「美春のことですか――」
 美春の両親はふかふかのソファに腰掛けて二人を出迎えた。落ち着いて、品のある両親だ。青井も何度か会ったことがあったけれど、この二年でずいぶん老けたような気がした。仕方ない、娘が行方不明なのだ。
「あの子がいなくなってからもうすぐ二年になりますけど、特別、情報も入ってきませんし、本人から連絡もありません」
 美春の母親が静かな声で言う。
「警察の方も一生懸命探してくださっているんですけれど……」
「あの」
 青井はそっと切り出した。
「美春……さんが、失踪したときになくなった物ってありましたか? 例えば、財布とか、……スマホとか」
「なかった」と父親が口を開いた。「財布もスマホも、靴も着替えも何もかも残っていた」
「スマホは持って行かなかったと?」久瀬が口を挟む。「あるんですか? この家に」
 両親は顔を見合わせた。
「警察の方がいっとき持って行って……返ってきたんじゃありませんでしたっけ。ねえあなた」
「確か一年の節目に戻ってきて……」
「どこにあります?」食い気味に久瀬が言うから、青井はその腕をつかんだ。
「久瀬」
「あの子の部屋に全てまとめてあるはずです。警察から返してもらったままの状態で」
 そう言われるなり、久瀬は立ち上がらんばかりの勢いで前のめりになった。
「部屋、見せて貰うことってできますか」
「ちょっと久瀬!」
 さすがの青井も声を荒らげる。「そこまでは――」
「かまいませんよ」
 美春の母親ははっきりと言った。
「もう何人もの方が、あの子の部屋を覗いていきましたもの」
 青井は言葉を失った。久瀬は神妙な顔でそれを聞いていた。
「あの子は小さい頃からピアニストとして活躍してきましたでしょ。それなりに有名だから、みんなこぞって調べたがったんですよ。何か新発見はないか、何か警察が見落としたことはないか、それをじぶんが拾えるんじゃないか――」
 母親の平坦な声を聞いて、青井は息苦しくなった。自分の知らないところで美春がばらばらに分解されて、つまびらかに調べられていたことを思うと苦しくなった。
「あの子の恋人だった青井くんならなおのこと、知りたいでしょう」
 美春にそっくりな母親の視線に晒され、その目に射止められる。動けなくなった青井の代わりに、久瀬が「ええ」と答えた。
「何が何でも知りたいことがあります。な、青井」
「……うん」
 青井はうつむいた。きつく握り込んだこぶしが、遣る瀬なかった。

「美春の部屋は好きに見ていってください。けれど、奥の部屋だけは入らないようにお願いします」

「奥の部屋?」

 母親は平坦な声で言った。

「美春の兄の部屋です」




 美春の部屋に入る許可を得、応接室を出てすぐに、
「あの両親、なんかある」
 と久瀬が言った。
「い、いきなりなんだよ」
 唐突な手のひら返しに、心臓が口から出そうになってしまう。思わず後ろを振り返った青井をよそに、久瀬は冷静に指を折っていく。
「特に母親かな。娘の部屋を覗きたいって輩をほいほい部屋に上げるなんて、常軌を逸してる」
「そりゃあ、そうかもしれないけど」
「なんか肝が据わりすぎてるよ。それに……」
 久瀬は目を細めた。
「見たか、あのトロフィーの群れ」
 青井は目をしばたいた。「え?」
「まるで勲章じゃん。二年も前にいなくなった娘のトロフィーなんだろ? アレが」
 思い返してみると、彼らの後ろには棚があって、棚いっぱいに、中と言わず、上と言わず、びっしり並んだ盾やトロフィー、金色のピアノのレリーフなど――確かに、あの部屋は美春の輝かしい功績で埋め尽くされていた。
「いなくなった、どこにいるかも分からない、生死もわからない、そんな娘のトロフィーを未だに応接室に飾ってるような親、どう思う?」
 階段を上りながら、青井は少し考えた。
「……それだけ誇りに思ってるってこと? 美春のことを」
そういうことにしておこうか(・・・・・・・・・・・・・)
「え?」
 久瀬はそっと応接間のほうを振り返った。
「うん、そういうことにしとく」


 美春の部屋には鍵が掛かっていなかった。両親、特に母親が説明してくれた通りに、段ボールに詰められた美春の私物が部屋の中央に鎮座している。部屋は綺麗に整頓されており、美春の好きだったアイドルのポスターや、ブロマイドなどが、壁のあちこちに貼ってある。
「ここ、警察が調査に入ったんだろうな」と久瀬。
「そりゃそうだろ」
 青井は段ボールの一番上から取りかかることにした。久瀬はあちこちを見回しながら、ブツブツつぶやいている。
「俺が親だったら真っ先にスマホ確認するけどな……」
「なに?」
「子供が失踪したら、スマホの中にどういう交友関係があったのか知りたいじゃん? ダチが失踪したんなら、連絡だってくるに決まってるし。いまどこ? なにやってんの? 大丈夫? ……みたいなさ」
「そうか……」
 久瀬はむっと唇をとがらせた。「おまえ、ちゃんと調べる気ある?」
「ある、あるよ!」
「ぼんやりしすぎじゃね?」
 それを言われると弱い。たしかに青井は、少しぼんやりしているかもしれない。
「おまえにメッセを送ってたのが誰なのか、ここではっきりさせないと、俺も眠れん」
「それは言い過ぎ」
 久瀬は笑った。そして、青井と同じように段ボール箱を取ると、中身をあらため始める。青井は一つ目の段ボールの中身を調べ終わってから、大きくため息をついた。
「美春が持ってるのかな、スマホ」
「スマホの向こうにいるのはあの子じゃないと思う」
「なんでそう思うんだ?」
「偽の情報でおまえを欺いている意味が無いから。凝り過ぎだろう、サイトも何もかも」
「そりゃそうだけど」
 
 久瀬はゆっくりと段ボールを閉じた。

「多分、この部屋にはないよ、スマホ」

 断言するので、青井は驚いた。
「いきなり何言い出すんだよ」
「でも、この家にはあるな、スマホ」
「え?」
 久瀬はしかし、自信があるようだった。確かめ終えた段ボール箱を押しやり、もう一つに手を伸ばしながら、彼はにやりと、
「でもま、調べてみようぜ。最後まで。予想が当たったらとんでもないことだからな」
 こう言ってのけた。青井は新たな段ボール箱を引き寄せた。