「喪服みたいでしょ?もっと可愛いのがよかったんだけど……」

 レース当日。
 
 僕は見惚れていた。
 杏子さんの浴衣姿に。

 あまり目にしない、黒い浴衣だ。
 模様が最低限であることで、生地の上質さが際立っている。

 その上品な浴衣が、杏子さんにしっとりとした艶やかさを纏わせている。
 アップにしたアッシュブラウンの髪からのぞくうなじ。
 そして変わらない、水晶玉のような瞳……。

 僕は呆けてしまって目が離せない。

「……気に入らない?サゲてけ、サゲてけ?」
「え……あ、いや……ううん。全然。全然すごいよ!」

「ったく、もうちょいマトモなこと言えねーのかよ」

 僕らの間に割って入る声。
 玲さんだ。
 ブンブン丸は一応、玲さんの所有物。ここにいるのも当然か。

「玲ちゃんヒドイ。褒めてくれてるのに」
「男としてのマナーがなってねぇって話だよ」
「ふーん。愛人くん、行こ。レースまで屋台回ろうよ、屋台」

 レースのスタートは19時ちょうど。
 今は16時を少し過ぎたあたりだから、まだ余裕がある。
 僕は杏子さんにぐいぐい背中を押されて、屋台の並ぶ神社の参道へ向かった。

 去り際に背筋に凍てつくような視線を感じた。
 玲さんだ。
 杏子さんと親しくする僕に警告しているのだろう。


 *


 たこ焼き。綿菓子。りんご飴。
 射的に、ビンゴに、金魚掬い。

 どれも、杏子さんは全力だ。レースまで体力を温存できるか心配になるほど。
 と言いつつ、僕は終始ドキドキしていた。
 こんな素敵な浴衣女子を後ろに乗せて、レースを走り切れるのか。僕の心臓が持つのだろうかと本気で案じていたのだ。

「愛人くん。ねぇねぇ、愛人くん」
「は、はいっ」
「手つなごうよ」
「ぁ──」
「恋人なんだよ?いまの私たち。ほら」

 杏子さんが、その小さな手を差し出す。
 僕は一息おくと、そろそろと手を伸ばし……指先が、触れ──

「おー?辻堂じゃんか」

 ──邪魔が入った。
 佐藤くんだ。浴衣姿で頭にお面をのっけている。小学生か。

「……てめぇ…………」
「ん?どした?あ、尾萩さんも、こんちはっす」

 佐藤くんが何かを思い出したように、僕に言った。

「そーいや、自転車。持ち出したんだろ?早めに会場に戻した方がいいぜ。失格になっちゃう」

 ……え?
 何を言ってるんだ。ブンブン丸は昨日の時点で会場に預けてある。
 僕らはそれ以降、触れてすらいない。

「何かの間違いじゃない?」
「ブンブン丸って名前だよな?親父が言ってたよ。レースの実行委員会やってんだ」

 僕は妙な胸騒ぎを感じた。
 それは杏子さんも同じだったようだ。
 
「……杏子さん」
「うん。行こう」