やがて、親しい友人や家族が僕の前から去っていき、そしてさらに時が流れた。
慣れ親しんだトウモロコシ畑と、グレッグの愛したリカーショップ、そして金物屋くらいしかないこの退屈な町が、どれほどにその姿を変化させていったとしても、ただこの湖だけは、今も昔も変わることなくこの場所に在り続けた。
どんなに町が姿を変えても、たとえ、この目が光を失っていても、僕がこの湖を見失うことだけは決してない。
この町のどこからでも、僕は自分の足で湖にたどり着き、そして描いた。
あれからどれくらいの時間が流れたのか? 僕は未だに立ち止まったままだけど、しっかりと前だけは見ている。
今はただひたすらに絵を描き、そして荒野の先にある新たに目指すべき家を探している最中だ。
去りゆく友人たちの数に反比例するように、僕の口数は少なくならざるを得なかった。でも寂しいと思うことはあまりなかったよ。
それに、新しい友人もできたんだ。彼女はどことなく、ハンナ、君に似ている気がする。
いつものように湖で絵を描いていたときだった。いつからそこにいたのか? とにかく彼女は僕に声を掛けたようだった。
「………………」
誰の気配も感じてはいなかった。それに、もう随分と僕に声を掛ける人などいなかったから、初めは気のせいだと思ったよ。
すると彼女は、自分の存在にかけらも気づかないなんて許さない! とでもいうように僕の耳元で叫んだんだ。
「ねぇ! 聞こえないの!?」
とても可愛らしい女の子の声だったよ。でも随分と苛立って聞こえた。僕は驚いてパレットを落としてしまった。
「……すまない、僕は耳が不自由なんだ。僕以外に人がいるとも思わなかったからね、ところで僕になにか用かい?」
少女の声に顔を向けて訊ねると、ほんの少しの沈黙の後、彼女は言った。
「耳が悪かったのね、いきなり大きな声を出してごめんなさい。ところであなた、一体なにを描いているの?」
そう訊ねられたとき、僕は君の手紙にあった夢の話を思い出していた。
「この湖を描いていたんだよ、この湖の、静と動を両方表現しようと思ってね」
彼女は吹き出すように笑うと、しばらく黙り込み、それからずけずけと言った。
「ねぇ? あなたひょっとして目も見えてないんじゃない?」
僕が肯くと、彼女はすっきりとした口調で声を弾ませた。
「だと思ったわ! だってあなたの絵はめちゃくちゃで、全然湖になんて見えないもの! ねえ、私が描いてあげましょうか。きっとあなたよりは上手に描けるはずよ!」
その遠慮のない口ぶりに、どことなく君を重ねてうれしくなる。僕は落としたパレットのことなんてすっかり忘れていた。
「いいアイデアだと思わない? あなたの目の代わりに私が描いてあげるってこと」
僕は首を振って、彼女に顔を向ける。
「折角の申し入れだけど、遠慮させてもらうよ。この絵は、僕自身が描かないといけないんだ」
「でも、目が見えないんじゃ、いくら練習しても上手にはならないし、無理に決まってるわ!」
きっとこの子は、君のように口を尖らせて、さも不満そうに喋っているんだろう。そんな姿を想像して、僕はまたうれしくなる。
「無理か無理じゃないかは、僕が決めることだよ。それに僕は、上手に描きたいって思ってる訳じゃないしね。ただ諦めたくないんだよ、諦めればその先に進むことができなくなるだろ? 耳が聞こえなくても、目が見えなくても、僕が見たいものは僕の心がちゃんと見ているし、僕が聞きたい音は、僕の心がちゃんと聞いているよ。だから、僕には無理だと思う理由がひとつも見当たらないんだ。わかるかい?」
そう伝えると、わくわくと踊るような口調で彼女は言った。
「なるほど、素敵ね! ねぇ!? 私、明日もここに来て良いかしら? なんだか、あなたとは良い友達になれそうな気がするの」
当然、僕には彼女を断る権利などないし、理由もない。
「あぁ、もちろんだとも。よろしくね、あぁっと……」
「マリーよ! マリー・リシェル・ルイス。皆私をマリールーと呼ぶわ! あなたの名前は?」
「マリールーか、良い名前だ。僕はベンジャミン。ベンジャミン・ミラーだ。よろしくね、マリールー」
彼女が僕の手を取りパレットを握らせる。その手は小さかったけれど、躍動に溢れていて温かかった。
ハンナ、君の温もりを思い出す。どれくらいぶりだろうか、僕は久しぶりに微笑んでいた。
「ベンジャミン……じゃあベンジーね! よろしく、ベンジーさん!」
マリールーは歯切れよく、はきはきと話した。
「ねぇ、ベンジーさん? 私、いつか世界のトップモデルになりたいの! 友達はみんな無理だって馬鹿にするけど……私にもなれるかな?」
不安そうな少女に、僕は答えた。
「君が諦めない限り、君の望むものならなんにだってなれるさ! どうだろう、君の夢と僕の夢、どちらが先に叶えられるか、競争しないかい?」
「ベンジーさんの夢?」
マリールーは不思議そうにした。
――ハンナ、見えるかい? どうやら僕にも目指すべき荒野の新たな家が見つかりそうだよ。
「あぁ、そうだよ。君が世界のトップモデルを目指すなら、僕は世界の画家を目指すよ」
僕がそんな夢を語っても、マリールーは少しも笑ったりしなかった。
「うん! わかったわ! どちらが先に夢を叶えるか、競争よ!」
そういって、彼女は元気に帰っていった。
慣れ親しんだトウモロコシ畑と、グレッグの愛したリカーショップ、そして金物屋くらいしかないこの退屈な町が、どれほどにその姿を変化させていったとしても、ただこの湖だけは、今も昔も変わることなくこの場所に在り続けた。
どんなに町が姿を変えても、たとえ、この目が光を失っていても、僕がこの湖を見失うことだけは決してない。
この町のどこからでも、僕は自分の足で湖にたどり着き、そして描いた。
あれからどれくらいの時間が流れたのか? 僕は未だに立ち止まったままだけど、しっかりと前だけは見ている。
今はただひたすらに絵を描き、そして荒野の先にある新たに目指すべき家を探している最中だ。
去りゆく友人たちの数に反比例するように、僕の口数は少なくならざるを得なかった。でも寂しいと思うことはあまりなかったよ。
それに、新しい友人もできたんだ。彼女はどことなく、ハンナ、君に似ている気がする。
いつものように湖で絵を描いていたときだった。いつからそこにいたのか? とにかく彼女は僕に声を掛けたようだった。
「………………」
誰の気配も感じてはいなかった。それに、もう随分と僕に声を掛ける人などいなかったから、初めは気のせいだと思ったよ。
すると彼女は、自分の存在にかけらも気づかないなんて許さない! とでもいうように僕の耳元で叫んだんだ。
「ねぇ! 聞こえないの!?」
とても可愛らしい女の子の声だったよ。でも随分と苛立って聞こえた。僕は驚いてパレットを落としてしまった。
「……すまない、僕は耳が不自由なんだ。僕以外に人がいるとも思わなかったからね、ところで僕になにか用かい?」
少女の声に顔を向けて訊ねると、ほんの少しの沈黙の後、彼女は言った。
「耳が悪かったのね、いきなり大きな声を出してごめんなさい。ところであなた、一体なにを描いているの?」
そう訊ねられたとき、僕は君の手紙にあった夢の話を思い出していた。
「この湖を描いていたんだよ、この湖の、静と動を両方表現しようと思ってね」
彼女は吹き出すように笑うと、しばらく黙り込み、それからずけずけと言った。
「ねぇ? あなたひょっとして目も見えてないんじゃない?」
僕が肯くと、彼女はすっきりとした口調で声を弾ませた。
「だと思ったわ! だってあなたの絵はめちゃくちゃで、全然湖になんて見えないもの! ねえ、私が描いてあげましょうか。きっとあなたよりは上手に描けるはずよ!」
その遠慮のない口ぶりに、どことなく君を重ねてうれしくなる。僕は落としたパレットのことなんてすっかり忘れていた。
「いいアイデアだと思わない? あなたの目の代わりに私が描いてあげるってこと」
僕は首を振って、彼女に顔を向ける。
「折角の申し入れだけど、遠慮させてもらうよ。この絵は、僕自身が描かないといけないんだ」
「でも、目が見えないんじゃ、いくら練習しても上手にはならないし、無理に決まってるわ!」
きっとこの子は、君のように口を尖らせて、さも不満そうに喋っているんだろう。そんな姿を想像して、僕はまたうれしくなる。
「無理か無理じゃないかは、僕が決めることだよ。それに僕は、上手に描きたいって思ってる訳じゃないしね。ただ諦めたくないんだよ、諦めればその先に進むことができなくなるだろ? 耳が聞こえなくても、目が見えなくても、僕が見たいものは僕の心がちゃんと見ているし、僕が聞きたい音は、僕の心がちゃんと聞いているよ。だから、僕には無理だと思う理由がひとつも見当たらないんだ。わかるかい?」
そう伝えると、わくわくと踊るような口調で彼女は言った。
「なるほど、素敵ね! ねぇ!? 私、明日もここに来て良いかしら? なんだか、あなたとは良い友達になれそうな気がするの」
当然、僕には彼女を断る権利などないし、理由もない。
「あぁ、もちろんだとも。よろしくね、あぁっと……」
「マリーよ! マリー・リシェル・ルイス。皆私をマリールーと呼ぶわ! あなたの名前は?」
「マリールーか、良い名前だ。僕はベンジャミン。ベンジャミン・ミラーだ。よろしくね、マリールー」
彼女が僕の手を取りパレットを握らせる。その手は小さかったけれど、躍動に溢れていて温かかった。
ハンナ、君の温もりを思い出す。どれくらいぶりだろうか、僕は久しぶりに微笑んでいた。
「ベンジャミン……じゃあベンジーね! よろしく、ベンジーさん!」
マリールーは歯切れよく、はきはきと話した。
「ねぇ、ベンジーさん? 私、いつか世界のトップモデルになりたいの! 友達はみんな無理だって馬鹿にするけど……私にもなれるかな?」
不安そうな少女に、僕は答えた。
「君が諦めない限り、君の望むものならなんにだってなれるさ! どうだろう、君の夢と僕の夢、どちらが先に叶えられるか、競争しないかい?」
「ベンジーさんの夢?」
マリールーは不思議そうにした。
――ハンナ、見えるかい? どうやら僕にも目指すべき荒野の新たな家が見つかりそうだよ。
「あぁ、そうだよ。君が世界のトップモデルを目指すなら、僕は世界の画家を目指すよ」
僕がそんな夢を語っても、マリールーは少しも笑ったりしなかった。
「うん! わかったわ! どちらが先に夢を叶えるか、競争よ!」
そういって、彼女は元気に帰っていった。