人目なんて気にしない。僕は声の限り叫んだ。
──彼女の名を。
「杏子さん!」
花火の立ち見客を躱しながら、僕は杏子さんをさがした。
いったん立ち止まり、周囲を見渡す。
──背中に衝撃。人がぶつかったようだ。
「あ、杏子さん」
「急ブレーキすんな……」
杏子さんは両手で鼻を抑え、涙目で僕を睨んでいる。
「まだレースは終わってない。行こう、杏子さん」
「……愛人くん。もういいんだよ」
「ダメだ。やらなきゃいけない」
「そんなこと言ったって、ブンブン丸が……」
僕は手を開き、金色のパーツを見せた。
「進めるよ。ちゃんと前に進める……僕たちみたいに」
「……愛人くん」
ガシャン!と金属音が響いた。
ブンブン丸だ。その傍らに立っていたのは──
「いい加減にしろ。痛い目を見ないとわからねえか?」
──静かに怒気を練り上げる玲さんだ。
僕は臨戦体制に入る。
刹那、玲さんが拡大したかのように眼前に迫った。
次いで遅れてやってくる右フック。
──これは知っている。
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「辻堂。あのゴリラを仕留めるには初撃のカウンターだな。ここしかない」
「佐藤くん、戦うつもりなの?」
「まあ聞け。いいか。右フックは遅れてやってくる。だから恐れず──」
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前に出ろッ──!
僕は玲さんにタックルを仕掛けた。
右腿を持ち上げ、そのままテイクダウンを取る。
僕が上になった。マウントポジションだ。
「玲さん、これで──」
気づいた時には、形勢は逆転していた。
するりと体勢は入れ替えられ、僕はチョークスリーパーで首を締め上げられる。
「玲ちゃん!玲ちゃん聞いて。お願い」
「杏子。お前もお前だ。そんなに辰樹を忘れたいのかよ?」
「違う!辰樹は今も私の中にいるよ。ずっと……この先も」
玲さんの締め付けが緩んでいく。
「だから。前に……私の中の辰樹と一緒に……前に進むのッ!」
堤が開いたように、力が抜け、僕は解放された。
うっぷして数回咳き込み、僕はブンブン丸へ向かう。
そしてパーツを当てがい、回そうとするが……固い。工具がなければ。
──救いの手は差し伸べられた。
玲さんだ。彼女は右手を伸ばし、軽々とパーツを回して見せた。
「玲さん……」
「さっさと行け」
玲さんはそう言うと、僕らに背を向けて歩きだした。
そして挨拶がわりに、片手をあげた。