「何これ……甘い……」

見た目は寺沢の家の卵焼きと全く相違ないのに、ほんのりとした柔らかい甘味が、織り込んだ出汁と一緒にじゅわ、と溢れだした。

目当てのさつまいもの甘露煮も続けて頬張ると、褒めるみたいにまた頭を撫でられた。

「味はどう?」

「……普通に美味しいよ。甘くて好み」

夕里が素直に感想を述べると、茅野は嬉しそうに口元で弧を描いた。

直視しているのが心臓に悪くて、夕里は得意げな表情を満面に出す男の顔を、なるべく見ないようにした。

「……お弁当、ありがと。卵焼き美味しかったよ」

「ゆうちゃんのデレは貴重なんだから拝んどけよー」

お礼を言っただけでデレたって、普段どういうふうなキャラ付けなんだ、俺。

貴重なデレと聞いただけで茅野のほうも上機嫌だし。何なんだそれは、と拍子抜けしてしまう。

「そっか。ちょっとずつ甘いもの以外も食べられるようになるといいな」

健気さの混じった、少し照れたような笑顔を見せられ、夕里のほうがううう……と恥ずかしくなって唸りたくなる。

小さめのお弁当の中の卵焼きを全て完食すると、また茅野に何故かべた褒めにされる。

茅野の下には3人の兄弟がいるのだから、褒め慣れているのは当たり前か。

つまりそれは年下扱いされているという訳で。

「何で夕里は今にも噛みつきそうな顔してるの」

「……本当に噛みついてやろうか」

「怖い怖い。もっといいところも撫でてあげるから機嫌直して?」

茅野の指がごく自然に夕里の耳の裏と顎にかけてを、本当に動物の毛繕いをするみたいに細かく這う。

思わぬ緩いむず痒い刺激に「ん……」と上擦った声が出た。

「今の声……ゆうちゃん結構えろ……」

「俺が出したんじゃない! 茅野が変なところくすぐるからだ! ちょっ……お前、ほんと、いい加減にっ……」

払おうと振り上げた手はあっさりかわされてしまい、夕里は悔しそうに歯噛みする。

ミーハーでわりと奇抜な格好をしている夕里は、声をかける人を選ぶらしく今のクラスでは寺沢より仲のいい友達はいなくて。

弄られははするけれど、主導権を握っているのは夕里のほうだ。


──だから、いきなりじゃれつかれたら調子狂うんだってば。


撫でられたら尻尾振ってもっとって頭擦りつけるようなキャラでもないだろ、俺。

茅野は俺のどんなリアクションを期待しているのか知らないけれど。

「……犬扱いされんの、むかつく」

「犬? どこから犬が出てきたの。ちゃんと褒めてあげてるでしょ。食べられて偉いね、って」

「食べただけで褒めるとか、意味分かんない」

嫌いなものを頑張って食べたりしたら、そうやって褒められるのが当たり前なのだろうか。

夕里の母親はいつも出来合いのものを買ってくるか、あるいは夕里と千里に何日分かのご飯代を渡すだけで、そういえば何を食べたかまでは気にしていない。

茅野の持ってきたお弁当は完食には至らず、夕里がまだ手をつけていないおかずもあった。

昼休憩もそろそろ終わりそうで、周りはもうお弁当を片付け始めている人のほうが多い。

「全部は食べきれないから……2人で分ければ?」

きんぴらごぼうに野沢菜のお浸しと、夕里が試しで箸をつけて甘くないと判断したものが残っていて、茅野は苦笑する。

夕里の食べ残しに飛びつく寺沢を押し退けて、残りものは全て茅野の腹の中に収まった。

「舜はお弁当屋なんだから、いつでも食べられるじゃんっ。俺をお得意様にしようって気はないの」

「今は夕里以外のご新規様は欲しくないから別にいーよ」

媚びる素ぶりさえ見せないのが茅野らしい。

寺沢1人を切ったところで、特に支障はないと判断した跡取り息子は、まだ自分の分のお弁当も残っているというのに、夕里のお弁当をつついている。


──ご新規様を獲得するなら、俺みたいに好き嫌いあるやつじゃなくて、もっと何でも食べそうなやつにすればいいのに。


偏食している夕里をわざわざ選ぶ意図が掴めなくて、何だかやきもきする。

テスターとして利用するだけ利用して、後でとんでもないことを要求されるんじゃないか、と内心びくびくして身構えた。

「あ、お礼は夕里からのキスでいいから」


──やっぱり……とんでもないやつだった!


冗談っぽい言い回しの台詞さえ、まともに受け流せないでいると、本気にした寺沢が「え、何々。進展したの?」と興味ありげに聞いてくる。


──進展ってどういう意味だよ。親友ってこと?


ないない、と口には出さない結論を胸の内で唱え、夕里は「ごちそうさまでした」とほとんど残っているお弁当に罪悪感を覚えつつも、昼食を終えた。