「どーこだここ……」

 だだっぴろい草原に、ひとりの若い男が立ち尽くしていた。
 男の姿はゆるいジャージのみという軽装で、手荷物は何も持っていなかった。
 気だるそうに頭を掻く男に、緊迫感というものはまるでなかった。
 後ろから忍び寄る存在にも。直前まで、気づかなかった。
 風が草を揺らす音と、獣が立てる音の区別がついていなかった。
 だから男が唸り声に振り返った時。既に獣は、男の眼前まで迫っていた。

「うううおおおお!?」

 男の人生において見たこともない形状の生き物に、男は驚愕と混乱と恐怖の声を上げた。
 全体の形はライオンに近いが、たてがみにあたる部分はトゲトゲと尖っており、目は血走っていた。鋭い牙と爪を持ち、これに襲われたらひとたまりもない、ということだけは理解できた。
 理解できたところで、対抗手段は何もない。走って逃げられるとも思えない。やられる、と男が目を閉じかけた時。
 獣が悲鳴を上げて、倒れ込んだ。男の見間違いでなければ、何かが獣の頭を横から撃ち抜いたように見えた。

「あなた! 死にたいの!?」

 次いで聞こえた甲高い女の声に、男は獣に加えられた攻撃が見間違いでなかったことを確信した。
 金の髪を持つ美しい女は、十代後半くらいの少女の見た目をしていた。草原に紛れるような緑の衣装を身に着けており、手には杖状のものを持っていた。
 それだけなら一風変わった少女だと思えたが、少女の耳は長く尖っていた。
 なんの冗談だろうか、と男は目を見開いて少女の耳を凝視した。

「……な、なによ」

 視線にたじろいだ少女に、男はにっこりと微笑んだ。

「ああ、ごめん。あんまりきれいな人だったから、びっくりしちゃって」
「は、はぁ!?」
「助けてくれてありがとう。情けないけど、俺、なんにもできなくて。君がいなかったら死んでたよ。怖かったぁ」

 へにゃりと眉を下げた男に、少女はやや警戒を解いた様子だった。

「あなた、そんなに弱いくせに、こんなところでひとりで何をしていたの?」
「うーん……それが、俺にもよくわからなくて」
「えぇ?」
「良ければ、少し話を聞かせてくれないかな。困ってるんだ、頼むよ」

 手を合わせて、子犬のような顔で懇願する男に、少女は言葉を詰まらせた。
 葛藤するように眉を寄せて、最終的には溜息を吐いた。

「いいわ、あなたなんだか無害そうだもの。放っておいて死なれても、助けた甲斐がないし。ついてらっしゃい」

 そう言って、少女は草原を迷うことなく歩き出した。
 男はその背中を見失わないように、慌てて後ろをついていく。
 風に靡く少女の美しい金髪を眺めながら、男はすうと目を細くした。