この勝負の噂はすぐに広まった。なぜならそれを見ていた人間がいた。それはマネージャーの水鳥川沢音(みどりかわさわね)が一部始終見ていたからだった。

 彼女は空木、光らと同じ中学でここ聖和大付属高校へと進学して陸上の世界へと足を踏み入れた。きっかけは調月煌司、完全にミーハーな動機での入部。
 中学でもそこそこ有名であったが興味の無かった陸上の世界の大手光という同級生、ルックスも悪くない。彼の才能が次の原石であることを知った。


* * *

 光と駿輔の勝負より遡る事数か月前……。



「すごい2′39″っ!! あと20周!」

 サッカー、野球などの男たちの掛け声の間を縫って女子の声がトラック中に響く。もちろん女子ソフトボール部の声でもなければ野球部のマネージャーでもない、一緒に走っている陸上女子部たちもその声の主に視線を向ける。

 千風はその声が送られた側である光の方に目を置く。当の光本人はその声に反応している様子はない。
 今度は声の主の方に目を移す。会心の笑顔で右手のメガホンを振っている。左手には首から下げられた幾つものストップウォッチの一つが握られている。あからさまな特定の声援に視線を切りながらため息を一つ。

 光のラップタイムは率先して沢音が記録した。1000メートル=2′40″を切ることが10キロ=26′30″台の日本記録への指標である。間近で携われるチャンスなんて人生でそうあり得ない。

「光君、はいタオル。今日は惜しかったね、またガンバろ!」
「……あぁ……なぁ水鳥川、空木のタイムって知ってるか?」

 首から下げられている他のストップウォッチで探してみるふりをする。そんなことをしなくても他は『0:00′00″000』のまま動いていない。

「え? 駿輔先輩じゃなくて? なんで小田原君? 計ってないけど?」
「そっか……なら、いいよ。タオルありがとう」

 沢音が空木を意識しだしたのはこのときからだ。それまでは目に留まる要素のない只の凡人。しかし今はそれどころではない。