次の日。
 やっぱり彼女は笑顔でやってきた。
 聞くまでもないけれど、きっと陸上部の部員達に自分の気持ちを伝えられたのだろう。

「聞いて聞いて!みんなでね、大会頑張ろうってなったの!」
「うん、よかったね」

 笹原さんがあまりに嬉しそうにしているので、僕の表情も自然と緩んでしまう。

「滝本くん、なんだか反応薄くない?」
「いやだって、笹原さんなら上手くいくって、思ってたから」

 僕の言葉に、笹原さんはきょとんと目を丸くした。

「え、え?」

 彼女がここまで狼狽するのは、僕達が話すようになって初めてだったかもしれない。

「笹原さんなら、部員の子達にちゃんと気持ちを伝えて、切磋琢磨していくんだろうなぁ、って思ってたから」
「そ、そう…」

 なにか僕は変なことを言ってしまったのだろうか。
 笹原さんは少し顔を背けてから、僕の隣に置いてあった水を勢いよく飲んだ。

「ちょ、ちょっと、それ僕の水…」

 しかも飲みかけなんだけど…。
 笹原さんはまったく気にした様子もなく、いつもの明るい笑顔で振り返った。

「で?」
「え?」

 突然発せられた接続詞に首を傾げていると、笹原さんは僕の目をきらきらと見つめてきた。

「で、滝本くんは、覚悟を決めたのかな?」
「え…」
「昨日約束したでしょう?私が部員とうまくいったら、滝本くんもなにか目標ややりたいことに向けて頑張るって」
「あ、うん…」

 もちろん忘れたわけじゃない。
 けれど、言葉にしようとすると、やっぱりうまく出て来なくて、僕はもごもごと情けなく呟いた。

「…僕、小説家になりたいんだ」

 言ってしまった。

 小さい頃から憧れていた夢。
 なれっこないと諦めていた夢。

 蝉の声がうるさい中でも、笹原さんは僕の小さな声を聞きとってくれた。
 口角がこれでもかというほどに上がって、満面の笑みを浮かべる。
 そして彼女はこう言ったのだ。

「そうだと思った!」

 その言葉に、今度は僕がきょとんとする番だった。

「え、どうして…」
「滝本くん、本読むの好きだし、本当は書いてみたいんじゃないかぁって、なんとなく思ってたんだ!」
「え、」

 笹原さんの言葉から、笑顔から、僕は目が離せなくなった。

「書いてみようよ!滝本くんだったら、絶対面白いお話が書けるよ!」
「いや、でも僕なんかじゃ…」

 この世界には面白い小説が溢れている。
 そこに自分が入り込むことなんてできるのだろうか。
 憧れて、好きだと思える作家さん達の中に、自分なんかが入り込む隙なんてあるのだろうか。

 笹原さんはぴっと僕の唇に人差し指を当てた。

「はい!僕なんか、とか言うの禁止!そんな言葉で滝本くんを苦しめないで。私は、君なら絶対にできるって信じてるもん!」

 笹原さんはまたにっと明るく笑った。

「私は陸上で世界を目指す!滝本くんは、小説で世界を目指そう!」
「え、せ、世界?陸上部は全国大会の話じゃなかったっけ…?」
「夢はでっかく世界!一緒に叶えよっ」

 急に規模が大きな話になってしまった。
 けれど不思議と彼女と一緒なら、この先もなんだって頑張れるような気がした。

 夏の暑さのせいで、僕の心も浮かれていたのかもしれない。


 その日から僕は、小説を書き始めた。
 机に向かった僕はパソコンを開いて文字を打ち始める。
 何を書きたいかは、もうすでに決まっていた。

 彼女と一緒に、夢への第一歩を踏み出し始めたのだ。