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 そして約束の二週間後はやってきた。
 結局わたしたちは何もできなかった。
 わたしはあいかわらず獄中に囚われたままだったし、ケンちゃんやコトラたちにしてもなにをすることもできなかった。
 レイもキョウコさんもあらゆる対策を考えたが、法律の前には何もできなかった。
 まだ小さなムニャムニャたちだけは、ミクニ老人の知り合いに預けることができたが、それはごくごく一部だった。
 そのほかの子供たちに関しては、何のアイデアもない、何の解決策もない、どこへ行ったらいいかも判らない、という有様だった。
 わたしたちは、結局ムニャムニャのまま。ただ取り壊しが始まる日を待つしかできなかったのだ。
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 その日は雨の日曜日だった。
 面会の日ではあるが、今日は誰もやってこないだろう。
 みんなそれどころじゃないはずだ。それはよく分かっていた。
 わたしだって今すぐこんなところを抜け出したかった。
 わたしはただただ無力感を感じ、空からポツポツと落ちてくる冷たい雨を顔に受けていた。雨の粒はわたしの涙と交わり、頬を流れていった。
 と、看守がわたしを呼びにきた。面会人が来たという。
 いったい誰だろう? わたしは看守の後について面会室に入っていった。
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「レンジ! 間に合ったわ!」
 レイだった。満面の笑みでいきなりわたしに抱きついてきた。
 およそ彼女らしくない行動だが、それが何よりも彼女の喜びを表していた。
 なにか奇跡が起きたんだ!
 それが分かった。だがどんな奇跡が起きたのか、わたしには見当もつかなかった。
「さぁ、とにかく話してよ。何があったの?」
 わたしはレイから体を離し、とにかくイスに座らせた。
 レイはうれし泣きで顔をグショグショにしていた。それからウンウンとうなずき、話し出そうとするのだが、またもやオイオイ泣き出してしまった。そしてまた話を始めるのだが、レイの話はあちこちで中断し、言葉はメロメロで、何度も泣きやむのを待たねばならなかった。
 ということで、以下にレイの話をわたしなりに翻訳してみた。
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 その日の朝、残った子供たちは全員マンションから出て、解体業者がやってくるのを見ていた。
 ブルドーザーとかショベルカーとかがいっぱいきて、そのトラックの一台には金色のヘルメットをかぶったコウジが乗っていた。
 さらに作業車の後ろには、シャベルやツルハシをもった男の人達がいっぱいやってきて、やがてみんなの前で立ち止まった。
 子供たちは最後の抵抗をしようと、マンションを囲むようにみんなでぐるりと手をつないでバリケードを作った。
 そこにコウジが金色のヘルメットを輝かせ、トラックから降りた。そして同じく金ピカの拡声器を使って宣言した。
『ここはオ・レ・の・土地! オ・レ・の・マンション! お前たちのものじゃぁない! だからすぐにホームにグッバイして、さっさとここから出ていけ!』
 コウジはそう言いながら、コトラ君とケンちゃんのまん前に立った。
『コトラ、ケン、どかないと怪我するぜ』コウジは二人の顔に向けて金ピカの拡声器でそう告げ、にやりと笑う。
『お前こそここから出ていけ!』コトラが詰め寄る。
『おい、アレ持ってきて』
 コウジの言葉に、ボディーガードが金色のつるはしを持ってくる。そして拡声器とつるはしを交換した。
『ここはオレの土地。この建物はオレの物。オレが自分の物をどうしようと、お前らに文句を言う権利はナッシング!』
 コウジがツルハシを持ち上げたその瞬間、声が響いた!
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『待ちたまえ! 君にこの家を壊す権利はない!』
 それは神様の声のようだった!
 そしてみんなが声のした方向を見た。
 そこには工事人の人たちしか見えなかったが、やがてその人垣をかき分けて、ヒダカ老人の弟にして弁護士の『リョウジさん』が現れた。出張用のカートをゴロゴロと転がし、髪を振り乱し、カサを振り回しながら走って来た!
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「おかしいでしょ? でもわたしは神様って言うものが存在するなら、きっとこういう姿をしているんだろうなって、そう思ったわ」
 レイはそう言って笑いながら、また零れてきた涙をぬぐった。
 そして話を続けた。
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『コウジ君、このマンションは、君のお父さんの遺言で、レンジ君に相続されている!』
 リョウジさんはハァハァと息を切らしながらコウジにそう言った。
 そしてカバンから書類を引っ張り出して、コウジにそれを渡すと、コウジはそれを読んで真っ赤になって怒りだした。
『どういうことだよ! なんで親父は、こんなやつらにマンションをあげるんだよ? どう考えたっておかしいだろ!』
『君がどう感じようと、それがわたしの兄の遺言なんだよ、所有者は君じゃない』
『ぜってぇおかしいだろ。こんなものが認められるはずなねぇだろ。てめぇは弁護士のくせになにをしてんだよ!』
『なにもしてないさ。正真正銘、それは君のお父さんの遺言状だよ』
 コウジはなおも顔を真っ赤にしてぶるぶる震えていたが、急にその金色のヘルメットをマンションに向けて投げつけた。
『このことはぜってぇ忘れねぇからな!』
 そういって立ち去っていった。
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 その瞬間、みんなが歓声を上げた。
 みんなが歓喜に包まれた。
 泣いている子供たちもいっぱいいた。
 へたり込んじゃう子供たちも。
 でもみんなとにかく笑顔だった!
 奇跡が起きたのだ。
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 そう奇跡というものはある。
 だがそれを起こすのはいつだって人の善意だったのだ。
 ヒダカ老人がわれわれに示してくれた善意。
 それがわたしたちを救ってくれたのだ。
 ちなみに余談になるが、コウジの捨てた金色のヘルメットはケンちゃんのトレードマークになった。何しろよく目立つのだ。ケンちゃんは今もそのヘルメットを愛用している。
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「とにかく良かった!」
 レイはまだ嬉し泣きのままだ。
「知らせてくれてありがとう」
 わたしがそう言うと彼女はまたうんうんと頷き、それからまた静かに泣き出し、気が付くと面会の時間は終わっていた。
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 窓の外ではまだ雨が降っていた。
「また、あなたに助けられましたね」
 わたしは灰色の雲の向こうにいるはずのヒダカさんにそう声をかけた。
 ……君がそこから出てくるのを楽しみに待っているよ……
 ……体に気をつけて、元気に出ておいで……
 ヒダカさんの言葉が胸によみがえり、わたしは泣いてしまった。
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 さていろいろあったが、時間は確実に過ぎてゆく。
 閉じ込められていたわたしにも五年の歳月が流れていった。
 いよいよ出所の日を迎えることになったのだ。
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 当日の朝、どういうわけだか、わたしの元には白いタキシードが届けられていた。ケンちゃんが結婚式のときに使ったものだ。たぶんコトラの考え出したことだろう。他に着ていく服もなかったので、わたしはそれを着た。
 こんな格好で刑務所を出ていく人間はわたしくらいのものだろう。
 看守や職員の人たちに挨拶し、刑務所の仲間たちに見送られて、わたしは五年間一度も外に出ることができなかった塀の外へ足を踏み出した。
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 その瞬間、大歓声が響いた。
 監獄の前の広い道を、子供たちが、わたしの大切な家族たちが、びっしりと埋め尽くしていた。
 みんなからお祝いの言葉があふれ、みんなが笑顔でわたしを迎えてくれた。
 それはパレードのようににぎやかだった。
 自然と広がった拍手と歓声が、真っ青な空へと吸い込まれていった。
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 そしてわたしの目の前には花束をもったレイとリュウイチがいた。
 その横にはケンちゃんとキョウコさん、そしてコトラとナギサの姿があった。
 ずっと会えなかったわけでもないのに、こうしてみんなの前に立っていることがとてもうれしかった。
 不覚にもわたしは泣いてしまった。
 急に五年の歳月が音を立てて流れていった気がした。
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ありがとう、みんな(・・・・・・・・・)
 どういうわけだか、わたしの口元にはマイクがあり、その声は大きく広がった。
 同時に黄色い歓声がどよめいた。
 ん? なにか変だった。
 ずいぶんと若い女の子たちがキャーキャー言っている声だった。
 その声にまぎれて「レーン!」と呼んでいる声も聞こえた。
 それに子供たちの数がいくらなんでも多すぎた。
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なに(・・)? これ(・・)?」
 その声をまたもやマイクが拾い、わたしの声はぽっかりとした青空に吸い込まれていった。
 それに答えるようにまたもやどよめきとキャーキャーの声が膨れ上がった。
 するとナギサが小さく手招きした。赤いふちの眼鏡は健在だ。
「すみません。ファンの子たちなんです。それにテレビ局の人まで来てるんです!」
 ナギサはわたしの耳元で叫んだ。
 そうでもしないとまったく聞こえないほど、辺りは騒然となっていたのだ。
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「つまり? どういうこと?」
「あの漫画のせいで、オレたちなんだかすごい人気者になってんだよ」
 そういうケンちゃんも黒のスーツでビシッと決めていた。
「あのさあのさぁ、それはともかくさぁ、お帰り! レンジ兄ちゃん」
 コトラが顔を涙でぐしょぐしょにして待ちきれないように抱きついてきた。
「そうだ! おかえり、レンジ!」
 そこにケンちゃんが加わり、レイやリュウイチ、そしてキョウコさんにナギサちゃん、そして多くの子供たちが一団になってわたしを抱きしめてくれた。
「おかえり! レンジ兄ちゃん!」
「おかえり!」
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みんな(・・・)……ただいま(・・・・)……」
 またもやわたしの声はマイクで大きく響き渡った。
 だから、わたしはみんなにもう一度挨拶する。
 みんなにちゃんと聞こえるように挨拶する!
ありがとう(・・・・・)! みんな(・・・)! ただいま(・・・・)!」
 歓声が響き渡り、再び拍手の輪が広がった。
 それは五年ぶりの再会。そして自由だった。

 ~ 流れた五年と出所の日 終わり ~