「ここがあなたの家?」
家から歩いて二十分。
外は誰もいない真夜中。
そして、お城に着いてしまった。
二度と外に出られない恐怖のお城に。
「んっ」
雰囲気は全く悪くはないわね。
綺麗でちゃんと花も管理して、それから・・・。
「ずっとそこにいてもつまらないから早く中に入って」
こんな汚れた家をじっと見られている僕のことちゃんと考えてくれないと困る。
まっ、こいつと契約を結べば僕は一生食には困らない。
吸血鬼を好きになるのが希望とか、そんなのどうでもいいし引くし。
別に僕はこいつに好かれたいとは思わない、全然。
お互い何かを真剣に考えて、門の前に立ち止まった状態でいた時。
「セス様! セス様はどこにおられるのですか!」
真夜中の静かな時にセスを探す謎の人物がたった一人で門を開けてきた!
そして、セスを見つけたその人物は安心して腰が抜けてしゃがんだ。
「ふう、ここにおられましたか」
紫色の肩まで短い髪に薄紫色の瞳に丸メガネ。
それはセスのためだけに雇われている特別な執事。
主人のセスを大切に守り続けてもう何年経ったのかは分からない。
今の吸血鬼は何歳なのか明かされていない。
知っていたらきっと人間は遠慮なく吸血鬼を殺しに来る。
自分たちよりも完全に弱すぎる人間たちがどう殺しに来るのか、それもまだ分からない。
年齢が思ったよりも若いと知ったら人間はニヤニヤと怪しげに微笑みからかって、殺す。
そうならないために、吸血鬼はあえて年齢を隠し、自由に生きている途中。
だが。
「サロール、そこを退いて。僕、お腹空いて気持ち悪くなってきたんだけど?」
食食が限界に達してサロールを睨むセス。
その姿に、ナイは。
「ちょっとセス。その言い方はダメよ」
「は?」
「そんなきつい言い方をしたらサロールさんはあなたを嫌いになってしまうわよ?」
冷静な大人の落ち着いた声。
しかし。
「お前には関係ない。こいつが大声で僕の名前を叫んだ、食事も用意していなかった。これで怒らない吸血鬼は存在しない。だから」
「それでも、あなたはまだ若いんだから、大人の言うことはしっかり聞くべきよ。ほらサロールさんに謝って」
「嫌だ。どうして主人の僕が執事のこいつに謝らないといけない? 普通は逆だろ、お前が謝れ」
全く大人の言うことを聞かない、反抗期のセス。
これから契約を結ぶ大切なナイにも反抗する面倒な吸血鬼を、ナイはため息を吐いて頭を抱える。
これ、どうすればいいのよ?
いきなり門が開いて執事のサロールさんが来て食欲が限界になったセスが怒って反抗している・・・こういう年頃の子は本当に難しいわ。
本当に、反抗期がなかったムイを見習っ、そうだったわ。ムイはもういない、私が捨てた。
両親がいなかったから私が姉として弟のムイのために頑張って働いていたけど、もうそれをしなくていい。
もう、全て消えたから。
大切だった弟を捨てた姉。
いつかの未来でもずっと一緒にいられると思っていたのに、もうそれは二度と叶えられなくなった。
自分でそれを裏切って捨てた。
ゴミのように。
でも、今はそんなことよりも。
「寒いわ。寒いから早く中に入れて」
十二月中旬の今、雪も降って積もってめちゃくちゃ寒いのにまだ中に入れないナイが来ているコートに縮こまって自分の体温で息を吐いているナイをの姿を見たセスは。
「ふん。この程度の寒さにやられるなんて、やっぱり人間は弱いな」
上から目線で他人のことなんて全く考えようとしない。
同じ寒さを味わっているのに、セスは薄着で全く寒がらない。
この差は何なのか?
若いからなのか?
いや、今はそれは関係ないだろう。
さすがのセスでも自分に似合う血を持っているナイを死なせることはきっとない。
「はあっ、もういい。ほら早く中に入るよ」
セスが言い方はちょっと優しめにしてくれてナイは満面の笑みで頷いた。
「ええ、ありがとう!」
ナイの笑顔は本当に美しい。
見ているだけでこっちまで嬉しくなる。
きっとセスも同じなはず・・・。
「ここがお二人のお部屋になります」
サロールに案内された部屋は二人部屋とは思えないくらいに広くて美しくて圧がある。
赤い薔薇が五百本以上部屋の隅々まで飾られていて薔薇の香りがすごく強い。
でも。
「わああ、この部屋、本当に私も使っていいのかしら?」
自分の部屋とは三倍の大きな部屋に興奮してよだれが垂れてきそうなナイの少し変わった姿に、セスは少し距離を置いたが、ほんの少しだけ笑って頷いた。
「そうだな。二人部屋としてはまあまあ広い。これからよろしくな、ナイ」
敬語ではなくても、王子らしく気品ある挨拶で握手を求めたセス。
その表情はとてもカッコ良くてドキドキしてまうほどに目が離せなくなるのを我慢して、ナイは満面の笑みでその手を握った。
「ええ、これからよろしくお願いします。セス」
本当にこの二人が結婚して夫婦になれるのか少し怪しけれど、そのうち慣れてきたら少しずつ仲良くなっていくはず。


「セス、起きなさい」
「んー、まだ寝かせて」
「ダメよ。寝てばかりだと体が悪くなるわよ」
契約を結んでから二日経った。
一緒に寝て一緒に食事を取って一緒にお風呂に入って。
とにかく何でも一緒にいるようにした二人。
それはセスからの提案だった。
『今日から僕から絶対に離れるな』
最初は何を言われているのか分からなかったナイだが、一ミリも離れない生活をして二日。
特に嫌だとは思っていないナイ。
なぜなら。
「おいしいご飯が待っているわよ」
そう、豪華な食事が毎日三食食べられることを知ってから、ナイは毎日眠たがっているセスを連れて食事を取る生活を送っている。
本当に、人間は食事が好きでたくさん食べてお腹を満たす。
「はあああっ、今日もおいしそうね」
今日の朝食は主にパンを作られている。
ナイが甘い物好きであることを教えられた料理人が精一杯心を込めて作ってくれた豪華な朝食。
「朝からこんなにたくさん食べれるなんて、なんて幸せなのかしら。うふふっ」
一人楽しそうに三十歳なのに幼い子供みたいに笑顔で両手を上げてはしゃぐナイ。
それを隣で見ているセスは少し笑って、頭を撫でた。
「そんなに食べることが好きなんだな」
「ええ、そうよ。私の給料だけだったらこんなに豪華な物は食べられない。だから、たくさん食べたいの」
毎食しっかり一つも残さずに食べているナイ。
特に嫌いな物はない。
ただ、おいしい物ならどんどん好きになって食べる。
まだムイが生まれていなかった幼い頃によく両親から教えられていた。
『人間は食べなければ生きていけない。好きじゃなくても喜んで食べなさい』
この言葉を三十歳になっても忘れていないナイはどんな物でも笑顔で食べて今も未来も生きていくつもり。
生きるためなら何だってする。
ナイはそのつもりでこのお城で生活することを心に決めている。
決めなければとっくに逃げている。
逃げて、臆病で、恥ずかしがって。
大人にはなれない。
でも。
「ほら、セスも食べてみなさい。おいしいわよ」
どんな時でも笑ってなるべく誤魔化さないで綺麗な心を持つことも希望だと言う。
ナイの笑顔は本当に綺麗でセスはこの笑顔を見る度にドキッとして顔が真っ赤に染まってしまう。
「わ、分かったから、こっち見るな」
かあっ、何だこれは。
僕は吸血鬼。
こいつに惚れることなんて絶対にあり得ない。
若い僕が三十歳のおばさんを好きになる・・・はっ、もしそうなったら、兄さんたちの笑いの的になるな。
そうならないために、僕は常にからかって、面白がる。
性格が悪い吸血鬼にならないと、兄さんたちと同じ場所には立てない。
立つ資格すらも失う。
きっとこいつの笑顔も嘘でできている。
恋を知らない吸血鬼はたとえ誰かを好きになってもそれが恋だとは気づかない。
そういうふうに作られてしまったから。
けれど。
「お前は僕と一緒にいて楽しい?」
家族の中で二番目に弱いと言われているセス。
その表情はとても暗く、感情など全くこもっていない。
だが。
「うふふっ、もちろん楽しいわよ!」
「えっ」
「前にも言ったはずよ。『私は吸血鬼の恋人になるのが希望』とね」
告白みたいな嬉しい言葉を言われたセスはすごく嬉しそうに涙を流して頷いた。
「うん、そうだよな。僕は吸血鬼、お前が惚れて当然の存在だからな」
「うふふふっ、そうよ。というか、もう私の希望はあなたと出会えた瞬間で叶ったわ」
そっと嫌がられないように、ナイは美しい微笑みを見せながら今度は自分の番というような感じでセスの頭を撫でる。
「あなたの恋人になれて、契約して。私は幸せで満たされている。だから、あなたも自分の幸せを手にれて、それを私に見せて欲しいわ」
大人の魅力なのか、いつもよりナイが美しく見えて全く庶民には感じられない美しさ。
セスはその笑顔と姿にもっとドキドキして耳まで真っ赤に染まってしまい、両手で顔を隠した。
「かあああっ」
何なんだこれは。
こいつはおばさんなんだぞ。
歳が離れすぎている僕がこいつを好きになるはずがない、絶対にならない!
意地の悪い性格。
こんなにナイがアピールしているのに、セスは何も知らないかのように目を逸らしてはチラッと覗き見て何とも言えない微妙な空気。
それでも、ナイは。
「わあっ、次はどれを食べようかしら」
置いてあった物全てを食べ終わってまだお腹は半分しか満たされていなくて執事のサロールを呼ぼうと手を上げたナイ。
すると。
「ダメだな」
その手を握って下ろしたセス。
その理由は。
「お前の食事は終わった。次は僕の食事に付き合ってもらうからな」
そう言って、無理やりナイを抱きしめて首を噛んで血を吸うセス。
瞳はどこか戸惑って揺れ動いて全く集中できない。
「んっ」
自分に似合う血を見つけて毎日吸っているはずなのに、日に日にナイが美しく見えすぎていてドキドキが止まらなくて。
感情の乱れが激しすぎて。
おいしいはずなのに、味が分からなくなっていく。
どんなに吸っても舌が悪くなったのか、味が微妙にズレていて少し気分が下がってしまう。
「はあっ、クソ」
全然おいしくない!
何、僕、悪いことした?
自分でも全く理由がはっきりと分かっていないセス。
それすらも分からない自分を少しは受け入れるという考えはないのか。
自分が一番自分を理解しなければ何も意味なんて存在しない。
あってたまるものか。
日に日に血の味が悪くなっていると勘違いしているセスはさっさと離れて口元についたナイの血を手で適当に拭って歩き出す。
「次まずい血を出したら許さないからな」
勝手に文句を言ってさっさと逃げるように走り去ったセスに、ナイは不思議に思い、首を傾げた。
「ん? 私、何かしたかしら?」
別に私はおいしいご飯を食べて血をあげただけなのに、セスは満足しなかったみたいね。
なぜかしら?
二人共お互い理由が分からないまま、セスは布団を被って部屋に引きこもり、ナイは次の食事のメニューに期待した。


そして、夜明けが近づいてきた。
「あーはあ」
大きなあくびをして可愛いテディーベアーの水色のパジャマに着替えて寝る準備をし始めたセス。
だが。
「あいつ、まだ帰ってこないのか?」
お風呂も初めて別々に入ってさすがに寝るのは一緒だと思っていたセスはナイの帰りを何度も舌打ちをしながら待ち続ける。
「ちっ、そろそろ朝になるんだけど!」
とうとう怒りが爆発しかける直前、部屋の扉が開いた。
セスはそれがナイだと思い込んで扉に近づいたら。
「まだお眠りになっていなかったのですか?」
と、二人の様子に心配したサロールがゆっくり静かに入ってきた。
「セス様、今日はもうお眠りください。朝になりますよ」
セスの体を一番に心配して瞳を揺らすサロールに、セスは。
「そんなことよりも、あいつはどこにいる!」
ナイが帰ってこないことにどんどん腹が立って足でドンドンと音を激しく鳴らして怒りを爆発させるセス。
しかし。
「セス様、あなたは吸血鬼なのですよ。人間のことなど気にせず、早くお眠りください」
ナイについて全く触れようとしないサロール。
全く意見が合わない。
「ちっ、分かった。僕が探しに行く」
もうサロールには頼らない。
あいつがどこにいるかすらも教えてくれないやつに構っている暇はないんだ!
朝が来る前にセスは裸足で部屋から出て走って隣の部屋からお気に入りの庭まで隅々ナイを探しに行くが、どこにもいない。
足跡すらも見つからない。
「はあ、はあっ。あいつ、本当にどこに行った?」
吸血鬼の僕を走らせるなんて、見つけたら文句を言ってやる。
でも。
「これだけ探しても見つからないってことは、誰かがあいつを奪ったのか」
その可能性は十分ある。
たとえ契約を結んでいても、他の吸血鬼に血を吸われたら契約は自動的に消される。
当然指輪も。
気づきたくなかった事実に気づいてしまったセスはナイを奪われる恐怖に襲われて瞳が激しく揺れ動き、とにかく走って走って。
心当たりのある食堂、お風呂、そして。
「はあっ、やっぱりここにいた」
直接陽の暖かさを浴びたような眩しいほどに金色に輝く王冠が保管されている保管室。
ナイは初めてこの保管室を見た時からどこか怯えていて、嬉しそうに泣いていた。
セスはそれをはっきりと覚えていて最後に見つけたのがこの保管室。
だが。
「ふっ、は、うう」
ガラスに囲まれている王冠の目の前でしゃがみ込んで泣いているナイ。
その理由は。
「どうして、こんなボロボロになってしまったの?」
ナイが
「ボロボロ」
と言った言葉を聞いたセスは急いで王冠の前の前に立つ。
しかし。
「どこも傷一つない」
そう、傷もなく全くボロボロにはなっていない。
なのに、ナイの涙は止まらない。
「ああっ、うう、ふ」
こんなにボロボロなの? 
「私の心」
そう言って、ナイは立ち上がってセスの目の前に立ち、力強く肩を掴む。
「ねえ、どうして私の心はボロボロになってしまったのよ! 私、あなたのために大人として精一杯頑張って一緒にいたのに・・・どうして!」
何かに取り憑かれたような全く知らないナイの姿に、セスは驚いてばかりで言葉が出てこない。
「・・・・・・」
一体、どうなっている?
さっきから何を言っているのかも分からない。
王冠を見て嬉しくて泣いていたんじゃないのか。
それとも、別の理由で、誰かから泣かされたとか?
その可能性も十分ある。
一体誰があっ!
心当たりのある人物に気づいたセス。
しかし、それはもう遅かった。
「あっ、ああ」
朝日が昇り、自然とそのまま倒れるように眠ってしまったセス。
その姿を見たナイは我に帰って泣くのをやめてセスを抱きしめた。
「ごめんんさい、ごめんなさい。私、どうかしていたわ。私はただ、あなたを失うのが怖くなってしまったの」
ナイが泣いた理由はセスの思ったとおり、誰かがナイに何かを吹き込んで保管室に無理やり連れ込まされ、その恐怖で泣いていたのだ。
「ごめんなさい」


メリマ家の兄妹はみんな仲が良かった。
『早く来ないと俺が全部食べてしまうぞ』
『シセル兄さん待ってください』
『全部は食べないで』
『私の分は食べないでください』
一番上のシセルはいつも兄妹の中で中心となる明るい存在。
兄妹思いで優しくてたまにからかって。
二番目のスラは遠慮がちでシセルについていくのが精一杯なちょっと弱い存在。
三番目のセスは幼い頃からシセルとスラが大嫌いでよく意地悪するほど今とは全く変わらない性格の悪い存在。
四番目のソリーは兄三人が怖くて逆らうことができずに怯えて心を閉ざしていた悲しい存在。
周りから見たら仲がいいように見えるが、四人の性格を見てしまえば全て嘘。
裏では。
『おい、何度言えば分かるんだ!』
気に入らなかったら大声を上げて物を投げつけるシセル。
『兄上、やめてください』
シセルの機嫌を取り戻すために必死に身体を押さえるスラ。
『ちっ、うるさいな!』
シセルの大声が耳に入ってくるのが心の底から嫌で椅子を足で蹴るセス。
『ううっ、ああ。もうこれ以上物を投げないでください』
シセルの怒りに耐えきれずに大粒の涙を流すソリー。
表では仲良しな兄妹を演じていた四人。
しかし、裏になるとこんなふうに全くの別人に変わったように上下関係が厳しい恐怖の光景。
これを見たくない使用人たちはさっさと別の部屋に逃げて自分の身を守る。
一番上のシセルは自分の機嫌を取るのがめちゃくちゃ苦手で、自分の怒りを抑えることはできない。
だから、いつもスラが毎回毎回必死に暴れないように身体を押さえて腕を背中につけさせる。
本来なら使用人がやるべきことを代わりにスラが自ら先にして誰も巻き込まないように本気で必死に誰も傷つかせないように頑張っていた。
物を投げて壊して怪我をする。
これを何十年も繰り返しながら生きてしまっている四人。
それでも、両親は見ないふりをしている。
普通なら両親が止めるべきなのに、わざと見ないふりをして、関係ないふりをして鼻で笑っている。
最低な吸血鬼だった。
『お前らのせいで俺がどれだけ苦労しているか分からないだろ!』
始まった。
全くどうでもいい言い訳。
『俺が長男として毎日王の仕事を八時間手伝って眠る暇もない。俺の気持ちを少しは考えろ、そうではないとお前らを・・・』
お決まりの一言を言ってしまったシセル。
その言葉を聞いた三人は。
『兄上、本気で言ったんですか? 俺たちは兄妹なのに』
ショックで暗い表情を浮かべて頭を抱えたスラ。
『ふん、別にそうなっても構わない』
その言葉を聞いても何も感じずテーブルに足を置いて腕を組むセス。
『あああっ、うう。そんなの、嫌です』
その言葉に激しく動揺して涙が止まらないソリー。
兄妹なら仲良しになればみんな笑顔でいられたら、きっとこんなことにはならなかったのに。
本当に現実とは、全てを壊す強い力だ。
それに勝てる者は今のところ存在しない。
していたらこんなことにはならなかった。
吸血鬼の中で唯一の王族であるメリマ家。
この四人が幸せになれる日が来るのか。
どうしたら幸せになれるのか。
それは・・・。


翌日の夜になり、セスは目覚めた。
「あーは」
またあの夢を見た。
何度も何度もしつこいのに勝手に見せてくるひどい夢。
もう僕はあんなの見たくないし、二度とな。
夢見が悪いセス。
だが、同時にあることを思い出して隣を見る。
「ああ、そうだったな。ここは僕たちの部屋じゃなくて保管室だったな」
そう、部屋に戻る余裕がなくそのまま保管室で眠っていたセス。
「あいつはどこにあっ」
周りを見渡した先には綺麗に姿勢良く座って眠っているナイがいる。
セスはゆっくり立ち上がって目の前に来て、頭を撫でる。
「お前の寝顔は相変わらず、腹立つほどに美しいな」
歳の差は大きすぎるが、セスはナイを選んで正解だと思っているようだ。
「はっ、座ったまま眠るとか、一体どうすればできる?」
小さく静かに起こさないように独り言を呟くセス。
すると。
「んっ」
独り言に気づいたのか、ナイがゆっくり目を開けてセスはパッと手を背中に隠した。
「お、起きたな」
「ええ、おはよう」
「あははっ、ほら、行くぞ」
顔を真っ赤に染めないようにセスが一人保管室から出ようとしたら
「待って」
と、ナイが手を握って止めた。
「昨日はごめんなさい。私、どうかしていたわよね」
「べ、別に、そんなこと気にしていない。僕は僕のことしか考えていないからな」
「そうよね、分かったわ、部屋に行きましょう」
そう言って、二人は部屋に戻り、着替えをしていく。
「お前、食べ物以外で何が好き?」
突然好きな物を聞いてきたセスに、ナイは一瞬戸惑ったが、気を取り戻して笑顔で答える。
「そうね。薔薇が好きだわ」
「薔薇か。薔薇なら何色でもいいのか?」
「ええ、何でもいいわ」
「じゃあ、今度買ってくる」
「えっ!」
「薔薇が欲しいみたいだから、今度僕が何か買ってくる」
「いいの?」
「うん、そのために聞いたんだからな」
着替え終わってナイの頬を満面の笑みで撫でるセス。
その姿に、ナイはドキドキして、嬉しくて頷いた。
「ええ、楽しみにしているわ。うふふっ」
セスからのプレゼント。
すごく楽しみだわ。
どんな物にするんだろう。
誕生日プレゼント以外で何かをもらったことはないわ。
テストで一番になって褒めてもらったり、誰かを助けたり。
他にも色々なことで誰かの力になって家族に褒められたり、友人を笑顔にしたり。
そんな些細なことでも誰かのためになるならと、ナイは今まで一人で頑張ってきたはずなのに。
『これでいいと思っていたら大間違いよ。早くやり直しなさい』
『まだできないの? 本当に何もできないのね』
『こんなことで私たちの足を引っ張ったら、あんたには消えてもらう』
仕事を覚えるのが下手で褒められたことは数少ない。
一度目も二度目も。
たくさんひどいことを言われて距離を置かれて毎日落ち込んでいた日々。
けれど、今は。
「セス、全てあなたのおかげよ」
美しく微笑みかけるナイ。
「は? 何が?」
何を言われているのか全く分からず首を傾げるセス。
それでも、手を握ってあげて。
「あなたと出会えて私は全てから救われたわ。本当に、ありがとう」
心から気持ちを込めてお礼を伝えたナイに、セスは顔が真っ赤に染まってドキドキして、つい抱きしめてしまう。
「もう、お前はずるいな」
「え? 私はただお礼を伝えただけなんだけど」
「それがずるいんだ。僕たちは契約を結んでいるだけで夫婦じゃない。なのに、君は僕を好きになろうとしている。僕はどうしたらいい?」
何かを迷って苦しんで息が荒くなるセスを、ナイはそっと背中を撫でてこう言った。
「私はあなたを好きになりたい。でも、あなたは私を好きになる必要はないわ」
本当の気持ちを隠して嘘をついたナイ。
言い方は優しく丁寧だが、少しだけ低く暗い声にも聞こえていた。
人間の私が吸血鬼のセスを好きになりたいと思うのも本当は良くないのよね。
人間にとって吸血鬼は一番の敵。
人間の血を吸うために人間を襲う危険な生き物。
だから、私は人間の心も半分持ちながら、敵の吸血鬼がどう出るのかを知る必要がある。
もし、百年前と同じ事件が起きてしまったら、きっとセスは私を憎み、恨む。
契約を結んでいても、私たちはまだ結婚していない。
したいけど、セスがそれを希望しない限り、私のもう一つの希望が叶うことはない。
私の最初の希望は叶った。
セスと出会えたこと。
これだけでも満足だったのに、私はそれ以上の希望を持ってしまった。
希望はいくつあっても別に悪くはない。
叶えば次を叶える。
その繰り返し。
人間のナイが吸血鬼のセスを好きになりたいという希望は叶っても叶わなくても。
全てがどうでもいい。
吸血鬼にとっては。
この抱きしめられている暖かく気持ちのいい毛布のように包まれている感覚。
これはセスだからこそ感じられる物。
他の吸血鬼には感じられない特別。
ナイは大切な宝物を捨てて人間の敵である吸血鬼のセスを選んだ。
選んだ限り、後悔は許されない。
許されるはずがない。
このお城に来た人間は命を捧げたことと同じ。
一生出られない世界で一番恐怖の場所。
ここから出られるとは考える方が無駄。
でも。
「お前がもし僕を好きになったら、その時はちゃんと教えて。僕も色々と考えてみるからな」
めちゃくちゃ上から目線な言葉でも、ナイは瞳をキラキラと輝かせて優しい笑顔で頷いた。
「ええ、待ってて。必ずあなたを好きになってみせるわ」
とても幸せな時間、癒しの朝。
夜だが。
起きてからこんなに嬉しいことがたくさん起きて幸せではない方がおかしい。
夫婦にもなっていない、結婚もしていない。
でも。
二人が「幸せ」だとお互いがそう感じ合っているなら誰も文句は言ったりしない。
セスがそれを絶対に許さない。
やっと見つけた自分に似合う血を見つけた限り、ナイを誰かに渡すことは自分自身を裏切ることと同じだから。
「はあっ、そろそろ離してもいい?」
お腹が空いてこの時間に飽きてきたセスが無表情でそう聞くとナイも同じように無表情で頷いた。
「ええ、そうね」
二人共お腹が空いてあと少ししたら気持ち悪くなってしまうほどに空腹になっている。
「ああっ」
こいつの僕に対する気持ちはよく分かった。
こいつは僕に反抗しない、ただ頷くだけ。
まあ、その方が楽だけどな。
「ふう」
お腹が空きすぎて気持ち悪い。
早く何か食べたい。
食堂に行きましょう。
お互い空腹が限界になって目的が一緒ということで自然と離れて手を繋いで部屋を出て行く。
今日のナイのドレス。
黄色のリボンが胸元に大きく飾られている甘く美しい橙色のドレス。
今日のセスの服。
黄色の長袖のシャツに橙色の膝よりも短いモフモフのコート、ズボンは黒のシンプル。
ナイとセスは二人共橙色が超似合う。
コーデはいつもサロールが選んでくれている。
契約を結んだ者同士、同じ色を着るのは当然だと言う。
「うふふっ、今日のドレス、素敵だわ」
「そうだな。よく似合っている」
毎日毎日ナイのコーデに見惚れてしまうセス、が。
「ナイ、僕の後ろに隠れて!」
突然セスが大声でナイを自分の後ろに隠し、何かに怯えている。
何がどうなっているのか全く分からないナイがそっと顔を上げると、そこには。
「シセル兄さん、何でここにいる!」
そう、セスが一番嫌う吸血鬼であり長男のシセル。
その姿を見てしまったナイは心臓がバクバクと動いて動揺する。
「ねえ、あなた、どこかで会ったわよね?」