久瀬の言うとおり、警察が返してよこしたという段ボールの中からスマホは発見されなかった。

「ない……」
 
「よし、次の部屋を探そう」
 久瀬が生き生きとしているので、青井は耳を疑った。
「つ、次の部屋?」
「そう。次の部屋。行くぞ」
 言うと久瀬はいそいそと立ち上がり、美春の部屋のドアを指さした。「ほら、こっち」
「どっちだよ」
「奥の部屋だよ」
 青井の脳裏に、美春の母親の声がよみがえってくる。

『奥の部屋だけは入らないようにお願いします』

「ちょっと、さすがにそれは駄目じゃ――!?」
「でもスマホがあるとしたらそこだ。確認していかないのか?」
 久瀬はきょとんとした。青井は眉をつり上げて久瀬の太い腕をつかむ。
「美春の兄さんの部屋だぞ、プライバシーってもんがある!」
「だけど、多分、その兄さんがメッセを打ってる」
 久瀬は断言した。

「おまえがあの子だと思ってた相手は、兄さんだよ」


 久瀬の推理はこうだ。
「彼女の部屋にはへんに人の気配がある。まるで昨日まで彼女が生活していたみたいな、人の気配だ。埃も積もってないし、綺麗なもんだよ」
「……要するに、生活感がある?」
「その通り。人の手の入ってない部屋ってのは、もっと荒れるもんだ。俺のじいちゃんの部屋みたいに」
「親御さんが入ったってことは?」
「ないだろ、あの両親に限って。彼らがあの子の不在の間に掃除なんかすると思うか?」
 すこし、考えた。
「……ないかも」
 青井は久瀬のヒントをたどっていく。
「ということは、美春の部屋を、定期的に掃除している誰かがいるってこと」
「そう」
「そして、美春の部屋にスマホはなかった」
「そう」
「この家にいるのは……両親と、兄――で、親御さんが掃除をしている線はない、と……」
「消去法だな」
「ってことは……冬樹さん?」
 久瀬は大きくうなずいた。「な? 確かめる必要があるだろ」
青井は奥の部屋を見た。どっしりとした扉がひとつ、廊下のつきあたりに構えていた。
  
 幸運なことに、鍵は掛かっていなかった。かけ忘れたのかもしれない。
「し、つれいしまーす」
 扉を引いて、申し訳程度にささやいた青井に対して、久瀬は黙って大股で中へ入っていく。青井もまた久瀬の後に続いた。
 
まず目を引くのは巨大なディスプレイだ。二つのディスプレイが並ぶパソコンテーブルに、スリープモードのキーボードが七色の光を放っている。
「ゲーミングパソコンに、デュアルディスプレイとか、それっぽいな」
 久瀬が知らない言葉で話しかけてくる。青井はよく分からないままうなずいた。
「うん」
「――ディスプレイが二つあること。デュアルディスプレイ」
「へー」
 男の部屋に侵入しているという緊張感も忘れて、いつものノリで返してしまう。罪悪感から逃げ出そうとしているのかもしれない。
 現実逃避だ。
 パソコンデスク以外の箇所は散らかっていた。着たのか着ていないのか分からない服が積み上がって山になっている。デスクの下にあるゴミ箱からはゴミがあふれていて、床にポテトチップスの残骸が散らばっている。青井はそれを踏まないようにそっとあたりを見回す。
 美春の部屋と違って、何かを飾っているということはなく、ただ荒れた部屋があるだけだ。
 冬樹とは、何度か会ったことがある。とにかく寡黙な人で、美春によく似た目をしていた。兄妹だということがこれほどはっきり分かる兄妹もそういないだろう。けれど――彼、冬樹のことは、それ以上知らない。彼女の兄なんて、ただの他人だ。
 そう、今青井は、他人の部屋に無断侵入しているのだ。
 

「おい、青井」
 視線を久瀬に戻すと、彼はすでにピンク色のスマホを持っていた。見覚えがある、猫のストラップ。
「あ……」
 久瀬はスマホの認証画面をにらんでいた。
「六桁の暗証番号。心当たりあるか」
「えっと、……美春の誕生日」
「いつ」
「二〇〇五年四月十日」
「〇五〇四一〇……ちがう。じゃあ年号か? ええっと」
「じゃあ僕の誕生日?」
「んー、おまえのたん・じょう・び。…………あ」
 聞かずにとんとんとスマホをいじっていた久瀬が声を上げた。「開いた」
 青井は思わず足を踏み出した。足の下で、ばらばらのポテトチップスが砕けた。けれど青井はもはや、何も気にならなかった。
 久瀬が言う。
「おまえの誕生日で開くってことは、これが……」
「美春のスマホだ……」


「みてみろ、メッセのところ!」

 青井がのぞき込む前で、久瀬はメッセを開き、履歴をたどっていく。

「やっぱり着信拒否の履歴と、メッセを送った履歴がちゃんと残ってる」

 青井は高い位置にある久瀬を見た。

「じゃあ、美春の振りして僕をずっと騙してたのは……冬樹さんてこと?」
「だろうな」
「なんで……?」
「知らん。でもこれだけは分かる」

 久瀬もまた、青井を見下ろした。



「もう『美春』から何て言われても、メッセに反応するな。絶対」


「わ、かった……」


 ――よく、得体のしれないものに追いかけられている夢を見る。あれは漠然と恐ろしいものだったけれど、今は、「なにもわからない」ことが恐ろしく感じる。
 わからない。なにもわからない。なぜ小早川冬樹は青井にメッセを送り続けていたんだ?
「久瀬、――」

 瞬間、強烈な眠気が襲ってきた。耐えがたいそれにあらがおうと目を開く。
しかしまるで貝が殻を閉じるように、青井の意識はぷつりと途切れた。