「はー、暑かったぁ。ね、ここ涼しいよね?」
「ほんとですね……別世界みたい」
驚いた。まるでオアシス。
一級河川の両岸を繋ぐ4車線の橋は、広大なスペースの日陰を提供してくれている。その上、自治体が景観を重視しているためか草木の剪定も行き届いており、鬱陶しい藪は見当たらない。
なんとも清潔で静謐。快適空間そのものだ。
「それはそうとして、愛人さんに見てほしいのは……コレです」
そう言うと、杏子さんはアイボリーのベールに包まれた物体の前に歩みを進めた。
躊躇なくベールを掴むと、一息にはぎ取る。
──姿を現したのは、一台の自転車だった。
「この子はブンブン丸。空飛ぶ自転車なんだ」
「空……飛ぶ?」
「そそ。アゲてけ、アゲてけー♪」
杏子さんが自転車を何やら操作しだした。
すると、折り畳まれていた謎の物体が少しずつ姿を現してゆく……かと思った次の瞬間、破裂音と共に一気にソレは展開した。
──翼だ。
鳥の翼というより、コウモリの翼といった感じの。
「どうよどうよ?どんなもんよー?」
「おぉ……」
僕は好奇心に囚われ、翼に触れてしまった。といっても、ほんの少し指先が当たった程度だ。
──たったそれだけで、この翼は音を立てて落下した。”もげた“のである。
殺される……!
そう覚悟した僕であったが、意外にも持ち主の貴婦人は冷静だった。
「接着剤じゃダメかぁ。モゲてけ、モゲてけ〜」
「……ごめんなさい。壊しちゃって」
「気にしなくていーよ。これから直すとこだしさ」
よく見てみると、この自転車……ガタガタだ。
フレームは歪んでサビだらけ。タイヤも履いていなければ、サドルもない。空を飛ぶどころか、まともに走ることもできないだろう。
「そそ。これからリペア(修理)するの。私と愛人さんの2人で!」
アゲてけ、アゲてけー♪と、いつもの口癖をさえずりながらぴょんぴょん飛び跳ねている杏子さん。
飛行機をイメージしているのか、両腕を横一文字に広げている。
「週末にはもう夏休みだしさ。これはもう自由研究だね!」
「あの、杏子さん……?」
「登録も済ませてきたから。あとは花火大会までにバッチリ直して。アゲてけ、アゲてけー♪」
「杏子さん……?」
「それとね。今日からアイジンさんには──」
杏子さんがポスターをガバっと広げた。
『Re-pair』と銘打たれたポスターで、自転車と花火の絵が描かれている。
「私の彼氏になってもらうから!」
「……は?」