「あなたは誰?」
スラとほぼ同じの銀髪の青年。
だが、口調はとても荒く冷たい。
「何をボーッとしている! 早くこっちに来い!」
無理やり手を掴まれ骨が折れそうなほどに力強い。
「い、痛い! 離して!」
何、この吸血鬼?
スラじゃないなら誰?
どうして私がここにいることを知っていたの?
どんなに考えても何も全く分からないこの危険な状況。
もう夜で誰も大人は、人間はほとんどいない。
「うっ」
もし私がここで助けを呼んだら今も吸血鬼がいることを知られてスラはきっと殺される。
私のせいで誰かを巻き込むのは嫌!
私には家族がいない、いるのはスラだけ。
吸血鬼でもそばにいてくれる存在を私が自分で失うのも嫌!
助けも呼ぶことができないアム。
だから。
「はあっ!」
足を蹴って今すぐ逃げて体力が限界でも走り続けてお城に向かって行くアム。
しかし。
「おい! 俺から逃げるとはどういうことだ!」
真っ黒な夜の中で大声を上げてアムに追いついた青年。
アムはまた手を掴まれることを怖がって息を精一杯吸いながら何としてでも走って走って力を失って倒れた。
「は、は、はあっ」
終わった、私の人生。
こんな簡単に終わってしまうのは仕方ないこと。
結局私は誰にも愛されないまま、夢を持てないまま終わった。



数時間後、アムは少しずつ意識がなくなって目を閉じて死んだと思っていたら
「大丈夫か?」
と、誰かの声が聞こえてきてゆっくり目を開けたアムはその正体を見て恐怖で顔が青ざめた。
なぜなら。
「どうして、あなたがここにいるの?」
そう、さっきまだ追いかけてきた銀髪の青年が優しい笑顔と落ち着いた声でアムの手を握ってくれていた。
だが。
怖い、怖い。
どうしてここに? というか、ここはお城で私の部屋。
「はっ」
じゃあ、スラがいるはず!
小さな期待で笑顔で起き上がったアムを、青年は首を横に振ってなぜか睨んだ。
「どこに行く気だ?」
「えっ、夫のところに」
「夫だと? こんな小さい子供に夫がいるとは思えない。嘘はやめろ、恥ずかしくないのか?」
自分に夫がいることを知らない青年を、アムは心の底から腹が立って同じように睨んだ。
「ちゃんと私にも夫がいる。あなたよりも私を大切に守ってくれる存在」
真剣に素直な眼差しでどこも恥ずかしさなど見せない強い気持ち。
けど。
「ほう、なら会わせてもらおうか。君の自慢の夫を」
まだアムが嘘をついていることを本気で考えている青年の言葉に負けないようにアムははっきり大きく頷いた。
「分かった。見せたらさっさと帰って、あなたの顔なんて一生見たくない」
最後の
「あなたの顔なんて一生見たくない」
という言葉を何も迷うことなく思ったままに言ってしまったアム。
そして、その言葉を後悔するのは一瞬だった。
「兄上、そこで何をしているのですか!」
ずっとアムを探していたかもしれないスラが「兄上」と言った青年の肩をバシッと力強く叩いて怒った。
「アムは俺の物です。今すぐ離れてください」
だが、スラの怒りの声に全く驚かない青年は。
「はっ、何を言ったのか聞こえなかった。お前の声は俺の耳には全く入らない、響かない。一番弱い生き物だ」
スラの怒りをめちゃくちゃバカにして鼻で笑った青年を、スラは何も遠慮せずに襟を掴んで睨む。
「俺の物を奪わないでください。兄として恥ずかしくないのですか?」
負けずにケンカを売るスラの姿に、アムは言葉が出ずに無言のまま。
「・・・・・・」
今、何が起きているの?
スラが来てくれたことは良かったけど、この吸血鬼がスラのお兄さんだったなんて全く知らなかった。
知っていたらこんな失礼な態度は取らなかった。
どうしよう、私、ここから追い出されてしまう。
それは嫌!
メリマ家の家族は六人。
両親に子供が四人。
次男のスラに三男のセス、長女のソリー。
そして長男の。
「この俺シセルに反抗するのは弟としてどうかと思うが?」
長男のシセルが揃って家族である。
けど。
「アムがお前の妻など俺は絶対に信じない。お前には似合わない」
「なっ! 何を言うのですか、あなたにそんなこと言われたくありま」
「言わせてるのはお前だろ。それに結婚しているということはちゃんと契約を結んで指輪をつけているはずなのに、アムの手にはそれがない」
「あっ」
「お前はただ結婚しただけで契約は結んでいない。なら、俺がアムをもらっておく」
「そ、そんなこと」
「あってもいいだろ。ただ結婚しただけで夫になって浮かれて野生になったようなお前がアムを幸せにはできない。する資格などない」
「・・・・・・」
「はっ、もう何も言えないだろ。お前はその程度だった、だから俺がアムを」
「ちょっと待ってください!」
兄弟ゲンカを無言で見ているのが耐えられなくなったアムが立ち上がって二人の間に立つ。
「これ以上スラを責めないでください。兄なら、弟のスラの気持ちを考えてくださ」
「考える必要などない」
「え」
「こいつの考えていることなどただ一つ。それが何か分かるか?」
怪しげに美しく微笑んで首を傾げて質問してきたシセルに、アムはビクッと肩が震えて自然と後ろに一歩下がって首を横に振った。
「わ、分かりません」
予想通りの言葉を聞いたシセルはとても嬉しそうに夫のスラの目の前でアムの頭を撫でた。
「ははっ、なら教えてやる。こいつが考えているのは『血』のことだけだ」
「えっ、嘘」
「嘘ではない、事実だ。こいつは毎日毎日腹を空かせて両親に黙って夜は人間の血を吸いに街に降りる。君と出会うまでは」
初めて知った事実を知ってしまったアムは暗く床を見つめるスラに怯えてとっさにシセルの後ろに隠れた。
「あっ・・・」
知りたくなかった、違う。
「聞きたくなかった」
何となく分かっていた。
スラは人間の血が大好きで私と結婚した後も常に私のそばにいて血を吸って離れようとしなかった。
でも、さっきシセル様はこう言っていた。
「契約を結んでいるなら指輪をつけているはず」って。
それは知らなかった、というか、結婚指輪じゃなくて契約の指輪をつけるなんてスラはそんなこと一言も言わなかった。
教えてくれなかった。
本当に、だらしない吸血鬼。
大切なことは言わずに自分のためにアムの血を吸っていたスラ。
見た目がカッコ良くても中身はカッコ悪くてだらしない。
シセルはそんな弟のスラをめちゃくちゃ嫌っている。
「こんなダメな吸血鬼の弟がいることが一番の恥だ」
シセルは見た目も中身も全てが完璧?
ちょっと危ういけれど、使用人はシセルを見る度に心惹かれてドキドキしている。
メリマ家はみんな顔がいい。
カッコよくて可愛くて綺麗で美しい。
しかし、シセルは誰とも契約や結婚はしていない。
する理由がなかった。
家族はみんな金髪で自分だけが銀髪。
家族なのにどこか遠くて距離を感じて一人ぼっちにも感じてしまう少し変わった存在。
人間に恋をすることもない吸血鬼。
自分に似合う血を見つけなければ早く死んでしまう。
当然シセルも分かっている。
分かっているのに行動しない。
けど。
「アム、スラをやめて俺と契約を結ばないか?」
アムがお城に来た日、シセルは一瞬で心惹かれた。
庶民なのに、ボロボロなのに、姿は綺麗で遠くからでも匂いも良くて。
まさに一番必要な人間だと確信していた。
だから、アムが一人で街に出かけた日、こっそり後を追いかけて夜になった瞬間を狙って二人でどこかへ逃げようと考えていた。
「俺ならこいつと違って君を一人にしない。する気はな」
「やっぱり兄弟だと同じことを言うんですね」
ため息と少し呆れたように軽い笑顔を見せるアム。
その態度にシセルは不思議な感じで首を傾げた。
「は?」
「スラにも言われました。『君はもう一人じゃない、俺がいる』って」
「そ、それは違うだろ」
「いいえ、違いません。同じことです」
「言い方が違うだけだ」
「同じです」
血の繋がりのある家族はみんな同じことを言う。
父親がこうしたから母親があれをしたから子供は真似して大人になってもそれを続ける。
それが正しいと思い込む。
結婚しても自分の家族がしていたことをそのまま相手にしてしまったらきっと相手は嫌って距離を置いて別れる・・・。
アムはそれらをよーく知って、周りの大人たちを見て感じた。
「ああ、みんな家族の言うことだけを信じている」
別にそれが悪いと言うわけではない。
やり方が違えば意見も変わる。
大切に育ててくれた家族のことを一番に信頼し愛された子供たちはみんな立派になって幸せになる、はずがない。
みんながみんなを幸せにしてくれると思ってはいけない。
現実がそう言っている。
夢の中で生きてきた子供たちが大人になって仕事をして現実を知った時、子供たちは何を思うのか。
それは昔から決まっている。
「全部夢だったらいいのに」
幼い頃に夢を見ていた子供たちが大人になっても夢を見てしまうのは仕方ないことかもしれない。
夢は理想と違って叶えるのがちょっと簡単になってしまう。
みんながよく言う「夢」は大人になってから叶えられる物だと信じている。
それが当たり前だと思っている。
しかし、アムは違う。
夢がない、夢とはどういう物なのかを知らない悲しい少女。
そんなアムが夢より先に恋を求めるのか、どっちなのか。
「シセル様、結局あなたもスラと同じなんですよ」
暗く寂しい顔をするアムに、シセルはちょっとだけイラッとし、つい肩を掴んでしまう。
「同じじゃない! 俺は君を食のために契約を結ぶわけじゃない。それだけは分かって」
「だから、全てが同じなんですよ!」
とうとう腹を立てたアムは掴まれたシセルの手を力強く退かして水色のワンピースの寝巻きのまま部屋を飛び出して行った。
「どうして、何も分からないの?」
吸血鬼はみーんな同じことを言う、同じ言い訳をする。
結局吸血鬼は結婚というより人間の血が欲しくて自分の餌として契約を結んで閉じ込める。
なんて最低なの?
こんなことして何が嬉しいの?
私には全く分からない。
分かりたくもない。
「あっ」
アムは気づいた。
「私、スラと結婚したけど、まだ契約は結んでいない。結んでいたら自由に外に出ていない・・・」
そう、吸血鬼と契約を結んだ人間は一生お城の外からは出られない。
誰も許さない。
それが契約。
契約は一方的ではあるが、現実的で絶対に必要。
吸血鬼には。
その事実に気づいたアムは誰にも見つからないようにこっそり庭に出て周りを見ながら門の前に立つ。
「ふー、大丈夫。私はもうここには帰らない」
私は私の夢を探す。
何でもいい、私にも夢があれば全てが変わる。
変わって頑張って、いつか叶えられるようにしたい。
だから。
昨日とは全く違う死んでも追いかけられそうな恐怖に負けずにアムは深呼吸を何度も繰り返しながら門を精一杯の力で開けて前に足を進めて何とか開いたと思ったら
「逃げるな、まだ話は終わっていない」
と、いつのまにかシセルに追いつかれてしまった!
門は人一人が出られる隙間までは開いている。
逃げるのは簡単にできるが、アムの足は恐怖を感じて震えて全く体が動かない。
「どう、して・・・」
もう目の前は外なのに、目の前にいるのに。
どうして、私の体は言うことを聞いてくれないの?
アムは自分の弱さを心の底から大粒の涙を流すほどに悔しがってしゃがみ込んだ。
「う、ふっ、ああ」
突然アムが泣き出したことに、シセルは戸惑って手を伸ばそうとするが。
「やめて! 近づかないで!」
完全に警戒されて手を引っ込めたシセル。
今は夜で月も出ていて美しいはずなのに、アムとシセルがいるこの空間は泥のように汚れて美しさなど全く見えない。
「う、ふ、ふっ」
「・・・・・・」
いつまでも泣いて泣いて、自分の弱さを悔しがるアム。
逃げたいのに、足が全く動かなくてどうしようもない。
私、どうすればいいの?
このまま外に出たらきっとシセル様は追いかけて私をお城に連れて行って無理やり契約を結ばせる。
それを考えただけで恐ろしい。
私にはもう自由な・・・そうだ、私の夢、分かった気がする。
ようやくここで自分の夢が見つかったアム。
それは。
「私の夢は自由になること。簡単そうで難しい夢。ふふっ」
アムがようやく見つけた夢の名前は「自由」だ。
全てから解放されて自由に自分らしく生きていく素敵な夢・・・。
それに気づいたアムの顔はとても嬉しそうに笑っているのと同時に怪しげに可愛らしく微笑んでシセルの手を握った。
「いいですよ。私と契約を結んでも」
その言葉を聞いたシセルはさっきまで泣いていたアムの姿が一瞬で変わったことに驚いて口が大きく開いたまま。
けど。
「いいのか? 本当に?」
「はい、もちろんいいですよ」
「後悔しても遅いからな」
「はい、覚悟はもうあります。早くしてください」
「わ、分かった。じゃあ、行こう」
そう言って、アムとシセルは手を握り合いながらお城の中へ戻って行った。
目の前にある自由から距離を置いてアムは全てから目を逸らし、シセルと契約を結ぶ契約書にサインした。
「これで俺と君の契約は結ばれた」
予想外で意外と簡単で結ばれたことに、アムは不思議で首を傾げた。
「本当に、これだけでいいんですか?」
「ああ、この紙には俺の血が刻まれているから破っても契約は途切れない。そして」
いくつもの小さな銀の鍵がかけられている小さな箱をテーブルに置いたシセルの顔はとても嬉しそうに楽しそうに明るく微笑んだ。
「ははっ、今日から君と俺は夫婦になる。一生離れない理想的な夫婦に」
そう言って、シセルは全ての鍵を解いて解いて中身を開けていく。
その中身は。
「え、これをつけるんですか・・・」
内側に小さな十本の針が付いている銀色の指輪。
これを見たアムは一瞬で死んでしまうのではないかという心の底から恐怖を感じて椅子から立ち上がってカーテンの裏に隠れた。
あんな危険な物をつけて何の意味があるの?
きっとあれは一生外せない傷になりそう。
吸血鬼と契約を結んだ人間が必ずあの指輪をつけて夫婦として生きているんだとしたら、私もそれに従う必要がある。
・・・怖いけど、みーんな乗り越えてこのお城で安定した幸せな生活を送っている。
働かなくてもお金はもらえるし、おいしい物はたくさん食べられる。
そう考えたら、ちょっと怖くなくなってきた。
自分の未来を約束されたと思えれば何も怖がる必要なんてない。
ただ吸血鬼に血を吸われるだけでそれ以外は自分の思うままにすればいい。
アムはそれに気づいてゆっくりカーテンから離れてもう一度椅子に座り直して左手薬指を自ら差し出す。
「お願いします」
まだ恐怖が少し残ってはいるが、アムはできるだけ美しく微笑んで誤魔化した。
その姿に、シセルは。
「分かった。痛みは一瞬だから緊張するな」
ゆっくり丁寧に指輪をそっと近づけてアムの指にはめていくシセル。
すると。
「ああああああああああっ!」
突然激しすぎる痛みがアムに襲いかかって横に倒れた。
「痛い、痛い!」
想像以上に痛い!
十本の針が全て同時に指から大量の血が流れては痛みが増えてゴロゴロと床に転がって痛みを和らげようとするアム。
涙が溢れて呼吸が荒くなって。
そんなアムの苦しい姿を見たシセルはすぐに抱きしめて落ち着かせる。
「大丈夫だ。今血を拭き取るから暴れるな」
痛みを和らげる薬が塗られた真っ白な布で血を拭き取っていくシセル。
アムは少しずつ痛みが引いて深呼吸を一回して落ち着いた。
「ふー」
死んだって思った。
でも、私は生きている、ちゃんと。
でも。
「ひどい」
「えっ?」
「あなたたち吸血鬼だけ楽をしているなんて・・・」
心の底から憎しみを抱くようにシセルを睨むアム。
だが。
「そうだ。俺たち吸血鬼は楽をするために存在している。それの何が悪い?」
当然のことを言ってムカつくカッコいい笑顔を見せるシセル。
今契約を結んだばかりなのに、お互いを睨んでいる二人。
このまま結婚して本当に大丈夫なのか。


「シセル、シセルはどこにいるの?」
契約を結んでから三日経った夜、突然シセルを探してお城の中を歩き回るアム。
その理由は。
『仕事が忙しいからしばらくは会わない』
せっかく契約を結んで幸せな未来が待っているとお互い分かっていたのに、シセルは突然アムから離れてお城のどこかへ消えて行った。
一人ぼっちにされたアムは毎日のんびりした生活を送って何も困ってはいないけれど、ただ寂しくて指輪を見つめる時間が多くなっていた。
「はあっ」
やっぱり吸血鬼はずるい生き物。
契約を結んだ人間のことなんてどうでも良かった。
当然私のこともどうでもいいって思っている。
けど。
「残業しないならまだマシ。今の生活を楽しむこともきっと大切」
しかし、シセルは契約を結んだはずなのに、一度もアムの血を吸わなかった。
その気がないように見えた。
スラから奪っておいて、契約を結んでおいて。
黙ってアムの前から消えてそばにいようとしない。
本当に仕事という理由でアムを一人ぼっちにしているのなら納得はできるかもしれないが、もしそうではなかったら大きな問題に変わってしまうのは事実。
と思っても、二人はまだ結婚はしていない。
契約を結んだだけで夫婦にはなっていない。
別に忘れているとかそういうことではない。
ただシセルがその気がなかったようにしか見えない。
自分勝手でアムのことなんて気にもしない。
本当に最低な吸血鬼。
「スラと全く同じ。血の繋がりがあるって、本当に嫌。みーんな同じで言うことも行動することも同じで嫌。少しは私のことを考えて、考える努力をして」
毎日毎日鏡の前に立ってそこにシセルがいることを想像して文句を言うアム。
使用人たちはみんな優しい吸血鬼で思いやりが強くある。
一人ぼっちの人間のアムをいつも気にかけて一緒に本を読んだり勉強を教えてもらったり。
シセルがいなくても十分楽しいけど、やっぱり私はどこにいても同じ。
人間の世界でも吸血鬼の世界でも。
家族がいない私はどこにいても一人になる。
そういう物。
「はああっ、ダメダメ。こんなこと考えても何も意味ないから、とりあえず部屋から出て何か食べよう」
嫌なことがあったらすぐに食べて満足させる。
それがアムの気分転換。
おいしい物を食べて食べて笑顔になって寝る。
この三日間毎日毎日そうして自分の機嫌を良くしている。
人間のアムにも優しくしてくれる吸血鬼の使用人たち。
特にアムが気に入っているのは。
「サミール、こっちに来て」
満面の笑みで呼んだアム。
すると。
「はい、何でしょうか?」
ササッと一瞬で優しい風みたいに現れたメイドのサミール。
サミールはメイドの中でも一番優秀で行動も早く全てを丁寧にこなすまさに完璧すぎる存在。
アムと少し似た真っ白な髪に海のような青色の瞳。
真っ赤な瞳が特徴の吸血鬼とはだいぶかけ離れてはいるが、一応吸血鬼としてこお城で雇われている。
性格は穏やかでいつも笑顔で可愛い。
そんな優しいサミールにアムは可愛さに惹かれてすぐに気に入り、嫌なことがあればすぐにサミールを呼んで一緒に気分転換をする。
「サミール、今日は庭でお菓子を食べたいから用意して」
「はい。すぐに用意します」
突然なことでもサミールは笑顔で受け入れてササッと部屋を出て一瞬で戻ってきた。
「用意ができましたので、ご案内します」
「ありがとう」
サミールは本当にいい吸血鬼。
私の言うことを全て答えてくれる。
こんなにいい吸血鬼がこのお城にいたなんて信じられない。
シセルとスラがあんな性格だから使用人もみーんな同じだと思っていたけど、それは間違いだった。
使用人の吸血鬼たちはシセルたちと違って優しいし性格もいいし、まさに私の理想的な存在。
でも、サミールも吸血鬼。
当然人間の血を吸っている。
分かっていて、私は全てを含めて気に入っている。
丁寧に庭までアムを案内してくれるサミール。
彼女も吸血鬼である。
しかし、彼女にはある大きな秘密が隠されている。
それもアムが知るべき大きな秘密が。
「今日はアム様の機嫌があまり良くないようなので、アム様が大好きなケーキを用意しました」
案内されたテーブルにはたくさんの種類が豊富なおいしそうなケーキ。
ショートケーキにチョコレート、季節巡りのフルーツタルト。
それを見たアムは瞳をキラキラと宝石よりも眩しいほどに輝かせてとても嬉しそう。
「サミール、これ全部私が食べていいの?」
「はい、全てアム様の物です」
「ありがとう! ふふっ、何から食べよう」
やっぱりサミールはいい吸血鬼。
サミールが男だったらきっと私はサミールを選んでいた。
シセルは私から逃げて今はどこにいるか分からない。
スラは私を失ったショックでもう三日部屋に閉じこもったまま。
「はああっ」
どうして男は、吸血鬼は難しい生き物なの?
まあでも、人間でもきっと同じだった。
私は恋愛経験は全くないから二人のことなんて今は考えない。
今はもうこんなにおいしそうなケーキが目の前にあるんだから、全部食べて寝る。
「ふふっ」
満面の笑みでまずはフルーツタルトから食べ始めていくアム。
「わあっ、おいしい! これ、誰が作ったの?」
瞳をキラキラと輝かせながら期待して質問してきたアムに、サミールは一瞬目を逸らして曖昧に答える。
「えっと、そう、ですね。私が、作りました」
「へー、サミールの手作り。たくさん作ってくれてありがとう!」
空の暖かい日差しのような眩しい笑顔を見せるアムに、サミールはまた目を逸らした。
「い、いえ、メイドとして当然のことをしただけです」
めちゃくちゃ遠慮してほんのちょっとだけ暗い表情を浮かべたサミール。
本当はこれを作ったのは私ではない。
料理長ですよ。
当然。
しかし。
「おいしい、本当においしい! 何個でも食べられる!」
どんどんケーキを食べて食べて頰が膨らむほどに豪快に食べたアム。
「次は何を作ってくれるの?」
「えっ!」
何十個もあったケーキを食べても満腹にはならなかったアムに、サミールは驚きで口が開いたままでいたが、いつもの笑顔で
「分かりました。すぐに用意します」
と、完璧なメイドの役を演じて次のお菓子を持ってくるために一度アムから離れた。
アム様はあんなに小さい体なのによく食べられる方。
最初も今もアム様には驚いてばかりで私は全く慣れない。
それでも、私はメイドとして、アム様を守れる存在として、一生そばにいなければならない。
「私はそういうふうに作られたのだから」
サミールはアムのそばにいるために作られた仮の存在。
メイドとしての知識をたった一ヶ月で取得させられた心が欠けた吸血鬼。
人間のアムには興味は正直あるかは分からないが、アムと一緒にいるサミールはどこか嬉しそうで幸せに見える。
人間でもアムの喜ぶ顔を見るのが純粋に好きでいつも一生懸命働いている。
けど。
「ふふっ、次のお菓子は何だろう? 焼き菓子?」
次のお菓子に期待して笑顔が止まらないアムは満月を見てサミールを待ち続けた。
「ああっ、サミール、まだかな?」
そう独り言を呟いた時、
「久しぶりだな」
と、誰かが後ろからアムを抱きしめた!
「え!」
誰?
急に何をして。
「おい、契約者の声を忘れるとはいい度胸だな」
その冷たく荒い口調でアムは一瞬で気づいた。
「そんな言い方をしないで、シセル」
そう、落ち着いたスラとは全く違う強い口調をするのはこのお城ではたった一人、シセルだ。
しかし、後ろを振り向いたアムは瞳が激しく震えるほどに動揺した。
なぜなら。
「ど、どうしたの、その口」
シセルの口元は誰の血か分からない物が地面に垂れて気持ちが悪いほどに恐ろしくて、まるで。
「人間を食べたの?」
よく見たら全身が真っ赤に染まっていて怪我をしたようには思えないほど、何かに狂ったように不気味すぎるように笑うシセル。
「はは、はははははっ! どうした、なぜ手を握らないんだ、抱きしめないんだ?」
「・・・・・・」
おかしい。
こんなシセル初めて見た。
違う、私が初めてでも、きっとシセルにとってはこれが日常かもしれない。
だったら、私と契約を結んでいる意味なんてどこにもない!
精一杯の力を込めてアムはスッと離れてシセルから距離を取る。
だが。
「なぜ逃げる? 俺がいなくて寂しくなかったのか?」
笑いながらゆっくりこっちに歩いて来るシセルに、アムははっきり首を横に振って否定した。
「寂しいとは思っていない。むしろ、あなたなんて消えてくれればいいのにって思っていた」
嘘をついて思っていないことをしっかり言ってしまったアム。
そして、シセルは。
「俺と君は契約を結んだ。それなのに君は俺に消えてくれと思っていたのか・・・」
深く落ち込んだように暗い表情を浮かべて足を止めたシセルを、アムはさすがにまずいと思ったのか、ちょっとずつ前に出てもう一度首を横に振って否定した。
「違う、本当は違うの。本当は寂しかった、会いたかった。消えて欲しいなんて思っていない。そんなこと信じないで」
さっきとは全く違う優しく素直な態度を取ったアムに、シセルは心の底から嬉しそうに明るい表情を浮かべて遠慮なく抱きしめる。
「なら、それでいい。じゃあ、式のドレスはどれにするか一緒に考えよう」
「え? ドレス?」
何を言っているの?
「この三日君と会わなかったのは俺が君の血を吸うのを我慢する必要があったんだ」
「え」
「人間と契約を結んだ吸血鬼は三日距離を取って他の人間の血を吸わない訓練が必要だった」
「あっ、じゃあ」
「俺はその訓練に耐えて今ようやく君に会えた。だから、こんな姿で言うのも良くないが、俺と、結婚してくれ」
まだその血が誰の物かも言わずにプロポーズをしたシセル。
アムはまだ怖く思いながらも「自由」という夢に近づくためにほんのちょっとだけ頷いた。
「私を必ず幸せにして、お願い」