「どういう、ことなの?」
私の他に人間がいたなんて・・・それも男。
こんなこと、信じられない。
もっと早く知っていればきっと私は今までの無駄なことはしなかったはず。
「もっと早く」
アムはこのお城で暮らす人間は自分だけだと思っていた。
いや、そうだと思うしかなかった。
このお城は真っ黒で灯りが少なくて血の匂いがする。
こんな場所で人間が暮らすのは当然無理がある。
綺麗好きの人間がただ人間の血を欲するまま生きている吸血鬼と暮らしたいと思う人間がどこに存在する?
それくらい危険で最悪で汚れている。
でも、アムの他に人間がいたという事実をここで知ってしまえばアムが考えている夢は大きく変わる。
ルロという男がなぜ笑顔でここにいるのか、なぜそんなにも幸せそうに指輪を見つめているのか。
アムの考えは全てこの男によって壊されていく。
「・・・・・・」
この男、歳は私よりも年上なのは分かる。
背が高くて体は少し細いけど、十五歳の私と違って大人の余裕を見せつけられる美しい微笑み。
もっと早くこの男と出会っていたら私がスラと契約を結んでいたら、何か大きな変化があったかもしれない。
スラと契約を結んで結婚して家族が増えて幸せになるか。
それともこのお城から出て行ってあのパン屋で働いて孤独になるか。
ううん、それはきっとない。
私はもうここから出て行っても何も意味なんてない。
あるのは孤独だけ。
アムはもうこのお城から出て行くことをルロと出会った瞬間に諦めた。
十五歳の自分に今できることをルロから探るためであった。
「あの、ルロさんも吸血鬼と契約を結んでいるんですか?」
同じ人間でも年上のルロに対してあのパン屋の店長以上に緊張と焦りで瞳が激しく揺れているアムに、ルロは。
「ははっ、いいね。いいこと聞いてくれるね!」
さらに幸せそうに左手を大きく空に上げて満面の笑みで喜んだルロ。
「あっ、はは」
ルロの幸せアピールが悔しくて苦笑いを浮かべるアム。
こんな調子で二人は一体お互いをどう感じるのか?
「ルロ、さん」
「呼び捨てでいいよ」
「えっ、でも」
「いいんだよ。僕、『さん』とか『様』って嫌いなんだよね」
「あっ、分かりました。ルロ」
「うん! それでいいんだよ、今からよろしくね!」
親しみを込めてというのか、ルロはアムに対してとても優しすぎて怪しいほどに明るすぎて無理やり握手をされて苦笑いで嫌な気持ちを抑えるアム。
「あ、ははっ、はい、こちらこそ、よろしくお願いします」
めちゃくちゃ悔しくてその笑顔を見たくない。
はあっ。
人間が吸血鬼と契約を結び結婚して幸せになる。
吸血鬼と契約を結んだ人間はその命が尽きるまで契約を結んだ吸血鬼に自分の血を与えなければいけない。
そうやって吸血鬼は自分に似合う人間の血を吸い生き延びる。
何年も何百年も。
同じことを繰り返して終わりを目指さない。
何があってもどんなことが起きても絶対に生きて全てを支配する。
吸血鬼という生き物は人間の想像を遥かに超える最強で一番関わりたくない存在。
「ふっ」
アムとルロ、出会ってはいけない二人の会話にじっとアムの後ろから黙って怪しげに笑っていたスラがそっとアムを抱きしめてルロにこう言った。
「お前には渡さない。人間が俺たち吸血鬼に勝てると思うな」
血みたいに真っ赤な瞳は吸血鬼の証を示す。
その瞳から睨まれたら人間は恐怖を感じて少しずつ後ろに一歩一歩下がって逃げて行く、はずが。
「はははははっ、本当に面白い吸血鬼ですね! さすがです、お兄様」
吸血鬼のスラから睨まれて怖がるはずが、ルロは大声を上げて笑い、さらに「お兄様」と親しく丁寧に返した。
この反応を見たアムは違和感を感じずにはいられなかった。
なぜなら。
「どうして、笑っていられるの? 吸血鬼が怖くないの?」
そう、普通なら吸血鬼から睨まれたら怖がって怯えて逃げる。
ルロの今の反応は明らかにおかしすぎる。
いや、ルロにとってはこれが普通ならおかしいことではない。
「普通」というのは物によっては異なるため、どれが正しいとかは特に決まっていない。
ほとんど本人が決めることになるのも事実になってしまうから。
ルロの嫌な反応で抱きしめているアムの体が少しずつ震えていることでスラはさらにルロを睨みつけて深いため息を吐いた。
「はああっ、お前は本当に変な人間だ。妹の結婚は俺は許した覚えはないぞ」
「えっ?」
妹?
スラに妹がいるの?
そんなこと一回も言ってなかった。
分からなくなってきた。
このお城にいる吸血鬼って・・・。
アムはまだ何も知らない。
聞かされていない。
いや、もう今変わっている。
ルロの言うこと全てがアムの考えを壊し吸血鬼という生き物の本当の正体を解かしていく。
「いやですねー、お兄様。僕はソリーとちゃんと仲良くやっていますよ。お兄様が心配しなくても、僕はソリーの全てを受け止めています。もう無駄なことは考えないで、アムちゃんと結婚したらどうですか?」
スッと右手の人差し指でアムを指したルロ。
すると。
「あなたも人間なら、私の気持ち、分かってくれますよね?」
スラをからかうつもりが、まさかのアムが予想を遥かに超えすぎる真面目な質問を返されてしまったルロ。
けど。
「はっははははは! うんうん、そうだね。僕と君は同じ人間。僕にもちゃんと人間の心があるからアムちゃんの気持ちなんてとっくに分かってい」
「じゃあ私が今何を考えているか当ててください」
そう言ったアムの表情はルロに自分の気持ちをちゃんと分かってほしくて受け入れてほしくて涙を堪えて願っている。
その姿を見たルロはさすがに笑えなくて固まって一旦冷静になって下を向いた。
「・・・・・・」
たとえ同じ人間であっても、皆が皆同じ考えを持っているわけではない。
それは「絶対」だと言い切れるだろう。
皆性格も個性も異なっていて全く同じではない。
皆、自分の思うままに生きたいと夢見ている。
アムの「自由になる」という夢と同じように、きっとルロにも心の底から譲れない願いがある。
アムはそれを分かっていなかった。
ルロにだけでも分かってもらえると思うのも少し間違っている。
初めて出会った者に突然自分の考えていることを当ててもらえるはずがない。
あるわけがない。
だから、今のルロの反応はほとんど正しいと言えるだろう。
「・・・ごめんね」
突然謝ってアムから目を逸らして瞳を震わすルロに、アムは不思議に思って首を傾げる。
「えっ? どうして、謝るんですか?」
「ごめんね」
「は?」
「僕は君の考えていることは何も分からない。分かるはずがないよ、それが当然、だからね」
珍しく正直に呟きゆっくり頭を下げたルロを、アムは意味が分からなくてスラに抱きしめられている腕から離れて一歩前に出てルロの肩を軽く叩いた。
「・・・どうして、あなたは人間じゃないんですか? どうして私の考えていることが分からないんですか?」
おかしい。
ルロは人間なのに、私の考えていることが分からないなら人間じゃないかもしれない。
「は」
アムは段々と何がどうなっているのか状況を理解することが難しくなっていってしまった。
じっとアムが自分を見ているのに気づいたルロは冷静に落ち着いて真剣な眼差しでこう言った。
「ごめんね、僕は人間の心が分かる力は持っていないんだよね」
そう、この世界では魔法も術も人間には使えない。
それに、ルロは妻のソリーのことだけで頭がいっぱいで他人のアムのことは正直興味が薄いようだ。
「僕は僕と同じ人間の君がいたことが嬉しくて声をかけただけだよ。君が期待していることは僕には絶対にできない。それだけは分かってほしいかな」
二十一歳という少し大人な言葉遣いと人間の力の弱さを知った大人の美しい微笑みを見せるルロ。
その心の中は一体どうなっているのか。
アムの瞳に映るルロの姿は少し違うように見えてしまった。
「・・・・・・」
ルロが私よりも大人なのはよく分かった。
子供だったらこんなに美しく微笑んで余裕なんて見せない。
「はあああっ」
私がバカだった。
私の他に人間がいたことが嬉しくて、私の夢が少し近づいた気がして嬉しかった。
でも、私の夢はルロのせいで壊れた。
他に人間がいたなら、このお城から出られる方法を知っているはず。
私と同じようにここから出て行きたいはずだと思っていた。
けど。
「あなたはどうしてそんなにも幸せなの? このお城で幸せに暮らして何が楽しいの?」
ついに出てしまった本音と腹立ち。
「吸血鬼と結婚しても何も意味なんてない。あるのは絶望だけ。どうして、それが分からないの?」
その言葉を聞いたルロは自分の幸せを否定された気がして胸が痛んでとっさにアムの右手を力強く握りしめてこう言った。
「僕の幸せは僕だけの物じゃない。ソリーが、妻がいるから全てが成り立っているんだよ。だから、僕たちの幸せを否定する者は同じ人間であっても許さない」
本気で本心で、ルロはソリーとの二人だけの幸せを否定されることが心の底から腹が立ち傷つき、相手がどんなに大きくても小さくても関係ない。
自分の幸せを否定されて傷つかない者はどこにも存在しないだろう。
特に、ルロの場合は。
「はあっ、少し言いすぎたね。今日はこのくらいにしてあげるよ、そろそろ戻らないとソリーに怒られてしまうからね」
そう言って、ルロはスッと握りしめていたアムの手を離してさっきとは全く違って満面の笑みで愛するソリーの元へと帰って行った。
アムはその後ろ姿を見てようやくルロを傷つけていたことに気づいてひどいことを言ってしまったことに後悔して怖くなって、足に力が抜けて横に倒れた!
「はっ、はあっ、わ、私」
他人でも、ルロの幸せは否定したらダメ。
私とルロは同じ人間。
同じ生き物。
結婚した相手が人間でも吸血鬼でも関係ない。
ルロにはルロの幸せがある。
「私、最低だ・・・」
言ってしまった言葉はもう二度と取り消せない。
それが相手に伝わってしまったら全てが壊れる。
関係も、立場も、何もかもが。
でも。
「君は悪くない。悪いのはあいつだ、勝手に俺たちのところに来て、勝手に怒って帰って。はっ、あいつの方が最低だ」
ルロをよく知っているスラは落ち着いていて、悔しくてもそれをわざわざ本人にはぶつけない憧れと言える存在・・・に誰もが見えて瞳をキラキラと輝かせて納得する?
「さっきあいつに言われてしまったな。君と結婚したらいいってな」
そう、スラはアムの本名「アミナム」を知ってアムの過去を受け入れる勇気がなくて契約を結ぶことを拒み、扉を開けようとしたアムをからかっていた。
でも、ルロが現れたことで何か考えを変えたようだ。
「アム、君と契約を結んで結婚したら俺はどうなるか分からない。君を知って俺は変わり、何が正しいのかを忘れるかもしれない。それでもいいなら俺と」
「そんなのどうでもいい!」
スラが少しずつプロポーズみたいな嬉しい言葉を分かりやすく伝えてくれていたのに、突然アムがさっきのルロの幸せを否定したようにその言葉を全て拒もうとなぜか涙を流しながら続けて話す。
「私はずっとスラと契約を結びいたいの! 他でもないあなたとずっと一緒にいたい、私だけを見ててほしい! 私のことなんてこれ以上知らなくていい、スラが変わっても私はスラのそばにいる。お願い、もう私を見捨てないで!」
泣いて叫んで足に力が入らなくても精一杯手を伸ばしてスラを抱きしめるアム。
これは全て本当のこと。
アムはスラ以外の吸血鬼とは永遠に合うことはないだろう。
一度シセルと契約を結んだが、シセルの野生化にお気に入りのメイドサミールを傷つけられてもうスラ以外の吸血鬼を信用できなくなってしまったアム。
このお城にいる限り、誰を信用しようが関係ない。
アムはまだ十五歳で二十歳を過ぎていない。
まだまだ子供で考えも甘すぎる。
不安も焦りも迷いも常に頭の中で泥みたいにぐちゃぐちゃに混ざり込んで離れない。
そういう期間の途中で止まっているアム。
色々な物と出会って見て学んで触れて、何がどうするべきかをはっきりと見極めきれない。
けど。
「私は多分スラが好きなんだと思う」
「えっ」
「私にはスラしかいないの」
「あっ」
「お願い、スラ。私と幸せになって、お願いだから」
涙は止まって少しずつ顔を上げて唇と唇が重なる一瞬、スラが珍しく顔を真っ赤に染めて何かを期待するように目を閉じた。
「・・・ん」
こんなこと、今まで初めてだ。
俺は吸血鬼だ、血が欲しい。
アムは俺に一番似合う血を持っている。
一回目の契約は俺はアムの血を吸い続けた。
アムの体の心配などせずにただ俺は俺の欲のままに吸い続けてアムは一度俺のそばから離れて・・・正直、寂しかった。
「寂しい」という感情は俺にとって嫌なことだ。
俺たちはシセル兄さんのせいで皆距離を取ってもう何年も話していない。
全部、シセル兄さんのせいにしたかった。
だから、もう何も。
「分かった。もうこれで最後にする」
目を開いたスラは全てを捨てて新しく生まれ変わったような今まで見たことのない王族らしい気品と優雅な微笑みを見せている。
けど。
「最後? 何を言っているの?」
アムには何が「最後」なのかがよく分かっていない。
むしろ、不安が心の底から湧き出て心臓の音が耳の中でうるさく響いて気持ち悪い。
「うっ・・・どうして」
スラは一体何を最後にするの?
私とはもう二度と関わらない、二度と顔を見せるなっていう決意?
分からない。
早く教えて、その顔、私は見たくない。
スラの心が読めたなら、もっと早く抱きしめていたなら。
スラはその微笑みをせずに済んだのかもしれない。
いや、それは関係ない。
アムが思っている以上にスラは賢くて強くて何より・・・美しい。
「ふっ、もう俺は君と契約を結ぶのを今で最後にする。そして、君と幸せになる、永遠に」
そう言って、スラはアムと唇を重ねて優しく頭を撫でてあげる。
アムはそれがとても嬉しくて心臓の音が静かになって落ち着いて安心して満面の笑みになった。
「ふふっ」
なんだ、そういうことだったんだ。
今を最後に私はスラと契約を結んで結婚して永遠の幸せを手に入れられる。
「ふふふっ」
ルロには感謝しないと。
スラが私と契約を結ぶ気になったのは全てじゃないけど、ほとんどルロのおかげだと思う。
ルロも契約を結んで結婚して幸せみたいだから、私も同じような幸せをスラと見てみたい。
やっぱり私には。
「スラが必要。絶対に」
人間が自ら危険な生き物の代表と言える吸血鬼と契約を結び結婚して幸せになるという信じられないことをする。
こんなことがあっていいはずがないのに、アムは、ルロは、自分に似合う血を求めてくれるスラとソリーを心から好きになって愛する。
これがお城の外に情報が渡ってしまったら、吸血鬼だけのせいにはできないだろう。
それに関わったアムとルロにも責任がある。
もうこれ以上、足を進めてしまったらその先に待っているのは平穏ではなく絶望。
どんなに苦しいことがあっても、どんなに痛くても。
絶望への道が開かれた限り、後には戻れない。
でも。
「今から結婚式が楽しみだな」
「ふっ、うん。綺麗なドレスが着たい、スラが選んで」
心からお互いを好きになるなら、愛を分け合うなら。
誰に何を言われてもバカにされても、アムがスラを選んだことは正しく真剣であればアムの夢はほんの少しずつ叶えられる・・・そう信じていれば。
「じゃあ、式を挙げよう」



とうとうこの日が来てしまった。
結婚式、二人の幸せが始まる場所。
式場はお城の一番奥にある色鮮やかなガラスの窓が印象的な華やかで少し場所が違うような気もしてくる。
スラはいつもとは全く違う真っ白な服にアムも長袖の真っ白なドレスを着て結婚式に相応しい物をちゃんと着こなしている。
けど。
「私たち以外、誰もいない?」
そう、せっかく大切で結婚する幸せを見守ってほしいところなのに、二人以外に誰も来ていない。
本当に、空っぽで寂しい。
けど。
「まっ、こんなものだ。人間と吸血鬼の結婚式に来る者なんてどこにもいない。大丈夫だ、二人だけでも幸せになろう」
前向きというかこれが現実というのか。
スラは全く寂しそうに暗い顔なんて一つも見せずにどこか嬉しそうに笑っていてすごく幸せそう。
そんなスラの大人な姿を見て、アムもできるだけ明るく微笑んだ。
「ふふっ、そうだね。別に私たちの幸せなんて誰も見なくていい。私たちは私たちだけの幸せを見ればい」
「そんなこと言わないでよー、せっかく来てあげたのにー」
完全に適当すぎる棒読みで現れたのは。
「おい、お前を呼んだ覚えはないぞ」
スラがめちゃくちゃ敵視する人間、そう、ルロである。
だが、一人ではないそうで。
「ちょっとあんた、勝手に一人で行動しないで。何のために私がここにいるのか分かってるの?」
ルロの後ろから隠れるようにこっそり現れて文句を言いながらもアムとスラの目の前に立った瞬間で顔を見せたのは。
「ソリー、なんでお前が」
そう、ルロの妻、スラの妹のソリーである。
久しぶりに会ってしまったのか、スラは心の底から驚いて戸惑って目を逸らしてしまう姿を見たソリーがそっとスラの右手を握った。
「スラお兄様、久しぶりね。もう何十年会っていないかも忘れてしまったわね」
「・・・ああ、そう、だな」
「私とルロの結婚式には顔一つ見せに来なかったのに、自分の結婚式には私が顔を見せに来るなんて予想外でしょ?」
「・・・す、すまない」
「私はシセルお兄様が大大大嫌いだけど、スラお兄様だけは違うのよ。私は兄妹の中で一番信頼しているのはスラお兄様だけなの。それはちゃんと知ってほしかった、理解してもらいたかった。本当に、勝手な吸血鬼ね」
そう言ったソリーは傷ついているというより寂しくて大切にされたかった。
瞳は真っ赤でも、その中には願いがたくさん込められてキラキラと輝かせてスラに期待していた。
本当はもっと早く会いたかった気持ちを抑えて胸に閉じ込めて、スラに会いたいという願いを消しかけていた。
だから、今やっと会えたことで今まで抱えていた感情がどんどん溢れてついにスラの服の襟を力強く握りしめてこう言った。
「ルロの幸せを否定することは許さない。ルロの幸せは私の幸せでもあるの。それをスラお兄様には絶対に否定されたくない・・・兄なら、妹の私の気持ちをちゃんと分かって、お願いだから」
その言葉をスラの隣で聞いていたアムは心が揺さぶられて心臓の音が耳までうるさく響いて瞳も激しく揺れて、とにかくソリーと気が合うことだけは分かっていたようだ。
「あなたなら私の気持ち、分かってくれますよね?」
同じ言葉を話して同じ気持ちを抱えて何度も迷い置いて行かれる、アムはソリーの言葉に心の底から共感してとっさに肩を掴んで瞳をキラキラと輝かせる。
「ソリー、様。私、アミナム、アムです。仲良くなりたいです!」
サミールと仲良くなれた私なら、ソリー様とも仲良くなれるはず。
私の夢「自由になる」夢が叶うなら。
私はどんな吸血鬼とも仲良くしたい。
夫のスラは私と幸せになってくれるけど、それだけじゃ足りない。
もっと他の吸血鬼、シセル以外のスラの兄妹と仲良くなれたら私は絶対に。
「はあ? なんで私がこんな子供と仲良くならないといけないの?」
「えっ」
子供? 
私が?
突然言葉遣いが荒くなったソリー。
すると。
「ソリー、もう少し柔らかく答えてあげてよ。今の君は怖いよ、ね」
ルロにとってはいつものことらしいので全く気にせず優しく言い返らせようとする。
けど、ソリーは全く止めようとしない。
「私はあんたと仲良くしたくない。子供と仲良くするほど私はバカじゃない」
「・・・そんな」
「私はあんたと違って大人なの。それも何十年も年上なのに、こんな何も知らない子供と仲良くする私じゃない。私がここに来たのはスラお兄様に本気で似合うのかを確かめるためよ。ふっ、でも、予想通りだったわ。目つきも顔つきもまだまだ子供。何十年も年上のスラお兄様には絶対に似合わない。早く捨てるべきよ」
そう言って、ソリーがアムのドレスを両手で破って歯で食いちぎってボロボロにさせた。
その様子を見てしまったスラはとうとう腹が立って。
「おい! ソリー、お前、俺たちの幸せを汚しに来たなら自分の部屋に戻れ!」
スラは滅多にソリーを怒ったりしない。
傷つけもしない。
スラは誰よりもソリーを妹として優しく接して本当はソリーの結婚式は参加したかったのに、ルロという何も知らない人間の男が気に食わなくて参加するのをやめた。
でも、それは過去のことで今は違ったはずなのに・・・どうして。
「俺はもう嫌なんだ! 俺にはアムがいる、アムしかいない。アムだけが俺を分かってくれる、必要としてくれる。お前にルロがいるように、俺にはアムがいる。お前も人間と結婚した吸血鬼なら、当然俺の気持ちが分かるはずだろ!」
ソリーが知らない兄の気持ち。
こんなに本気で人間のアムの味方になる吸血鬼は少ない。
それも、格が高い吸血鬼は尚更頭の使い方が遥かに違いすぎて話にもならないほどに。
初めて怒られたソリーは驚きとショックで涙が溢れてしゃがみ込んで雑に両手で涙を拭っても拭いきれないほどに辛そう。
「う、ふっ、うううっ」
今日はアムとスラの結婚式なのに、こんなに予想外すぎる出来事があるのは仕方なくはないだろう。
まさかもう何十年も会っていない妹のソリーが来てしまったことでスラは溢れ出る気持ちを抑えきれずにそのままソリーにぶつけて初めて泣かせた。
「はっ、ああ」
俺は悪くない。
勝手にルロがソリーを連れて来たのが一番悪い。
この二人が来なかったら式は全て予定通り上手くいった。
そうだ、俺は、俺たちは何も悪いことはしていない。
それはアムも分かって・・・えっ。
スラは自分たちは悪くないと言おうしたが、隣で見たのは瞳が真っ白に染まって感情一つも失った人形の姿だった。
「アム?」
「・・・・・・」
「どう、したんだ?」
「・・・・・・」
「君、は、俺たちは何も悪いことはしてない。自信を持つんだ」
「・・・・・・」
何も声も出さず言葉なんて知らないような本当に空っぽになったアム。
スラの呼びかけに反応をするどころか、ただ破られたドレスを見つめて呼吸がどんどん小さくなって生きているのかも分からないほど、全てに絶望している。
「・・・・・・」
アムの絶望はとても大きすぎた。
やっとスラと結婚式を挙げられてドレスを着て幸せになれると思っていたのに・・・人生とは予想外のことだらけで計画も予定も全てが壊れる。
それが今のアムの姿でもある。
ただ一つのことに絶望はしても、誰かの力を借りればいつかは元通りになり、また始まりが生まれる。
その繰り返しから生まれる幸せもある。
どんなに転んでもどんなに失敗しても、必ず成功への道が開かれる。
何かを信じればいいとかそういうことではない。
信じるだけだったら誰にでもできる簡単なことだ。
でも、アムはもう何も信じられない、何を信じて夢を見ればいいのかを見失っている。
せっかく幸せになれるのに、スラが選んでくれたのに、アムはボロボロにされたドレスをじっと見つめたままで動くこともない。
こんな状態が何日も続いてしまったら、きっとどこかで夢を捨ててしまうだろう・・・。
それを分かるのはスラだけ。
「アム、お願いだ、何とか言ってくれ」
何度も呼びかけても無駄なことだ。
いや、何が無駄なのかも分からないほどにアムはどんどん人形化していき、そのうち目を開くこともないだろう。
それでも。
「君が俺に一番似合う血を持っているんだ! 君しかいない、君だけが俺を幸せに、永遠にそばにいてくれる大切な存在なんだ!」
これは心からの叫び、本心。
自分の中で閉じ込めても、相手に伝えれば全てが変わる。
今のスラがそうだ。
一度兄のシセルに取られてしまったが、アムがスラを選び今ここで幸せを誓おうとしている。
その事実だけでも、アムが絶望する理由が崩れるのも事実になる。
本気で誰かを好きになって愛し合って永遠にそばにいる。
「俺は君と最後まで一緒にいる。何があっても、絶対に君のそばから離れない。絶対にだ」
その言葉を聞いたアムがほんのちょっとずつ顔を上げる。
「・・・絶対に?」
スラ、が、私と、さい、最後まで、そ、そばに、いてくれる?
「本当、に?」
少しずつ瞳の色が元の水色に戻っていく。
「私も、スラと、最後まで、い、いい、一緒にいたい!」
そう言ったアムはギュッとスラを抱きしめておでこを頬にくっつける。
「ふふっ、今言ったことは絶対約束して。私はずっと覚えているから」
くっつけられたアムのおでこが柔らかくて心地良くて、スラは美しく微笑んで頷いた。
「ああ、俺も覚えておくぞ」
ボロボロなドレスでも、自分を好きになってくれた吸血鬼がいる幸せはどこにもない。
二人の中にある。
けど。
「はっははははは! へえー、君たち結構面白いね。うんうん、じゃあ、ここで終わりだよ。君たち、僕たち以上の幸せは絶対に手に入れさせない。君たちが僕たちの目の前で幸せになるのは、そんなこと、あっていいはずがないからね」
大声で笑ったルロが愛するソリーを傷つけられたことを心の底から二人を憎み、最悪な結婚式の本番が始まる。