とある神社の一角。
「約束は本当なのかね?」
男は嘘くさい笑みを浮かべた。言葉遣いこそ丁寧であるが、肩眉をわざとらしく上げて煽るように私を見つめる。
「えぇ、勿論です。私は貴方の知りたいことを何でも教えましょう、扑克に勝てたらの話ですけれど」
私は腹の底が読めない目を細める。カード越しの男の額に脂汗が滲んだ。それでも取り繕うかのように微笑みは絶やさない。目の前の中肉中背の男からは煙草の匂いがする。ホラーが専門のジャーナリストらしい、無精ひげを撫でながら唸るその姿は如何にもそれっぽかった。数時間前、私は訪れてきた彼ととある約束をした。「もし扑克をして、貴方が勝ったら私の情報を好きなだけ教えてあげる」と、「得た情報も、写真も記事に載せることを許可します」と。
男は私の言葉に嫌な笑みを浮かべると、二つ返事でトランプを捌き始めた。
私は長い髪を一つに括って、白い袴の袖を捲る。真夏の昼間では木陰の下に建てられた小屋とは言え、通気性がすこぶる悪いので頭がくらくらしてくる。よく言えばサウナ、悪く言えば部活動後の部室だと客は感想を漏らしていた。私たちは流れる汗を気に留めることなく、頭を回し続ける。古びた机を隔てた小さな小屋の中では二人の熾烈な争いが静かに繰り広げられていた。
いや、実際はそうでもなかった。
彼の態度は傍から見れば眉唾物に見えるかもしれない。しかし、私にとっては赤子同然だった。なんと分かりやすい男なのだろう。穴が開くほど目の前の男を観察した。しかし、あまりの観察しがいのなさに私は心の中でがっくり肩を落とす。手札の数字に検討がついてしまったので、今度は彼の今日の夕飯を当ててみようか。少女の中では最早別のゲームが繰り広げられていた。
「いいのかい、それで」
既に五枚の表が開示された状態で男は怪しげに尋ねる。私はふふふと上品に笑った。
「逆にそちらこそ良いのですか、瘦せ我慢するのはお辛いでしょうに」
「何を……俺は別に痩せ我慢など」
「ふふ、なら早くオープンしてしまいましょう」
男は小娘の口車に乗せられたことに腹が立ったらしい。「あぁいいとも!」と碌に考えもしていないくせに、とっておきを見せるかのようにカードを開示してくる。
男の手元には同じ数字の組が二つ。
私の手元に視線を戻す。同じ数字のペアが一つ、残りのカードも同じであった。
ツーペアとフルハウス。
余裕で勝ちきれなかったのが悔やまれる。やはり、陰で違うゲームを進行していたあまり、変に観察して怪しまれたのが肝だったか。この程度だったらストレートフラッシュくらいはいけたかもしれないのにとため息が漏れた。
「さぁ貴方様の負けですのでどうぞお帰りはあちらから」
「貴様、何か仕込んだだろ?」
血管が今にも切れそうな勢いで掴みかかってくる男。私は流し目ですぐ傍で微動だにしない巫女に助けを求める。しかし、白粉を綺麗に叩かれた顔は微動だにしない。自分でどうにかしろということだった。着物の襟が首に食い込んで頸動脈を巻き込みながら締め上げる、息が上手くできなくて段々と額に脂汗が滲んだ。私は気づかれないようにこっそりため息をつくと、片方の口角だけをぎこちなく上げる。
「仕込みなどあるように見えましたか?ここには貴方が持ってきたカードしかないのに。逆にわざわざそのようなことを聞くなんて、仕込んだのに勝ちきれなかったのは貴方の方じゃないのですか」
自分より二回りも年下の小娘に煽られたのが気に食わないらしい。彼は突然鎖骨を押して私を投げ捨てる。バランスを崩した私は簡単に吹き飛ばされるが、そこは巫女が受け止めてくれて事なきを得た。
勝負に負けたのもそうだが、ここまで来て情報が手に入らないことにいらいらしているようだ。そうだろう、私の情報など簡単なものしか出回っていない。これを掴めば彼はきっと大出世できたはずだ。それをたった一度の、しかも半分は運要素の扑克にたった一回負けただけで人生が変わってしまったのだから、悔しいなんて言葉では表しきれないはずだ。
男は鬱憤を晴らすように飲み物が入っていた食器を床に叩きつけ、自分の腕を引っ掻く。それでも私の表情は変わらず余裕たっぷりの笑みを浮かべているものだから、彼は堪らず声を荒げた。
「お前、何者なんだよ!!ただの小娘じゃないのか!」
「ただの小娘ですよ。神に捧げる少女という謎多き小娘です」
「一つくらい情報をくれたっていいじゃないか!お前がいつまで経っても口を割らないからこっちは儲からないんだぞ」
「知りたければ扑克に勝てばいいと言っているでしょう。何、簡単ではありませんか。私はかぐや姫のように何も現に存在しないものを求めているわけではないのですよ。貴方の言ったただの小娘との勝負ごとにたった一度勝てばいいと言っているのです」
「黙れ!!!女狐が」
「お嬢様に暴言を吐かれると困ります。何せ彼女は」
それまで黙っていた巫女がにべもない態度で、客の言葉を訂正しようとする。その瞳には静かな怒りが込められていた。私は頷いて、立ち上がると微笑を崩さず言い切った。しかし、有無を言わせない、断乎として反論は認めないという圧がそこにはあった。
「私は神に捧げる少女です」
少女は『神に捧げる少女』だった。
小さな村の小さな神社のそれまた小さな小屋に住む女。
しかしただの人間ではない。
少女は17歳の年の奉納祭で神のために命を捧げる。
その代わりにとある力を手に入れた。
それは人の心を読める力だった。
少女は人ではなく、神からの使いなのだ。
マニアックなオカルト誌からはじまり、少女の正体はまことしやかに噂され、広まっている。
妖艶な笑みを浮かべた私は口紅を親指で拭き取る。
「神に与えられしこの身は人の心を読むことなど造作もないのですよ」
少女は顔色一つ変えることなく平気で虚言を弄する。
当たり前だが、そんな噂は嘘である。
少女は確かに神に捧げる少女として17歳の奉納祭で死ぬ運命だが、だからといって何か特別な力を持っているわけでも、神の使いでもなんでもない。
少女は人の心が読める訳では無い。正しくは人の感情を読むのだ。
体温、汗の匂い、目線の動き、ボディーランゲージ、癖。
何もないこの小屋の中で心理学の本を擦り切れるまで読み、学び、実践することで少女が手にしたのはまるで魔法のような、それでいて果てしなく地道な作業の積み重ねである心理戦であった。
今までに訪れた客は様々である。
編集者をはじめ、趣味で訪れる好事家や、心理学者、大金持ちの暇人。
皆、神社に金を落とし、私の正体について知ろうとする。私はその度に好奇の目を向けてくる相手に問いかけるのだ。
「扑克をしませんか?」と。
一度手を出してしまえば疑う余地はない。何故なら神に捧げる少女は負けなしだからだ。
だから騙されるのだ。淀みのない瞳で、または絶望に浸りながら、まんまと小娘の口車に乗せられるのだ。
「ということでお帰りください。私は私の仕事がありますので」
今度はきっぱりとした態度で相手を扉へと追い込む。小太りな男はひぃと情けない声を上げて、逃げるようにその場を去った。巫女が扉を閉めると私は姿勢を崩してため息を吐いた。疲れた。面白ければまだいいものの、話もつまらなければ、心理戦も下手なんて私にとっては最悪の相手である。皺のない襟を緩めてその場に横たわった。
「お嬢様、あれは言いすぎです。はしたない」
「すみません、つい調子に乗りました」
「それに疲れるまでやるものではないですよ。どうせお嬢様に利益はないのですから、そこまで必死にならなくても……」
私が扑克に勝とうがこちらには一銭も入ってこない。これは完全なる趣味の範囲だった。一人鳥籠の中で日がな一日を過ごすのはあまりに退屈だから、内緒で賭け事を始めたのに今ではこの有様だ。連日客が絶えないこの状況は、趣味の範疇をとうに超えていた。それでも何故、私がこれを続けているのかというと単純に楽しいからだ。面倒な客の相手は好きではないが、勝負をしているあの緊迫した空気と探り合いが、何もない小屋にひと時のスリルを与えてくれる。私はそれが好きだった。
あと、私の正体が公にでると色々とまずいのもある。現代日本で豊作のために人を殺しているなんて記事が出まわったら損害はこの神社だけに収まらず、村全体に多大な影響を及ぼすだろう。幾らなんでもそれは少し気が引ける。
巫女が愚痴を呟きながら身辺を整えてくれている。足元には男が怒り任せにぶちまけていった硝子とカードが混在している。飛び散った飲み物は紙製のそれにひたひたに沁みていて、インクが滲んでいた。珍しい柄のトランプだっただけによくもやってくれたなという怒りが込み上げてくる。まぁ私の所持品ではなく、用意したのは神主だが。
「せっかく立派なものでしたのに……」
「残念ですが仕方ありませんね」
同情する、というよりは彼女も同じように「あの糞客め」という憎しみめいた共感だった。私は苦笑いをしながらそっと目を逸らす。ただでさえ客とつまらないやり取りをしたのだ、その上愚痴まで聞かされたらかなわなかった。男の自慢話も長いが、女の愚痴というのはそれ以上に長く面倒だ。
視界の端でふと何かを思い出したかのように、忙しなかった彼女の顔があげられる。
「いえ、そう落ち込まなくても良いかもしれませんよ」
「……何故でしょう」
私が眉を顰めながら聞くと、巫女は足早に部屋を去る。一分も掛からないうちに帰ってきた彼女の手には、小ぶりな桐の箱があった。
「こちらをご覧ください」
まるで玉手箱のように慎重な手つきで開かれる。そこには着物の柄に似たトランプが入っていた。西洋風のものとは違い、変な艶がない。無駄なものをそぎ落とされた洗練されたデザインは高級感と落ち着きがあった。
明らかに今までの客とは違う。
それは紙に触れた瞬間に分かった。今まで使っていたそれこそ零れた飲み物で簡単に文字が滲むほどの安い防水加工の施されたそれとは違う、和紙製だった。私は驚いて巫女に目配せする。
「もしかして、がっぽがっぽなのですか?」
「はい、お嬢様には一円も入らない話ですが」
全く、私が稼いだお金で神主はとんだ富豪生活を送っているのだろう。そんな大金があるのなら少しくらいこの古びた小屋の改築費に充ててくれたっていいのに。
私のお遊びは、最早一種の商売として成り立っていた。客は面会料という名のお布施を事前に神社に奉納することで私の情報を聞き出そうとする。その金額によって用意する飲み物やお茶菓子、トランプが変わってくるのだがこのレベルの準備は初めてだった。こんな田舎の娘に高級トランプをつぎ込めるなんて相当面白い人なのかもしれない。私は若干身を乗り出して尋ねる。
「一体どんな方がお越しになるのですか?」
「とても有名な俳優さんらしいですよ」
「はいゆ……?何ですか、それ」
「テレビにでるやたらと喋りが上手くて、やたらと顔のいい人間、と言えばいいでしょうか。今回来る方はスキャンダルも一切なく、とても品のある方なのですよ」
雑すぎる説明に余計に混乱した。やたらと顔はいいの部分は心底どうでもいいが、やたらと喋りが上手いということはきっと面白い展開ができるはずだ。口が回る人は頭も回る、それで襤褸を出さないとなれば尚更良い。
「ホラー映画の撮影の為にここに勉強しに来たいとのことでしたけど、不思議ですねぇ、こんな辺鄙な村にわざわざ訪れるだなんて。お嬢様の名が密かに上がっているのかもしれません」
「……ここは心霊スポットでも何でもないんですけどね」
一応訂正をしておく。巫女が頬に手を当てて蕩けるような表情をしていることから明日訪れる客人は大層優美高妙な方なのだと思った。言動もいつも以上に気を付けなければならない。それよりも俳優なんて珍しい職業の方が来るのだ、期待で膨らむ胸を押さえて私は再び横たわる。無駄なことに使う体力は無いので客が帰ったあとは死んだように眠るのが私の習慣だった。
奉納祭は三日後だ。
三日後の今頃、私の命はない。
となれば、きっと明日来る方が私の最期の客となるのだろう。どんな客であろうと負けたくない、負けられない。
私は一眠りしてから、来る明日に備え、読心の本を夜通し読もうと決意した。
「約束は本当なのかね?」
男は嘘くさい笑みを浮かべた。言葉遣いこそ丁寧であるが、肩眉をわざとらしく上げて煽るように私を見つめる。
「えぇ、勿論です。私は貴方の知りたいことを何でも教えましょう、扑克に勝てたらの話ですけれど」
私は腹の底が読めない目を細める。カード越しの男の額に脂汗が滲んだ。それでも取り繕うかのように微笑みは絶やさない。目の前の中肉中背の男からは煙草の匂いがする。ホラーが専門のジャーナリストらしい、無精ひげを撫でながら唸るその姿は如何にもそれっぽかった。数時間前、私は訪れてきた彼ととある約束をした。「もし扑克をして、貴方が勝ったら私の情報を好きなだけ教えてあげる」と、「得た情報も、写真も記事に載せることを許可します」と。
男は私の言葉に嫌な笑みを浮かべると、二つ返事でトランプを捌き始めた。
私は長い髪を一つに括って、白い袴の袖を捲る。真夏の昼間では木陰の下に建てられた小屋とは言え、通気性がすこぶる悪いので頭がくらくらしてくる。よく言えばサウナ、悪く言えば部活動後の部室だと客は感想を漏らしていた。私たちは流れる汗を気に留めることなく、頭を回し続ける。古びた机を隔てた小さな小屋の中では二人の熾烈な争いが静かに繰り広げられていた。
いや、実際はそうでもなかった。
彼の態度は傍から見れば眉唾物に見えるかもしれない。しかし、私にとっては赤子同然だった。なんと分かりやすい男なのだろう。穴が開くほど目の前の男を観察した。しかし、あまりの観察しがいのなさに私は心の中でがっくり肩を落とす。手札の数字に検討がついてしまったので、今度は彼の今日の夕飯を当ててみようか。少女の中では最早別のゲームが繰り広げられていた。
「いいのかい、それで」
既に五枚の表が開示された状態で男は怪しげに尋ねる。私はふふふと上品に笑った。
「逆にそちらこそ良いのですか、瘦せ我慢するのはお辛いでしょうに」
「何を……俺は別に痩せ我慢など」
「ふふ、なら早くオープンしてしまいましょう」
男は小娘の口車に乗せられたことに腹が立ったらしい。「あぁいいとも!」と碌に考えもしていないくせに、とっておきを見せるかのようにカードを開示してくる。
男の手元には同じ数字の組が二つ。
私の手元に視線を戻す。同じ数字のペアが一つ、残りのカードも同じであった。
ツーペアとフルハウス。
余裕で勝ちきれなかったのが悔やまれる。やはり、陰で違うゲームを進行していたあまり、変に観察して怪しまれたのが肝だったか。この程度だったらストレートフラッシュくらいはいけたかもしれないのにとため息が漏れた。
「さぁ貴方様の負けですのでどうぞお帰りはあちらから」
「貴様、何か仕込んだだろ?」
血管が今にも切れそうな勢いで掴みかかってくる男。私は流し目ですぐ傍で微動だにしない巫女に助けを求める。しかし、白粉を綺麗に叩かれた顔は微動だにしない。自分でどうにかしろということだった。着物の襟が首に食い込んで頸動脈を巻き込みながら締め上げる、息が上手くできなくて段々と額に脂汗が滲んだ。私は気づかれないようにこっそりため息をつくと、片方の口角だけをぎこちなく上げる。
「仕込みなどあるように見えましたか?ここには貴方が持ってきたカードしかないのに。逆にわざわざそのようなことを聞くなんて、仕込んだのに勝ちきれなかったのは貴方の方じゃないのですか」
自分より二回りも年下の小娘に煽られたのが気に食わないらしい。彼は突然鎖骨を押して私を投げ捨てる。バランスを崩した私は簡単に吹き飛ばされるが、そこは巫女が受け止めてくれて事なきを得た。
勝負に負けたのもそうだが、ここまで来て情報が手に入らないことにいらいらしているようだ。そうだろう、私の情報など簡単なものしか出回っていない。これを掴めば彼はきっと大出世できたはずだ。それをたった一度の、しかも半分は運要素の扑克にたった一回負けただけで人生が変わってしまったのだから、悔しいなんて言葉では表しきれないはずだ。
男は鬱憤を晴らすように飲み物が入っていた食器を床に叩きつけ、自分の腕を引っ掻く。それでも私の表情は変わらず余裕たっぷりの笑みを浮かべているものだから、彼は堪らず声を荒げた。
「お前、何者なんだよ!!ただの小娘じゃないのか!」
「ただの小娘ですよ。神に捧げる少女という謎多き小娘です」
「一つくらい情報をくれたっていいじゃないか!お前がいつまで経っても口を割らないからこっちは儲からないんだぞ」
「知りたければ扑克に勝てばいいと言っているでしょう。何、簡単ではありませんか。私はかぐや姫のように何も現に存在しないものを求めているわけではないのですよ。貴方の言ったただの小娘との勝負ごとにたった一度勝てばいいと言っているのです」
「黙れ!!!女狐が」
「お嬢様に暴言を吐かれると困ります。何せ彼女は」
それまで黙っていた巫女がにべもない態度で、客の言葉を訂正しようとする。その瞳には静かな怒りが込められていた。私は頷いて、立ち上がると微笑を崩さず言い切った。しかし、有無を言わせない、断乎として反論は認めないという圧がそこにはあった。
「私は神に捧げる少女です」
少女は『神に捧げる少女』だった。
小さな村の小さな神社のそれまた小さな小屋に住む女。
しかしただの人間ではない。
少女は17歳の年の奉納祭で神のために命を捧げる。
その代わりにとある力を手に入れた。
それは人の心を読める力だった。
少女は人ではなく、神からの使いなのだ。
マニアックなオカルト誌からはじまり、少女の正体はまことしやかに噂され、広まっている。
妖艶な笑みを浮かべた私は口紅を親指で拭き取る。
「神に与えられしこの身は人の心を読むことなど造作もないのですよ」
少女は顔色一つ変えることなく平気で虚言を弄する。
当たり前だが、そんな噂は嘘である。
少女は確かに神に捧げる少女として17歳の奉納祭で死ぬ運命だが、だからといって何か特別な力を持っているわけでも、神の使いでもなんでもない。
少女は人の心が読める訳では無い。正しくは人の感情を読むのだ。
体温、汗の匂い、目線の動き、ボディーランゲージ、癖。
何もないこの小屋の中で心理学の本を擦り切れるまで読み、学び、実践することで少女が手にしたのはまるで魔法のような、それでいて果てしなく地道な作業の積み重ねである心理戦であった。
今までに訪れた客は様々である。
編集者をはじめ、趣味で訪れる好事家や、心理学者、大金持ちの暇人。
皆、神社に金を落とし、私の正体について知ろうとする。私はその度に好奇の目を向けてくる相手に問いかけるのだ。
「扑克をしませんか?」と。
一度手を出してしまえば疑う余地はない。何故なら神に捧げる少女は負けなしだからだ。
だから騙されるのだ。淀みのない瞳で、または絶望に浸りながら、まんまと小娘の口車に乗せられるのだ。
「ということでお帰りください。私は私の仕事がありますので」
今度はきっぱりとした態度で相手を扉へと追い込む。小太りな男はひぃと情けない声を上げて、逃げるようにその場を去った。巫女が扉を閉めると私は姿勢を崩してため息を吐いた。疲れた。面白ければまだいいものの、話もつまらなければ、心理戦も下手なんて私にとっては最悪の相手である。皺のない襟を緩めてその場に横たわった。
「お嬢様、あれは言いすぎです。はしたない」
「すみません、つい調子に乗りました」
「それに疲れるまでやるものではないですよ。どうせお嬢様に利益はないのですから、そこまで必死にならなくても……」
私が扑克に勝とうがこちらには一銭も入ってこない。これは完全なる趣味の範囲だった。一人鳥籠の中で日がな一日を過ごすのはあまりに退屈だから、内緒で賭け事を始めたのに今ではこの有様だ。連日客が絶えないこの状況は、趣味の範疇をとうに超えていた。それでも何故、私がこれを続けているのかというと単純に楽しいからだ。面倒な客の相手は好きではないが、勝負をしているあの緊迫した空気と探り合いが、何もない小屋にひと時のスリルを与えてくれる。私はそれが好きだった。
あと、私の正体が公にでると色々とまずいのもある。現代日本で豊作のために人を殺しているなんて記事が出まわったら損害はこの神社だけに収まらず、村全体に多大な影響を及ぼすだろう。幾らなんでもそれは少し気が引ける。
巫女が愚痴を呟きながら身辺を整えてくれている。足元には男が怒り任せにぶちまけていった硝子とカードが混在している。飛び散った飲み物は紙製のそれにひたひたに沁みていて、インクが滲んでいた。珍しい柄のトランプだっただけによくもやってくれたなという怒りが込み上げてくる。まぁ私の所持品ではなく、用意したのは神主だが。
「せっかく立派なものでしたのに……」
「残念ですが仕方ありませんね」
同情する、というよりは彼女も同じように「あの糞客め」という憎しみめいた共感だった。私は苦笑いをしながらそっと目を逸らす。ただでさえ客とつまらないやり取りをしたのだ、その上愚痴まで聞かされたらかなわなかった。男の自慢話も長いが、女の愚痴というのはそれ以上に長く面倒だ。
視界の端でふと何かを思い出したかのように、忙しなかった彼女の顔があげられる。
「いえ、そう落ち込まなくても良いかもしれませんよ」
「……何故でしょう」
私が眉を顰めながら聞くと、巫女は足早に部屋を去る。一分も掛からないうちに帰ってきた彼女の手には、小ぶりな桐の箱があった。
「こちらをご覧ください」
まるで玉手箱のように慎重な手つきで開かれる。そこには着物の柄に似たトランプが入っていた。西洋風のものとは違い、変な艶がない。無駄なものをそぎ落とされた洗練されたデザインは高級感と落ち着きがあった。
明らかに今までの客とは違う。
それは紙に触れた瞬間に分かった。今まで使っていたそれこそ零れた飲み物で簡単に文字が滲むほどの安い防水加工の施されたそれとは違う、和紙製だった。私は驚いて巫女に目配せする。
「もしかして、がっぽがっぽなのですか?」
「はい、お嬢様には一円も入らない話ですが」
全く、私が稼いだお金で神主はとんだ富豪生活を送っているのだろう。そんな大金があるのなら少しくらいこの古びた小屋の改築費に充ててくれたっていいのに。
私のお遊びは、最早一種の商売として成り立っていた。客は面会料という名のお布施を事前に神社に奉納することで私の情報を聞き出そうとする。その金額によって用意する飲み物やお茶菓子、トランプが変わってくるのだがこのレベルの準備は初めてだった。こんな田舎の娘に高級トランプをつぎ込めるなんて相当面白い人なのかもしれない。私は若干身を乗り出して尋ねる。
「一体どんな方がお越しになるのですか?」
「とても有名な俳優さんらしいですよ」
「はいゆ……?何ですか、それ」
「テレビにでるやたらと喋りが上手くて、やたらと顔のいい人間、と言えばいいでしょうか。今回来る方はスキャンダルも一切なく、とても品のある方なのですよ」
雑すぎる説明に余計に混乱した。やたらと顔はいいの部分は心底どうでもいいが、やたらと喋りが上手いということはきっと面白い展開ができるはずだ。口が回る人は頭も回る、それで襤褸を出さないとなれば尚更良い。
「ホラー映画の撮影の為にここに勉強しに来たいとのことでしたけど、不思議ですねぇ、こんな辺鄙な村にわざわざ訪れるだなんて。お嬢様の名が密かに上がっているのかもしれません」
「……ここは心霊スポットでも何でもないんですけどね」
一応訂正をしておく。巫女が頬に手を当てて蕩けるような表情をしていることから明日訪れる客人は大層優美高妙な方なのだと思った。言動もいつも以上に気を付けなければならない。それよりも俳優なんて珍しい職業の方が来るのだ、期待で膨らむ胸を押さえて私は再び横たわる。無駄なことに使う体力は無いので客が帰ったあとは死んだように眠るのが私の習慣だった。
奉納祭は三日後だ。
三日後の今頃、私の命はない。
となれば、きっと明日来る方が私の最期の客となるのだろう。どんな客であろうと負けたくない、負けられない。
私は一眠りしてから、来る明日に備え、読心の本を夜通し読もうと決意した。



