湿気を含んだぬるい風が吹き込み、カーテンがかすかに揺れる。
濡れたウッドデッキ、その手すりに滴り落ちる屋根の水滴。窓の外には、昨夜まで降り続いた雨の足跡が残っている。しつこくまとわりつく未練のようだ。
ちゃぷん。
味噌汁の椀を持ち上げると、中の豆腐が小さく跳ねた。縁に口をつけると頬に湯気がまとわりつく。熱い。でも、それだけだ。
味は薄いし、出汁の香りもしない。そういえば最近、何を食べてもこんな感じだ。うちの家族は誰も気にならないんだろうか。それとも、俺の鼻腔がおかしいのか。
「あれ、ひな兄、準決勝観に行くの?」
顔を上げると、理玖が目を擦りながらリビングに入ってきた。そのまま向かいの席に座る。
「ああ」
短く返すと、理玖は不満に口を尖らせた。
「今日こそキャッチボールしてもらおうと思ってたのに」
「また今度な」
「えー、この間もそう言ってたじゃん」
「こら理玖、陽向はいま大事な大会中なのよ。理玖もお兄ちゃんに甲子園に行ってほしいでしょ?」
台所で米を握る母さんの声に、理玖はむくれ顔でそっぽを向く。
「だって今日、ひな兄の試合じゃないのに」
理玖の言うとおり、俺が行くのは昨日雨天順延になった、仙台秀英と東北第一の準決勝第二試合だ。俺たち仙台青葉の第一試合は昨日の午前、小雨が降る中で決行となったが、午後から本降りになり、第二試合は今日に持ち越された。
明日の決勝、俺たちは仙台秀英と東北第一の勝った方と戦う。だから観に行かないわけにはいかない。……とはいえ、そんな理屈を小学二年生に説明したところで、納得するわけがない。
「明日、甲子園決めたら、キャッチボールでもバッティング練習でも付き合ってやるから」
適当に取り繕った言葉に、理玖は目を輝かせた。
「ほんと!? 絶対、絶対だからね」
「ああ」
「僕ね、ひな兄が知らないところですごい速い球投げられるようになったんだから」
「父さんと練習したのか?」
「うん! お父さんがね、昔のひな兄の動画見せてくれたの」
理玖の言葉に、食べかけの魚に近づけた箸が止まる。
「……昔の?」
「こら理玖」
理玖は止まらない。
母さんの静止を無視して、ブレーキのイカれた自転車で坂道を下るような疾走感で、喋る喋る。
「そう! ひな兄が小学生の時の! もっと速い球投げられるようになりたいって言ったら、お父さんがスマホ出してね、ネットに上がってる小学6年生のときの動画を見せてくれたんだよ。すごいよね、僕びっくりしちゃった。あんなに大きなフォームで、誰よりも速い球を投げて! くるくる、くるくる三振させてさ!」
嬉しそうに身を乗り出してきた理玖の、黒目一杯に取り込んだ朝の陽光が、キラキラと微かに揺れながら輝いている。
「ひな兄、なんであの投げ方、やめちゃったの?」
「……」
「また昔みたいに投げればいいのに! そしたら明日の決勝戦もきっと」
最後まで聞かず、箸を置いた。ご馳走様も言わずに席を立つ。飲み込んだはずの朝食がうまく落ちていかず、まだ喉のあたりでつっかえている心地だ。
「もう、陽向に昔の話をしないでって何度も言ってるじゃない」
母さんのため息混じりの声が玄関まで届いた。
濡れたウッドデッキ、その手すりに滴り落ちる屋根の水滴。窓の外には、昨夜まで降り続いた雨の足跡が残っている。しつこくまとわりつく未練のようだ。
ちゃぷん。
味噌汁の椀を持ち上げると、中の豆腐が小さく跳ねた。縁に口をつけると頬に湯気がまとわりつく。熱い。でも、それだけだ。
味は薄いし、出汁の香りもしない。そういえば最近、何を食べてもこんな感じだ。うちの家族は誰も気にならないんだろうか。それとも、俺の鼻腔がおかしいのか。
「あれ、ひな兄、準決勝観に行くの?」
顔を上げると、理玖が目を擦りながらリビングに入ってきた。そのまま向かいの席に座る。
「ああ」
短く返すと、理玖は不満に口を尖らせた。
「今日こそキャッチボールしてもらおうと思ってたのに」
「また今度な」
「えー、この間もそう言ってたじゃん」
「こら理玖、陽向はいま大事な大会中なのよ。理玖もお兄ちゃんに甲子園に行ってほしいでしょ?」
台所で米を握る母さんの声に、理玖はむくれ顔でそっぽを向く。
「だって今日、ひな兄の試合じゃないのに」
理玖の言うとおり、俺が行くのは昨日雨天順延になった、仙台秀英と東北第一の準決勝第二試合だ。俺たち仙台青葉の第一試合は昨日の午前、小雨が降る中で決行となったが、午後から本降りになり、第二試合は今日に持ち越された。
明日の決勝、俺たちは仙台秀英と東北第一の勝った方と戦う。だから観に行かないわけにはいかない。……とはいえ、そんな理屈を小学二年生に説明したところで、納得するわけがない。
「明日、甲子園決めたら、キャッチボールでもバッティング練習でも付き合ってやるから」
適当に取り繕った言葉に、理玖は目を輝かせた。
「ほんと!? 絶対、絶対だからね」
「ああ」
「僕ね、ひな兄が知らないところですごい速い球投げられるようになったんだから」
「父さんと練習したのか?」
「うん! お父さんがね、昔のひな兄の動画見せてくれたの」
理玖の言葉に、食べかけの魚に近づけた箸が止まる。
「……昔の?」
「こら理玖」
理玖は止まらない。
母さんの静止を無視して、ブレーキのイカれた自転車で坂道を下るような疾走感で、喋る喋る。
「そう! ひな兄が小学生の時の! もっと速い球投げられるようになりたいって言ったら、お父さんがスマホ出してね、ネットに上がってる小学6年生のときの動画を見せてくれたんだよ。すごいよね、僕びっくりしちゃった。あんなに大きなフォームで、誰よりも速い球を投げて! くるくる、くるくる三振させてさ!」
嬉しそうに身を乗り出してきた理玖の、黒目一杯に取り込んだ朝の陽光が、キラキラと微かに揺れながら輝いている。
「ひな兄、なんであの投げ方、やめちゃったの?」
「……」
「また昔みたいに投げればいいのに! そしたら明日の決勝戦もきっと」
最後まで聞かず、箸を置いた。ご馳走様も言わずに席を立つ。飲み込んだはずの朝食がうまく落ちていかず、まだ喉のあたりでつっかえている心地だ。
「もう、陽向に昔の話をしないでって何度も言ってるじゃない」
母さんのため息混じりの声が玄関まで届いた。
