私は胸にかすかな痛みを感じていた。宙くんとの会話中にもかかわらず彗の表情が気になって仕方がない。あの冷たい視線に、どこか心を締め付けられるような感覚が残ってしまう。

「…彗となんかあったの?」

宙くんが不意に声をかけてくる。その視線は彗に向けられていて、同じように彼の変化に気づいていたのだと分かる。

「…ううん、でもなんかいつもと違ったかも」

言葉に詰まる私を尻目に、宙くんは少し考え込んだ様子で彗の方に目を向けた。

「ちょっと話してくるよ。彗のこと俺も気になるしさ」

優しい口調でそう言い残して、宙くんはさっと立ち上がり彗の方へと歩いていく。
私は彼の背中を見つめながら、再びもやもやとした気持ちが心の中に広がっていくのを感じた。
朝の彗はいつも通りだったけれど…でも仮面についてはまだなにも分かっていない。
二人は仲がいいしもしかしたら、宙くんになら彗も悩みを打ち明けられるだろうか。

彗、大丈夫かな…。

思わず心の中で呟くが、その言葉は誰にも届かないまま消えていく。

午後の授業も終わって放課後のチャイムが鳴り、教室は次第に静まり返っていった。私はカバンをまとめて、唯に声をかける。

「唯、一緒に帰ろー」

唯は笑顔で頷き、私たちは教室を出た。下駄箱まですすみ唯が靴を履き替えているその時──

「あれ、忘れ物しちゃった…!」

カバンの中を確認して、教室にノートを置きっぱなしにしていることに気づく。
今日は提出物が多かったせいで慌ててしまっていたのだ。

「ごめん、先に帰ってて!すぐ追いつくから」

「え?大丈夫?じゃあ、先行ってるね!」

唯は少し不思議そうな顔をしたが、気にせず先に校門へ向かって行った。

私は急いで教室に戻る途中で不意に耳に入ってきた声に足を止めた。最初はただの雑音かと思ったけど、耳を澄ますとそれは明らかに誰かの口論だった。

声のする方向に視線を向けると空き教室の方から響いていることに気が付く。
心臓がドキドキと早鐘のように打ち始める。
急いで足を止め、声のする方へ耳を澄ませた。けれどよく聞くと聞き覚えのある声なことに気付く。

「…って…分かっ…いのか!」

うっすらと聞こえたその声に私は思わず息を飲んだ。それは、宙くんだった。
普段穏やかで優しい彼が、こんなにも感情的になっているなんて。驚きとともに胸がきゅっと締め付けられるような感覚が走る。

しかし、もう一つの低い声が耳に入ると、驚きはさらに大きくなった。

「お前には関係ないだろ!」

彗の声だ。その瞬間、私の胸に強烈な緊張が走った。まさか、宙くんと彗が──二人が喧嘩をしているなんて信じられなかった。

どうして…私は何とか声の内容を聞こうと少し距離を近付ける。

「俺は…好きなんかじゃない」

さらに続く彗の荒れた声に、私は足が動かなくなってしまう。
"好き"って…なんのこと?彗が?
どうしてもこの距離ではまだ断片的な声しか聞こえてこなくて内容がよく分からない。
廊下に立ちすくんで、何かをするべきかどうか迷う。 二人の喧嘩を止めないと──そう思うけれど、胸の奥が締め付けられた。ふと両親の喧嘩を思い出してしまう。
結局どうにもできずに、立ち尽くしているとまた一際大きな声が聞こえた。

「…ぁ…想乃ちゃんはっ…!」

その瞬間、私の心臓は止まりそうになった。どんな話をしてるのか全く分からない。でも私の名前がでていることだけははっきりと分かった。
その宙くんの声は、あまりに感情的で今までの彼とは全く違う響きだった。

まさか、私のことが原因で二人が…?
ただ立っているだけの私には、その続きを聞く勇気はなくて私はノートを持ってその場を立ち去ってしまった。