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 さてマンションの家族、そして子供たちは次々と成功を手にしていくのだが、それはまだ少し先の話。
 この時期が全てが順調だったという訳ではない。結局のところ全て乗り越えたのは確かなのだが、一番大変だったのは、マンションの立ち退き問題だった。
 これはわたしたちにとって、いわば青天の霹靂(へきれき)というやつだった。
 わたしたちはいつの間にかあのマンションが自分たちの家で、自分たちのものだと思っていた。そこに急に所有者というのが現れたのだ(まぁ考えてみればどんな物件にも所有者はいるのだ)。
 しかもその所有者は、突然に権利を主張し始めた。そして最悪なことに、二週間以内の立ち退きを要求してきたのだった。
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 そんな無茶な……面会室に集まったわたしたちに広がった思いは絶望だった。
「あのマンションをまるごと買い取るなんて無理だよなぁ……」
 とはケンちゃん。ケンちゃんは仕事柄、大体の値段を分かっていたと思う。
「いくら廃棄寸前のボロマンションでも五億くらいが相場ってトコね、しかもアイツなら、かなりふっかけてくると思うわよ」とはキョウコさん。
「手持ち資金が大体二億円くらい。これを元手にしたとしても、銀行がそれだけのお金を貸してくれるはずもないし……」とレイ。
「ナギサさんに借りても間に合わないだろうなぁ」とコトラ。
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 たぶんみんながわたしのところに来るまでに話をしていたのだと思う。
 もう結論は出ていたようなものだった。あのマンションを引き払う以外に方法はない。
 だがわたしはキョウコさんの言葉に引っかかるものを感じた。
「あのさ、その所有者のことを知ってるの?」
「もちろん、あなたも知っているヤツよ……」
 キョウコさんがその名前を言いかけたとき、部屋の外でガヤガヤと声が聞こえた。
 職員と、何人かの若者が揉めているような感じだった。
「どうやら本人が来たみたいね……」
「ヨーヨー、カムインさせてもらうぜ!」
 面会室の扉を開けたのは、すっかり成長した『コウジ』だった。
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 コウジはすっかり大型化していた。
 身長も体重もたっぷりとしている。そのだぶだぶの体をさらにだぶだぶのトレーナーとジーンズでくるみ、目には大きなサングラス、首には金色のチェーンを巻いていた。いわゆるラッパーというスタイルだ。隣には同じような体格と服装をした友達を二人、引き連れていた。
「ヨー、ヨー、レンジィ、久しぶりだねぇ、俺のことリメンバ・ミー覚えてる?」
「ああ、コウジ君だね。ずいぶん大きくなったね」
 するとコウジはわたしの返事をきれいに無視して、仲間の二人に話しかけた。
「あー、こいつ、おれのハウスでアンダーワーク下働きしてたんだよ。そんで、そっちのヒゲがケン、こいつも元使用人」
 取り巻きの二人はニヤニヤと無言でうなずいた。
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「おまえ、ここへ何しに来たんだよ?」
 そういって立ち上がったのはコトラだった。
 小さい頃からこの二人には因縁があった。過去何年にもわたって、小競り合いを繰り返していた。コトラが金の涙を流したのだって、もとはコウジへの悔し泣きが原因だった。
「オー! 忘れてたぜ、コトラ、ブラザー」
 コウジは胸を張り、見下した様子でそう口にした。
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 ちなみにコウジが偶然口にしたその言葉『ブラザー』というのは、皮肉にも真実だった。もちろん当時はコウジもコトラも知らないことだったが。
「なんだ、そのカッコ? すっかりコックだな、そういやお前のショップに行ったぜ、ありゃバッドだなぁ。なんのエサなんだ?」
「おまえ……」
 コトラが詰め寄ろうとするのを、ケンちゃんが抑えた。
「よせよコトラ、相手にすることはねぇ」
 ケンちゃんがそう言ってひと睨みすると、コウジもボディーガードも思わず後じさった。
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「ビ、ビビらせたってム、無駄だぜ? マンションのオウナーってのは、俺なのさ!  アンダスタン? あのイエは俺のものになったんだぜ、イェー!」
 コウジは精一杯の虚勢を張り、ボディーガードと拳を合わせた。
「え? なんだって? キミが所有者……?」
 わたしは驚いた。だが同時にすんなりと事情が飲み込めてきた。
 そうか……あのマンションはヒダカ老人の持ち物だったのだ。
 だからこんなにも長く、わたしたち家族はあのマンションに住んでいられたのだ。
 ヒダカ老人はわたしたちのことを知り、あのマンションで暮らすのを黙認してくれていたのだろう。それがヒダカ老人の死により、コウジの手に渡ったのだ。
「ドーやらアンダスタンドみたいだな、あれは俺が引き継いだのさ。そんでミュージック・ストゥーディオに建て替えようと思ったら、あんたたちがステイしてたってワケさ。だからアーリー、つまり一刻も早く出てってほしいんだなぁ」
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 それにしてもコウジの手に渡ったというのがなんとも厄介だった。
 キョウコさんが言いづらそうにしていたのもよく分かる。
「コウジ君の言うことも判るんだけど、もう少し時間が欲しいんだ。あそこには大勢の子供たちが住んでいる。みんな僕たちの大切な家族なんだ。みんなが住めるところを捜すのにはもう少し時間がかかるし、それに値段しだいでは買い取ってもいいと思ってるんだ」
 わたしはとりあえずそういってみた。
「ハッ! インポッシボー。無理だろうねぇ、七億出してくれるなら話は別だけど、どう考えても君たちじゃインポッシボーでしょう? それに期限をローングするつもりもない。それにねぇ、レンジ、俺は交渉じゃなくて、アテンションつまり警告しに来たんだぜ。早く出て行かないと、あんたとこのキッズが怪我するってね」
 その言葉に真っ先に反応したのはまたもやコトラだった。
「おまえ、そんな事してみろ、そんときは」
「おいおい、コトラ。おまえなんか勘違いしてるぜ。俺を脅してんのか? 俺の敷地内に入って、俺のマンションでマネー家賃も払わずに、勝手にリビングしてるのはお前たちのほうなんだ。そこんとこよく考えな。まぁ警告はちゃんとしたからな」
「なんだと……」
「そう吠えるなよコトラ。まぁとにかく二週間だからな。行くぜ」
 コウジはそう言うと、ボディーガードを従えて部屋を後にした。
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 状況は絶望的だった。
 わたしたちはもう大人だった。自分で考え、自分で行動することができた。
 それでもこの問題はあまりに大きすぎた。わたしたちには守るべき百人近くの子供たちがいた。
 そしてみんなが大切な家族だった。離れて暮らすなんて考えられなかった。
「……最近はさ、都市開発がまた始まって、昔みたいな空き家もなくなってるんだ」
 ケンちゃんは寂しそうにつぶやいた。
「この街にはもう俺たち全員がもぐりこめるような場所はない。テントを建てようにも空き地一つない。どけって言うのはいいけど、どこにどいたらいいのか誰も教えてくれねぇ。俺はたまに思うんだよ。俺たちはいらない人間なんだって。みんなに迷惑にされているって、邪魔にされているって、そんな風に感じるんだ……」
 ケンちゃんの言葉はわたしたちみんなが漠然と感じていた不安そのものだった。
「……なんかつまんねぇ話したな。今日は俺帰るわ」
 ケンちゃんはフラリと立ち上がると、部屋を出て行ってしまった。
 その後をキョウコさんがあわてて追いかけた。
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「打つ手なし、なのかな?」
 面会室に残ったのはわたしとコトラ、そしてレイの三人だけだった。
「こんな時、リョウジさんがいてくれたらなぁ。いろいろ相談に乗ってくれたのに」
 コトラがつぶやいた。
「そういえばリョウジさんには相談しなかったのか?」
 その問いにはレイが答えてくれた。
「リョウジさんは今、人を探していて街にいないの」
「そういうのも弁護士の仕事なの?」
「なんでもヒダカさんの遺産受取人を捜しているんですって。あと二人いるそうだけど、その二人がずっと行方不明だそうよ。探偵の人を雇ってあちこちを捜させていたんだけど、先週情報が入ったとかで、近くの街に出かけているのよ。もう三週間くらい戻ってきてないの」
「ふーん、そんな人がいるんだ……」
 わたしはその二人というのがヒダカ老人の遠い親戚か何かなのだと思っていた。
 それがまさかわたし自身とコトラのことだとは思いもしなかった。