冬……毎年クリスマス時期に行われる高校駅伝。各校の3年生たちは受験を控えて夏で引退する者も少なくない。聖和高校は大学の付属高校なのでエスカレーターで進学する者も多くいる。
 それは他校に対してアドバンテージとなりもするが、秋に新チームでの新人戦が行われることとは別に、『高校三年間』という特殊なサイクルの中で戦う選手指導者にとって貴重な経験と備えとなる。

『春校バレー』などに代表される3年生の最後の全国大会、同じ3月から開催される選抜高校野球では3年生は出場不可と規定されたり競技によって異なる。

 またレギュラーを決めるにあたって『実力主義』か『3年贔屓』かという最大の悩みでもある。


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 12月初め、大会直前で臨んだ京都合宿では、メンバー選考の最終的な判断材料となるトラックでのスピード練習。走るのは800メートルを5本。400メートルごとにペースメーカーが替わりながら設定タイムに向かって走る、スピードとスタミナが試されるメニュー。
 そして大会前最後のタイムトライアルと本番のコースの試走が行われる。


 このタイムトライアルで高校生活のラストランを迎える3年生も少なくない。キャプテンである耕作もそう一人だった。事故に逢いケガからの復帰は果たしたものの、顧問の決断はチームのために『勝利』を優先した。


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 天道駿輔はどうしても1区を走らねばならない理由がある。

 去年の大会、1年生ながらに1区を任されたこの駿輔(才能)は、恐らくまだ若かった。スタート直後の競技場内から先頭に立ち、みるみる後続を引き離していく走りを見せた。
 しかし終盤に失速。2位集団に追い付かれてしまう。駿輔を含む5人の集団となり、その集団の先頭に立ったのが、広島名門世良農業高校1年生エース・椎名流風(しいなるか)

 その際、後ろにつけられた駿輔が背後に付かれるのを嫌がりポジションを変える……そのとき誰か(・・)と駿輔が接触。バランスを崩した駿輔は転倒したが幸い挫創だけで済み、すぐに立ち直ったけれども順位を大きく落とした。


 レースがハイレベルとなったきっかけを作った駿輔、終盤に駿輔を抜く好走を見せた流風は、周囲からは『名勝負』と言われ、『ライバル』だと評されたが、駿介はレース後声を荒らげた。


「椎名が接触してきて倒された」


 抗議は認められず、今でも駿輔は流風を恨んでいる。


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 顧問の意志も周囲の納得も全部ひっくるめて『エースである証』とも言える1区を走り、流風と自信をもって並ぶためには校内で誰にも負けるわけにはいかない。
 駿輔は光に勝負を叩きつけた。もちろんそれを避ける光ではない。