「ねえ蒼真くんのイラストアカってこれでしょ?」
「めちゃカッコかわいいね。あたしフォローした!」
「マジ? サンキュ」
夏休み明け、蒼真が講義に行くと女子学生たちに声を掛けられた。以前に絵を描いていると話した奴からアカウント情報が広がったらしい。
フォロワーが増えるのは嬉しかった。よければ拡散してくれ。できるだけ人の目に触れて、何かしらチャンスが欲しい。
「なんか仕事したりするの? 今のうちサインもらっといた方がいいかな」
「簡単にそんなことならねーから安心して」
「なーかーらーいィ!」
話していたら遠くから苗字で呼ばれた。この声は珠季。しかもツカツカと近づき腕で首を絞めてくる。もちろん軽くだが。
「ぐえ。何」
「Mr. Pepper、まずかったんだけど」
「はい?」
蒼真は首に回った腕をペチペチ叩いた。ギブ。ほどいてくれた珠季を振り向くと拗ねたような顔だ。文句を言いづらい。
「飲んだのか?」
「オススメされたからには受けて立つ」
「別に勧めたわけじゃ」
「じゃあなんだったのよ」
「クセ強ドリンクだから林田っぽいかと……て、ぐえ! そういうとこだろ、俺の首締めるやつなんて他にいねえぞ!」
バタバタ抵抗する蒼真とプリプリ怒る珠季のことを、周りは止めない。いつものことだから。
大学で知り合った友人たちは子どもっぽいじゃれ合いなんかしない。だけどこの二人はこうだと皆が思っているのだった。
そりゃ中学からの付き合いではあるが、蒼真としてはこんな関係はいかがなものかと感じている。離してもらってから蒼真はムスッとした。
「おまえいつまでもガキみてえ」
「……悪かったわね」
ガキと罵倒されてツーンと遠い席まで行ってしまうところもガキだ。見送って、蒼真は独りごちた。
「……俺はわりと好きなんだけどな、Mr. Pepper」
* * *
とあるボカロPからイラストのオファーがあったのは秋も深まってからだった。過去絵の〈ゾンビガール〉が曲のイメージにピッタリなのだそう。
きちんとイラストレーターの名前は出すし使用料も払うとの申し出だ。それはありがたいけど、蒼真には値段の相場がわからない。検索して適当に吹っ掛けてみたら、相手も大学生で活動歴も浅く、そんなもんかもとあやふやな返事だった。互いに大笑いし、ひとまず友達になることにした。
直接会って、曲もいろいろ聴かせてもらう。その音楽は蒼真の頭の中で踊り出し、新しい色彩になりそうな気がした。
「俺の絵、曲の背景に貼っておくだけ? 動かしたりする?」
「できればやりたいけど、蒼真、動画は?」
「いや、作ったことない。あれPCでソフト入れなきゃだろ」
「だよな。曲が売れれば動画師に頼めるんだがなー。そこまでいけるか」
「いけよ。俺はおまえの曲好きだ。絵、描きたくなる」
それは蒼真なりに最大限の賛辞だった。聴き手に何かしらを届けているということだから。
そういえば今回ご指名の〈ゾンビガール〉。あれは珠季の結膜炎からインスピレーションをもらったのだ。思い出して蒼真は笑った。
珠季はなんだかんだ言って、面白い。
* * *
これまで無知だったボカロの世界に足を突っ込んで、蒼真は講義の合間に音楽を聴くことが多くなった。
最初は耳からイヤホンを奪い取るいたずらをしていた珠季も、慣れたのかだんだん手出ししなくなる。
だって蒼真の中にはたくさんのイメージがあふれてきていて、珠季なんかにかまっていられない。
今大切なのは、描くことだ。
そう思っていたら、ある日珠季の髪の色が変わった。栗色に染められたセミロングは珠季のことを明るく優しい印象に見せた。
「おまえ髪、どしたん?」
ひと目見て蒼真はイヤホンを外した。訊かれた珠季は意外そうだった。
「気づくんだ」
「そりゃ俺、描いてるもん。観察はクセ」
「……私のことなんて、もう見ないのかと思ってた」
肩をすくめ、珠季は少し離れた座席に座る。その隣には蒼真が話したことのない男が当然の顔で腰をおろした。
ちゃんと見てるよ、失礼だな。なんだか最近おしゃれするようになったことも、俺に絡まなくなったことも、そいつとよく一緒にいることだって知ってるさ。
なんだかつまらなくなって、蒼真はその日音楽を聴かなかった。
* * *
どうやら本当に珠季はその男と交際中らしい。冗談めかしてきっかけを尋ねたら、「付き合ってって言われたから」と答えが返ってきた。ポツリと言うのが照れてるみたいで、珠季のくせに生意気だと思った。それでつい「告られたら誰でもいいのかよ」と憎まれ口を叩いたら殺しそうな目でにらまれた。
クリスマスになったけど蒼真には彼女なんてものはできなくて、作ろうという努力をおこたったのだからそれは仕方ない。でも珠季は彼氏と過ごしているのかな、なんてチラリと考えた。ムカつくな。
さっさと帰省して空っ風の吹き荒ぶ地元を自転車で駆け抜けてみる。正月を迎えるための準備に町はにぎわっていた。だがそんな喧騒は学生の蒼真には関係なくて、自分だけが浮いているような気にさせられた。寄る辺なさを抱えて自転車を押し、川岸をトボトボ歩いた。
「――誰も、いないか」
橋の下で立ち止まると、ただぽっかりと空間があった。
ここに来ると気になるあの記憶――レモンイエローの服の彼女は、今日も現れるだろうか。さすがに冬の格好をして。
しばらくたたずんでいた蒼真は、ヘクシっとくしゃみをした。寒い。そんなに都合よく会えるわけはないだろ。
まったく不思議だ。あの人はいったいなんなのか。
珠季に姉はいないらしいから、きっと無関係。それにしては似すぎているし――あれ、髪を染めておしゃれして大人びた珠季はますますそっくりじゃないか?
なんとなく去りがたくて蒼真は数分そこに立っていた。
だけど珠季に似たあの人も、そして珠季本人も、今日は姿を見せない。川風が水面に波を立てていくばかりで、馬鹿らしくなった蒼真は気持ちを振り切るように家に帰った。
何故か自己嫌悪におそわれ、ペンを持つ気が数日失せた。