この世界で初めて見る事となった人の街――その景色は、やっぱり異様と(ひょう)すべきだった。

 人や建物などの雰囲気は近世あたりで止まっている。
 自分がドラゴンな姿なので、てっきりヨーロッパ風かと思っていたが、どちらかと言えばアジアより。もしくは中東トルコ辺りのどこか混然となっている風情だ。

 異様と称したのはそれらの話じゃない。
 まるで犬や牛馬のように、異形の怪物達が人間と沿うようにして共生している(さま)だった。

 角の生えた狼のような獣が人に連れだっている。虫の羽根を持つ小人は妖精だろうか。鬼面の巨人は荷馬車を()いていた。鉢植えを着た歩く植物が集団で街路を渡っていく。実体があるのかも判らないガスの塊のような生命体までいた。

 これらはみな、術者と呼ばれる人間が使役していた。
 身体の一部には刻印がなされ、それが淡く光っている。
 低級の魔物達はそうやって奉仕する事によって、人間の魂を報酬とした契約が履行されるそうな。
 これが上位の存在ともなると、その個体の能力を間借りするという訳だ。
 一応、上級の魔物や精霊を使役して操る術者もいるとの事だが、日常生活で使うには気力の消費が割に合わないらしい。

「はえぇぇ……」

 今は俺とてその一部なんだが、その光景に思わず口をあんぐりとしてしまう。

「何してるの、こっち」

 人と魔物で(あふ)れた通りの向こうから少女が叫ぶ。
 はぐれないようにしつつ、それでもこの新鮮で刺激的な光景に思わず足を止めて度々と見入ってしまう。













「さてと――」

 隠れ()の一つらしい珍妙で雑多な物が散らばる小屋――何かのお店かも――で、少女は仕切り直すようにそう口にする。

「あ……そう言えば、まだ名前すら名乗ってなかったっけ。あたしはロゼよ。術者見習いのロゼッタ」

 さすがにもう立ち直ったと見える――ポンコツ暴力幼児退行お漏らし少女が、軽妙にそう自己紹介をした。
 森を抜ける際まではまだ取り乱していたが、道中で少しずつ落ち着きを取り戻していき、今はこのように闊達(かったつ)な面持ちだ。

「アンタは――って、古竜に名前なんていう概念は無いのかな?」
「まあ、そんな感じかも」
「そう。……そ、それで……一応、その……お礼を言っとくわね」
「うん?」
「だっ、だから……こうして協力してくれたり、あの森であたしの事を(かば)ってくれたこと……ちゃんとお礼言わなきゃと思って……。あ、ありがと!」
「ああ、うん。どういたしまして」

 ポンコツ暴力幼児退行お漏らし少女――でも良い子――ことロゼが、そう顔を紅潮させてそっぽを向く。

 あの深層の森、人々からは聖域と呼ばれているらしいが、そこでの場面を思い起こす。

 唐突な俺の言葉にマッマはひどく混乱していた。
 彼女を説得するのも一苦労だった。
 それでも最後は折れて、結局は俺の我が(まま)を聞き入れてくれた。
 あまりにも(とに)にそんな重大()つ突拍子もない意思表明をした自身だ。
 けれど、名残惜しそうでも俺の旅立ちを彼女は見送ってくれた。『母は強し、そして弱し』ってやつだろうかな。

「成り行きとはいえ、君と〈ジェノスの契約〉とかを結ぶ事になったから。大丈夫、最後までちゃんと付き合うよ」

 正直に言えば、この子を助けてあげたいという一心であんな事を口走ってしまったに近い。

「それは素直にありがたい話だけど……」
「で――なんだけど、ロゼ、君の事情を教えてくれないかな? 師匠の仇を討つとか、姉を取り返すみたな話をしてたけど?」

 ロゼは少し心苦しそうに、それでもきっぱりとした口調で語り始めた。

「お姉ちゃんは無理矢理に連れ去られたの。あの男――ゲアルトという術者に……。そして取り戻そうとした師匠は……殺されたの……」

 やっぱり、そういう話なんだな。

「始めから話すわ。あたしとお姉ちゃんは身寄りのない姉妹だった。それを各地を放浪していた師匠に拾われてここまで育てて貰った。その人がレオノーラ・スクィンという、女だてらに勇名を()す術者だという事は後から知ったの」
「親代わりでもあった恩人か」
「あたし達に術者としての才覚があると見抜いて……いえ、正直に言うと、きっとそれを持っていたのはお姉ちゃんだけだったのね。あたしは……アンタの言った通り、ポンコツよ。それを自分で認めるのが……ただ悔しかっただけ……」
「ゲアルトって奴がお姉さんを連れ去ったのは、それが理由?」
「自分の後継者に育て上げるつもりだろうって、師匠は言ってた。つい一月半前よ……あの男が突如あたし達の前に現れて、お姉ちゃんを連れ去ったのは。あの男は師匠に勝負を挑んできたの。術者同士による〈呪文(スペル)〉の真剣勝負。あいつはその勝利の代価として、お姉ちゃんを……」
「……ひどい話だ」
「そして、まだ勝負の傷も完全に癒え切ってない師匠が、それでもお姉ちゃんを取り戻すと言い残して発ったのが三週間前。師匠は、自分が数日で戻らなければ、もう死んでいるか、それより(むご)い目にあってるかのどちらかだって……」

 なるほど、憎き仇敵そのものって訳か。

「悪名高い奴なの? そのゲアルトって男」
「ゲアルト・ソーンヴァー……〈魔闘士〉の異名を持ち、元賞金稼ぎだとかいう。純粋な術者ってわけじゃなく、実際には肉弾戦闘に()けた野蛮で残虐な男で……その〝奇襲〟で幾人もの高名な術者を破ってきたって話よ。師匠とは、浅からぬ因縁があるらしい」
「そいつを討ち、お姉さんを取り戻す為に、あの森へ……」

 こちらの呟きに、ロゼは悲愴さを宿した(かお)で深く頷く。

 その目的の為、最も手っ取り早く力を手に入れる必要があった。
 だから彼女はドラゴン族というこの世界でも最上位に君臨する存在と契約を結ぼうとした。
 ――それがあらましか。

 しかし結局の所、その目論見は現在進行形でうまくいってない。
 道中、何度か契約の儀式を再度行ったが全て駄目だった。

「でもその、具体的な算段とかはあるの? ゲアルトを倒せる確かな策が?」
「策なら、あるわ」

 一層に強張った面持ちでぐっと奥歯を噛みしめた後、ロゼは(こわ)高くそう発した。
















 夜、もう日付も変わっただろう頃合い。

 細々(こまごま)とした物がびっしりと棚に詰め込まれ、ほぼそれらのスペースで占有されたこの小屋。
 何に使うのか、様々な種類の葉や根の乾燥した瓶詰。木彫りの工芸品というよりは人形の一種といった具合のオブジェ。特に書物類は棚に収まり切らず、そこかしこに(うずたか)く積まれていた。
 そんな一角で、毛布を敷き詰めたお手製の寝床から、文机の上で(かす)かに揺らめくランプの灯りをぼーっと眺めていた。

 ロゼのその小柄な背中が積み本タワーの合間から窺える。
 師匠さんが残してくれた術関連の残し書きなどを真剣に読み(ふけ)っていた。

 この街に至る野営の間中も、彼女は夜遅くまでそうやっていた。
 身体に毒だろうと何度か(いさ)めはしたものの、その習慣を改めるつもりはないらしい。
 彼女が年齢の割には発育に恵まれてないのは多分このせいかな。特に体の成長に睡眠は不可欠。哀れ、ぺったんこの宿命はこうして彼女に降りかかっていたのだ。

「ロゼ、もういい加減に寝た方がいいよ」
「……うん……もう少ししたら」

 ちなみにこのやり取りはこれで四度目。

 有り体にいってしまえば、「不安」が今の彼女の現状を(さいな)み続けているのだろう。
 ただそれはお姉さんの事や師匠さんの事のみの話ではない。
 もちろん、大本の憂いはそこにある。
 けど彼女のこの逼迫(ひっぱく)した余裕の無さは、もっと内部的な、もっと根深い所にあるものかもしれない。

 ずっと彼女を見て来て、なんとなくそれが解ってしまった。

 そんな彼女の姿に、自分自身、鋭い胸の痛みのようなものを覚える。
 彼女を助けたいと――力になりたいと――そう焦燥感すら抱いたのは何でなんだろうかな。
 あるいは、自身の(うしな)った記憶とやらに関連しているのか。

 変温動物に成り下がった今の自分は夜の低気温にじわじわと思考力を奪われ、未だ彼女――ロゼが寝ている姿を一度だって拝んではいない。
 尽きぬ懸念を持ち合わせ、しかし結局、今夜も悲愴さを宿すその背中を眺めながら夢現(ゆめうつつ)に入るしかなかった。