「座ってていいよ。少し時間かかるから」
「何か手伝います」
「じゃあ、栗きんとん出してもらおうかな。早坂さんに持ってきてもらったのに申し訳ないけどね」
「全然。お皿、貸してもらってもいいですか?」
「食器棚のやつ、どれ使ってもいいから」
カウンターの後ろにある小さな食器棚には、ウェッジウッドだろうか、ひとめでブランドものとわかる食器が上品に並んでいる。その中から、小さめの平皿を見つけるとキッチンへ運ぶ。
「いい香りですね」
「だろう?」
ロートの中を木べらで丁寧に混ぜながら、秋也はまんざらでもない顔をする。
「お仕事中なのに、よかったですか?」
「今日はひまで……ああ、そっか。あれは自分のだから」
作業中だったのを思い出して、彼はそう言う。
「自分のって?」
「自分でデザインしたランプを作ってるんだよ」
「オーダーメイドみたいなものですか?」
「そう。ここのカウンターに置きたいランプがなかなか見つからなくてさ、いっそ、自分で作ってみるかって思って」
「なんでもできるんですね」
どんなことも楽しめる人だとは思ってたけど、彼は人生そのものを楽しんでるんだって、感心してしまう。
「ランプは面白いよ。知れば知るほど惹かれる」
「そうなんですね」
環生の言っていたように、秋也はらんぷやをやりたいのかもしれない。彼にはそれができる気もする。
奈江は平皿に栗きんとんを乗せるとテーブルに運び、ソファーに座ってコーヒーが出来上がるのを待つ。
キッチンの右手奥に階段が見える。2階があるようだ。階段の昇り口にも、ステンドグラスのランプが置かれている。それを眺めていると、秋也がコーヒーを運んでくる。
「2階は仕事部屋。マンションでもこっちでも仕事ができるようにしてあるんだよ。気になる?」
「あ、ううん。ランプが綺麗だなって」
「ランプか。早坂さんとは趣味が合うね。俺が気に入ってるやつをだいたい見てる」
「猪川さんはセンスがいいから、誰だって気に入ると思います」
「そうでもないよ。さっきの温美なんてさ、全然ランプに興味ないし。デザイン科出てるのにさ」
楽しそうに彼は語る。温美とは気心の知れた仲なのだろう。
「デザイン科って?」
「高校だよ。温美は高校の後輩でさ」
「そうなんですね」
「それだけ?」
「それだけって?」
「いや。気にならないのかなって思っただけ。あ、コーヒー飲んでよ」
苦笑する彼にすすめられて、奈江はコーヒーカップを持ち上げる。優しい香りがして、ひと口飲むと、柔らかな味が口の中に広がる。
「こんなにまろやかなコーヒー飲むの、初めてです」
「美味しい?」
「ものすごく」
「よかった。……あのさ、興味ないかもしれないけど、俺が温美に親切にするのは、ちょっとわけがあるからなんだ」
少しばかり言いにくそうに、秋也は切り出す。
「親切にしてるんですか?」
コーヒーをわざわざ買ってきてくれたりして、親切にしてるのは、温美の方だと思っていた。
ますます苦笑する彼に、奈江はハッとする。
「気にしてないですよ。私と出かける予定があるのに、彼女を優先したこと。だいたい、お仕事なんですし」
修理の依頼と聞けば駆けつけるのは、当然のことだ。
「あっさりしてるね、早坂さんは」
「よく言われます」
「もうちょっと、俺に興味持ってもらえるとうれしいんだけどな」
口の中でとろける栗きんとんのような甘さで、奈江はうまく振る舞えないが、聞くなら今しかないだろうと思って尋ねる。
「少し気にはなったんですけど……、聞いてもいいですか?」
「なんでも」
「あの……お付き合いされてたんですか? 彼女と。私のこと、猪川さんの彼女かって、気にされてたし」
穏便に暮らしたい奈江にとって、嫉妬されるのはあまり好ましい状況ではない。そういう経験は全然ないけれど、嫉妬の怖さは知っているつもりだ。
「やっぱり、そう見えるんだな。よく言われるんだけどさ、温美とは付き合ってないし、過去に付き合ったこともない。俺たちは似た者同士で、馬が合ったんだろうな。友だちとも違うし、腐れ縁ってやつかな」
それはそれで羨ましいような気がする。馬の合う仲間なんて、奈江にはいない。
「似た者同士って?」
「温美もさ、両親がいないんだ」
あっけらかんと、彼は答える。その共通点が彼らの絆なのだろう。隠し立てする必要も感じないぐらい、彼らはそれがあたりまえの世界で生きているのだ。
「亡くなられたんですか?」
おずおずと尋ねると、秋也はそっと首を振る。
「温美の場合は、親の離婚。父親は再婚して、母親は行方知れず。温美は祖父母に引き取られてさ、俺と出会った時はずいぶん荒れてたよ。そんな温美を救ったのが、俺の恩師」
「恩師って、高校の?」
「そう、平宮達志。三年間ずっと俺の担任で、ずいぶん世話になった人なんだ。あいつは大学出立ての若い教師でさ、嫌になるぐらいまっすぐで、静かな情熱を燃やすやつだった」
あいつ……?
奈江は口もとに運ぶカップを下げて、秋也の横顔を見上げる。彼はどこか遠い目をして、コーヒーカップの水面を見つめている。
「……その先生は?」
「ああ、死んだ。温美が高校3年の、秋に。俺に関わったばっかりに、あいつは死んだんだ」
「何か手伝います」
「じゃあ、栗きんとん出してもらおうかな。早坂さんに持ってきてもらったのに申し訳ないけどね」
「全然。お皿、貸してもらってもいいですか?」
「食器棚のやつ、どれ使ってもいいから」
カウンターの後ろにある小さな食器棚には、ウェッジウッドだろうか、ひとめでブランドものとわかる食器が上品に並んでいる。その中から、小さめの平皿を見つけるとキッチンへ運ぶ。
「いい香りですね」
「だろう?」
ロートの中を木べらで丁寧に混ぜながら、秋也はまんざらでもない顔をする。
「お仕事中なのに、よかったですか?」
「今日はひまで……ああ、そっか。あれは自分のだから」
作業中だったのを思い出して、彼はそう言う。
「自分のって?」
「自分でデザインしたランプを作ってるんだよ」
「オーダーメイドみたいなものですか?」
「そう。ここのカウンターに置きたいランプがなかなか見つからなくてさ、いっそ、自分で作ってみるかって思って」
「なんでもできるんですね」
どんなことも楽しめる人だとは思ってたけど、彼は人生そのものを楽しんでるんだって、感心してしまう。
「ランプは面白いよ。知れば知るほど惹かれる」
「そうなんですね」
環生の言っていたように、秋也はらんぷやをやりたいのかもしれない。彼にはそれができる気もする。
奈江は平皿に栗きんとんを乗せるとテーブルに運び、ソファーに座ってコーヒーが出来上がるのを待つ。
キッチンの右手奥に階段が見える。2階があるようだ。階段の昇り口にも、ステンドグラスのランプが置かれている。それを眺めていると、秋也がコーヒーを運んでくる。
「2階は仕事部屋。マンションでもこっちでも仕事ができるようにしてあるんだよ。気になる?」
「あ、ううん。ランプが綺麗だなって」
「ランプか。早坂さんとは趣味が合うね。俺が気に入ってるやつをだいたい見てる」
「猪川さんはセンスがいいから、誰だって気に入ると思います」
「そうでもないよ。さっきの温美なんてさ、全然ランプに興味ないし。デザイン科出てるのにさ」
楽しそうに彼は語る。温美とは気心の知れた仲なのだろう。
「デザイン科って?」
「高校だよ。温美は高校の後輩でさ」
「そうなんですね」
「それだけ?」
「それだけって?」
「いや。気にならないのかなって思っただけ。あ、コーヒー飲んでよ」
苦笑する彼にすすめられて、奈江はコーヒーカップを持ち上げる。優しい香りがして、ひと口飲むと、柔らかな味が口の中に広がる。
「こんなにまろやかなコーヒー飲むの、初めてです」
「美味しい?」
「ものすごく」
「よかった。……あのさ、興味ないかもしれないけど、俺が温美に親切にするのは、ちょっとわけがあるからなんだ」
少しばかり言いにくそうに、秋也は切り出す。
「親切にしてるんですか?」
コーヒーをわざわざ買ってきてくれたりして、親切にしてるのは、温美の方だと思っていた。
ますます苦笑する彼に、奈江はハッとする。
「気にしてないですよ。私と出かける予定があるのに、彼女を優先したこと。だいたい、お仕事なんですし」
修理の依頼と聞けば駆けつけるのは、当然のことだ。
「あっさりしてるね、早坂さんは」
「よく言われます」
「もうちょっと、俺に興味持ってもらえるとうれしいんだけどな」
口の中でとろける栗きんとんのような甘さで、奈江はうまく振る舞えないが、聞くなら今しかないだろうと思って尋ねる。
「少し気にはなったんですけど……、聞いてもいいですか?」
「なんでも」
「あの……お付き合いされてたんですか? 彼女と。私のこと、猪川さんの彼女かって、気にされてたし」
穏便に暮らしたい奈江にとって、嫉妬されるのはあまり好ましい状況ではない。そういう経験は全然ないけれど、嫉妬の怖さは知っているつもりだ。
「やっぱり、そう見えるんだな。よく言われるんだけどさ、温美とは付き合ってないし、過去に付き合ったこともない。俺たちは似た者同士で、馬が合ったんだろうな。友だちとも違うし、腐れ縁ってやつかな」
それはそれで羨ましいような気がする。馬の合う仲間なんて、奈江にはいない。
「似た者同士って?」
「温美もさ、両親がいないんだ」
あっけらかんと、彼は答える。その共通点が彼らの絆なのだろう。隠し立てする必要も感じないぐらい、彼らはそれがあたりまえの世界で生きているのだ。
「亡くなられたんですか?」
おずおずと尋ねると、秋也はそっと首を振る。
「温美の場合は、親の離婚。父親は再婚して、母親は行方知れず。温美は祖父母に引き取られてさ、俺と出会った時はずいぶん荒れてたよ。そんな温美を救ったのが、俺の恩師」
「恩師って、高校の?」
「そう、平宮達志。三年間ずっと俺の担任で、ずいぶん世話になった人なんだ。あいつは大学出立ての若い教師でさ、嫌になるぐらいまっすぐで、静かな情熱を燃やすやつだった」
あいつ……?
奈江は口もとに運ぶカップを下げて、秋也の横顔を見上げる。彼はどこか遠い目をして、コーヒーカップの水面を見つめている。
「……その先生は?」
「ああ、死んだ。温美が高校3年の、秋に。俺に関わったばっかりに、あいつは死んだんだ」