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遠足を楽しみにしていた眠れなかった小学生みたいに、夕里は今日1日寝不足のままで過ごした。

興味のない勉強にやる気も面白さも見出だせないタイプの人間なので、眠らないようにして受ける授業が苦痛だ。

5日の学業と2日の休日が入れ替わらないかな、とくだらないことを考える。

そうなったとしても、1週間のうちわずか2日の学校なんて、さぼり倒してしまいそうだけど。

一軒家を持つのが夢だった母親は仕事が多忙なため、ほとんど家に帰ってこない。

夕里と千里がもう手がかからないから、と毎日舞い込んでくる依頼を断りなく請けているためだ。

小学生までは祖母が家に来てよく面倒を見てくれたけれど、兄弟が中学生になったときからぱったりと来なくなってしまった。

「夕里の家大きくない?」

「そうかな。まあ弟と2人で暮らしてるようなもんだから、広くは感じるかも」

家を買って子供を生んですぐに仕事に復帰して、時たま帰ってきては眠るだけの生活。

きっと仕事で嫌なことがあったんだな、と察しても子供には愚痴を溢さない。

夕里と千里と仕事と家が、生きがいの人なのだ。

ヨーロッパに留学して以来、憧れて設けた窓辺の花壇はもうほとんど誰も触っていなくて、植物のつるが伸びまくっている。

玄関の扉を開けると、ほんのり甘いいい匂いがしてきてうっとりする。

家庭科の授業でつくったエプロンを着た千里が、ぱたぱたと走ってきて出迎えてくれる。

「お帰りなさいっ。お兄ちゃん」


──いやいやいや、誰!? 俺の弟はお兄ちゃんなんて言わないぞ。


ああ、そうか今日は茅野が隣にいるからか。

同級生で茅野の弟の連によると、こっちの猫を被ったほうの千里が学校では通常らしい。

「夕里お兄ちゃんがお世話になってます! かやのやのお惣菜、俺もお裾分けしてもらいました。お兄ちゃんいっつも食わず嫌いするのにすごく喜んでて」

「気に入ってくれたならよかった。知り合いなら安くするからこれからもご贔屓にしてね」

ちゃっかりと夕里と千里をリピーターに引き込もうとしている弁当屋の長男は、どうぞとリビングに招かれる。

「今日の夕ご飯えらく豪華だな」

「夕里お兄ちゃんのお友達が来るからはりきってつくりすぎちゃった。でも少ないよりはいいよね?」

「千里の明日のお弁当になるならいいんじゃない?」

「もー! そう言ってお兄ちゃんはお弁当持っていかないで、自分の好きなやつ食べるんだから!」

ぎゅう、と夕里の腕に絡んできて、千里はすりすりと頬をくっつける。

昨日まで「バカ兄貴」と呼んでいた千里が、でれでれになって甘えているのだ。

茅野の前では「いつまでも甘えんぼうだなー」と適当に流すも、感激して泣きたいくらいに胸中は満たされていた。


──俺の可愛い弟が帰ってきた……!


同級生の兄の茅野がいるから、猫を被っているのだとしてもこの際どうでもいい。

「すぐ用意するからお兄ちゃんと舜君は座ってて」

「何か手伝わなくていい?」

「大丈夫だよ。メイン以外はもう出来てるし」

いきなり舜君って馴れ馴れしくないか、と思ったけれど、弟達は下の名前で呼び合っているらしいから、茅野と呼ぶほうが不自然なのか。

それでも3歳は年上だぞ。まあ別に……茅野が気にしていないならいいけど。

もうそれで自己完結しているのだから考えるだけ不毛なのに、でも待て、と何故かあら探しをし始める。

「しっかりした弟だな。夕里と違って」

「……分かってるなら、わざわざ俺と比べる必要ないだろ」


──そういえば、初対面のときから下の名前で呼ばれてるんだよなぁ。


特に深く考える理由も意図もないはずなのに、ちょっと女々しすぎないか自分。

完全に下の名前呼びに切り替えるタイミングを失ってしまって、もやっと思考が雲がかる。

ベビーリーフとトマトのサラダを取り分けて、その上にハニーマスタードで味つけたチキンを二等分して盛りつける。

「三等分じゃないの?」

「俺、食べられないし。千里と茅野の分」

「食わず嫌いだよなぁ、夕里。肉食べないと大きくなれないぞ」

「別に……好きで食わず嫌いになった訳じゃないし」

その理由を誰にも言ったことはない。

もちろん家族にも打ち明けていないし、友達にも相談していない。

甘いもの以外の味を口に含むのが、生理的に受けつけなくて吐いてしまう。

小、中学生の頃は皆、前にならえのような押さえつけた教育方針で、異端な夕里に居場所はなかった。

給食を囲むクラスメートの中で1人だけお弁当を持参して、特別扱いはずるいだのと言われれば、担任が「夕里は食べ物にアレルギーが多いから、皆と同じように食べられないの」と憐れみを含んだ台詞で諌める。

高校生になった今では度を過ぎた甘いもの好きも、個性の一部として定着しているから楽だった。