けっきょく蒼真(そうま)は四年制大学に進学を決めた。AO入試で合格をもぎとったので年内に自由の身になれてラッキーだった。
 進学先は東京の真ん中にある大学の人間科学部。蒼真の興味が向くのはやはりヒトだ。
 コロコロ変わる表情や肉体にあふれる情動を描き続けて、学びたくなったのは人間の心と体だった。入試面接でもそのへんのことを強調し、これまでの作品も人との関わりの中で生まれたのだとアピールした。

 一人暮らしを始めることになると、東京に住んで得られる刺激も描くモチベーションになる。
 地方の小都市や自然の風景もいいが、肌感覚として大都会を知りたかった。映像じゃなく実際に見たものは、蒼真の血肉になるはず。たぶん。言い訳な気もするけど。

「――ええとさ、なんで林田(はやしだ)が同じ大学なの」
「知らないってば。私からすると半井(なからい)が追いかけてきたみたいになるんだけど?」
「誰が追うんかーい」

 林田珠季(たまき)に再会したのは一般教養科目の教室だった。
 新天地への期待に胸ふくらませる大学生活。いきなり旧知の顔を見つけ、二人揃って豆鉄砲を食らった鳩になる。互いの進学先など知らなかったのだ。
 どうしておまえがいるんだよと喧嘩するほどでもないが、すごい偶然だねと喜ぶでもない間柄。二人ともなんだか淡々としてしまった。

「おまえ、東京に出るのはちょっと、みたいなこと言ってなかったっけ」
「そりゃ田舎者だもん、怖いじゃない? だけどそこを乗り越えて学びに来たわけですよ。偉いよね」
「じがじいさん」
「せめてばあさんにして」
「ダジャレにならん」

 アホな会話に周りの連中が寄ってくる。だけど男も女も珠季の知り合いのようだ。

「なに珠季、高校の友達かよ?」
「やん、珠季の彼氏発見!」

 そこで珠季はサラリと否定する。

「ううん、ただの同級生」

 言い切られて少しムッとした。友達なんかじゃない、てことか。
 しかし入学早々、珠季は友人に囲まれているらしい。口々に「珠季」と呼び捨てされているのにモヤった。コミュ力おばけめ。蒼真は意固地になって苗字を呼んだ。

「林田、学科は?」
「発達心理。半井は?」
「人間社会。おまえも人間科学部(じんか)かよ……」

 同じ学部の、学科違い。そういえば指定校推薦がきていた。蒼真の成績では無理だと先生に言われたが、該当者は珠季だったのか。ますますモヤる。

「んじゃ半井ともパンキョーかぶるの多いかな。よろしくね!」
「うぃーす……」

 しれっと笑顔を向けられて、蒼真は仏頂面を返した。


 * * *


 新入生の春は怒涛の勢いで過ぎ去った。大学と一人暮らしと、何より東京に慣れるので精一杯だった。
 人の多さと電車の路線に目が回る。聞いてはいたが、実際に揉まれてみないとわからないことが世の中にはあるのだ。蒼真は毎日ゲッソリしながら自分の部屋にたどり着き、だけど帰宅してからもろくにしたことのない料理やゴミ出しに精神力を削られた。

「……絵、売れてえ」

 こんな状態でバイトまでするとかありえない。いや、みんなやってるんだろうけど。蒼真もやらなきゃならないんだけど!
 好きなイラストを描いて金になるなら、そんな幸せなことはないよな。



 必死で過ごすうちに慌ただしく夏がやってきて、蒼真は帰省した。
 たった四ヶ月と少ししか離れていなかった故郷は元のまま。のんびりしていて気持ちがゆるむ。目覚ましをかけずに眠り、ご飯を作ってもらい、親のありがたみを満喫した。

「空が広いな――」

 川岸の遊歩道を自転車で走りながら、蒼真は景色が横長なことに驚いた。
 ゆったり流れる川幅は広く、土地は平らで、建物は低い。対して東京は縦に伸びるビルに空間が区切られていて、そんな額縁(フレーム)に馴染みかけていた自分を突きつけられた気がした。
 夏の陽を避けて橋の下に自転車を停め、トートバッグからペットボトルを出して飲んだ。ついでに日陰で腰をおろす。水色のTシャツに汗が染みていた。

「……描くか」

 ノートも出す。普段はタブレットで描いているが、外でイメージが湧いたのをメモる走り描きはアナログだ。
 川が前とは違って見える。東京に行って蒼真が変わったからなのか。ぼんやり脳裏に浮かぶ何かをつかもうと、蒼真は川面の光を見つめ――。

「蒼真」
「わっ!」

 フワリと耳元に風が当たった。名前を呼んで隣にしゃがみ込んだのは、いつかの女の人だ。林田珠季によく似た顔の――レモンイエローのキュロットスカートと白い七分袖ブラウスにも見覚えがある。前と同じ格好だ。
 いたずらっぽく笑いかけられて蒼真は少し照れた。可愛いと思ってしまったんだ、珠季とそっくりなのに。

「私、今はけっこう好きなのMr.Pepper(ミスターペッパー)。あれは慣れだよね。伝えてなかったから」
「へ?」

 唐突にそんなことを言われて蒼真はポカンとした。それは炭酸飲料のことで間違いないだろうか。アメリカンでちょっとクセのあるやつ。

「今日のは水だったね?」
「え、ああ、うん」

 クスリとしながら言われ、反射的にペットボトルを確認した。そして顔を上げたら――彼女の姿は消えていた。

「――ッ!」

 まただ。またやられた。
 前もこんな風に、一瞬目を離したらいなくなっていたんだ。キョロキョロしても見あたらないのだって、以前とそっくりそのまま。蒼真の息が震えた。
 なんだよ、これ。何かの怪談か?

「あれー、半井(なからい)!」

 その声にビクリとした。タタタと国道から珠季が走っておりてくる。手にぶら下げているのはサイダーのペットボトルだった。

「トーキョーからおかえりー!」
「いや、おまえもな?」

 ドキドキを押し隠して言い返した。レモンイエローの彼女と珠季は声までそっくりなことに気づいたのだった。でも今日の珠季はUVカットの長袖パーカーに膝丈のパンツでボーイッシュ。やはり二人は別人だろう。
 日陰に来た珠季はプシュとサイダーの蓋をひねる。そして足元の天然水のペットボトルをチラ見した。

「やっぱ夏は炭酸でしょ。あのさ、四ッ矢サイダーって黒髪ロングっぽくない?」
「は?」
「いや、なんか清楚な味で好きなんだよね」

 炭酸飲料にキャラ付けするのか。蒼真は少し考えて言った。

「それ、林田らしくはない気がするけど」
「えー。じゃあ私って何?」
「……Mr. Pepper?」

 首をひねる珠季にかまわずに、蒼真は荷物を拾うとさっさと自転車に飛び乗った。家までぐんぐんペダルをこぐ。
 だって描きたくなったんだ。スプラッシュ炭酸ガールズを。イメージがガンガン湧いた。
 サンキュー林田!