あやかしの王と甘味婚 ~婚約破棄された甘味令嬢は、朱雀王に嫁入りする~

「今日はもう閉めます……」
「ごめんなさい、私が安易に注文を取ったから……」

「いえ、お嬢さんのせいじゃありませんよ。俺ももっとあやかしのことを勉強しないと……ここは人間界じゃないんだから」

 しょんぼり落ち込む修三(しゅうぞう)を慰めて、寧々子(ねねこ)は閉店準備に入った。

「じゃあ、のれんを仕舞いますね」

 店の外に出ると、珍しく女性たちが集まっているのが見えた。

「え……?」

 その中心にいるのは、輝く金色の髪をした長身の着物姿の男性――蘇芳(すおう)だ。
 困ったように女性たちをあしらっている。

「えっ、蘇芳様!?」

 思わず声を上げると、蘇芳が寧々子に気づいた。

「ミケ! ……すまないが用事がある」

 蘇芳がなんとか女性たちの輪の中から抜け出そうと試みるが、彼女たちの壁はなかなか崩れない。

「そんなあ、蘇芳様」
「せっかくお目にかかれたのに、もう行ってしまわれるんですか?」

 女性のあやかしたちがきゃっきゃっ、と蘇芳の羽織の袖を引く。

「蘇芳様、新しい茶屋ができたんですって。ご一緒しません?」
「それより今度庭園に行きませんか? ゆっくりお話ししたいわ」

 女性たちはなんとか蘇芳を誘いだそうとしている。

(……蘇芳は女性に人気があるのね)

 考えてみれば当然だ。
 国を治める若く美しい男性――女性が放っておかないだろう。

(もしや、恋人や好きな人がいらっしゃるのかも……)
(私なんか、急遽決まった政略結婚の相手……)

 それならば、まったく自分に興味がない蘇芳の態度にも納得がいく。
 寧々子は自然とうつむいてしまった。

(私、なんでこんなにショックを受けているんだろう……)

「誘いはありがたいが、俺は妻帯者だ。受けることはできない」

 蘇芳のきっぱりした声に、寧々子ははっと顔を上げた。
 あやかしの女性たちが不満げな表情になる。

「人間の花嫁でしょ? お連れになっていませんのね」
「ああ。屋敷にいる」
「お披露目もしないし、形式だけの結婚と聞きましたわ」
「じゃあ、構わないじゃないですか」

 女性たちがすっと蘇芳の腕に手をからめる。

「悪いが、もう行く」

 やんわりと女性たちから逃れ、蘇芳が足早にこちらに向かってきた。

「ミケ! 店は開いているか? ちょっと休ませてくれ」
「は、はい」

 寧々子はのれんを外した。

(ちょうど店じまいだし、貸し切りにしてしまおう)

「なあに、あの子」
「見ない猫娘ね」

 女性たちの嫉妬の視線を感じ、寧々子は慌てて店に入った。

「朝からずっと見回りでな……」

 蘇芳がふう、とため息をつくと座敷に上がる。

「客はいないのか?」
「それが……」

 寧々子は先程まで混雑していたこと、狐の男の子が倒れたことを話した。

「桃か……」

 蘇芳の表情が曇る。

「その狐の少年はどうなった?」
「赤いものを与えるのがいいと聞いたので、餡子を食べさせました」
「おお! なるほど小豆か……! 療養所では赤じそのジュースを与えているが……。よくやった、ミケ」

 頭を撫でられ、寧々子はお面の中で赤面した。

(すごく優しい声……)

「どうした? もっと撫でて欲しいのか?」
「えっ」

 寧々子は自然と蘇芳の体に身を預けてしまっていることに気づいた。

「す、すいません!」
「構わぬ。猫の習性だろう」

(すいません、私、猫じゃないんです……!)

 寧々子は慌てて姿勢を正した。

(こんなに甘えてしまって! ちゃんとしなくちゃ!)

 寧々子は咳払いをし、話を元に戻した。

蒼火(そうび)さんがお話ししてくれたのですが、桃を使った嗜好品が出回っているそうですね」

「ああ。ただの桃ならば、多少具合が悪くなるくらいで済むのだがな。どうも混ぜ物をしているらしく、流しの商人から買った者はひどい中毒症状を起こしたり、依存症になってしまっている」
「そんな……!」

 あまりに悪意のある使われ方だ。

「いったい誰が何の目的で……」
「金目当てなのか、それともあやかしを狩りたいのか……。どちらにしろ、朱雀(すざく)国に悪影響を及ぼす。早く手を打ちたいのだが……聞き込みも(かんば)しくなくてな」
「そうですか……」

 面をつけている者も多いし、犯人は紛れ込みやすいだろう。
 蘇芳がため息をつく。

「これ以上被害が広がり犯人が捕まらないのであれば、国民に注意喚起も必要だがどれほど効果があるか……」
「そうなのですか?」

「あやかしたちが皆、店を持っているわけではない。流しの商人はもちろんのこと、物々交換も盛んだ。いちいちそんな商売を取り締まるわけにもいかないし、タバコや菓子の売買を禁ずるわけにもいかない」

 お手上げだというように、蘇芳が宙を仰ぐ。

「せめて、犯人に辿り着ける何かが見つかればいいのだが……」
 蘇芳(すおう)が座敷に手をついた。

「朝からずっと駆けずり回っていたからな。休ませてもらえてありがたい」

 蘇芳はすっかりくつろいだ様子で足を崩している。

(本当に全然私に気づいていないんだな……)

 無防備な姿をさらしている蘇芳は、まるで幼い少年のようだ。

(十年前と変わらない笑顔……)

 そんな蘇芳の様子に、寧々子(ねねこ)は思いきって口を開いた。

「あの、蘇芳様のところに人間の花嫁が来たって……」
「ああ、よく知ってるな」
「え、ええ。結構噂になっています」
「そうか。まだ公表はしていないが。人の口に戸は立てられないな」

 蘇芳は気を悪くした風もなく、口の端に笑みを浮かべている。
 もう少し切り込んでも大丈夫そうだ。

「に、人間の花嫁って珍しいですよね。もしかして、お知り合いとか……?」

 寧々子はさりげなく、十年前のことをほのめかしてみた。

「いいや」

 考えるまでもなく、あっさり断言される。

(全然覚えていないんだ……。そうだよね、あんな昔のこと……)

 寧々子は勇気を振り絞り、更に踏み込んだ。

「その……花嫁さんはどんな方なんですか?」

 心臓が大きく跳ねて、蘇芳の顔を見られない。

(ドキドキする……)

「さあな。ほとんど話していない」

 蘇芳の目が遠くなる。

「な、なんで話さないんですか? 花嫁ですよね?」
「人間は信用できない」
「そんな……」

 寧々子はおろおろとした。
 蒼火(そうび)が話していた蘇芳の過去の傷は今もなお、くっきり残っているのが見てとれた。

「で、でも、ここの和菓子職人さんも人間です。人間、って言ってもいろんな人がいます」
「そうだな……」

 蘇芳がくすっと笑った。

「この国では人間を積極的に受け入れているし、共存していくつもりはある」

 蘇芳が羽織をポンと叩いて見せた。

「たとえば今日は着物だが、昨日来ていた洋装は人間界から友好の印として贈られたものだ。あれはあれで動きやすくていい」
「そうなんですね……」

 洋食もそうだが、蘇芳は人間界のものをちゃんと取り入れている。

「とはいえ洋装を着るのは、人間界と盟約を結ぶアピールの一つだ。だが、本当に人間に気を許すことはできない」
「そ、そんな……!」

 寧々子の愕然とした様子に、蘇芳がふきだした。

「おかしな奴だな。なぜそんなに人間をかばう? 人間に可愛がられて育ったのか?」
「……」

 人間界で、寧々子もつらい目に遭ってきた。
 家族ですら、愛情を疑う時もある。
 でも、最初から壁を作られているのは悲しい。

「そうじゃなくて……せっかく嫁入りしてきたのだから、最初から疑うんじゃなくて……」

 うまく言葉にできない。
 何を言っても、自分をかばうような気がしてしまう。
 そもそも、自分は正体を偽って蘇芳と話しているのだ。
 要は(あざむ)いているに他ならない。

(確かに、これじゃ信用されないわ……)

 ふう、と蘇芳が息を吐いた。

「花嫁といっても形だけだ。親の借金の返済のためにここに来たらしい」

 蘇芳から見ると、そうなってしまうのか。
 それも事実だが――。
 寧々子はぽつりとつぶやいた。

「きっとその方、寂しいと思います」
「そうだな……」

 蘇芳が素直に認めたので、寧々子はお面の下で目を見張った。

「あやかしばかりのこの国で心細いだろう」

 蘇芳が目を伏せ、考え込む。

「本当は俺が寄り添うべきなのだろうな……」
「……っ」

 蒼火の言っていた言葉は本当だった。

(確かに、優しい人だわ。蘇芳様は……)

 蘇芳が金色の髪を大きくかきあげる。

「俺は未熟者だな。心を許すのが怖いのだ。またひどく傷つけられるのでは、と身構えてしまう」

 過去に何があったのが詳しくは知らないが、蘇芳が心に大きな傷を負っているのが伝わってくる。

「げ、元気だしてください! 蘇芳様は頑張っておられます! 一日中国を守るために尽くして――」

 寧々子はいたわるように蘇芳を見つめた。
 蘇芳の大きな背中が、なぜか小さく頼りなく見えた。

「少しずつ……でいいんじゃないでしょうか! ちょっと声をかけるとか、一緒の時間を作るとか……」
「そうだな。仕事を言い訳にしてしまっているな……」

 ポンと頭に手がのせられる。

「ありがとう、ミケ。おまえといるとホッとする」

 包み込むような優しい目に、寧々子はドキドキした。

「そ、それならよかったです!」
「おまえといると元気が出るな」

 ふっと蘇芳が笑む。

「早く事件が解決すればいいな。三毛猫の御利益(ごりやく)をくれ」

 そう言うなり、蘇芳は寧々子の頭を撫でる。

「ご、御利益?」
「福招きの猫だろう、三毛猫は」
「は、はいっ!」

 みけねこ――なんだか本名の三池寧々子を誉められた気がして嬉しかった。

(お面を被っているだけで、こんなに自然に楽しく話せる……)
(王とあやかしという関係だったら)
(私は私なのに)
(うまくいかないな……)

 いっそ、お面をとってしまいたい衝動に駆られる。
 でも、そうしたら、この幸せなひとときが一瞬で壊れてしまう。

 寧々子は膝の上でぐっと手を握った。
蘇芳(すおう)様、どうぞ」

 修三(しゅうぞう)がそっとお茶を出した。

「ありがとう。すまないな、客でもないのにくつろいでしまって。どうもこの店は落ち着くので甘えてしまう」
「もったいないお言葉です」

 修三が恐縮したように盆を抱きかかえる。

「私のような人間にも門戸(もんこ)を開いてくださって感謝しています」
「いや、こちらこそ職人が来てくれるのはありがたいよ。皆の生活レベルが上がる」

 蘇芳がお茶をすする。
 修三が寧々子(ねねこ)に向き直った。

「お嬢さんもお疲れさま。何か甘い物でも食べますか?」
「そうですね……」

 修三の言葉に、ちらっと蘇芳がこちらを見てくる。
 なんとなく羨ましそうだ。

(そうよね、疲れている時に甘味はいい気晴らしになる……)

 寧々子はピンと来た。

(いい考えがあるわ)

 寧々子は蘇芳の顔を覗き込んだ。
 猫の化け面をかぶっているせいか、どんどん大胆に行動できる。
 至近距離にいるにもかかわらず、蘇芳が自分にまったく気づいていないという余裕のおかげだ。

「蘇芳様は今、飲食店の見回りをしているんですよね? 怪しいものがないか、チェックをしている、と」
「ああ」

「では、この店の商品もチェックしてもらえませんか?」
「え? でも俺は甘味は……」
「でも、王のお仕事なんですよね? この店だけ特別扱いするわけにはいかないのでは?」

 思わせぶりに言うと、蘇芳は意図(いと)を理解したようでそわそわし始めた。

「うむ。そうだな。実際食べないとわからないな」
「試食をご用意しますね」

 実は蘇芳に食べてもらいたいものがあった。
 気に入ってくれたら、今日の晩ご飯のデザートに取り入れるつもりだ。
 寧々子はいそいそと厨房に入った。

「あの、修三さん。ちょっと新しいデザートを作りたいんだけど……」

 修三はピンと来たようだ。

「朝から作ってたやつを使って……?」
「そうです」
「蘇芳様に出してもいいですか?」
「もちろんですよ! 蘇芳様にはウチの甘味をぜひ召し上がっていただきたかったので」

 修三は昨日の事件の恩義を深く感じているらしい。

「では、ちょっと失礼しますね」

 寧々子は厨房に行き、ずっと考えていた甘味を作ってみた。

「お待たせしました」

 寧々子はガラスの器に乗せた甘味を蘇芳の前に置いた。

「クリームあんみつです」
「クリーム……? この白いふわふわしたものか」
「はい。あんみつの上にホイップクリームを乗せました。和洋折衷(せっちゅう)の甘味です」
「ほお!」

 初めて見る甘味に蘇芳の目が輝く。
 洋菓子店の跡継ぎである俊之(としゆき)との縁談が持ち上がったとき、寧々子は洋菓子の勉強したのだ。

 せっかく和菓子と洋菓子の店が結ばれたのだから、それぞれを組み合わせた新しい甘味が作れないかと考えた。
 その一つがクリームあんみつだ。

 寧々子はドキドキしながら、蘇芳を見つめた。
 蘇芳があんみつとクリームをすくい、一気に口にいれる。
 その赤い瞳が大きく見開かれた。

「うまいな!」

 掛け値無しの賞賛に嬉しく思う反面、寧々子は少し落ち込んだ。

(昨晩の晩ご飯、頑張ったんだけどな……)

 蘇芳から返ってきたのは、「まあまあ、だな」の一言だった。

(しょうがないよね。職人の作ったものと素人の私の手料理じゃ)

 それでも、自分が新しく組み合わせて作った甘味が誉められるのは嬉しかった。

「ごちそうさま。美味かった」

 蘇芳(すおう)は綺麗にクリームあんみつを平らげた。
 満足そうな笑みに、寧々子(ねねこ)も嬉しくなる。

(やっぱり、甘いものっていいよね)

 器を下げた寧々子に蘇芳が話しかけてきた。

「ミケは朱雀(すざく)国に来たばかりなのか」
「えっ、あっ、はい……」
「では、まだこの国ことをよく知らないだろう」
「そ、そうですね」

 素性(すじょう)を隠しているので、あたふたしてしまう。

「とっておきの場所があるんだ。クリームあんみつのお礼に案内してやろう」
「えっ……」
「店主。ちょっとミケを借りてもいいか」
「あ、はい、もちろん!」

 修三(しゅうぞう)が慌ててうなずく。

「えっ、えっ……」

 寧々子が戸惑っているうちに、勝手に話が進んでいく。

「さあ、行くぞ。ミケ」
「はいっ!」

 有無を言わせず蘇芳が(うなが)してくる。
 寧々子はドキドキしながら、後をついていった。

(大丈夫……化け面をかぶってるから、絶対にバレない……)

 そう言い聞かせる。
大混乱の寧々子の心を知らず、隣を歩く蘇芳が気さくに微笑んでくる。

「町は人間界とそっくりだろう?」
「は、はい」
「人間界育ちのおまえには、見慣れた光景だろう。だが、この朱雀国にしかない場所があるんだ」
「そ、そうなんですか」

「町外れにある山の中だ。行ったことはあるか?」
「い、いいえ。私、まだこっちに来たばかりで」
「そうか。なら、おまえに見せたい」
「はい!」

 町外れの道の奥に山へと続く道があった。

「ちゃんと登山道があるから心配するな」

 蘇芳は着物姿の寧々子をちらっと見た。

「少し登るぞ。ゆっくり歩くから心配するな」

 蘇芳が手を差し伸べてくれる。
 着物姿で足下がおぼつかないため、リードしてくれるようだ。
 寧々子はドキドキしながら、蘇芳の手を取った。

「足元に気をつけろ」

 蘇芳がそっと手を握ってくる。

「はいっ」

 ぎゅっと握る蘇芳の手の大きさや温かさに、寧々子の心臓は早鐘のように打っている。

(私、すごく舞い上がってる……)

 寧々子は隣で揺れる金色の髪を見つめた。

(すごく綺麗だな。蘇芳の存在自体がまばゆい……)

「ここだ」

 しばらく山道を歩いて奥に進んでいくと、いきなり目の前が開けた。

「わあ……!!」

 そこは花の楽園だった。
 足元には蓮華(れんげ)のピンクの花畑、奥には藤棚、池の周りには菖蒲(しょうぶ)など、様々な花が咲き乱れている。

「今、初夏ですよね。でも、梅や桜、藤が咲いています……!」

 美しいが、この世のものとは思えない光景だったのがわかった。
 春夏秋冬、季節を問わず花が咲いているのだ。

「ここはなぜか一年中花が咲いているんだ。すごいだろう」
「はい……!」

 寧々子は色彩豊かな美しい光景に息を呑んだ。

(桃源郷ってこんな感じなのかも……)

 美しく穏やかで、浮世離れをしている光景にただ目を奪われる。

(そうだ。私、本当に異界の境国にいるんだ……)

 改めて、自分が人間界ではない場所にいると実感する。

「なんだかここだけ違う世界みたいです……」
「だろう? 町は人間界とあまり変わらない。だが、狭間の境国にはこういう不思議な場所があるんだ」

 自分の理解の及ばぬ場所にいるというのに、不思議と怖くはない。

(それはきっと、蘇芳と一緒にいるからだ……)

「どうだ。朱雀国も悪くないだろう?」

 寧々子の反応が気になるのか、蘇芳が顔を覗き込んでくる。

「はい」

 寧々子がくすくす笑ったのを見て、蘇芳の顔もほころんだ。
 しばらくふたりは花の楽園を静かに楽しんだ。

「どうだ、この国で暮らしてみて。何か困ったことはないか?」

 蘇芳に尋ねられ、寧々子は言葉に詰まった。
 寧々子の今の悩みは、すべて蘇芳に関するものばかりだ。

「この国の生活は楽しいです。親切な人も多いし……」
「そうか」

 蘇芳が優しく見つめてくるので、寧々子はドキドキした。

「でも……」
「どうした」

 その声音があまりに(いつく)しみに満ちていたので、寧々子はぽろっと本音をこぼしてしまった。

「私、仲良くしたい人がいて……」
「そうか」
「でも、その人は……」

 人間が、と言いかけて寧々子は慌てて口をつぐんだ。

「私があまり好きじゃないみたいで……」
「そうなのか?」
「それがつらくて……」

 蘇芳がそっと頭を撫できた。

「落ち込むよな、それは」

 あまりに優しい蘇芳の声に、寧々子は顔を上げた。
 蘇芳の眼差しは優しかった。

「だが、ミケがいい子なのは俺がよく知っている。おまえを嫌う者などいないよ。相手にも何か事情があるのだろう」
「……」

 まさしくそのとおりだった。

(人間に裏切られて信用できないものね……)

「だがな、きっと思いは伝わる。俺はそう信じている」
「蘇芳……様」
「だから、そいつのことが好きなら、諦めず話しかけてやったらいい。温かさに人もあやかしも弱い。きっと頑なな思いも溶ける時が来るさ」
「はい……」

 寧々子は蘇芳の優しい言葉に涙ぐみそうになった。

(蘇芳がそう言うなら……頑張ってみる……)

 しばし二人は美しい花の楽園を一緒に楽しんだ。

(なんだか、まるでデートしているみたい)

 寧々子はドキドキしながら、傍らの蘇芳を見つめた。
 蘇芳(すおう)とのデートを終えた寧々子(ねねこ)は、ふわふわした足取りで店に戻った。

「お嬢さん、大丈夫ですか?」

 修三(しゅうぞう)に何度も聞かれるほど、夢見心地で寧々子は店じまいを手伝った。

(蘇芳とあんな時間を過ごせるなんて……!)

 だが、浮かれた気持ちを慌てて押し殺す。

(あれは……私じゃんくてミケだから……)
(人間の私と知ったら、きっとあんな風に笑いかけてくれないわ……)
(でも、私は人間だし)

 寧々子は落ち込みかけた心を奮い立たせた。

(でも、思いを続けていたら、きっと伝わるって言ってくれた)
(頑張るしかない!)

 寧々子は気持ちを新たにした。
 後片付けを終えると、修三が箱を手渡してくる。

「これ、残り物で悪いけど持って帰ってください」

 箱には和菓子がぎっしりと詰められていた。

「手伝ってもらってるのに、こんなお返ししかできなくて悪いですが……」
「嬉しい。ありがとう修三さん」

 寧々子は手に和菓子を持って家路についた。
 美味しい和菓子がたくさんあると思うと気持ちが浮き立つ。

(そうだ。せっかくこんなに美味しいのだから、他の人にも食べてもらいたい)

「ただいま」

 屋敷に戻ると、珠洲(すず)が飛ぶようにして駆けてくる。

「寧々子様! お帰りなさいませ。ご無事で何よりです」
「ありがとう。ね、このあと、一緒にお茶しない?」
「お茶ですか? はい……」

 珠洲がきょとんとしている。

「珠洲さんは甘いものって好き?」

 寧々子の問いに、珠洲がぱっと顔を輝かせる。

「好きです! でも、滅多に食べられなくて……」

 朱雀(すざく)屋敷では、蘇芳が食べないから置いてないのだろう。

「ちょうどよかった。甘味をもらってきたの」
「チュン!!」

 興奮したのか、珠洲の手が鳥の羽に変わる。

「あっ、あっ」
「落ち着いてね。私はあやかしの姿でも大丈夫だけど……」
「はいっ! でも、人の姿の方が食べやすいので!」

 珠洲がなんとか手を人の形に戻した。

「ふふっ、すぐに戻ったわね」

 食い意地の力はすごい。

「ねえ、銀花(ぎんか)さんも誘いたいんだけど……厨房に行ってもいいかしら」

 銀花には快く厨房を貸してもらっている。
 改めてちゃんとお礼をしたかった。

「今の時間なら、『滝の間』にいらっしゃるんじゃないでしょうか」
「滝の間?」

「中庭に小さな滝があって、それに面したお座敷です。銀花さんが休憩しているときは、よくそこにいます」
「そうなの、じゃあ、行ってみましょう」
「はいっ!」

 珠洲を連れて『滝の間』に行くと、白銀色の長い髪をおろした銀花がひとり滝を見つめていた。

「銀花さん、こんにちは」

 寧々子が声をかけると、はっと振り向く。

「なあに。休憩時間だから、厨房なら好きに使っていいわよ」
「あ、いえ、そうではなく……。一緒におやつを食べませんか?」
「おやつ?」
「ええ。人間の和菓子職人が作った甘味なんですけど」
「えっ」

 銀花の色の薄い目が輝いた。

「甘味って何?」
「豆大福、どら焼き、練り切り……いろいろありますよ」
「いいの? そんな貴重なものをいただいて……」

 銀花が遠慮がちに言う。
 やはりこの国では、ちゃんとした和菓子は貴重なのだ。

「もちろんです! お世話になっているお礼なので!」
「そう……。じゃあ、いただくわ。職人さんが作った和菓子なんて久しぶり。そうとなれば、いいお茶をいれなきゃね!」

 銀花がいそいそと座敷を出ていく。

「じゃあ、ここでおやつ会をしてもいいかしら」
「大丈夫です! 寧々子様は王の花嫁なのですから」

 珠洲がいそいそと座布団を用意する。
 銀花が三人分のお茶と小皿を持ってきてくれる。

「わあ、素敵ですね。このお皿」
「ふふっ。陶器市で私が選んだのよ」

 寧々子はさっそく持ってきた甘味を皿に載せた。

「わあ……」
「いいね。華やかで」

「ちなみに、豆大福とどら焼きは職人さんが作ったんですが、練り切りは私のお手製です。練習にたくさん作ったので余ってしまって……」
「へえ。あんたこんな特技があったの」

 銀花が花や果実の形をした練り切りをまじまじ見つめる。

「なかなか上手じゃない」
「生地は職人さんが作ってくれたので、味はたぶん大丈夫だと思うんですけど……」
「ふふ、これ面白いわね。みかんそっくり」

 銀花が橙色の練り切りをひょいとつまんで口に入れる。

「うん! 美味しい! これはいい職人さんだね!」

 銀花の掛け値無しの賞賛に、ホッとする。
 銀花の作る料理は丁寧に作られていて、しっかりとした味付けだ。
 つまり、舌が肥えているということに他ならない。

 そんな銀花が誉めているのだから、やはり修三の腕前は本物だ。
 珠洲はと見ると、必死で豆大福にかぶりついている。

「あーあ、この子はもう。粉だらけでしょ」

 銀花に口周りを拭かれながらも、珠洲が無心で大福にかぶりついている。

「おいひいです!」
「口にものを入れたまま喋らないの!! ああー、また粉が飛び散って……」

 銀花が呆れながら机を拭く。

「私も豆大福をもらおうかね。人間の作った甘味は久しぶりだが、やはり美味いね……」
「銀花さんは和菓子を食べたことが?」

「ああ。私はずっと人間界にいたらからね」
「そうなんですか!?」

 寧々子は驚いて声を上げてしまった。
 朱雀(すざく)屋敷の料理を一手に任されている雪女、銀花(ぎんか)が人間界出身と聞いて寧々子(ねねこ)は一瞬驚いた。
 だが、すぐ合点(がてん)がいった。

(そうよね。でなければ、あんな洗練された料理は出せない……)

 銀花が上品に豆大福を口にする。

「私はもともと人間界の生まれなんだ。このとおり雪女だから、雪国出身でね。冷たい料理しか食べてこなかったんだが、温かい食べ物に慣れてきて、だんだん体が馴染んできていろんなものが食べられるようになった」
「そうなんですか」

「料理に興味があったから、あちこちの店に弟子入りしてね。腕を磨いたのさ」
「ああ、それでいろんな料理を作れるんですね!」
「まあね」

「ずっと人間界にいたのに、なぜ朱雀国へ?」
「……」

 銀花が色の薄い目で寧々子を見つめる。
 聞いてはいけない質問だっただろうか。
 寧々子は息を呑んで銀花を見つめた。
 銀花がおもむろに口を開く。

「一緒に暮らしていた男がいたんだ。そいつが病で亡くなって……もう料理を作る気も失せてね。そんなとき、蘇芳(すおう)様から声をかけてもらったんだ」
「そうなんですね……!」

 もしかしたら、銀花が料理に興味を覚えたのは、その男性に食べさせてあげたいと思ったからかもしれない。
 寧々子はふと、そう思った。

「これも美味しいですよ!」

 しんみりした空気を破るように、珠洲(すず)が無邪気な声を上げる。

「あんた、もう! ボロボロこぼして!」

 どら焼きの生地が机にパンくずのように落ちている。

「だって、人間の体にまだ慣れてなくて!」
「言い訳せずに、綺麗に食べる練習をしなさい! あんたは()えある朱雀屋敷の女中なんだからね!」

 まるで親子のようなやり取りをしているふたりに、笑みがこぼれてしまう。
 こうやって美味しいものを食べているときは、人間もあやかしも変わらない気がする。

(おやつ会をしてよかったな……)
(不思議……)
(近所の人や友達と話しているみたい)
(とても自然だ……)

 甘味があると、話が弾む。
 普段ならとても聞けないようなことも、さらっと口に出せる。

「うひゃあ!!」

 珠洲が奇声を上げたかと思うと、ポンと雀の姿になった。

「わっ!」

 寧々子は感嘆の声を上げた。

「可愛い! やっぱり珠洲さんって雀のあやかしだったんだ」
「す、すいません~。これ、美味しすぎて!」

 珠洲が食べていたのは、梅の花の形をした練り切りだ。

「ふふ、ありがとう」

 興奮しすぎると、あやかしの姿に戻ってしまうらしい。
 自分は錬って形を整えただけだが、やはり嬉しかった。

「あんたはもう……早く人に化けなさい」
「はい! えいやっ!」

 珠洲が気合いの入った声を出すと、あっという間に人の姿に戻った。

「そういえば珠洲さんは異界から?」
「いいえ。私も人間界生まれですよ」
「そうなの!?」

「ええ。人間界に雀のあやかしは多いです。紛れられますからね」
「ああ、確かにそうね……」

 鬼やのっぺらぼうがいたら大騒ぎだが、雀のあやかしなら誰も怪しまない。
 これまでただの雀と思って見ていたのが、もしかしたらあやかしの雀が混ざっていたのかもしれない。

「私も蘇芳様に声をかけてもらったんですよ。ひとりぼっちだったんで、喜んで来ました!」
「そうなの……」

 ここは異界と人間界の狭間。
 どちらにも居場所のないあやかしや人を受け入れている。

(やっぱり、優しい方なのよね、蘇芳様は……)

 今日だって、クリームあんみつのお礼にと、素敵な場所に連れていってくれた。

(嬉しかったなあ……)

 屈託のない笑顔は、ミケの時にだけ見せてくれる。

(人間の私には見せてくれない……)

 寧々子はため息をついた。


(今晩、一緒にご飯を食べてくれるだろうか……)
 たわいもない話をしているうちに、たくさんあった甘味もなくなった。

「ご馳走様でした!」
「美味かったよ。職人さんにもお礼を言っておいて」
「はい!」

 かなりの量だったが、三人でぺろりと平らげてしまった。

「楽しかったです……。またおやつ会しましょう」
「したいしたい! 毎日でもいい!」
「あんたはまたそうやって調子に乗って!」

 銀花がじろりと珠洲を睨む。

「まあでも、いろいろ話せてよかったよ」

 銀花がふっと微笑む。

「厨房に行くかい? 今日も一品作るんだろ?」
「はい!」

 寧々子は勇んで立ち上がった。
 日が沈み、クタクタになった蘇芳(すおう)は屋敷に向かって歩いていた。

(今日も忙しすぎる……)

 あちこちで揉め事が起きていて気が休まらない。
 甘味処で一服できなかったら、と思うとぞっとする。

(美味しかったな……)

 疲れていた体にさっぱりしたあんみつと、甘く柔らかいクリームが染みた。

(あのホイップクリームというやつはいいな……)

 初めて食べたが、すっかり気に入ってしまった。

(あんなものを食べたのは初めてだ。人間界で流行しているのもわかる……)

 蘇芳にとって人間界は忌避すべき場所なので諦めていたが、あの甘味処で出してくれるならまた食べられるかもしれない。

(いや……甘味を食べるなと言われているんだったな)

 すっかり再訪するつもりだった自分に苦笑する。

(腹が減ったな……そうか、今日も晩ご飯を寧々子(ねねこ)と一緒に食べるのか)

 昨晩のオムライスを思い出すと、お腹がぐう、と鳴った。

(付け合わせの甘味も美味かったな……)

 寧々子とミケの機転で、久しぶりに甘味が食べられた。

(つい、うっかり乗せられてしまう……)

 あやかしの王たる自分が、年下の女の子たちの手のひらの上で転がされている。
 だが、不快ではなかった。
 むしろ、少し楽しくもあった。

(今日は一品だけ作る、と言っていたな。銀花(ぎんか)と交渉したのか……)

 縄張り意識の強い銀花から、厨房を使う許しを得ているのであれば快挙だ。

(今日はいったいどんな――)

 蘇芳はついつい楽しみにしてしまっている自分に気づいた。

(相手は人間の女だぞ。気を許してはいけない。どんなしっぺ返しを食らうかもわからない)

 そう思いつつ、食べる自分を一心に見つめてくる寧々子の眼差(まなざ)しに嘘はない気がする。
 ふと、ミケを連れていった花畑が浮かんだ。

(ミケはとても喜んでいたな……)
(人間界にはない光景だから、とても驚いていた)
(他意はなかったが、デートみたいだったな……)

 仮にも自分の妻である寧々子を差し置いて、他の女の子をとっておきの場所に案内した後ろめたさがわき上がった。

(晩ご飯のお礼に、寧々子を連れていくか……?)
(いや、不用意に人間に気を許すわけにはいかない)

 座敷に行くと、既に寧々子がお膳の前に座って待っていた。

「蘇芳様! お帰りなさいませ」

 寧々子の裏のない笑顔に、思わず微笑み返しそうになるのをこらえる。

「ああ。待たせたな。いただくか」
「はい!」

 二人は銀花の料理に手をつけた。

(今日は豚肉の生姜(しょうが)焼きか……。うん、照りがちょうどいい)

 銀花の料理に舌鼓を売っていた蘇芳は、座敷がしん、と静まり返っているのに気づいた。

(……せっかく二人で食べているのだ。何か話したほうがいいか)

「今日はどうしていた」

 寧々子がびくりと肩を上げ、箸を取り落としそうになる。

「えっ、あっ、あの、散歩を」
「そうか」

 屋敷の中庭は広い。池も滝もあるし、それなりに見応(みごた)えがあるだろう。
 たった一人で嫁に来たとはいえ、珠洲(すず)もいるし寂しくはないだろう。

 そう思いつつも、広い屋敷にひとりぼっちにしているという罪悪感はある。

(たった一人で異界に来て、家族も友人もいない……)
(本来なら、夫である俺が無聊を慰めるのが筋だが……)

 そのとき、蘇芳はふと気づいた。
 寧々子の茶碗のご飯が減っていない。

「あまり食が進まないようだな。口に合わないか」
「そんな! 銀花さんのご飯は美味しいです」
「なら、どうして食べない」

 寧々子が言いづらそうに口を開く。

「……ちょっとおやつを食べ過ぎたみたいで」
「おやつ?」

 甘味など屋敷に置いていないはずだ。

「美味しかったですよ。珠洲もお土産(みやげ)をもらいました!」

 お茶のお代わりをもってきた珠洲が、ちょうど耳にしたのか話に入ってくる。

「お土産? どこの」
「新しくできた甘味処です。寧々子様と同じ人間が店主だそうで。さすが人の作った甘味! とにかく繊細な作りで、中身も凝っていて……最高です!」

 珠洲が興奮しすぎて、ポン、と雀の姿に戻ってしまった。

「わっ!」

 寧々子が驚いたように声を上げる。
 それも当然。人間にとっては衝撃的な姿のはずだ。

 おろおろしている珠洲をかばおうと、蘇芳が口を開きかけたときだった。

「ふふ! 興奮しちゃったのね」

 寧々子が楽しげに笑っている。

「はっ、はい……。すいません!」

 珠洲が恐縮したように、翼を抱えるようにして小さくなる。
 屋敷では人の姿を取るのが当たり前で、しかも人間の花嫁付きの女中である珠洲は特に厳しく言いつけておいた。

 此度(こたび)の人との婚姻は、朱雀国においてとても重要な意味がある。
 万一にも人間の花嫁を怯えさせて、逃げ帰りたいなどと言われるわけにはいかないのだ。

 なのに、珠洲はよりにもよって蘇芳の目の前で、その命令を破ってしまった。
 動揺した珠洲が小さく震えている。

「落ち着いたら大丈夫よ」

 優しく思いやりのある声音に、蘇芳は驚いた。
 食事中の女中の失態、しかもあやかしの姿を取っているのに寧々子はまるで動じる様子がない。

(この娘、あやかしの姿を間近に見て平気なのか?)

 それどころか、雀になってしまった珠洲の頭を指先で優しく撫でている。

(変わった娘だ……)

「珠洲、下がれ」
「はいっ」

 珠洲が慌てたように羽ばたいて座敷を出ていった。
 動揺しすぎて、人に化けるのに時間がかかりそうだ。

「すまない。女中が失礼をした」
「えっ、別に失礼なんて……」

 寧々子がきょとんとしている。

「ところで、甘味処に行ったのか」

 寧々子がぎょっとしたような表情になった。
「おまえが行ったのは、人間の(いとな)む甘味処……のっぺらぼうの店主の店だな」

 朱雀(すざく)国で人間のやっている甘味処など一つしかない。

「はい……」

 寧々子(ねねこ)がうなだれる。

珠洲(すず)といい、寧々子といい、なぜ俺の言いつけを破るのだ……)

 蘇芳(すおう)はため息をこらえた。

(叱りたくなどないというのに……)

「屋敷から出るなと言ったはずだが……」
「すいません、町の様子が気になって、蒼火(そうび)さんに無理を言って出かけたんです。蒼火さんを怒らないでください」

(俺も今日、あの店に行ったが会わなかったな……)

 だが、ちょうど店じまいのタイミングでのれんを仕舞うところだった。
 寧々子と蒼火はその前に寄っていたのだろう。

(行き違いか……)

 寧々子が肩を落とし、しょんぼりしている。
 落ち込んでいる寧々子の姿に心が痛む。

(ずっと屋敷にいろ、と言ってしまったが、それも(こく)な話だな)

 人間の娘からするとずいぶん窮屈だったに違いない。
 今、朱雀国は治安が良くないうえ、人間の娘は目立つ。
 危害が及ばないようにと言えば聞こえはいいが、要は厄介事を増やしたくないという自分勝手な考えだ。

「……危険な目には遭わなかったか?」
「え? あ、はい。蒼火さんも一緒でしたし、楽しかったです」

 寧々子がほっとしたような表情になった。

(確かに蒼火がついているなら、町に出ても問題はないだろう)
(しかし、それにしても蒼火のやつ……)
(俺の言いつけに背いて連れ出すとは……)
(いや、外出したがる寧々子を心配してついていったのか?)

 蒼火は冷静沈着だが、優しい男だ。
 寧々子にほだされたとしても仕方ない。

(それにしても本当に変わった娘だ)

 あやかしばかりの町に自ら出向くなど、恐ろしくなかったのだろうか。

「勝手な真似をして申し訳ございません。でも、私もっと朱雀国のことを知りたいんです。夜には必ず戻りますので、今後出かける許可をください」
「……」

 もう認めざるを得なかった。
 寧々子は蘇芳が思うような、あやかしに偏見を持つ人間の娘ではない。
 それどころか、朱雀国に馴染もうと努力しているのだ。

「……わかった。だが、なるべく蒼火を連れていけ。甘味処くらいならいいが、裏路地や町外れなど人気がない場所には行くな」
「は、はい!」

 寧々子の顔がぱっと輝く。
 蘇芳は思わず目をそらせてしまった。

(可愛い、などと……人間の娘に……思うわけがない)

 食事を食べ終えると、寧々子が腰を上げた。

「あ、あの、私、一品だけ作ったんです。銀花さんに頼んで……。よかったら召し上がっていただきたいのですが」
「わかった」

 蘇芳は首肯した。
 いったい何が出てくるのかと楽しみにしている自分がいる。
 いそいそと寧々子が小皿を出してきた。

「こちらです」
「……? これは……」

 小さな赤い実に緑色のヘタがついている。

「ミニトマトか……?」

 異界では滅多に見られない、珍しい舶来の野菜だ。

「召し上がっていただければわかります」
「……」

 小皿についていたフォークを刺すと、柔らかい身にすっと通る。
 蘇芳は赤い実を口にした。

「……っ!」

 甘い餡の感触の次に、とろりと柔らかいクリームが口の中に溢れる。

「これは……」

 密かに期待していたとおり、野菜に見立てた甘味だ。
 だが、昨日の金団(きんとん)の素朴な味わいとはまた違う、濃厚な甘みだ。

「赤い練り切りの中に、小豆を混ぜたクリームを詰めました」
「ほう……」
「朱雀国では赤いものが体にいいと聞きましたので」
「!!」

 蘇芳は驚いた。
 おそらく蒼火あたりから聞いた知識なのだろうが、それを実践するとは思わなかった。

(もしや、本気でこの国に向き合うつもりなのか……?)

「お味はいかがでした?」

 寧々子が少し緊張気味に尋ねてくる。

「なかなかだった……」

 とても美味しい、と喉元まででかかったが、口から出たのは別の言葉だった。
 蘇芳は混乱していた。
 異界のあやかしの王の元へ嫌々嫁いできたと思っていたのに、寧々子は蘇芳に喜んでもらおうとしているように見える。

(俺は距離を取ろうとしているのに……)

 自分の大人げない態度に嫌気が差すが、過去の苦い経験がどうしてもよぎってしまう。
 じっと寧々子が蘇芳の言葉を待つように見つめてくる。

「……っ」

 明日も楽しみにしている、との一言がどうしても言えない。

(異界の気が安定し、ほころびが消えれば、いずれ元の世界に戻れるのだ)
(一時的な縁だと、割り切っているのではないのか?)

 心のざわめきが消えないまま、蘇芳は自室に戻った。
 机の引き出しから赤いリボンを取り出す。

 縁に金糸の刺繍がしてある、美しいシルクのリボンだ。
 わざわざ異界に来てくれた花嫁のために用意したが、渡しそびれた。

「蒼火」

 呼び出した蒼火にリボンを渡す。

「は、なんでしょう、蘇芳様」
「これを人間の女に渡してこい」
「……寧々子様のことでしょうか?」
「ここで人間の女と言ったら一人しかおらん」

「……如何様にお伝えしましょう?」
「料理の礼だと言え」
「承知しました。でも、ご自分で渡された方がよろしいのでは?」
「いらぬ期待をもたせたくない」

 蒼火が何か言いたげな表情をしたが、その口は動かなかった。
 一人になると、蘇芳は乱暴に金色の髪をかき上げた。

(……俺はどうしたいのだ)
(わからない)
(だが……何かしてやりたくなった)

 これ以上考えたくなくて、蘇芳は報告書を取り出した。
 ここ数日の間に、体調を崩して療養所に運ばれる者が続出している。
 口にしたのは、タバコ、酒、甘味――。

(誰が何の目的であやかしたちに毒をもっているんだ……?)

 今日も寝苦しい夜になりそうだった。
「すごく綺麗……」

 昨晩、蒼火(そうび)から渡された赤いリボンにため息がもれる。
 艶のある赤いリボンは金糸の縁取りがされ、一目で高級品とわかる。

(まさか、蘇芳(すおう)から贈り物をもらえるなんて……!)

 昨晩、蒼火から手渡されたときは信じられなかった。

(少しは……歩み寄ってくれたのだろうか?)

 あれほど人間に対して忌避感を抱いていた蘇芳の態度が軟化したのが信じられない。

(やっぱり、晩ご飯を一緒に食べているのがよかったのかしら)
(気持ちが伝わったと思いたい……!)

 寧々子(ねねこ)は髪の上半分を後ろでまとめると、仕上げにリボンを結んだ。

(うん、いい感じ!)

 せっかくリボンをつけているので、着物ではなく袴を選んだ。

(ふふ、まるで女学生のようね)

 三毛猫の化け面をつけると、寧々子はウキウキと屋敷を出た。
 今日は蒼火も調査に参加するとのことで、一人で出かけることになったのだ。

 だが、もう二度目なので不安はない。
 迷うことなく甘味処に向かう。

(昨晩はいろいろお話できたな……)

 思ったより蘇芳と自然に話せた気がするが、警戒されているのが何となく伝わってきた。
 自分がミケのときの蘇芳を比べてしまうと明らかだ。

 ミケと――あやかしといる時の蘇芳は気さくで陽気だ。
 おそらくはあれが彼の本来の姿だろう。

(もっと信用してもらいたいな……)

 今のところ、多忙な蘇芳が時間を取ってくれるのは食事のときだけだ。

(やっぱり料理で頑張るしかないか)

 今彼が追っている事件の手伝いができるといいのだが、部外者で新参者の寧々子がやれることなどないだろう。

(せめて修三(しゅうぞう)さんのお手伝いをしよう……)

 昨日のようにお客が押し寄せたら、一人では応対できないだろう。

(今日も蘇芳は来てくれるだろうか)

 また親しげに『ミケ』と呼んで、頭を撫でてくれるだろうか――。
 ちくっと胸に痛みが走った。

(私、蘇芳を騙している……)

 正体を隠し、あやかしの振りをしている。
 それで信用してほしいなどと、言えたものではない。

(ダメだ……ちゃんと言わなきゃ)

 ミケとして接する蘇芳との時間は、寧々子にとってとても幸せなひとときだった。
 あの時間を失いたくない。
 もっと蘇芳の笑顔を見ていたかった。

(でも、勇気を出して言わないと……)

 蘇芳は自分の手料理を食べてくれた。そして、この赤いリボンをくれた。
 自分も信頼に応えないとと思う。
 だが、すべてを話すのが怖かった。

(きっと怒られる……)

 騙されたと知った蘇芳の怒りを思うと、心がしんと冷える。

「……?」

 甘味処の前に一人の男性が立っていた。
 珍しい洋装の男性で、お面もつけていない。

(まさか、人間……?)

 視線に気づいたのか、洋装の男性が振り返った。

「えっ……」

 信じられない思いで寧々子は男性を見つめた。

俊之(としゆき)さん!?」

 なぜか元婚約者の俊之が、朱雀(すざく)国の町中に立っていた。