📖
ちなみにそのパーティーには三人の『大人』が出席していた。
一人はキョウコさんの祖父であるミクニ老人、もう一人はヒダカ老人、そしてキョウコさんの上司であるリョウジさんだ。
三人ともが優しいお祝いのスピーチをしてくれたそうだ。ヒダカ老人は車椅子に乗っていたのだが、子供たちがいつも彼を取り巻き、いろんな話をしたり、料理を持ってきてくれたりしたので、ずいぶん感激していたということだった。
📖
「あの後さ、ヒダカの爺ちゃんから兄ちゃんに手紙を預かったんだ」
結婚式のあった週末、みんなが面会に来た時、コトラがそう言って一通の手紙をよこした。
それは白い封筒に入れてあり、中には便せんで二枚、ヒダカさんからの手紙が入っていた。
考えてみれば、それはわたしにとって人生で初めてもらった手紙だった。
宛名には私の名前が書いてあり、手紙の文字はものすごく上手だった。
📖
その手紙はこれまで何度も読み返した。
もうすっかりインクも色あせ、紙もあちこちが破れかけている。
それでもその手紙はずっと私の机の中に入れてある。
それはこんな風に書かれている。
📖
レンジ殿
拝啓 つらい境遇だと思うが、元気にしていることを信じている。
先日は君の家族にケンの結婚式に招待してもらった。
これは君に宛てた最初で最後の手紙になると思う(次はきっと顔を見て話せるだろうからね)。さて、手紙ということで君に少し私の本心を打ち明けたい。
ケンの結婚式は本当に素晴らしいものだった。そして私は嫌でも気づかされたことがある。私には子供たちの事がまるで見えていなかったということだ。
どうやら私の心はずいぶんと曇っていたらしい。それは私にお金があり、彼らがお金を持っていなかったせいだと思う。
ただそれだけのことで、私の心は彼らを無視していたのだ。だが彼らは私をきちんと見てくれた。車椅子に乗った、生きることもままならない、ただの老人の私を、ゲストとして丁重にもてなしてくれた。
みっともない話だが、私はこれまでの自分が恥ずかしい。だがそれに気がつくことで、最後の最後に人間らしい心を取り戻せたような気がするのだ。
子供たちと過ごした、あのパーティーは本当に、本当に楽しかった。
あれほど楽しかった時間を過ごせたことは、今までになかった。そして人生の最後にそんな時間を過ごせたことは、無上の幸せだと感じている。
そして私がそれを得られたのは、レンジ、お前がいてくれたからだ。
本当に心から礼を言うよ。ありがとうレンジ。
敬具
追伸 君がそこから出てくるのを楽しみに待っているよ。
体に気をつけて、元気に出ておいで。
📖
これがヒダカ老人からもらった最初で最後の手紙となった。ヒダカ老人はこのパーティーから三ヵ月後、わたしが出所する前に、息を引き取った。礼を言わなければならないのはわたしのほうだった。
もはや届けることはかなわないが、わたしも改めて言葉をつづろうと思う。
📖
ヒダカさん、あなたがいなければ、わたしはこれだけの家族を守ることは到底できませんでした。
コトラたちが金の涙を流した時、カゴ婆さんのような人に騙されずにすんだのは、あなたの教えのおかげでした。
金が大暴落をしたとき、わたしたちにそれを教えてくれたのもあなたでした。
あなたがいなければ、わたしたち家族はとっくにバラバラになっていました。
わたしは今もあなたの善意を忘れていません。
あなたはわたしたち家族の命の恩人だったのです。
家族はみんなそれを知っていたのです。
📖
本当はこの気持ちを直接あなたに伝えたかった。
📖
ヒダカ老人の葬儀には多くの人が集まった。
参列者のほとんどは子供たちであった。
それは街の大きなニュースとなった。なにしろヒダカ老人の身内が十人ほど、仕事の関係者が数人しか顔を出さなかったのに、子供たちだけで百人以上が手に手に花をたずさえて、屋敷を訪れたのだ。
子供たちの服装はみなみすぼらしかったが、だれよりも子供たちはヒダカ老人の死を悲しんでいた。それはテレビのニュースで流されたほどだった。
そしてこのニュースに感銘を受けた一人の少女が、わたしの牢獄に面会に訪れることになる。
これもまた不思議な運命だった。
📖
「ナギサっていう女の子が面会に来ているぞ」
担当の看守さんからいきなりそう言われた。それはいつもの日曜日の面会時間。ケンちゃんとコトラはすでにやってきており、いつものように仕事の話や、家族たちのことを話していた。
「ナギサ? 初めて聞く名前だな。新しい家族かい?」
「そんな名前の女の子はいないよ」とコトラ。
「うん。家族の子じゃないな」とケンちゃん。
「いったいだれだろう?」
そう話しているうちにナギサ本人が現れた。
赤いふちのメガネが印象的だった。おとなしそうな感じの女の子で、肩からスケッチブックの入った大きなカバンを提げていた。長い髪を三つ編みにした姿は、勉強好きの優等生という感じだった。
📖
「あの、ナギサっていいます。ヒダカさんっていう方の葬儀のニュースをテレビで見て感動して、それを本にしたくて、あなたに会いに来ました」
と、その時だった。コトラがガタン、と立ち上がった。わたしの目にも、おそらくケンちゃんの目にも、コトラの全身が恋の炎に包まれているのが見えた。もう真っ赤に燃え上がっていた!
「コ、コ、コトラです! はじめまして! どうぞこちらへ!」
コトラはすばやくもう一つのイスを持ってきて、わたしの隣に置いた。
おいおい、それじゃ喋りにくいだろう……とは思ったが口を出す気も失せていた。
たぶん今のコトラには何を言っても聞こえないはずだ。
「ありがとうございます、では失礼します」
ナギサはそういってわたしの隣、コトラのまん前に座った。
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そう、彼女こそが後にコトラと結婚することになるナギサちゃんであった。
その時は彼女が中学生くらいの年齢に見えていたのだが、実はコトラより三つ年上の十九歳であった。
そして彼女の登場は、コトラの人生だけでなく、わたしたちの運命をも大きく変えていくことになるのである。
~ 結婚と起業とあれこれ 終わり ~
ちなみにそのパーティーには三人の『大人』が出席していた。
一人はキョウコさんの祖父であるミクニ老人、もう一人はヒダカ老人、そしてキョウコさんの上司であるリョウジさんだ。
三人ともが優しいお祝いのスピーチをしてくれたそうだ。ヒダカ老人は車椅子に乗っていたのだが、子供たちがいつも彼を取り巻き、いろんな話をしたり、料理を持ってきてくれたりしたので、ずいぶん感激していたということだった。
📖
「あの後さ、ヒダカの爺ちゃんから兄ちゃんに手紙を預かったんだ」
結婚式のあった週末、みんなが面会に来た時、コトラがそう言って一通の手紙をよこした。
それは白い封筒に入れてあり、中には便せんで二枚、ヒダカさんからの手紙が入っていた。
考えてみれば、それはわたしにとって人生で初めてもらった手紙だった。
宛名には私の名前が書いてあり、手紙の文字はものすごく上手だった。
📖
その手紙はこれまで何度も読み返した。
もうすっかりインクも色あせ、紙もあちこちが破れかけている。
それでもその手紙はずっと私の机の中に入れてある。
それはこんな風に書かれている。
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レンジ殿
拝啓 つらい境遇だと思うが、元気にしていることを信じている。
先日は君の家族にケンの結婚式に招待してもらった。
これは君に宛てた最初で最後の手紙になると思う(次はきっと顔を見て話せるだろうからね)。さて、手紙ということで君に少し私の本心を打ち明けたい。
ケンの結婚式は本当に素晴らしいものだった。そして私は嫌でも気づかされたことがある。私には子供たちの事がまるで見えていなかったということだ。
どうやら私の心はずいぶんと曇っていたらしい。それは私にお金があり、彼らがお金を持っていなかったせいだと思う。
ただそれだけのことで、私の心は彼らを無視していたのだ。だが彼らは私をきちんと見てくれた。車椅子に乗った、生きることもままならない、ただの老人の私を、ゲストとして丁重にもてなしてくれた。
みっともない話だが、私はこれまでの自分が恥ずかしい。だがそれに気がつくことで、最後の最後に人間らしい心を取り戻せたような気がするのだ。
子供たちと過ごした、あのパーティーは本当に、本当に楽しかった。
あれほど楽しかった時間を過ごせたことは、今までになかった。そして人生の最後にそんな時間を過ごせたことは、無上の幸せだと感じている。
そして私がそれを得られたのは、レンジ、お前がいてくれたからだ。
本当に心から礼を言うよ。ありがとうレンジ。
敬具
追伸 君がそこから出てくるのを楽しみに待っているよ。
体に気をつけて、元気に出ておいで。
📖
これがヒダカ老人からもらった最初で最後の手紙となった。ヒダカ老人はこのパーティーから三ヵ月後、わたしが出所する前に、息を引き取った。礼を言わなければならないのはわたしのほうだった。
もはや届けることはかなわないが、わたしも改めて言葉をつづろうと思う。
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ヒダカさん、あなたがいなければ、わたしはこれだけの家族を守ることは到底できませんでした。
コトラたちが金の涙を流した時、カゴ婆さんのような人に騙されずにすんだのは、あなたの教えのおかげでした。
金が大暴落をしたとき、わたしたちにそれを教えてくれたのもあなたでした。
あなたがいなければ、わたしたち家族はとっくにバラバラになっていました。
わたしは今もあなたの善意を忘れていません。
あなたはわたしたち家族の命の恩人だったのです。
家族はみんなそれを知っていたのです。
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本当はこの気持ちを直接あなたに伝えたかった。
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ヒダカ老人の葬儀には多くの人が集まった。
参列者のほとんどは子供たちであった。
それは街の大きなニュースとなった。なにしろヒダカ老人の身内が十人ほど、仕事の関係者が数人しか顔を出さなかったのに、子供たちだけで百人以上が手に手に花をたずさえて、屋敷を訪れたのだ。
子供たちの服装はみなみすぼらしかったが、だれよりも子供たちはヒダカ老人の死を悲しんでいた。それはテレビのニュースで流されたほどだった。
そしてこのニュースに感銘を受けた一人の少女が、わたしの牢獄に面会に訪れることになる。
これもまた不思議な運命だった。
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「ナギサっていう女の子が面会に来ているぞ」
担当の看守さんからいきなりそう言われた。それはいつもの日曜日の面会時間。ケンちゃんとコトラはすでにやってきており、いつものように仕事の話や、家族たちのことを話していた。
「ナギサ? 初めて聞く名前だな。新しい家族かい?」
「そんな名前の女の子はいないよ」とコトラ。
「うん。家族の子じゃないな」とケンちゃん。
「いったいだれだろう?」
そう話しているうちにナギサ本人が現れた。
赤いふちのメガネが印象的だった。おとなしそうな感じの女の子で、肩からスケッチブックの入った大きなカバンを提げていた。長い髪を三つ編みにした姿は、勉強好きの優等生という感じだった。
📖
「あの、ナギサっていいます。ヒダカさんっていう方の葬儀のニュースをテレビで見て感動して、それを本にしたくて、あなたに会いに来ました」
と、その時だった。コトラがガタン、と立ち上がった。わたしの目にも、おそらくケンちゃんの目にも、コトラの全身が恋の炎に包まれているのが見えた。もう真っ赤に燃え上がっていた!
「コ、コ、コトラです! はじめまして! どうぞこちらへ!」
コトラはすばやくもう一つのイスを持ってきて、わたしの隣に置いた。
おいおい、それじゃ喋りにくいだろう……とは思ったが口を出す気も失せていた。
たぶん今のコトラには何を言っても聞こえないはずだ。
「ありがとうございます、では失礼します」
ナギサはそういってわたしの隣、コトラのまん前に座った。
📖
そう、彼女こそが後にコトラと結婚することになるナギサちゃんであった。
その時は彼女が中学生くらいの年齢に見えていたのだが、実はコトラより三つ年上の十九歳であった。
そして彼女の登場は、コトラの人生だけでなく、わたしたちの運命をも大きく変えていくことになるのである。
~ 結婚と起業とあれこれ 終わり ~