僕の推論を聞いて、うーんと唸りながら枕崎さんが腕組みをし、「あの人たち、これからどうするのかしら?」とつぶやいたので、「どうすると言っても、これからも少女が父に会いたいと思えるようになるまで、同じことを続けるんじゃないんですかね」と答えたら、「あなたって冷たいのね」と何故か睨まれた。

「それだと結局、少女からのアクションを待つことしかできないじゃない」
 現状を憂う彼女に、僕は反論する。
「どうしたいのか、どうするのかはあの人たちが決めることです。これからも現状維持でいいのか、現状では満足できなくなって、それを超えていく努力をするのか」
「でも、超えられるかしら、現状。私はあの少女の立場から考えてしまうけど、どんなことをしても、時間の経過以外に彼女の気持ちを変えることなんてできないと思ってしまったわ」
「そうですね。並大抵の努力では無理でしょう。一度失った信頼を回復するためには大変な困難が伴いますから。
 でも、がむしゃらに信頼回復したいという姿勢を見せ続けていれば、もしかしたら――」

「あなたがあの子の立場だったら、それで気持ち変わる?」

 枕崎さんから投げかけられた言葉が深く胸に刺さって、ぐっと言葉に詰まった。
 気持ちが変わるかだって?
 無理に決まってる。
 僕の両親が今更そんなことをしてきても、冷めた目でしか見られない。
 僕の受けた痛みや苦しみを真に彼らが理解する日など永遠に来ないと今でも思っているのだから。

「・・・無理かもしれません」
 僕は降参したかのように、彼女が予想していただろう言葉を吐き出すしかなかった。
「でしょう?」

 無言になった僕たちの間を、日陰のひんやりとした風が吹き抜けていく。

 その瞬間、あの子と自分で決定的に異なっている部分に思い至った。

 僕が両親に対して絶望的な気持ちになっているのは、彼らに対して期待することを完全に諦めてしまっているからだ。
 しかし、あの子は違う。

「でも、あの子の中にはお父さんに期待する気持ちがまだ残っている気がします」
「なぜそう思うの?」
「面会を『自分が会いたくなったときにします』って自ら申し出ているからです。もし、親に幻滅しているなら、そういう言葉が子どもの方から出ない気がするんですよね。『絶対に会いたくない』と言ってもおかしくないですから」
 僕自身に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「なるほどね。じゃあ、あの家族には希望があるんだ」
「そうであっても、希望を希望で終わらせないためには、やっぱりがむしゃらな姿勢を見せることは最低限必要なんじゃないですかね」
 僕は川の流れを見つめながらそう結論付けた。

「はあ、家族って難しすぎるわね」
 枕崎さんが無機質なコンクリートでできている高架を見上げながら、ため息をつく。
「そうですね」
 僕は自分の家族を思い浮かべながら同意する。

 なくてはならない兄。
 ずっと一緒に育ってきた兄。
 兄がいるところなら、どんなところでも、どんな劣等感を兄に持っていても、僕は生きていける。
 例えそれが、血の繋がっていない里親の両親の下でも。

 『一哉、これだけは約束して』
 一緒に同じ里親に引き取られる前、兄と二人きりで約束したことがある。
 僕には、児童養護施設に移されてからしばらくの間、自分のするべきことができなかったときに、自ら頭を叩いたり爪をむしって深爪にする自傷行為を繰り返す癖があった。
 今思えば、幼いながらに兄はそんな僕を心配して、僕の自己肯定感を上げようとしてくれていたのだと思う。
 本来なら親の役割だけど、親から否定され続けてきた僕たちに対して、真にその役割を担ってくれる人はそのとき誰もいなかった。

 『どんなことがあっても、兄ちゃんはいつでも一哉の味方だからね。兄ちゃんは、一哉がどんなことをしても、一哉のことを嫌いになったりしないよ。だから失敗しても、自分のことを責めないようにしよう。
  その代わりに一哉は、兄ちゃんが一哉のことを褒めたら、それを自分で否定しないこと。そのまま受け取って、自分はすごいんだって思うこと。分かった?』
 『うん、分かった!』
 『一哉も、兄ちゃんに同じことをしてくれる?』
 『僕も兄ちゃんのことを嫌いにならない!兄ちゃんのこと褒める!』
 『そうだね。ありがとう』
 そのときの兄の優しい言葉と笑顔は、今でも鮮明に脳裏に焼きついている。

 今回、兄が僕のことを褒めたことが分かっていたので、枕崎さんの話を無碍に断ることができなかったのだ。
 ただ、僕自身も、あの家族のように、現状維持でいいのかどうかについては、いつか考えないといけない。いつまでも兄に整えてもらった温室の中で生きていくことはできないから。

 現状を超えていくのか、そうでないのか。

 ただ、ひとまず高校生のうちは、と考える。

「僕にも、守らないといけない家族との約束がありますから」
「えっ、それって何か聞いてもいい?」
「まずは門限でしょうか」
「やだ、それ早く言ってよ!門限何時なの!?」
 途端に焦り出す枕崎さんに「冗談ですよ」と返し、僕はオレンジ味の天然水を謳った清涼飲料水を、ペットボトルから勢いよく喉に流し込んだ。
 柑橘の爽やかでほんのりと甘い味は、今日みたいな日にぴったりだと思った。