「おまたせ」
「あ、ありがとうございます」

 テーブルに置いたカップを手に取ると、ミルカは一生懸命息を吹きかけて冷ましてから、ハーブティーを口にした。喉が動いて、ほっとしたような顔をする。
 その一連を眺めていた明楽に気づいたのか、ミルカは内心の動揺をそのまま顔に出した。
 あまりにも素直な表情変化に、明楽はにこりと笑って見せる。

(不用心……)

 箱入りなのか、こちらの世界の女はこうなのか。
 家主不在の状況で、初対面の男から出された飲食物など口にするものではない。
 確かに明楽はメイアに世話になっていると説明したが、それが事実かどうかはメイアが戻ってくるまで確かめようがない。
 それを言えばミルカが本当にメイアの知り合いであるかも確かではないが、ミルカが明楽より強いとは思えなかったし、不審な動きがないかは気を配っていた。
 共用スペースに明楽が触ってはならないものは置かれていない、つまり貴重品はない。メイアのベッドルームには鍵がかかっているし、そう簡単に侵入はできないだろう。
 突然の来訪者に対し、明楽は警戒を忘れてはいなかった。対してミルカは、どうにでもできそうな隙しかない。
 離れた場所に馬車を停めていたが、供の者がいるなら連れてきた方が良かったのではないだろうか。扉も完全に閉めてしまって、中の様子も窺えないというのに。
 ぽやぽやとしたお嬢様を前に、悪戯心が疼く。しかし彼女はメイアの客である。まだメイアとの信頼関係も万全ではない。ここで要らぬ揉め事は起こすべきではない、と堪えた。

「あ、あ、あの」
「うん?」
「アキラさん、は、メイアと……どういう関係なんですか?」
「ただの居候だよ」
「で、でも、一緒に住んでる……んですよね?」
「まあね」
「それなら……あの、お願いが、あるんです」

 ミルカがカップを置いて、真剣な目で明楽を見据えた。

「メイアに、王都に戻るように口添えしてくれませんか」

 ミルカの言葉に、明楽は少なからず驚いた。
 メイアがひとりで暮らしているのは理由あってのことだとは思っていたが、戻るように、ということは、メイアは王都に居場所があるのだ。そしてメイアが王都で暮らすことを望む人もいる。
 それなのに、あえてこの辺境にひとりでいるのは何故なのか。

「悪いけど、それは無理かな」
「どうして?」
「俺はメイアがここで暮らしている理由を知らない。事情もわからないのに、王都に戻れなんて言えないよ。そこに居たくない理由があるから、メイアはここにいるんだろ?」
「……聞いてないんですか?」
「まあね」
「何も知らないのに、あなたはメイアと暮らしてるんですか」

 何も知らない、ということもない。
 本人も知らない場所にあるほくろとか。そういうことではないだろうが。
 明楽にとって重要なのは、メイアの背景情報などではない。

「メイアが優しいことは知ってるから。それで十分」

 明楽がそう言うと、ミルカは何度か口を開閉させて、やがて噤んだ。
 
「……あなたみたいな人と一緒なら、メイアはこのままここで暮らした方が幸せなのかもしれません……」

 おや、と明楽は首を傾げた。この口ぶりだと、メイアを王都に連れ戻したいのは、ミルカの意思ではないのだろうか。
 それを尋ねようとした時、外で物音がしたかと思うと、家の扉が開かれた。

「ただいまー」
「お、戻ってきた」

 玄関からリビングは直通である。入ってきたメイアは、すぐにミルカの姿を目に留めた。

「ミルカ……」
「メイア。ごめんね、勝手にお邪魔しちゃって」
「……いいわよ。どうせアキラが入れたんでしょ」

 メイアの言い草に、ミルカは苦笑していた。
 明楽は微妙な空気を感じ取り、口を挟めずにいた。仲が悪そうではない。けれど、旧友と親交を深めに来たという感じでもない。

「俺、ちょっと外出てくるよ」

 大事な話があるのだろう。この小さなログハウスで、話を聞くなと言う方が無理である。
 家の近辺なら魔物も出ない。暫く周囲をぶらついてこよう、と席を立つと。
 何かに引っ張られて、動きを止める。
 視線を落とせば、メイアが服の裾を掴んでいた。
 正直なところ、ややこしい気配があるので、この場から逃げたい気持ちもあったのだが。

(こーいうとこちょっと可愛いんだよなぁ……)

 はっきり口に出しては言わないくせに。
 気づかないふりで逃げることもできるが。
 明楽は裾を掴むメイアの手を取ると、一度ぎゅっと握って離した。

「メイアの分もお茶淹れてくるよ。その間に、椅子もう一個持ってきてくれる?」
「……うん、ありがと」

 リビングには椅子がふたつしかない。三つめが必要ということは、明楽も同席するということ。
 ほっとした表情のメイアに、明楽は軽く頭を撫でた。

 リラックス効果のあるハーブティーを淹れると、三人分のカップを並べる。
 気まずい沈黙に、お茶を啜る音だけが響く。
 最初に口を開いたのは、ミルカだった。

「もう何度か来てるから、用件はわかると思うけど……メイアを、迎えに来たの。王都に戻ってほしいって」
「もう何度も答えてるけど、あたしは王都に戻る気はないわ」
「だよね」

 メイアの言葉に、ミルカは軽く笑った。明楽が住みついてからは初めて会ったが、どうも度々訪れていたようだ。であれば、もう何度も交わされたやり取りなのだ。なら穏やかにお茶だけして終わるのではないだろうか。それとも毎回こんな深刻そうな空気を味わっているのだろうか。不毛。

「またダメでしたーって、簡単に言えればいいんだけど……。今回は、女王陛下の(めい)で来てるの」
「陛下が……?」
「アレイスター様が亡くなられたのは、知ってる?」
「アレイスター様が……!?」

 明楽には誰のことだかさっぱりわからなかったが、メイアは大層驚いていた。ということは、既知の人物なのだろう。メイアはあまり頻繁に王都に行かないので、情報が遅れているのかもしれない。

「今、王立軍には魔術指導者が不在の状態なの。アレイスター様の後任となると、並みの魔術師では務まらないし……。そこで陛下が、魔王を封印した勇者パーティーの魔術師なら、誰も文句がつけられないだろうって」

 明楽は思わずお茶を吹きそうになって、すんでのところで堪えた。
 勇者パーティーの魔術師。誰が? メイアが。
 本を流し読みしていた明楽は、てっきり昔の出来事なのだとばかり思っていた。しかしメイアが当事者であるならば、割と最近の出来事だということになる。

「一応、依頼って形ではあるの。でも、陛下から直接書状も託されていて……」
「実質、断る権利はないってことね」
「……ごめんね」
「ミルカが謝ることじゃないわ」

 会話の内容から推察するに、メイアはこの()()を断れない。依頼を受けるためには、王都に移住する必要がある。それをメイアは嫌がっている。
 依頼を持ってきたのはミルカ。ミルカは女王と近い位置にある。もしくは、女王の頼みを断れない立場にある。
 メイアとミルカの関係は良好。だからメイアはこの依頼を跳ねのけることができない。
 いくら女王の命令とはいえ、ほぼ自給自足でひとり暮らすメイアを罰することは難しい。勇者パーティーで活躍したという話から考えれば、英雄のひとりとも言える。そんな人物を正当な理由なく牢に閉じ込めたりすることはできないだろう。つまり、依頼を拒否した場合の罰は、ミルカの方に与えられると考えるのが妥当だ。だからミルカは責任を感じている。
 可愛い女性がふたりでお茶をしているというのに、この暗い顔はどういうことか、と明楽はわざとらしく明るい声を出した。

「よくわかんないけど、俺たち王都に引っ越すことになるんだよね? 楽しみだなー王都!」
「え……」
「ア、アキラ……?」
「結局メイアは俺を王都に連れてってくれなかったし。ふたりでスローライフもいいけどさ、ちょっとは遊ぶ場所も欲しいと思ってたんだよ」
「あなたね……」

 呆れたように半眼になったメイアに、明楽は遠足前の子どものように弾んだ声で笑いかけた。

「メイアと一緒なら、どこで暮らしたって楽しいよ。いいじゃん、一緒に行こ?」
「……一緒に、来てくれるの」
「えっ俺のこと置いてくつもりだったの? 無理だよ、俺ひとりじゃ生きらんないもん。メイアがいてくれなきゃ」

 言っている内容は最低だが、メイアは驚いたように目を丸くしたあと、くしゃりと顔を崩して微笑んだ。

「本当に、どうしようもないわね。いいわ、連れて行ってあげる」

 仕方なさそうに明楽の髪をかき混ぜたメイアに、明楽はふざけて「わん」と答えた。
 王都に行くことは避けられない。ならばせめて、少しでも前向きな気持ちで。
 そこに何があるのかはわからない。メイアが何を忌避しているのかも知らない。
 けれど、彼女が暗い顔をする度に。笑わせてやることくらいは、できるだろう。
 飼い主の機嫌をとることは、ペットの大事な役割である。

「ミルカ。陛下に伝えて。準備が整い次第、王都に行くって」
「メイア……。いいの?」
「ええ、大丈夫。今のあたしは、ひとりじゃないもの」

 笑みを交わすふたりを見て、やはり女は笑顔に限る、と明楽も目を細めた。


 
 この先、彼を待ち受けるものを、今はまだ誰も知らない。
 ただひとつ言えることは。
 異世界に来ても、やはり彼はヒモ気質である、ということだけである。