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 さて、それ以降、それも当日の夜から、わたしはひたすらに勉強した。
 五年間も勉強から遠ざかっていたのだから、それを取り戻すだけでも大変なことだった。しかも今度は大学入試、しかも難関の医学部を目指していた。
 日の出とともに勉強を始め、夜は眠さに倒れるまで、知識を詰め込んでいった。
 その甲斐あって……と丸くおさめたいところだが、実際はそんなきれいなものではなかった。わたしは天才でもないし、ヒーローでもない。やはりただのムニャムニャでしかなかった。
 そう。人生なんてものは、いつでも厳しいものなのだ。
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 まぁレイには申し訳ないが、実際とにかく時間がかかった。
 その年は高校卒業検定の試験も通らなかった。
 その翌年は卒業試験は突破したものの、どこの大学にも入れなかった。
 正直生きた心地がしなかった。来る日も来る日もプレッシャーに追われていた。
 合格できなかったらどうしよう? その不安がいつも頭を離れなかった。
 それでもわたしには仲間がいた。それはマンションの子供たちだ。彼らの中にも進学組というのがあって、彼らと机を並べ、時には教えてもらいながら、とにかく一緒に勉強を続けたのだ。
 この時のわたしには不安はあっても迷いだけはなかった。
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 そして翌年ようやく大学にもぐり込むことができた。
 もちろん目標としていた医学部である。
 ついでに白状するが、この大学も医学部の中では最低ランクの学校だった。
 医者の子供の落ちこぼればかりが通うようなところで、とにかく授業料が高いところだった。
 だがそれはそれ。入学してからがんばればいいのだからと、みんながお金を出してくれたのだ。
 お金の力はすごい。このときばかりはそれを実感した。
 それは人の才能すら補完してくれるのだ!
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 かくして三年がかりでわたしは医学部に進学し、その時にはわたしは二十五歳になっていた。
 同じクラスの生徒たちは、コウジみたいな奴ばかりだった。お金を湯水のように使い、贅沢を楽しみ、暇つぶしのように学校に出てきては、誰に対しても王様のようにふるまっていた。それがクラス全員なのだから、つきあいきれない。
 そんなやつらはきれいに無視して、わたしはひたすら勉強に取り組んだ。
 物覚えは悪かったし、器用なほうでもなかったから、医学の勉強も苦労した。
 それでも毎日毎日を地道に乗り越えていくうちに、なんとかまともな成績を取れるようになっていった。
 そして入学から六年後、じつに三十一歳になった歳に、わたしは大学を卒業し、その後の国家試験に合格し、ようやく医者になったのである。
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 地道な苦労というのは少なからず報われる。
 もちろん一〇〇パーセントというわけにはいかないだろう。
 だが大体においては報われるものなのだ。
 それを信じて、努力を続けること。
 人生においてはこれが一番難しく、だからこそ、それだけ価値がある。
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 さて、もう少しだけ昔話の追加を。
 わたしにとっては大事な思い出話だ。
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 それは大学の卒業式の日の思い出。
 校門のところにはわたしの家族たちが待っていた。
 コトラにケンちゃん、キョウコさん、ナギサちゃん、リュウイチにレイ、懐かしいことに子供十字軍のヒカルやナガイも駆けつけてくれた。
「レンジ兄ちゃん、おめでとう! 今日はショートケーキを持ってきたんだ!」
 コトラは店で渡すのが待ちきれないのか、すでにケーキの箱を小脇に抱えていた。
「おお、おお、レンジ、ついにやったじゃねえか!」
 ガシッと抱きついてきたのはケンちゃん。もうボロボロに泣いていた。涙もろいのはいくつになってもかわらない。
「やっと医者になったわね、これでようやく、もとが取れそうじゃない?」
 キョウコさんはあいかわらずだ。すぐ横でキョウコさんのスカートを握り締めているヒョウはもう十歳になっていた。しかもヒョウのとなりには、さらに新しい兄弟・姉妹が四人もつながっていた。
 あとは「おめでとう」の大合唱と暖かい拍手の渦がわたしを包み込んだ。
「ありがとう。みんなありがとう」
 わたしは嬉しさのあまりボロボロと泣き出してしまった。
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 なんという幸せな記憶!
 こういう記憶の一つがあるだけで、わたしはいつ死んでも後悔はない。 
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 みんなの拍手とわたしのボロ泣きの中、レイが静かにわたしの前に立った。
「もう一つの約束をちゃんと覚えてる?」
 レイはささやくようにそう言った。
 レイは三十四歳になり、すっかり大人の女性になっていた。
 誰にも時間だけは平等に流れてゆく。
 それでもわたしから見れば、レイは昔のままのレイだった。
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「もちろんだよ……あのさ……」
 とたんにわたしは照れてしまった。そこに変な空気が流れたのを感じたのだろう。急にみんなが静まり返ってしまった。みんながわたしたちをじっと見ていた。
「なんか静まりかえってるけどさ……」
 ささやくわたしの声がまたずいぶんと大きく聞こえた。
 そしてレイはわたしの言葉をじっと待っていた。
「あ、あの、迎えに来たよ」わたしはそう言った。
 わたしとしては『迎えに来てね』という、昔のレイの言葉に返事をしたつもりだった。わたしとしては気のきいた言い回しをしたつもりだったのだ。だが誰にも、当のレイ本人にすら伝わっていないようだった。
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「レンジ、迎えに来たのは俺たちだぜ!」
 ケンちゃんがそういうと、みんながどっと笑った。
 それでわたしの妙な緊張もいっぺんに吹き飛んだ。
 格好をつける必要はないし、気のきいた言葉もいらないんだ。
 そう思うとなんだか素直な気分になれた。
 わたしの心は今暖かく満たされている。
 その思いをそのまま言葉にすればいいのだ。
 わたしはひとつ大きく息を吸い込んだ。
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「レイさん! 一生のお願い! 僕と結婚してください!」
 わたしは一気にそう言った。それがわたしの正直な気持ちだった。
「いいわ。これからもよろしくね」
 レイはそういってわたしの両手を握り締めてくれた。
 そしてわたしの幸せが伝わったのか、ふたたび歓喜と祝福がわたしたちを包み込んだ。
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 その瞬間のわたしの幸福!
 もう幸せすぎて死ぬんじゃないかと思ったほどだ。
 だが、もちろん幸せは人を殺したりはしない。
 それは本末転倒というものだ。

 ~ 走るムニャムニャ 終わり ~