明日香さんが姉ちゃんを好きなことは最初から知っていた。
 ずっと彼女を見ていたら嫌でも気づいてしまう。
 それでも、俺の初恋は彼女だったから、このままの関係でいるよりは、自分が砕けてしまってもいいからぶつかってみたくて、彼女に気持ちを伝えて「付き合ってほしい」と交際を申し込んだ。

 返事は全く期待していなかったのに、予想外に明日香さんがOKの返事をくれたのは、きっと彼女に何か理由があるからだろうと思っていたし、俺と付き合い始めてからも、姉ちゃんを見つめる優しい眼差しが変わっていないことも分かっていた。

 それでも良かった。
 俺はどんな形でもいいから彼女の特別な立場として明日香さんと一緒にいたかった。
 だから、何も知らないふりをして、彼女のそばにいることを俺自身が選んだのだ。
 俺は明日香さんに、彼女が姉ちゃんを好きなことに俺が気づいていることは伝えていないし、多分俺がそのことに気づいていることも知らないと思う。これからも伝えるつもりはない。

 明日香さんと付き合うようになって、かなり早い段階でそういう関係に進んだきっかけは、ひとえに俺ではなくて彼女が強く望んだことだった。
 彼女は俺にはっきりと言った。
「子どもが欲しい」と。
 でも、俺たちはまだ高校生で、経済的な自立もできないし、育てられないんじゃないかなと彼女にそれとなく伝えてみたのだけれど、「高校をやめてもいい。わたしが育てる」と言って明日香さんは一歩も引かなかった。
 彼女がなぜ子どもにそんなにこだわっていたのかは、そのときの俺には怖くて聞けなかった。

 彼女に泣きながら懇願されて断りきれず、何度か避妊せずに行為に及んだら、彼女の望みどおり妊娠に至ったけど、明日香さんのお腹の中に宿った小さな命は、人の形になる前に空に帰って行ってしまった。

 彼女が先走って、妊娠が判明してすぐ母子手帳をもらいにいったものだから(通常は赤ちゃんの心拍が確認できる頃に受け取りに行くのだと、後から知った)、妊娠と流産を彼女のお父さんが知ることになり、明日香さんと彼女のお父さんと俺の三人で話し合いの場を持つことになった。
 怒り狂っていた彼女のお父さんは、当初、責任を取らせるために絶対に俺の両親を呼ぶと言ってきかなかったが、明日香さんが「そんなことをしたら家を出て行く!パパとは縁を切る!」と啖呵を切って、何とか三人だけで話し合いをすることに落ち着いた。

 その話し合いの中で、彼女はお父さんに、自分が妊娠を望んだから無理やり俺に避妊せず行為に及んでもらったことを何度も説明したけれど、お父さんは納得しなかった。
 俺は、明日香さんに懇願されたとはいえ、あの頃、女性が妊娠することについて男である自分の責任の方が大きいことの自覚が足りず、子どもができることに関する最後までの覚悟が全然足りなかったと、今では思っている。
 悔んでも悔みきれない。
 覚悟が足りなかったというより、想像力が圧倒的に不足していた。
 それはおそらく彼女も同じで、子どもを産んだ後に育て上げるほうがずっと大変なのだと、お父さんから懇々とお説教をされ、どれだけ子ども一人を育て続けることが大変なのか、彼女のお母さんが亡くなってからは一人親で子どもを育てることの苦労について、親の立場から涙ながらに説明され、最終的には明日香さんが折れる形になった。

 空に帰ってしまった俺たちの子の命を忘れることは、この先もきっとない。