人目なんて気にしない。僕は声の限り叫んだ。
 ──彼女の名を。

「杏子さん!」

 花火の立ち見客を躱しながら、僕は杏子さんをさがした。
 いったん立ち止まり、周囲を見渡す。
 ──背中に衝撃。人がぶつかったようだ。

「あ、杏子さん」
「急ブレーキすんな……」

 杏子さんは両手で鼻を抑え、涙目で僕を睨んでいる。

「まだレースは終わってない。行こう、杏子さん」
「……愛人くん。もういいんだよ」
「ダメだ。やらなきゃいけない」
「そんなこと言ったって、ブンブン丸が……」

 僕は手を開き、金色のパーツを見せた。

「進めるよ。ちゃんと前に進める……僕たちみたいに」
「……愛人くん」

 ガシャン!と金属音が響いた。
 ブンブン丸だ。その傍らに立っていたのは──

「いい加減にしろ。痛い目を見ないとわからねえか?」

 ──静かに怒気を練り上げる玲さんだ。

 僕は臨戦体制に入る。
 刹那、玲さんが拡大したかのように眼前に迫った。
 次いで遅れてやってくる右フック。
 ──これは知っている。
 *
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「辻堂。あのゴリラを仕留めるには初撃のカウンターだな。ここしかない」
「佐藤くん、戦うつもりなの?」
「まあ聞け。いいか。右フックは遅れてやってくる。だから恐れず──」
 *
 *
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 前に出ろッ──!

 僕は玲さんにタックルを仕掛けた。
 右腿を持ち上げ、そのままテイクダウンを取る。
 僕が上になった。マウントポジションだ。

「玲さん、これで──」

 気づいた時には、形勢は逆転していた。
 するりと体勢は入れ替えられ、僕はチョークスリーパーで首を締め上げられる。

「玲ちゃん!玲ちゃん聞いて。お願い」
「杏子。お前もお前だ。そんなに辰樹を忘れたいのかよ?」
「違う!辰樹は今も私の中にいるよ。ずっと……この先も」

 玲さんの締め付けが緩んでいく。

「だから。前に……私の中の辰樹と一緒に……前に進むのッ!」

 堤が開いたように、力が抜け、僕は解放された。
 うっぷして数回咳き込み、僕はブンブン丸へ向かう。
 そしてパーツを当てがい、回そうとするが……固い。工具がなければ。
 ──救いの手は差し伸べられた。
 玲さんだ。彼女は右手を伸ばし、軽々とパーツを回して見せた。

「玲さん……」
「さっさと行け」

 玲さんはそう言うと、僕らに背を向けて歩きだした。
 そして挨拶がわりに、片手をあげた。