「ルロ! しっかりして!」
意識がなくなったルロは呼吸が不安定で今すぐにでも死んでしまうのではないかという危険な状態になってしまった。
その姿を見てソリーは心の底からルロを失ってしまいそうな不安になり、ルロを失う不安が大きく感情に現れて涙を流す。
「ルロ、起きてよ。私を置いて行かないでよ。うっ、ああ」
ソリーは人間のルロに興味はあった。
いつでも元気で明るくてウザいけれど、一番大切に守ってくれるルロに安心してそばにいられる。
ルロの愛を汚した吸血鬼を、ソリーは自分の力を限界まで拳を握りしめてバッと勢い良く上に上げて下に下ろしたのと同時に吸血鬼の頭を血が流れるまで叩き続けた。
「あんたのせいでルロは倒れた、あんたのせいで全部台無しになった! 絶対に許さない、私があんたを殺す。その覚悟はとっくにあるでしょ、サムール?」
そう質問された吸血鬼は怪しげに美しく微笑みながら血を吸うのをやめて立ち上がった。
「ふふふ、ふふふふふふふっ! なぜ分かったんですか、結構頑張って変装したはずなのに」
偽りの髪と仮面を外したのはソリーのメイド、サムールだ。
真っ白な背中でまで伸ばした髪を後ろでお団子にし汚れのない美しい水色の瞳。
けれど、なぜソリーは気づいてしまったのか。
「あんたはよく兄様たちに相談してたわよね。『自分に似合う血を見つけるにはどうしたいいですか』とね」
「はい、そうですが、何か問題でもありましたか?」
平然といつもどおりのイライラする無駄な感情を表にしない無表情。
ソリーはサムールのその顔が大嫌いで目を逸らした。
「問題だらけでしょ。何で主人の私じゃなくて兄様たちに相談するのよ?」
「その方が分かりやすいので」
「私だってちゃんと聞かれたら真面目に答えるわ。なのに、あんたは主人の私よりも顔がいい兄様たちの方がいいみたいね」
「はい、ソリー様は王女であるはずなのに態度は庶民と変わらない。全く王女ではないことが私は残念に思っています」
「くっ・・・」
イライラする。
サムールを選んだのは私なのに、この子は私よりも兄様たちを選ぶ。
悩みがあるなら主人の私に最初に聞けばいいのに、何でサムールは私を選ぼうとしないの?
私のどこが悪いの?
主人の自分を全く頼りにしないサムールを、ソリーはイライラするが、同時に悲しくてまた泣きそうで怖くなる。
しかし。
「あははっ、いいんですか?」
「何が?」
「このままルロ様を放っておいて」
そう言われたソリーはすぐに横に倒れたルロの足を見て驚いて声を上げる。
「あっ!」
そうだった、ルロが倒れてた。
私、めちゃくちゃ最低じゃん。
夫のルロのことよりもメイドのサムールにイライラして・・・子供じゃん。
これ、どうすればいいの?
私には何もできない、一体何をすればい、いや、ルロがこうなったのは全部!
「サムール! 今すぐルロを治しなさい!」
そう、突然野生に戻って心がない人形みたいに正体を隠してルロを襲ったのは全てサムール。
だが、サムールは。
「嫌ですよ。なぜ私がそのような面倒なことをしなければならないんですか? 私には関係ないことです」
はっきりと自分は「関係」ないと目の前で見ていたソリーの気持ちなど考えずに言ったサムール。
当然ソリーは腹を立てて。
「あんた、メイドのくせに何偉そうに言うの! あんたなんてただこの城で働くために作られた偽物なのに、何で自分は関係ないとはっきり嘘をつけるのか教えてよ!」
静かな夜でお城だけでなく街全体にも響き渡るソリーの叫び。
「私にとってルロは必要な存在、一緒にいたい存在! それをあんたが簡単に壊して嘘をつく・・・本当に、最低な生き物だわ!」
もう何も考えずに思っていることも思っていないことも全部言葉にして叫び続けるソリー。
それでも。
「ソリー様、あなたは何も分かっていません。本当に私には関係ないことですよ」
真剣な眼差しで少しずつ感情を表していくサムール。
その理由は。
「私はルロ様が嫌いです。人間なのに堂々とこのお城で優雅に暮らして好き放題。人間は吸血鬼の餌になるだけのために生まれてきた存在なんですよ。なのに、ルロ様は自分がそういう存在であることよりもソリー様を愛することだけを考えて誰よりも幸せそうに暮らす姿が私は大嫌いなんですよ! 早くこのお城か出て行って欲しい、二度と顔を見せないで欲しい。これが私の本音です」
メイドとは思えないほど、サムールは主人のソリーに自分の本音を全て言い切った。
これはメイドの立場というより、一人の吸血鬼としての純粋な本音であった。
「これ以上、このお城に人間が増えたら私は許しません。もしそうしたら、私は人間にこのお城の秘密を全て教えます」
「は?」
今何て言ったの?
この城の秘密をバラすって言ったの?
そんなの。
「ダメ! 絶対ダメ!」
もしそんなことをしたら、ここにいる百人の吸血鬼は一瞬で人間に消される。
また百年前みたいなことになったら吸血鬼はもう生き残れない。
せっかく私たち家族はあの事件から何とか生き残って今を精一杯生きてるのに、この子は全てを元に戻そうとしてる。
でも。
「あんた、私にそう言っても、お父様に同じことを言えるの?」
「あっ・・・」
ソリーが言った
「お父様」
という言葉を聞いて、一瞬で地面に穴が空いてそこに突き落とされてしまいそうな恐怖で顔が青ざめていくサムール。
これはメイドとしてではなく、一人の吸血鬼として、心の底から恐れている。
恐れない方がおかしい。
サムールの予想通りの反応に、ソリーは不気味な笑みを浮かべる。
「ふふっ、やっぱりそうよね。あんたも結局ただの吸血鬼。それも一番下の下だから、お父様に言ったら一瞬で消される。あーあ、なんて弱い生き物なの? ふふふっ」
ソリーがサムールをからかうのは別に構わないが、今はそんなどうでもいいことよりもルロの心配をした方がいいのに・・・。
「あんたが私に怒っても私はすぐにお父様に報告してあんたを色々な方法で苦しめてあげる。ふっ、楽しみにしていなさい。私はルロを、あっ、ああああっ!」
やっとルロのことを思い出したソリーはもうサムールに構うのをやめて自分よりだいぶ重いルロを横に抱えて、とりあえず部屋に連れてベッドに寝かせる。
「は、はあっ。ルロ」
「・・・・・・」
名前を呼んでも全く返事がないルロに、ソリーはその寂しさで抱きしめる。
「大丈夫、私は絶対にあんたを置いて行ったりしないから、だから、今はゆっくり休んで。医者に見てもらえればすぐに治る」
全く王女とは思えないほどに必死に廊下を走って医者を呼びに行ったソリー。
その間にルロはいつのまにか目を開けて一人の女神が描かれている天井を見上げる。
「あっ、あ」
そう言えば、この絵はソリーが幼い頃から気に入っていた特別な絵画。
僕も好きで今まではよく見ていたけど、最近はその存在を忘れて見ていなかったね。
僕の足は今どうなっているのかな?
力がないから自分で起きられないし、見ることはできないね。
「はあっ、僕、すごくカッコ悪い」
妻の手を借りてしまうなんて夫として最低だよ。
僕はカッコ良くて一番頼りになる存在になりたかった。
そういう愛を持っていた。
でも、僕の愛って結局何だろうね。
確かに僕はソリーを心の底から愛している、本当に。
嘘なんかじゃない。
本当でまっすぐで崩れない。
そしたらもっと僕たちは幸せな夫婦になれると思っていたのに、現実は辛いね。
思っていた以上に辛くて苦しくて涙が出る。
「う、ふっ、ああああっ」
どうしたら僕、本当の愛を知れるのかな?
このままで居続けたらきっとソリーは他の人間に興味を持って僕を捨てるに決まってはっ!
何かに気づいたルロは自分の左手薬指を見て驚いて動揺して瞳が揺れる。
「ない、指輪がない! まさか、あの吸血鬼に血を吸われたから、契約が勝手に解除された?」
そう、吸血鬼と契約を結んでいる人間が他の吸血鬼から血を吸われたら自動的に契約が終わって指輪が消える。
それを知らなかったルロは慌ててソリーの元に行こうとするが、今の力では起き上がることもできずに両手でベッドを叩いてめちゃくちゃ悔しがる。
「どうして、どうして! 僕はまだソリーを愛しているんだよ。もう一度契約を結ばないと僕はもう二度とこのお城に入れない。そんなの嫌」
「うるさいですね」
ルロの大声が気になって睨みながら部屋に入ってきたのはサムールだ。
その姿を見てしまったルロはまた血を吸われてしまうのではないかという恐怖で顔が青ざめて無言になる。
「・・・・・・」
これ、どうすればいいのかな?
今の僕では絶対に逃げられない。
だからって、助けを求めてもここにいるのはみんな吸血鬼。
契約が終わった人間の僕はいつ他の吸血鬼に襲われてもおかしくない。
逃げたいけど、ソリーが医者を呼びに行ってくれているみたいだからここで動いたらきっとソリーは悲しむ。
嫌だ!
ソリーの悲しむ顔なんて見たくない、させたくない!
僕が何とかしてあの吸血鬼から離れる。
「・・・・・・」
ルロはサムールがソリーのメイドであることを知らない、見たことがない。
ルロはこのお城に仕えている吸血鬼に関わることを恐れているため、食事やお風呂以外は部屋から出ることはない。
だから、サムールがソリーのメイドであることを当然知らなかった。
知っていたらこんなに怯えることはない。
自分の存在を知ろうともしなかったただの人間ルロを恨むサムールは少しずつ前に歩いてこっちに動く。
「あなたは今一人です。どうですか、私と契約したいと思いますか?」
怪しげに満月が地上を照らすような美しい影で笑うサムールに、ルロは少しずつ会話を続けてみる。
「僕はソリーを愛している。君を愛する気はない」
「はあっ、その言葉、何度言えば気が済むんですか? 人間は本当に面白くありませんね」
「面白くなくても十分だよ。これが普通なんだからね」
「は? あなたたち人間には『普通』があって吸血鬼の私たちには『普通』がないと言いたいんですか?」
段々と声が低くなって恐怖が増してサムールの水色の瞳がほんの少しだけ吸血鬼らしい真っ赤に輝いた時、ルロは自然と笑った。
「ははっ、そうだよ。君たち吸血鬼に『普通』があるとは思えないね。生きている世界が違うからね」
堂々と自信満々にそう言ってしまったルロ。
当然、その言葉を聞いたサムールはとにかく腹が立って、勢いをつけてどんどん走って両手でルロの首を掴んだ!
「そこまでですよ」
「か、ああっ。何を、す」
「私は何もしていませんよ。そうですね、しているとしたら、ここには必要ないゴミを捨てる、ただそれだけです」
人間を
「ゴミ」
とひどい言葉を言ったサムール。
とても悔しそうに泣いているような笑っているような曖昧な表情を浮かべている。
「ふっ」
やっぱり、人間はこうなのよ。
生きている世界が違うというのは大きな間違いよ。
私たち吸血鬼はあなたたち人間とちゃんと同じ世界で同じ空気を吸って生きている。
生きている歳月が離れていても、穏やかな日々を過ごしたい。
それはあなたたち人間もそう思っているはずよ。
でも、私は百年前のあの事件をまだ一度も許していない。
許すはずがないのよ。
あんなひどいことをしておいて、あなたたち人間だけが何もなかったみたいな顔をして平然と暮らしている。
私が思っていることを全て言えば私は楽になれる。
けれど!
「あなたはソリー様には似合わない人間です」
「えっ」
「ソリー様はこの世界の王女なんですよ。あなたと違って頭もいい、美しく素敵な方です。あなたとは比べ物にならないほど」
「それは違うね」
スッとやっと戻ってきた力でゆっくりサムールの手を離したルロ。
真剣な眼差しで笑顔で否定して。
「君は何も分かっていないよ」
ソリーを一番理解し三年夫婦としてそばに居続けたルロは何十年もそばにいたサムールに満面の笑みで続けて話す。
「ソリーは王女の自分が一番嫌いなんだよ。いつでも礼儀正しく美しい笑顔を見せる苦しい日々を何十年も過ごしていた。それは君も知っているよね?」
「はい、知っています」
「うん、でも、ソリーは僕と出会って全てを変えた。王女ではなくて本当の自分らしさを手に入れてちょっとだらしないけど、僕はソリーのそういうところも全て受け入れて愛している。それは君は知らないよね?」
「はい、そうですね」
さっきから偉そうに言って、何が楽しいのよ?
どんどんソリーについて笑顔で話し続けるルロに、サムールはもう飽きて距離を置いて丁寧にお辞儀をして部屋から出て行った。
すると。
「ちょっと、あんた」
ずっと二人の話を扉越しに聞いていたソリーがとても恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながら部屋に入ってきた。
「私の恥ずかしいことばっかり言って、もう」
ルロが思う自分の全てを話したことを聞いたソリーはルロと目が合っただけでドキドキしてしゃがみ込む。
「くっ」
だが。
「君は何も恥ずかしがらないでいいんだよ。僕はそういうところも含めて君を愛し」
「だから、そういうところが恥ずかしいって言ってるのよ! 何で私の気持ち分からないの、まさかあんた、もう他の吸血鬼と契約をして」
「していないよ。ほら」
満面の笑みを見せるルロの左手薬指には指輪はなく、ソリーは心の底から安心してとても嬉しそうに王女らしい美しい微笑みを見せた。
「ふふっ、ならそれでいい。じゃあ」
「うん」
「契約を結び直そう!」
一度終わった契約は何度でも結び直せる。
二人の絆と愛が強くあるなら何度でも契約を結び直してそばにいる。
ルロとソリーもその心はある。
しかし。
「その前に血を取るから動かないで」
「あっ、そ、そうだったね。でも、もう痛くないから大丈」
「良くないでしょ。あんた人間なんだからもう少し自分の心配をしなさい。私よりも弱いんだから」
「う、ん」
ソリーが言った
「人間なんだから」
という言葉はルロにとって、とても重い言葉。
何度も比べてきた吸血鬼のソリーと人間のルロ。
ルロは自分の体調よりもソリーを愛することだけを考えているだいぶ変態な人間。
人間よりも吸血鬼に夢中で絶対に離れる気はない。
離れて欲しくない。
ソリーが部屋から出た時、ルロは毎回こう思った。
「ソリー、僕が嫌いになったのかな」
何も言われていないのに嫌われてしまったのではないかという不安が毎回心の奥底でドロドロな土が口に入り込むみたいな気持ちが悪い感覚に襲われるルロ。
父親のルーラウを殺してから三年が経って少しは楽になったと思っていたのに、ルロはソリーに嫌われるのが怖くて常に明るく居ようと笑顔でいてもそれは本当の愛には思えないだろう。
ルロが思う本当の愛は自分が思っている以上に深く海の中に沈んだように息が苦しくて溶けてしまいそうな感覚。
人間が吸血鬼を愛することは当然簡単ではない、あるはずがない。
そう考えたらルロは自分がどうすればいいか、きっと思考がグルグルと時計みたいにおかしくなってしまうかもしれない。
実際はどうなのか分からないが。
「ルロ、あんた、私を本気で愛しているなら何で私に何もあげてくれないの?」
「え」
突然プレゼントを欲しがるソリー。
その理由は。
「あんた、忘れているでしょ?」
「な、何をかな? はははっ」
完全にソリーが言いたいことを忘れてしまっているルロが苦笑いで誤魔化していることに、ソリーはイライラして力強く襟を掴む!
「私、今日が誕生日なんだけど!」
そう、今日、十二月十日はソリーの誕生日。
けれど、ソリーは自分でもさっき思い出していたほど、ルロの心配をしていつ言えばいいのか分からず、何度もタイミングを逃していた。
だが、今はもうルロが元気になった姿を見て誕生日を言うタイミングが現れたので遠慮せずに堂々と、少し言い方はきつくても言うことができた。
「あんた、いつもだったら毎年あんたから『誕生日おめでとう』って言ってくれたのに、何で今年はあんたが先に言ってくれないの!」
今日の主役なのに、誰も
「おめでとう」
と言われず、忘れられていたソリー。
今までだったら家族がみんなお祝いをしてくれていたが、ルロと結婚してからはルロが一番に起きた瞬間にプレゼントをあげてくれた。
ソリーが大好きなハートの小物を毎年あげて心の底から祝福してくれたのに、ずっと待っていたのに。
「サムールのせいで全部めちゃくちゃに崩れた」
サムールが野生にならなかったら、ルロが怪我をしなかったら。
全部私が考えたとおりに動いていたのに、もう!
誕生日の主役は全て自分が思ったとおりにみんなが思いどおりに動くと考えていることが多い。
別にそれが間違っているわけではない、ただその考えが他人を色々なことに巻き込むことも想像しなければ危険なことに繋がってしまうのも少なくはない。
仕事で遅くなった、知らなかった、忙しかった、忘れていた。
色々な言い訳をして仕方なくお祝いする者も何人かいるはず。
一年に一度の特別な日を一番大切な人からお祝いされる幸せな日。
それをソリーは毎年期待している。
自分を世界で一番愛してくれるルロからお祝いされることが嬉しくて来年も楽しみに待つ。
ソリーはルロが好きではなくても死んでもそばいたいと思っている限り、ソリーは一年に一度の誕生日を心の底から待っている。
ソリーの誕生日を完全に忘れていたルロは
「どうしよう、どうしよう」
と、めちゃくちゃ焦って目を泳がせて誤魔化しが始まった。
「うーん、君の誕生日が今日なのはもちろん知っているよ。でも、見てのとおり、僕は動けないから今すぐには何もできないかな、はははっ」
本当はそうじゃない。
本当に僕はソリーの誕生日を忘れていた。
最低だね。
愛する妻の誕生日を忘れるなんて夫として一番やってはいけないことだよ。
僕はそれをしてソリーを傷つけた。
なんて最低すぎるんだよ、僕は!
愛する妻の誕生日を最初に祝えなかった自分を心の底から憎み、恨み、腹を立てる。
「・・・・・っ」
今からでも間に合うかな、ソリーはそれでも喜んでくれるかな?
分からない。
分からないけど、する価値は何十倍もある。
よし、しよう!
最初にお祝いできなくても、愛する妻の喜ぶ顔を見るためにルロは満面の笑みでソリーを抱きしめてこう言った。
「誕生日おめでとう。これからも、僕の愛を受け取ってね」
お祝いと告白が混ざった素敵な言葉。
これを聞いたソリーは顔を真っ赤にして照れて可愛い。
「もう・・・」
ルロはすぐに恥ずかしいことを言う。
その度に私はドキドキして戸惑って逃げてしまう。
吸血鬼は恋を知らない、しようとも思わない。
そういうふうに作られてしまったんだから。
吸血鬼は人間よりも強い力を持っているが、その代わりに「恋」というものがどういうものなのかを知らない。
一生持てない特別な力を人間は持っている。
それが「恋」というもの。
人間のルロがどんなに吸血鬼のソリーを愛していても、ソリーはその愛に応えることはできない。
と言っても、吸血鬼はどんどん増えていく。
恋をしなくても、後を受け継がせるために数を増やすためにお互いを利用し合って家族になる。
吸血鬼はそういう生き物。
性格が悪くて自分勝手でわがまま。
最低な組み合わせしか持っていない生き物だからこそ、強くて美しくて一生叶わない。
だが、一度だけ叶ったことがあった。
吸血鬼が恐れた一番の大事件。
でも、今の吸血鬼はきっと違うだろう。
特に、ルロとソリーのような愛に染まった微笑ましい関係が一つでもあるなら、他の吸血鬼も同じように人間と契約し、人間にとっても吸血鬼にとっても。
お互いを尊敬し合える穏やかな暮らしを願って。
「さっ、ソリー、僕はもう大丈夫だから何か欲しい物があったら教えてね。今から買いに痛っ」
起き上がった瞬間に少しまだ少し血が流れて痛みがきたルロを、ソリーがそっと布で拭いて薬を塗ってあげる。
「もう、まだあんたは休みなさい。そうね、私が欲しいのは指輪、よ」
とても心の底から欲しそうに血みたいな真っ赤な瞳が満月に美しく照らされたような綺麗に眩しいほどに輝かせるソリー。
ルロはその姿を見て頷いた。
「うん、分かったよ! じゃあ、僕が買いに行くよ」
「ダメ! あんたは私と契約を結んでいあっ!」
ソリーは何かに気づいた、同時にルロの体を恐れて体が震える。
「ルロ、あんた、もしかして私じゃない他の吸血鬼と契約したの?」
そう、ソリーが医者を呼んで、いや、医者がいなかったのでとりあえず薬をもらいに行っている間にルロが他の吸血鬼と契約を結んでしまったのではないかという不安と焦りが身体中の奥底からドロドロな土が口の中から湧き上がっていく感覚。
だが。
「はっはは。何度言われても大丈夫だよ、僕は君以外の吸血鬼に興味は全くない。あるはずがないよ。ははっ」
ソリーの暗い感情を一気に暖かい毛布で包むようにもう一度抱きしめてあげたルロ。
その言葉に、ソリーも笑って頷いた。
「そうよね。あんたは私以外に興味はなかったわね。ごめんなさい、変なこと聞いて」
「いいよ。君の不安は全て僕がやっつけるからね!」
幼い子供みたいに元気にめちゃくちゃ明るく笑うルロに、ソリーは涙が溢れるほどに面白おかしく笑った。
「ふふふふふっ、あはははは! あんたもう二十歳を超えたんだから、もっと大人らしくいなさい。カッコ悪いでしょ?」
久しぶりに大声で笑ったソリーを、ルロはとても微笑ましく思い、そっと丁寧に頭を撫でて綺麗に微笑んで見せる。
「いいんだよ、カッコ悪くても。君が笑ってくれるなら、僕は何にだってなって見せる。それだけが僕の君への愛だよ」
そうだ。
僕の本当の愛はソリーを笑顔にして何度でも抱きしめてあげる。
辛かったり苦しかったりしたら僕が一番最初に君を抱きしめてあげる。
君がどうでもいいとか面倒だと言っても。
僕は一生変わらずこの愛で君を幸せに、守ってあげる。
だって、僕たちは。
「夫婦だからね」
恋を知らない生き物の吸血鬼に一生恋をする人間。
不思議でもおかしくても、この愛が一生続くなら誰も文句は言わない、言わせない。
きっと恋という物はそのために存在しているのかもしれない。
形も姿も分からない。
でも、それがいい。
ルロが一生ソリーを笑顔にして抱きしめる愛を叶え続けていくのなら、きっとそれは死んでも続くだろう。
生きている時だけでなく、死んでもそばにいることを約束した二人だからこそ叶えられる愛が存在する。
「分かったわよ。じゃあ、契約は」
「今すぐするんだよね?」
もう一度契約を結べることを心の底から期待して瞳をキラキラと輝かせるルロに、ソリーはなぜか首を横に振った。
「それは帰ってからするわ」
「え? 帰ってから?」
どういう意味なのかな?
全く何も分からずに首を傾げるルロを、ソリーはどこか嬉しそうに楽しそうに満面の笑みを見せた。
「ふふっ、今からデートに行くわよ!」
突然デートに行くと言い出したソリー。
今は午後二十時。
お店も閉まっていく時間。
それでも。
「ルロ、今日の主役は私なんだから、一緒に来てくれるわよね?」
こんなに美しい笑顔をたった一日で見せてくれるソリーに、ルロは喜んで大きく頷いた。
「もちろんだよ! 君の欲しい物は全て買ってあげるよ!」
今日だけでもいい。
ソリーのたくさんの笑顔が見れるなら、僕は何だってしてあげるよ。
夫だからね。
妻を愛する気持ち、感情を強く持ち続けているルロ。
本当の愛を知ってから、自然と体がどんどん軽くなって足の痛みなんて全く感じずに立ち上がった。
「ソリー、行こう」
人生初のデートにルロは興奮して鼻血が出そうなくいらいの感覚になってしまっている。
はあああっ、デート、デート。
契約を結んで結婚をしてから一度も僕はこの城から出たことはなかった。
出たいと思っても契約と結婚があるが限り、とっくに諦めていた。
でも、今日は違う。
ソリーからデートを誘ってくれた、許してくれた。
今の僕は何もない人間だからこそ、愛する妻と二人で外に出られる幸福。
このチャンスは何があっても逃しはしないよ。
「ははっ」
一人でニヤニヤと怪しい表情をするルロにソリーは一瞬ゾッとしたが、今日は誕生日ということで全てを気にしないように自分から手を握って横に立つ。
「ほら、着替えて行くわよ」
「うん!」
人生初のデート。
二人共楽しみすぎて笑顔だらけで少し恐ろしいけれど、二人が楽しそうなら何でもいい。
人生初のデートなのだから。


「くっ、あの人間を殺すためには何が必要ですか? どうしたら消えてくれますか?」
メイドの着替え部屋でただ一人ルロを恨んでフォークで床をギシッと嫌な音を立てて線を描くサムール。
その質問には誰も答えることはない。
だって、彼女は一番下の下である一番弱い存在として作られてしまったのだから。
誰の声も聞こえない、誰も信じてくれない。
このお城に仕えてもう何十年も経っているのに、誰も彼女の言うことを聞いてくれない。
聞こうともしない。
だから、時々野生になってしまう。
このお城にいる人間は三人。
それ以外はみんな吸血鬼。
使用人は人間の血を吸うにはお金が絶対必要。
血を吸わなければ死んでしまう。
そのためにはお金が必要で失いたくない大切な物。
しかし。
「あんたみたいな一番下の下がいようがいないが私には関係ないわ」
唯一大切にしてくれたソリーがルロと出会わなければ全てが元通りに動いていたのに・・・。