「ぼうや」

 いつものような困った風にこちらを見遣る瞳。
 先ほどまで荒れ狂っていた空は、ママンのその雰囲気に沿うように穏かに変わりつつある。

「あなたが他のどんな同族の子供とも違って、好奇心が旺盛で賢いのは知っているわ。でも、人間種とお友達になるだなんて、とてもその……個性的というか……」

 俺とママンは巨樹の根元で鼻先を突き合わせていた。

「だってほら、森の動物達の中で言葉を話せるのっていなかったから興味深くて。俺、もっと世界の事が知りたいんだ」 

 取り敢えず賢い子モードで対応する。
 概ねはそれで乗り切れるのだ。
 実際、どこか感心したように「まあまあ」と言っているママン。

 ちなみに件の少女は近くで水浴び中である。
 まあその、ママンの迫力が凄すぎてじょわっとやっちゃったらしい。うん、あの場面ではね。仕方ないね。

「けれど、ぼうや、人間種はあなたが思っているよりもずっと『悪い』生き物なの。遥《はる》かな昔、人間種は神々が定めたこの世界の(ことわり)(くつがえ)そうとし、それによって罰を受けた。確かに高度な技術と知能を(つちか)ってはきたけれど、彼らはそれを誤った方法でしか活用できないのよ……」

 教え(さと)す風にママンが言う。
 この世界の話でなくとも、実は俺もかつてその『悪い』人間だったんですよ――などとは言っても(せん)ないか。

「生物としての()を弁えない――それが人間種というものなの。知能を有してはいても、その『知』を活かす道を持たない愚かな生き物……。今また、神々に取り上げられたその力を姑息(こそく)なやり口で取り戻そうとしている」
「――だまって聞いてれば、す、好き勝手なこと言って……!」

 意気を吹き返した少女が、水に半身を浸けたまま異を唱えるようこちらに向かって叫んだ。
 しかしギヌロとしたマッマの眼光を浴びるや、また蒼白な顔で震え(すく)む。――たぶん、あれはまたじょわってしちゃったな。

 しかしながら、今度の少女は果敢だった。

「あたし達が……人間が失われた〈呪文〉の力を取り戻すため、どれだけの研鑽(けんさん)を積んだか知ってるっていうの!? アンタ達みたいに、生まれついての強靭な肉体もない! 空を自在に飛べるわけでも、炎や雷を意の(まま)に操れるわけでもない! ……そんなあたし達が、必死で積み重ねきた技術なのよ?! それを奪われ、それでも取り戻す術を必死で模索した! そうして必死の思いで築き上げてきたものを、頭ごなしに『悪』だなんて呼ばないでよ!」
人間種(ヒューマー)!! 誰に物を言っているつもりッ?!」

 しかし少女は、震える自身をも(だま)し、吹けば消えそうな顔色をそれでも前に向けていた。

 俺も元は人間であったからか、少女のその言葉に心を動かされた。

 か弱く生まれ落ちた者が後天的に会得した(すべ)を用いて、生まれながらの強者に並び合う。
 それが悪い事だとは決して思えない。

 生まれ落ちた条件で全てが決まるというのならば、生物はここまで多様に進化をしてこなかっただろう。可能性という名の芽をそれでも花開かせたものが勝利を得てきた。
 生まれる前段階の要素で全てが決まるというのはただの宿命論に他ならない。
 遺伝的要素で全てが決まるという考え――それはきっと獣の論理だ。人間が文化や文明というものを築いてこれたのは、自らの本能を克服しようとする理性の働きの()る所が大きいのだから。
 そしてそれ以上に、自分達が歩んでいく先に在るであろうその「可能性」をすら潰しかねない。

「ママ、俺もこの子の言う事は間違ってないと思う」
「ぼうや……」

 だから俺は――初めてと言っていいかもしれない――明確に宿った自身のその言葉と思いを胸に、ママンを見上げた。

「生物として、あらゆる手を尽くして前へ向かおうとする姿勢は正しいと思う。それが時に限度を超えてしまう事態に陥ろうとも、その進もうとする意志だけは間違ってない。神々の事は、俺には正直よく判んない。会った事もない相手だし。でもさ、今ここに人間ならいるんだ。彼らの事なら、これから知る事ができる」
「何を言っているの、ぼうや?」
「ママ……俺、もっと多くの事が知りたいんだ。世界に、もっと触れてみたい。ママと過ごせるこの場所が嫌だなんて事は決してないよ。でも、このままで良いとも思えないんだ」

 強い惑いでこちらを凝視するその瞳に、俺は真っすぐな意志を載せて返した。

「だから俺、旅に出ようと思うんだ」

 その少女がここへと至ったのにはきっと理由がある(はず)。――どこか、そんな気がしてならない。

 この世界に迷い込み、生まれ変わった自分という異端の存在。
 その意味する所が(わず)かでも垣間見える気がして、だから俺はこの居心地のよい〝巣〟から飛び立たねばならなかった。

 そして、始めなければならない。

 ……そんな気がしてならないのだ。