──本番前日。

 ブンブン丸の修理が完了した。
 スタンプラリーも制覇した僕らは、出場登録をするためにRe-pairの運営が設置されているテントに立ち寄っている。
 レース当日まで、運営がブンブン丸を預かるのだ。
 預けられている自転車たちを見てみると、各々個性的なカスタムが施されている。
 翼を閉じた状態のブンブン丸が地味に見えるくらいだ。

 僕らはこれから秘密基地へと帰還し、橋の下をきれいに掃除するつもりだ。

 その前に、僕らは明日走ることになるコースの下見をした。
 そもそもが、レースといっても順位を競うというよりは、カップルのための思い出作りが主な目的の大会であると言える。
 (杏子さんは優勝する気満々だが)
 そのため、コースも複雑なものではなく、大通りを真っ直ぐにすすみ、後は国道に出るため左折して、最後もまっすぐ。県下最大の可動橋『くもり橋』を駆け抜けてゴール。という単純なものだ。
 花火大会の日は、くもり橋は封鎖されるため一般人は立ち入れない。そのためレース参加者は打ち上げ花火をくもり橋の上から。つまりほぼ真横から眺めることができるというメリットがある。


 *


「なんだか寂しいねー。アゲてけ、アゲてけ〜」

 お世話になった秘密基地の掃除。
 工具や、修理のための資材などはまだそのまま残っているが、感謝の気持ちを込めて綺麗にするのだ。

「そうだね。あっという間だったな」
「あっ、これ……ブンブン丸のパーツ。転がってた」
「ん?あぁ、それ。西園寺さんが送ってくれたヤツだね」

 後ろ向きにしか進まなくなったブンブン丸の最後のパーツだ。
 杏子さんが今手にしているのは、西園寺さんがスペアとして余分に送ってくれたのだ。
 しかも、わざわざ金箔でコーティングまで施してくれている……。

「ふぅん……ねぇ、愛人くん覚えてる?」
「何を?」
「私たちが、はじめてお互いを強く認識した時のこと」
「んん……あっ。教科書を顔に乗せてて、それを放り投げて……」
「そそ!ちょうどこんな感じに────飛んでけぇ!」

 杏子さんが金色のパーツを川に向かって放り投げた。
 随分と遠くまで……飛ばなかった。思ったよりも手前でポチャンと可愛らしい水音をたてて川の中へと消えていった。

 杏子さんが能面のような顔で、僕をじっと見ている。
「いってこい」と言いたいのだろう。

「やだよ、僕は」


 *


「ばーか!」

 杏子さんが川に入り、パーツを探している。と言っても、水深が浅いようで、膝下のあたりまでしか水に浸かっていない。
 自分で放り投げておいて、僕に罵詈雑言は看過できない。
 僕は彼女に背を向けて、箒を掃きながら適当に答える。

「はいはい。おはぎおはぎ。頑張らないと──」

 ザブン!と大きな水音が聞こえた。
 
 僕は驚いて振り向くが、杏子さんの姿がない。
 静かに川の水が流れているだけだ。

「杏子さん?」

 ……胸騒ぎがする。

「杏子さん……杏子さん!」

 僕は川へと踏み込んだ。
 杏子さんが立っていたあたりへ急ぎ進む。

 ──すると、急に体が宙へ浮いた。
 大きな水音。気がつけば僕は水の中にいた。

「あっははは!やいやい、引っかかった。アゲてけ、アゲてけー♪」
「杏子さん……」

 イタズラか。
 ……今回ばかりは逃がさない。

 僕は報復した。再び杏子さんの報復。
 報復に次ぐ報復の連鎖。この世界の縮図のようだ。
 ただ決定的に違うのは、その先にあるのが笑顔だということ。

 僕らは子供みたいに笑い合った。
 お互いずぶ濡れで。

 結局、金色のスペアパーツは見つからなかった。

「杏子さん」
「なんですか、愛人さん」
「僕らが過ごした時間は、無駄じゃなかったよね?何かに、繋がるよね?」
「……わかんない。無駄だったかも」
「え?」
「それでもいーやって、私は思ってるよ。愛人くんのおかげ」
「なんだよそれ……」

 無駄になんかさせない。
 明日、何かが変わるはずだ。レースをやりきれば。
 杏子さんも、きっと僕も。