吸血鬼に恋をした三人

「シセル兄さん、なぜここにいる!」
力強く激しく憎しみが詰まった荒い口調。
セスはシセルを心の底から嫌い、嫌って当然だという。
しかし。
「ははははははっ! 別にいいだろ、俺は第一王子だぞ、お前のような邪魔者はさっさと消えろ」
血の繋がりのある弟に
「消えろ」
という信じられない言葉を面白おかしく笑い、堂々と腕を組んで言ったシセル。
本当に、性格の悪さというのはこのことだろう。
でも。
「僕は消えない。お前が消えて、兄さん」
シセルの態度が気に食わずに真っ赤な瞳を怪しげに綺麗に輝かせて笑うセス。
その二人の様子をじっとセスの後ろで見ていたナイはシセルとの記憶を思い出している途中のようだ。
「んー」
シセル。
私、この吸血鬼とどこかで会った気がするのよね、どこかしら?
頭の中で過去の出来事を歯車のようにグルグルと回して思い出そうとした時。
「君、セスと契約を結んだ人間か?」
セスの怒りなど気にせず通り抜けてナイの目の前に立ったシセル。
その真っ赤な瞳と目が合った瞬間、ナイの体に異変が起き始めてしまう。
「あ、かあっ」
何よ、これ?
口から血が出てきているの?
そう、シセルはナイのお腹を力強く押して壁に突き放してその衝動で血が出てしまった。
「あ、かああ、くる、苦しい」
せっかくセスが褒めてくれたドレスが汚れてしまったわ。
嫌よ!
私、このまま死んでしまうの?
まだセスを好きになっていないのにこんなどうでもいいシセルに殺されて死んでしまうのではないかという強い不安と焦りが襲いかかったナイ。
こんな簡単なことで自分の人生が終わってしまうのではないかという不安もナイの心を乱して瞳が激しく揺れ動いて。
「ダメよ」
「は?」
「私が死ぬのはセスに殺される時よ。あなたなんかに殺されるなんて絶対に許さないわ!」
ナイは自分の人生の終わりは全てセスに任せると言った。
それは信頼しているのか、それとも他の何かなのか。
理由は一体。
「私はセスを好きになる希望を持ったの。他人のあなたに私の希望を汚させないわ。あなたが今すぐここで消えなさい!」
もうすでに言いたいことを言うだけ言って後悔などせずに堂々と真剣な眼差しで三十歳の大人らしくシセルに立ち向かうナイ。
すると。
「君、もしかしてナイーアか?」
「あっ、そんな・・・」
突然知らない名前を言ったシセル。
セスは何が起きているのかが状況理解ができずに固まって、ナイは動揺してやっと何かを思い出したようだ。
嘘だわ。
だって、その名前は私の本名。
もしかしてこの吸血鬼はあの時私を助けてくれた命の恩人?
確かにそれはあり得るわね。
あの時の私は十九歳。
二度目に働いていたパン屋によく私が作ったパンを買いにきてくれていた優しい男。
『すいません、このパンは彼女が作った物ですか?』
ガラス越しに見える厨房でパンを作り毎日残業しながら働いているナイーアを毎日閉店間近にやってきて慌てて買いにきてくれていたシセル。
姿は真っ黒なローブで隠して顔はメガネをかけて頼りないただ優しい人間にも見えていた。
シセルがナイーアという名前を知ったのは店長にこう言ったからだった。
『あの、彼女の名前を教えてくれませんか? 僕、恋人で彼女の名前を全く知らなくて中々教えてくれなくて』
全くの嘘をついたシセル。
それを店長はイケメンの頼みならとナイの本名「ナイーア」を教えてしまったのだ。
「ナイーア、まさかここで再会できるとは思っていなかった」
「・・・そうね。でも、私はあなたと話したことは一度もないけど」
「はははっ、確かにそうだ。でも、俺はあの時から君が気になっていたんだ。あんなに真面目に一生懸命に働いているのはあまり見たことがなかったからな」
「いつも閉店間近に来ていたのは吸血鬼だったからなのね」
「そうだ。店が閉まるのは十八時。俺はすぐに起きて走って店に通って君が作ったパンを食べていた」
「それは嬉しいけど、どうしてさっき私を殴ったのよ? おかしいわよね」
「・・・君がセスと契約を結んだことが憎かったからだ」
嫉妬深い吸血鬼の一人シセルは実はナイにだいぶ昔から興味があったようで何度もこっそりナイが働いていたレストランにパン屋、お菓子屋に来ていたようだ。
「俺、僕は君をずっと見ていた。そして、結婚したいという強い希望を抱いていた」
「シセル」
「だから、その希望を壊したセスが、君が許せなくて君に当たった」
「・・・・・・」
シセルは私と結婚したいという希望を持っていたのね。
けど、私はそうは思っていないわ。
というか、まだお腹が痛くて自分では立てそうにないわ。
予想以上にシセルの力が強すぎてナイは立ち上がることも向かい合うこともできずに悔しがって涙を流す。
「は、うううっ、は」
悔しい。
私が好きならどうしてこんなひどいことをするのよ?
私もう三十歳だから体力も若い頃と比べれば半分はなくなっているわ。
「はあっ」
見た目は私と同じくらいなのに、やっぱり女の私は男のシセルには勝てそうにないわね。
それに、セスは。
「・・・・・・」
初めて知った。
ナイの名前がナイーアだなんて、全然教えてくれなかった。
ていうか、契約書にサインした時にはその名前じゃなかった。
嘘をついた。
僕に遠慮していたとかそういうことじゃないはず。
何か別の理由がある。
うん、なら納得できる。
「あははっ」
ナイの本名を知れたことだし、僕はナイに信頼されていることと変わりない。
じゃあ、安心してシセル兄さんには消えてもらおう。
「僕たちの契約を邪魔する吸血鬼はみんな殺す」
そう言って、セスはシセルの両手を握って骨が折れるまで後ろに伸ばして伸ばしてどんどん血が床に流れていく。
「ああああああっ、セス、お前、何を」
「あはははっ、別にいいでしょ。兄さんが一番悪い。僕だけじゃなくて兄さんの物も妹の物にも傷をつける。そんなの許されるはずがないよ」
兄さんのせいでみんな傷つくんだよ。
兄さんがいるからみんな泣くんだよ。
何で分からない?
「少しは他の者の気持ちを考える努力をしてよ! 兄さんは本当に頭が悪い、自分勝手でわがままな吸血鬼!」
言いたいことを好きなだけ言ってセスがシセルを床に押し付けて足で蹴ろうとした時。
「セス、やめなさい」
もう見ていられないと思ったナイが大粒の涙を流しながらセスの手を握って動きが止まった。
「お前、シセル兄さんがお前に何をしたのか忘れたのか?」
「忘れていないわ。忘れていないからやめて欲しいのよ」
「それは理由にはなっていない。もっとちゃんとした理由を言ってくれたらお前の言うとおりにしても構わな」
「じゃあ、私があなたを消してあげるわ」
「は? お前、自分が何を言っているのか分かっている? 僕たちは契約を結んだ、一生離れることのない契約をな!」
契約を結んでから二人は一瞬でも離れずに行動している。
食事もお風呂も寝るのも全て一緒。
いつどこでナイが襲われるか分からない恐怖をセスは心の底から恐れてそれをされないように自ら希望してやっている。
それはナイも理解している。
理解した上で、好きになりたいという希望を持って笑顔でセスのそばにいる。
しかし、今のナイはどこか何かに惑わされて本音を隠して似合わない苦笑いを見せている。
「ふ、ふふっ、私はシセルを許して欲しいと思っているわ。たとえあなたに嫌われても、私が言っていることは信じて欲しい」
シセルには色々と聞きたいことがあるの。
本当に私と結婚したいと思っているのか、私をどうするのか。
シセルには色々と気になることが多いわ。
この世界の第一王子で四兄妹の長男。
セスの態度からするとシセルは過去に下の三人に何かひどいことをしたのは確かね。
こんなに乱暴で自分勝手でわがまま。
最悪な組み合わせしか持っていない最低な男に暗い感情を持つのは仕方のないこと。
ナイがシセルに深い興味を持っているのは単なる運命なのだろうか?
それとも、セスを捨ててアムと同じようにシセルを選ぶのか?
アムもそうだが、なぜここに来た女はみんなシセルに魅了されてしまうのか、シセルのどこがいいのか?
全く分からない。
人間が思う理想のタイプというものは案外思っていたよりも単純で簡単で魂の少ない人形みたいに弱い生き物。
吸血鬼が人間を襲う理由もこうなってくると分かってしまう、理解してしまう。
しかし。
「僕は許さない! こんなクズ、誰も許したりしない!」
セスの怒りは真っ赤に燃える炎のように爆発して煙が出て焦げ臭い・・・というような想像がついてしまう怖さ十倍。
「兄さんが僕たちにしたことは絶対に許さない! 何で兄さんを庇う、何で僕から離れる?」
「セス、落ち着い」
「嫌だな! こんな時に落ち着いてどうする、僕がこうなったのは全部お前が悪い!」
次はシセルだけでなく契約者のナイを責めてドレスの裾をちぎれるくらいに握りしめるセス。
その行動に、ナイはパシッとセスの頬を叩いた!
「いい加減にしなさい! どうして私のことを信じないのよ、どうしてそんなに一人で抱え込もうとするのよ?」
とうとうナイも腹を立ててまだ日もそんなに立っていない、好きになりたいという希望を持つセスに怒りを見せた。
「・・・・・・」
こいつも、怒る時があるのか。
僕は別にこいつを怒らせるために怒ったわけじゃない。
ただ、僕は、憎いシセル兄さんにこいつを奪われたくなくてつい怒ってしまった。
こいつは、ナイは、僕の一番大切な宝物だ。
誰にも渡さないって怒るのはダメなのか?
セスはナイの笑顔にいつも心惹かれて目が離せない。
これが「好き」という気持ちに繋がるなら、こんなに無駄な怒りを感じずに済んだはずなのに。
まだまだ子供という証がセスには深く錆びた鉄のようにこびりついて離れない。
「僕はお前が大切なんだ。大切で、誰にも渡したくなくて、それから」
「ははははっ! セス、結局お前は子供だ。何も変わっていないな」
折れた腕からは血が流れて足だけで起き上がることなんて不可能なのに、無理なのに。
この男はどんな手段でも気に入った物は絶対に逃さない。
逃して後悔したら物に当たる。
そのせいで傷ついた三人の気持ちなど無視して自分の物にしようとひどいことを何度でも繰り返す恐怖の生き物。
こんな生き物がこの世界に存在していいのか、天はどう感じているのか。
適当に作っておいてあとはどうでもいい。
なんていうのもひどいことに含まれるだろう。
全てを作った者にしか全てを分かる資格はない。
それを利用して抵抗するのも天に暮らす者の導。
なのに。
「セス、ナイーアを渡してくれるならお前にはもう一生何もしないと約束してやる」
「・・・は?」
「どうだ? お前にとっては最高な条件だろ?」
「・・・・・・」
「はっ、何も言う気力もないようだな。所詮その程度の吸血鬼だ」
「何度言えば分かる? お前に渡す物はこの世界には何一つも存在しない。そうだな、唯一渡せる物ならゴミ、くらいだな」
どんな状況でも兄に抗う三男のセス。
この世界で一番嫌われている吸血鬼のシセルを弟のセスがどうしようが別に他人からしたらどうでもいいこと。
どうでも良くて、すぐに忘れるほど、ゴミみたいにボロボロに消えていく。
シセルもそれは分かっているはず。
「お前、兄の俺にゴミと言ったな?」
「ああ、言ったさ」
「くっ、調子に乗るのもいい加減にしろ。最後はお前もゴミになるんだ」
「ならない。兄さんと同じじゃないんだ、僕は」
「同じだろ、血が繋がっているからな」
「はっ!」
今、何て言った?
兄さんからその言葉は一生聞きたくなかった、その事実を受け入れたくなかった。
本当に、兄さんは。
「消える価値が高いな」
そう言って、セスはこっそり柱に隠れていたサロールに瞬きを二回し、サロールが左手を上げた一瞬でシセルの身体がプシューと空気が抜けるような音と共に姿を消した。
それを見たセスは心の底から嬉しそうに喜んで満面の笑みをサロールに見せる。
「助かったよ、サロール」
「いえ、私はセス様の言うとおりに動いただけです。褒められるようなことはしておりません」
何を見ても全く動じずに平然と執事らしく常に姿勢を整えるサロールは特に笑顔を見せることはない。
そんなことを知っているセスは目を逸らして夜空を見上げる。
「別に、褒めてはいない。ただ計画が成功したことに喜んでいるだけだ」
「はい、そうですね」
「じゃあ、食事を作り直してくれるか? きっと冷めているだろうからな」
兄さんのせいでナイのお腹は僕が想像している以上に空いているだろうからな。
「早くして、こいつが死んだら僕も死んでしまうからな」
「はい、かしこまりました」
セス様は結局自分のために行動されている。
それがいいのです。
吸血鬼が人間を優先するなどあってはならないことです。
セス様はシセル様を強く憎んでいた。
ご自分が大切にされていた数々の宝物を壊し奪われた憎しみを抱くのは当然と言えるでしょう。
私は執事として、何があってもセス様のおそばにおります。
サロールはセスを尊敬し愛情を注いできた。
何十年も歳が離れていようと、サロールはセスを一番大切に尽くして離れようとしなかった。
だが、ナイがお城に来てから少し態度が変わった。
「セス、今日のご飯は何にするのかしら?」
食べることが大好きなナイの楽しそうな笑顔がサロールには気に入らない。
自分が一番セスのそばにいたのに、突然やってきた三十歳のおばさんのナイを受け入れることができないサロール。
まだまだ幼い子供のセスとおばさんのナイが釣り合うはずがない、上手くいかない。
だから、サロールはセスに対しては何も変わらず優しく丁寧に語りかけ、ナイにはちょっと冷たく適当。
今まで大切にしていたセスを糸がブスッと途切れるみたいに簡単に奪い取って自分の物にする。
それをサロールは許せないのだ。
なぜ人間がこのお城に来る必要があるのか、なぜ自分の元には来てくれないのか。
色々な感情がゴチャゴチャにまだまだ塊が残っている生クリームみたいに甘くはならずに柔らかくもない。
一体、どうすればみんな幸せな未来が待ち受けてくれるのか。
どんなに悩んでも分からないことはそのまま分からずに頭を抱えて顔を上げたらそこには自分そっくりの人形が一生戻ることのない危険な道に誘おうとしてその手を握ってしまう。
きっとサロールもそうなのだろう。
今は自分だけで考えられるが、それが他の吸血鬼に迷惑をかけてしまえば大事故に発展してしまうのも事実。
「私はセス様が生きてくださる今を大切にするしか方法はありませんね」
そう、それがいい。
未来よりも今を大切にする。
それが一番良い方法で間違いない。
やはり生きてきた歳月が大きく差があるほど、どんなに悩んだとしても最後には冷静に大人らしく適切な判断を探し見つける。
「ふ」
さっさと料理人に作り直してもらいましょう。
ナイのためではなくセスのために静かにゆっくり歩いて厨房へ向かって行くサロールの姿に、セスは不思議に首を傾げた。
「ん? 何だ、少し違和感がある」
サロールはいつだって僕を優先してくれる。
それが普通だと今でも僕はそう思っている。
そう思う方が正しいからな。
でも、今はそんなことよりも。
「ナイ、お前、薔薇以外に何が欲しい?」
「えっ」
欲しい物・・・別に特にはないわ。
私はセスのそばにいられる、それだけで十分、と言ったら引かれてしまうからやめておきましょう。
大人らしく振る舞いたいのに、セスは言いたいことをちゃんと素直に言えることもすごいことだとナイを見ていたらそう思うのも普通であるはず・・・実際のところはナイにしか分からない。
他人が勝手に口出すことは良くない。
他人に振り回されて後悔するよりも思っていることをちゃんと相手に分かりやすくはっきりと伝えることで関係も良くなることだっていくつかある。
相手には相手の意見が自分には自分の大切な気持ちをお互いが受け入れてくれるだけで少しでも二人の関係は良い方へと傾く。
逆に受け入れられなかったら、その時に考えればいい。
事前に考えても正直意味などない。
言ってから、その立場になったらその時に考えて良い判断を見つける。
大体がそうなっているのだから深く考える必要はない。
むしろ、その立場になった時を楽しめばいい。
楽しんで面白おかしく笑って受け流す。
それもありだと思うだろう、大体の生き物は。
「ほら言えよ」
「ん」
言えって言われても本当に欲しい物が見つからない。
言ってくれたのはすごく嬉しいけど、タイミングがもうちょっと後だったら見つかったはずなのに・・・まあ、せっかくセスが言ってくれたんだから、とりえず何か言いましょう。
欲しい物がないなら正直に言ってもいいのに、ナイはセスの思いやりにどうしても応えたくて動揺しているのか、瞬きを何度も繰り返してどこか逃げているように見えるのは気のせいなのだろうか?
「はああっ」
気持ちを整理するために一旦深呼吸をし、ナイは満面の笑みをセスに見せてこう言った。
「じゃあ、セスをもらっていいかしら」
「・・・は?」
今、僕が欲しいって言った?
どういう理由でそうなった?
からかっている?
愛の告白みたいに恥ずかしく照れてしまう言葉を言われたセスは顔を真っ赤にしてめちゃくちゃ恥ずかしそうに胸がドキドキしてナイから目を逸らすことができない。
「かあああっ」
何だ、これは。
何度僕に告白すれば気が済む?
僕はそんなに甘くはない。
甘くないのに、こいつの言葉はケーキよりも二倍以上甘すぎて生クリームみたいに溶けてなくなってしまう気がしてある意味怖い。
恥ずかしさと怖さとが混ざり合ってナイの瞳に映るセスは両手で真っ赤になった顔を隠してめちゃくちゃ可愛く見えてしまう。
「ふふっ」
セスは本当に可愛い子ね。
あなたが私より年上でも、私はあなたを嫌いになったりしないわ。
それよりも、私はあなたよりも先に私があなたを必ず好きになる。
十年前から希望を持っていた吸血鬼との恋。
誰に反対されても私は必ずセスを選ぶわ。
大人だから多めに見てあげているのもいいけど、少しは子供っぽくわがままを言って私のことをもっと知って欲しい。
これは、おかしい、かしら?
思っていることを中々言えずに心の中で自分と会話をしているような感覚。
弟のムイがいた時はほとんどムイの言うとおりに行動していたナイ。
姉として、たった一人の家族として。
大切に傷つけることなく守り続けた・・・。
でも、今はもう守る必要はない。
今は守られる側にいるのだから。
「ふふっ、セス。私は必ずあなたを好きになって見せるわ」
「そう・・」
「だから、あなたは私を好きにならないで欲しい」
「は?」
「吸血鬼が人間を好きになる必要はないわ。ただあなたは私を、私だけを見て欲しいの。私の希望を叶えられるのはあなただけなんだから」
本気で言っているのは確かだ。
ナイは恋愛経験はほとんどない。
ずっと仕事で恋愛なんて考える余裕もなかった過去。
けれど、十年前、街の本屋で百年前に消えた吸血鬼の伝説の本を見つけて立ち読みして一瞬でこう思った。
『この世界で私の希望を叶えられるのは吸血鬼だけ。ふふっ、決まったわ。私の第一の希望は吸血鬼を好きになること。それを叶えられるまでは生きる!』
ただの伝説、過去の話を自分の思うままに「希望」と心美しく微笑んで心の中で決めてしまったナイ。
それから十年経ってようやくその日が来てセスと契約を結んだ。
これ以上にない希望がどこにあるのだろうか?
ナイはそう明るく捉えても、セスはどう思っているのか?
「・・・はああああっ」
こいつは恥ずかしい言葉を笑顔で堂々と僕本人に伝えて全く、人間ていうのは予想外で意外と魅力がある。
僕がこいつに好かれているのは別に嫌じゃない。
嫌じゃないから困るんだ!
どんなに胸が苦しくなっても、ドキドキしても。
吸血鬼は「恋」を知らない。
知っていたらきっと百年前の事件は起こらなかった。
誰も傷つけることはなかった。
でも、三人は違う。
三人は吸血鬼を嫌ったりしない。
好きでも愛してもいる。
興味があって契約を結んでいる人間も二人? いた。
きっとナイもその二人に会ったら考え方も変わるだろう。
変わらなければおかしい。
人間には人間の事情が。
吸血鬼には吸血鬼の事情が。
お互いの意見が違えばケンカは起きる。
そして、仲良くなることはない。
人間が吸血鬼を許していたら、吸血鬼が人間の存在を認めてくれたら。
きっと仲良し計画はどこかであったはず。
でも、現実はそんなに甘くはない。
「・・・ナイ」
こいつが僕を好きになりたいっていう気持ちはとっくに知っている。
知っているからこそ、こいつは遠慮なく僕にアピールする。
告白して、恥ずかしくさせて、おかしくさせる。
本当に、ナイには一生敵わないな。
僕たち兄妹は吸血鬼。
それも王族の特別な生き物。
誰も反対しない、反対させない力を持っている。
だけど、それは今は関係ない。
今僕の目の前にいるのはナイだけだ。
ナイがいつまでも僕を見てくれている、好きになってくれる。
こんな出会いはもう二度と訪れない。
僕は正直誰でもいいって思っていた。
血がおいしければ誰でもいい。
誰でも良かったのに、こいつと出会って契約を結んで離れることを心の底から拒んでいる。
それくらい大切で手放したくなくて・・・。
「セス」
じっと床を見つめて何か重いことを考えてボッーっと疲れているように見えたナイがそっとセスの頬を撫で、それに気づいたセスはどこか寂しそうに嬉しそうに曖昧な笑みでナイに抱きついた。
「はあっ、お前はずるい、ずるすぎる!」
「えっ、何のことかしら?」
私、何かセスの気に入らないこと言ったかしら?
全く理由が分からないナイがとりあえず落ち着かせようと頭を撫でてみる。
だが。
「撫でるな! これ以上僕をドキドキさせるな!」
本音で叫んだセスに、ナイはどんどん分からなくなって首を傾げて質問を変えてみる。
「セス、あなたが嫌な言葉は何かしら?」
「は?」
何を聞かれているのか全く理解できないセスも首を傾げて同じ姿勢を保っている。
「私が何かあなたの気に触るようなことを言ったならすぐに謝るわ」
「・・・いや、違う」
「違う、の?」
じゃあ、何がダメだったのかしら?
三十歳のおばさんが歳が離れているまだまだ若そうなセスの気持ちはまだまだ理解できていないようだ。
「セス、はっきり言って。あなたに嫌なことを言ったなら私が悪かったから、謝って欲しいなら遠慮なく言って。ちゃんと直すか」
「だから違うんだよ!」
「えっ」
「お前は何も悪いことは言っていない。ただ、恥ずかしいことを言って僕が照れているだけだ。僕はすぐに照れるからちょっとしたことでも顔が赤くなる、それだけなんだよ」
セスはナイに自分の気持ちを伝えるのに全く慣れていないようだ。
契約を結んで常に一緒にいても別にセスは何も遠慮はしていないが、少しだけナイに嫌われることが怖くて伝える勇気がまだまだ足りないようでもある。
「別に僕はお前が嫌いとかそういうことじゃない。お前は僕よりも大人で子供じゃなくて綺麗で目が離せない。僕は多分、悔しいんだな。大人のお前が隣にいるのにいつまでもわがままを言ってお前の言うことをあまり聞いていないから、僕は僕にイライラしているんだな。うん、そう・・・」
王族なのに言葉遣いは全く正しくないが、セスは何も教わることなく今まで生きてきたおかげで言葉遣いも礼儀もあまり身に付いていない。
長男のシセルがあんなクズな性格であれば仕方のないことだとも思えてしまう。
シセルが機嫌が悪い時はなるべく怯えないように堂々と負けずに文句を言い続けてシセルには絶対に負けないように強い態度をとってきた。
両親は全く四兄妹のことなど気にせず今はどこにいるのかも分からない。
自分たちの一番大切な場所を捨てて幼い四兄妹を見捨てて遠くへ逃げて行った。
なんて最低なのだろう、なんてこの世界はひどく悲しい世界になってしまったのだろう。
一体この世界を作った天で暮らす者たちは何も思わないのか、感じないのか。
人間と吸血鬼がお互いを認め合って仲良く生きられる世界を誰も考えたことはない。
過去も今も未来も、それは叶うことはないのだろうか?
恋を知らない吸血鬼、それに触れようとしない人間。
だが、それを変えられる人間はこの世界に三人存在する。
それは。
「君も人間だよね?」
「うん、そうです」
「じゃあ、僕と仲良くしてくれるかな?」
「・・・どうして」
「えっ、だって、君も僕と同じ人間だから仲良くしたいと思うのは当然だよ」
「・・・そう、ですね」
「うん、ねえ、君の名前は何かな? 僕はルロ、二十一歳だよ」
「・・・アミナム、アムです。そう呼んでください」
二人の人間の声を聞いてしまったナイ。
「ごめんなさい、セス。私、少し行ってくるわ」
「はあ? まだ話を終わっていないよ。僕はまだお前と、ナイと離れるなんてそんなの嫌だ」
「ごめんなさい。少しだけだから、ここで待ってて」
そう言って、ナイは好きになるはずのセスから離れてドレスを着ていても気にせず全力で走ってアムとルロを見つけてしまった。
「あなたたちも人間、なのね」
「はい」
「そうだよ」
このお城で暮らす人間の三人が出会ったこの瞬間、ナイはあることを提案した。
「私たちで人間を滅ぼし、吸血鬼を救いましょう」