初めて僕が自分の「症状」に気づいたのは小学生の時だ。夢の中で出された宿題が本当に出ていたり、授業参観のお知らせを貰ったと思ったらそれは夢だったり、つまり、これが現実なのか夢なのかがはっきり区別できないという「症状」が出た。十一歳のころから僕の世界はいびつに、具体的には四十五度くらいずれてしまったようなのだ。病院で告げられた病名は「胡蝶(こちょう)の夢症候群」。中国の故事から取られたという名前が、どうにも浮いているように感じられるのは、そのいかにもファンタジー風の、気取ったような響きと、僕の泥臭くて悲しい症状とが全く釣り合わないからだった。
 夢と現実の区別が曖昧だから、言ったことも言わなかったことも、忘れようと決めたことも忘れられないと思ったことも、全部が不連続のばらばらのパズルになってしまって、起きているとき、すなわち現実にいるところの僕はそれらを継ぎ合わせるのに大変苦労した。普通の生活には戻れない、と先生は言っていた。僕は途方に暮れていた。
 そんなときに、彼女の演奏に出会った。
 
 天才小学生ピアニスト、小早川(こばやかわ)美春(みはる)

 たまたま、家族四人分のチケットをもらったのがきっかけだった。
 広いホールに満員の観客を前に、舞台の上の少女はふんわりしたシフォンのドレスをまとい、こわばった表情を浮かべて、何でこんなところにいるんだろう、みたいな、今すぐここから逃げ出したい、みたいな空気を纏っていた。まるで間違った場所に連れてこられてしまったサーカスのトラみたいだった。
けれど、一度彼女が弾き始めたら、場の空気は一気にきらめいた。彼女の演奏は星の瞬きに似て、草原のライオンのあくびに似て、それでいて、僕のつらさや寂しさを埋めるようなかたちをしていた。夢じゃない、夢であってほしくないと思った。この音に慰められている間、この瞬間だけは夢ではなくて現実でありたかった。
 演奏が終わってお客がはけてから、僕は家族を振り切り、裏口まで走って、止めようとする大人を振り切りながら、出てくる彼女に握手をもとめた。いや、握手じゃなかったかもしれない。そのとき僕を駆り立てたのは、万能感をくじかれたばかりの僕にはとても理解できない、激しい感情だった。とにかく、とにかく手を目一杯伸ばして、彼女に触れようとした。彼女は驚いて僕を見たが、やがてその細い手を伸ばし、僕が手を引くまま、大人たちの間から抜け出ようとした。彼女もまた、僕の手を待っていたのだった。僕にはそれが分かった。
「行こう!」
 そうして僕らは走り出した。手に手を取り合って走り出した。
 でも。
 それは僕が見ていた夢だった。彼女と走り抜けた夜の、どこまでが夢なのかが分からなかった。
 ――枕元にはピアノコンサートの半券が残っていた。ただ彼女の演奏を聴いたことが本当だったことだけが、そのときの僕の支えになっていた。

これが、嘘偽りない、僕と小早川美春のなれそめだ。