要求を律儀に守る茅野は、頭以外を変わらずべたべたと触ってくる。
茅野は長男だから年下の兄弟の扱いは慣れていて、頼りなさが残る夕里もその癖で面倒を見ているだけなのだ。
仲いいんだねー、とからかう言葉に顔をひきつらせつつ、夕里は一足先に学校へ向かった。
「ゆうちゃん酷い顔だね」
「……何か朝からいろいろ疲れた」
1限から数学が連続で続いて、日本史、国語と続く時間割にげんなりとする。
とりあえず寝ないようにだけはしよう、と最低限の目標を掲げて、ノートを開いた。