河川敷にかかる橋梁の下はいつも日陰だ。

 夏でも滅多に日が届かず、雪解けまもない春なら尚更であるこの場所に、誰かのつぶやく声がスッと割り込んできた。

 そうやって投げればいいのに。

 凛としていながらどことなく感嘆を含んだような声だ。

 広瀬川に吹くやまおろしに運ばれてきたのだろうか。橋梁を支えるコンクリートの柱に向かって、無心で白球を投げ込んでいた山田陽向《やまだひなた》の耳に、それはたしかに届いた。

 振り返った山田は言葉を失った。無理もなかった。山田がこれまで寝ては覚めを繰り返すほど夢に見て、その度に記憶から消そうとしていた人物が、記憶を突き破って現実に対峙したのだから、言葉を失うほかなかった。

 「久しぶり……っていうか、ちゃんと話すのははじめて? 会うのは夏の決勝以来だな」

 声の主は、去年夏の大会で敗れた相手である百野塁(もものるい)だったからだ。

 グローブを外した右手で目を擦る自分とは対照的に、百野は傾斜になった堤防の石段にゆったりと座して、腿に肩肘をついている。

 「あれ、聞こえてない? 山田くん、久しぶりー」

 やっぱり百野だ。あの百野だ。最後の夏、決勝で場外ホームランをお見舞いされた、百野塁だ。

 全国大会への切符がかかった東北大会決勝。1点リードで迎えた最終回2死一、三塁でサヨナラ場外3ランホームランを浴びて、俺の中学野球は強制終了した。

 もう半年以上も前のことなのに今でも夢に見る。雲を突き抜ける快音、弾道のような軌道で反り上がっていく打球、しばし訪れた沈黙。そして、全方位から湧き立つ歓声。

 だが一番濃い記憶として残っているのは、ダイヤモンドを回ったときに目が合った百野の顔だ。あれは人が人を見る目ではなく、路地で瀕死状態になっている猫や、森で羽が傷ついて食べなくなった鳥などに向けられるような、憐れみの目だった。

 あの目を向けられてから、自分の中に何かがずっと引っかかっている。それがなんなのかうまく言葉にできないけれど、少なくとも好意的な気持ちではないことはたしかだ。

 それにしても百野は、いつからいたんだ。いやそもそも、なんでいるんだ。

 それにさっきの言葉。あれって俺に言ったんだよな?

 状況がいまいち理解できず言葉に窮していたが、百野の格好に気づいて思わず「あっ」と声を上げた。

 「お前、青葉なのか」

 いろいろな疑問をすっ飛ばして、仮にも半年ぶりに再会した因縁の相手に向かって発した第一声だった。
 
 しかしそれは他の何を差し置いても重要な質問だった。百野が身に纏っている紺色のブレザーと、紺碧色が下地になったストライプ柄のネクタイ。つい先週自宅に届いた高校の制服とまったく同じデザインなのだ。

 仙台市立青葉高校。この春から自分が入学する高校の制服を、百野が身に纏っているのだ。

 「ああ、俺ら今度はチームメイトみたいだな」

 衝撃の一言をさらりと言ってのけた百野は、軽い足取りで石段を降りてきて、あっという間に俺と同じ目線の高さに並んだ。