「あれ、どうしよう」

僕と先輩が一日で過ごす時間は文芸部の活動のときだけだ。

文芸部は現在僕と先輩の2人しか実質活動していない。(本来なら5人以上部員がいないと同好会に降格になる。幸い、名前だけ貸してくれている部員がいるから、部室を確保できていた)

国語準備室はちょっと埃っぽいけど、小瀬先輩と2人なら全く気にならなかった。

窓際に長机をおいて、二人で横並びで座る。

キャラメル色の夕日がルーズリーフに反射して、先輩の肌をますます輝かせた。

「どうしました?小瀬先輩」

僕は困っている素振りを見せる先輩にできるだけかっこよく見せるように、冷静な声をかけた。

「私の創作用のノートがないんだよね。忘れてきちゃったかも」

身に覚えがありすぎる発言をする先輩に、僕は、
「そうなんですか。僕のルーズリーフ貸しましょうか?てかあげます。何枚でも」

と早口で返事をしてしまった。

「あ、ありがとう。今日はそれでいくとして…。でも大切なノートなの」

先輩は僕を怪しむことなく、ルーズリーフを一枚、受け取ってくれた。

「な、名前書いてたら手元にまで返ってくるんじゃないですかね?」

僕は、自分の足元に置いたリュックサックに眠る先輩のノートに思いを馳せながら、嘘をついてしまった。

今ここで、ノートをリュックサックから取り出すのを先輩が見たら、引いてしまうかもしれない。
引かれたくない自分のほうが、先輩のノートより大切だった。


「でも…。中身、見られたら恥ずかしいなって…」


「そんな、勝手に人のノート見るような奴、この学校にはいないと思いますよ」

さっきから僕の心にはグサグサと五寸釘が何本も突き刺さり続けている。
土手から転がり落ちたあの時より胸が痛い。

「ちなみに、何を書いたとかって言えますか?」

「…朔くん誰にも言わない?」

パイプ椅子2つ分の世界がもっと狭くなる。
小声になった先輩は僕が聞き取りやすいように、耳元に口を寄せた。花と石鹸が混じった、柔らかい匂いがした。
あの時、先輩が僕を覗き込んだ、髪が、鼻をくすぐった時の記憶が一瞬返ってきた。

「創作のネタとか、


あと…




好きな人の名前」

「そーれはやばいっすね」

僕は腕組みをして、先輩に体を傾けながら、即答した。

鼓膜が壊れたレコーダーみたいにさっきの先輩の言葉を繰り返していた。先輩の声は光の線みたいに柔らかくで、甘い。それがずっとこだましてると脳の組織がとろとろに破壊されていくに違いなかった。


「そうなんだよ。ヤバいんだよ」

先輩は顔を赤くして両頬を両手で押さえた。

「もしも僕が見つけたらすぐに返しますね。今日は一旦忘れて、新しい話でも書きましょう」

僕はニヤニヤしてなかったらいいのに。