「ごちそうさま。美味かった」

 蘇芳(すおう)は綺麗にクリームあんみつを平らげた。
 満足そうな笑みに、寧々子(ねねこ)も嬉しくなる。

(やっぱり、甘いものっていいよね)

 器を下げた寧々子に蘇芳が話しかけてきた。

「ミケは朱雀(すざく)国に来たばかりなのか」
「えっ、あっ、はい……」
「では、まだこの国ことをよく知らないだろう」
「そ、そうですね」

 素性(すじょう)を隠しているので、あたふたしてしまう。

「とっておきの場所があるんだ。クリームあんみつのお礼に案内してやろう」
「えっ……」
「店主。ちょっとミケを借りてもいいか」
「あ、はい、もちろん!」

 修三(しゅうぞう)が慌ててうなずく。

「えっ、えっ……」

 寧々子が戸惑っているうちに、勝手に話が進んでいく。

「さあ、行くぞ。ミケ」
「はいっ!」

 有無を言わせず蘇芳が(うなが)してくる。
 寧々子はドキドキしながら、後をついていった。

(大丈夫……化け面をかぶってるから、絶対にバレない……)

 そう言い聞かせる。
大混乱の寧々子の心を知らず、隣を歩く蘇芳が気さくに微笑んでくる。

「町は人間界とそっくりだろう?」
「は、はい」
「人間界育ちのおまえには、見慣れた光景だろう。だが、この朱雀国にしかない場所があるんだ」
「そ、そうなんですか」

「町外れにある山の中だ。行ったことはあるか?」
「い、いいえ。私、まだこっちに来たばかりで」
「そうか。なら、おまえに見せたい」
「はい!」

 町外れの道の奥に山へと続く道があった。

「ちゃんと登山道があるから心配するな」

 蘇芳は着物姿の寧々子をちらっと見た。

「少し登るぞ。ゆっくり歩くから心配するな」

 蘇芳が手を差し伸べてくれる。
 着物姿で足下がおぼつかないため、リードしてくれるようだ。
 寧々子はドキドキしながら、蘇芳の手を取った。

「足元に気をつけろ」

 蘇芳がそっと手を握ってくる。

「はいっ」

 ぎゅっと握る蘇芳の手の大きさや温かさに、寧々子の心臓は早鐘のように打っている。

(私、すごく舞い上がってる……)

 寧々子は隣で揺れる金色の髪を見つめた。

(すごく綺麗だな。蘇芳の存在自体がまばゆい……)

「ここだ」

 しばらく山道を歩いて奥に進んでいくと、いきなり目の前が開けた。

「わあ……!!」

 そこは花の楽園だった。
 足元には蓮華(れんげ)のピンクの花畑、奥には藤棚、池の周りには菖蒲(しょうぶ)など、様々な花が咲き乱れている。

「今、初夏ですよね。でも、梅や桜、藤が咲いています……!」

 美しいが、この世のものとは思えない光景だったのがわかった。
 春夏秋冬、季節を問わず花が咲いているのだ。

「ここはなぜか一年中花が咲いているんだ。すごいだろう」
「はい……!」

 寧々子は色彩豊かな美しい光景に息を呑んだ。

(桃源郷ってこんな感じなのかも……)

 美しく穏やかで、浮世離れをしている光景にただ目を奪われる。

(そうだ。私、本当に異界の境国にいるんだ……)

 改めて、自分が人間界ではない場所にいると実感する。

「なんだかここだけ違う世界みたいです……」
「だろう? 町は人間界とあまり変わらない。だが、狭間の境国にはこういう不思議な場所があるんだ」

 自分の理解の及ばぬ場所にいるというのに、不思議と怖くはない。

(それはきっと、蘇芳と一緒にいるからだ……)

「どうだ。朱雀国も悪くないだろう?」

 寧々子の反応が気になるのか、蘇芳が顔を覗き込んでくる。

「はい」

 寧々子がくすくす笑ったのを見て、蘇芳の顔もほころんだ。
 しばらくふたりは花の楽園を静かに楽しんだ。

「どうだ、この国で暮らしてみて。何か困ったことはないか?」

 蘇芳に尋ねられ、寧々子は言葉に詰まった。
 寧々子の今の悩みは、すべて蘇芳に関するものばかりだ。

「この国の生活は楽しいです。親切な人も多いし……」
「そうか」

 蘇芳が優しく見つめてくるので、寧々子はドキドキした。

「でも……」
「どうした」

 その声音があまりに(いつく)しみに満ちていたので、寧々子はぽろっと本音をこぼしてしまった。

「私、仲良くしたい人がいて……」
「そうか」
「でも、その人は……」

 人間が、と言いかけて寧々子は慌てて口をつぐんだ。

「私があまり好きじゃないみたいで……」
「そうなのか?」
「それがつらくて……」

 蘇芳がそっと頭を撫できた。

「落ち込むよな、それは」

 あまりに優しい蘇芳の声に、寧々子は顔を上げた。
 蘇芳の眼差しは優しかった。

「だが、ミケがいい子なのは俺がよく知っている。おまえを嫌う者などいないよ。相手にも何か事情があるのだろう」
「……」

 まさしくそのとおりだった。

(人間に裏切られて信用できないものね……)

「だがな、きっと思いは伝わる。俺はそう信じている」
「蘇芳……様」
「だから、そいつのことが好きなら、諦めず話しかけてやったらいい。温かさに人もあやかしも弱い。きっと頑なな思いも溶ける時が来るさ」
「はい……」

 寧々子は蘇芳の優しい言葉に涙ぐみそうになった。

(蘇芳がそう言うなら……頑張ってみる……)

 しばし二人は美しい花の楽園を一緒に楽しんだ。

(なんだか、まるでデートしているみたい)

 寧々子はドキドキしながら、傍らの蘇芳を見つめた。