そんな日々が何日か続いたある日、笹原さんが無言で僕の隣にどさっと腰を降ろした。
「うわぁっ!びっくりした…」
いつも元気な笹原さんが黙ってやって来るなんて、初めてのことだった。
眉間に皺を寄せていて、拗ねたように唇を尖らせていた。
「えっと…なにかあったの?」
僕は恐る恐る尋ねてみる。
笹原さんは頬を膨らませながら話し始めた。
「今日、部活の子にね、暑苦しいって言われたの」
「暑苦しい?」
「そろそろ大会も近いし、毎日本気で走るのって当たり前のことじゃないの?それなのに、私がもう少し練習したいって言ったら、頑張りすぎだって、そんなに本気出さなくてもって…。おかしくない!?」
ものすごい剣幕で僕の方に身を乗り出した笹原さんは、ぐっと唇を嚙みしめた。
「本気で陸上やってるの、私だけだったのかな…」
部活にもよるとは思うけれど、うちの学校の陸上部が強いと聞いたことはなかった。
どの程度の本気具合で部活動をしているのかは、僕にはわからない。
「でもね、それよりも、自分の気持ちをはっきり言えなかったのが一番悔しい!」
「自分の気持ち?」
「私は陸上に本気なんだって。大会も頑張りたいんだって。言えなかったの。暑苦しいとか頑張りすぎとか言われて、そうだよねって愛想笑いで誤魔化しちゃった…。本当はみんなと一緒に大会頑張りたいのに…」
たしかに笹原さんは明るくて話しやすい子だけれど、クラスで見る限り、周りの子に同調するようなイメージがあった。
教室にいる笹原さんが、友人達の話を聞きにこにこと頷いている姿が目に浮かんだ。
それはクラスでよく見る光景だった。
「私、はっきりと自分の気持ちを伝えるのが苦手なんだよね…。だから本当は滝本くんに憧れてた」
「え?」
急に自分の名前が出て、僕は目を丸くする。
「滝本くんさ、教室でもいつも本読んでるでしょ?」
「う、うん…」
友人がいない僕は、教室でもいつもひとりだ。
それに本を読むことが好きなのだから、まったく苦ではない。
何を言われるのかと思っていると、笹原さんは何故だか嬉しそうに口を開いた。
「本を読んでる滝本くんがさ、それはもう本当に楽しそうなんだよ」
「え……」
「本を読むのが大好きなんだなって、それ見て思った」
僕はどんな顔をしていいのかわからなくて、視線を水面に移した。
笹原さんに教室でぼっちな自分を見られていたもの、少し恥ずかしい。
「ひとりなのにね、楽しそうな姿が、私、自由でいいなって思ったの。ひとりなのにね」
「ひとりひとりって、それ褒めてくれてるの?」
「あはは、うん、褒めてる褒めてる」
何故か楽しそうに笑う笹原さんはまた少し困ったように眉を下げた。
「それに比べて私は、いっつもみんなに合わせてばっかり。滝本くんみたいに、私も私の本当にしたいことをはっきり言いたいし、貫きたい!」
笹原さんは勢いよく立ち上がると、河川敷に向かって叫び出した。
「陸上の大会で全国に行きたーーーいっ!!」
その大きな声が、暑い夏空に響き渡った。
「私、明日もう一度みんなに話してみる!もう少し一緒に頑張ろうって」
「うん」
なにか吹っ切れたような笹原さんは、また僕の横に腰を降ろした。
「で、滝本くんは?」
「え?」
「なにか目標とか、やりたいこととかないの?」
彼女の問いかけに、僕は言葉を詰まらせた。
そのちょっとの表情の変化を見逃さなかった彼女は、僕へとぐいっと身を寄せる。
「お?その感じだとなにかやりたいことあるでしょう?言ってみ?私だって言ったんだから」
笹原さんは勝手に目標を言っただけだと思うんだけど…。
強引な彼女に肩を竦める。
僕の目標、やりたいこと。
正直言うと、少しやってみたいなと思っていることがある。
けれど、それをはじめる勇気も、続けていく努力も、きっと僕にはできないと思っている。
だから少し興味はあっても、ずっと手を出せずにいた。
僕が黙ってしまったのをどう思ったのか、彼女は「よし!」と言って立ち上がった。
「じゃあ、明日、私が部活のみんなに本音でぶつかれたら、滝本くんもそのやりたいことに向かって一緒に頑張ることにしよう!」
「え?」
「滝本くんって、なんだか慎重そうなタイプだからさぁ。私が背中を押してあげないとね!」
「え、えー…」
「というわけで!明日の私の吉報を待たれよっ!じゃねっ!」
「ちょ、笹原さん、」
僕の制止も構わず、あっという間に姿を消す笹原さん。
さすが陸上部、走るのが早すぎる…。
僕はひとり残された河川敷で空を見上げた。
きっと明日彼女は、明るい笑顔でまたここへとやってくるのだろう。嬉しい報告を手に。
僕のやりたいこと。
それはもうずっと頭の片隅で考えていたことだった。
僕に本当にできるのだろうか。
でも、僕なんかじゃ、きっと…。
「………」
いい加減腹を括る時が来たのかもしれない。